4 クサのツカサ④
西北の端にいる楠と会う為に歩きながら、結木は軽く説明してくれた。
「樹木の自我ってのは、我々人間とは違うようなんですよ」
そもそも樹木に『自我』があると知ったばかりだが、るりは、そうなんですかとうなずく。
「個体としての自我ももちろんあるんですけど、種としてひとつらなりの自我があるそうなんです。まあボクは人間ですんで、どうやらそうらしいな~程度にしかわかりませんし、正直言うたらピンときませんけど」
結木はのんびりと、笑みを含んだ口調で続ける。
「だからか、ある程度以上長生きした個体同士やったら、互いに自我の部分を行き来させることが出来るらしいんです。座ってる場所を移動しあうような感じ、みたいですね。距離としたらせいぜい本州の間くらい、らしいですけど」
海をはさむとシンドイみたいですね、と、普通のことのように彼は言う。もはや疑問をはさむとか、そういうレベルを越えている話だ。
物心ついて以来、不思議とは嫌というほど付き合ってきたつもりだったが、世界はまだまだ不思議に満ち満ちていたらしい。
るりはふと空を見上げた。
丸い月が東の空で輝いていた。
月とはこんなにきれいに輝くのだと、るりは初めて知った気がした。
楠の前まで来た。
結木が口を開く前に、はち切れそうな歓喜の気配が楠からあふれてきて驚く。
【お初にお目にかかります!オナミのクサのツカサ!】
「あ……どうも。ご挨拶が遅れましたけど……」
相手の勢いにたじろぎながらも結木が挨拶を始めたが、
【とんでもない、お声をかけていただいて恐縮です!】
と、食いつかれそうな勢いで明るく返された。
「ナンか、エラい歓迎されてますねえ……」
困惑気味に結木がつぶやくが、楠のテンションは下がらない。
【大松さまから話はお聞きしています。ヨシアキの楠とツナギを取るのですね、お任せください。あの方へツナギを取れて光栄です!】
「あ、それではお願いします……」
余計な前置きは一切なく、トントンと話が進む。シンボルツリーの松が、どうやったのかは見当もつかないが、この楠へ伝言してくれていたようだ。
不意に空気がぐらりと動いた。
薄荷に似た香りが鼻先をかすめた……と同時に、軽い眩暈のような感覚。
るりは思わず目を閉じた。
次に目を開けた時には、大楠の前に片膝をついた状態で軽く頭を下げた、黒の紋付き羽織袴の体格のいい壮年の男がいた。
彼は静かに目を上げ、立ち上がって姿勢を正して真っ直ぐ結木を見た。蓬髪、に近い無造作に伸びた髪だったが、不潔な感じはしない。
「お呼びと伺い参上いたしました、我が君。どうやら、よほどのことがあったのですね?」
低くてよく通る、いい声だった。るりは一瞬、彼は邦楽関係の歌い手さんなのだろうかと思った。
「夜分にお呼び立てしてすみません、大楠先生。どうしてもお聞きしたいことがありまして」
そう言う結木の視線が、そちらを向いているにもかかわらずまったく『大楠先生』なる人物と合わないのに気付き、るりはなんとなく不審に思った。
不意に結木は目を落とし、何故か小さなため息をついた。
「いやその」
ぱしぱしと彼は目をしばたたく。
「やっぱり『我が君』は勘弁してもらえませんかねえ?ボクは逆立ちしてもそんなたいそうな男やありませんし……800年も生きてる方に『我が君』なんて呼ばれたら、申し訳ないやらこそばゆいやらで、逃げたなりますやん。若干、その……おちょくられてるような気も、せんでもない、といいましょうか……」
「おや、それは心外ですね」
紋付き羽織袴の男は真面目な顔で言う。
「おちょくってなどいませんとも、我が君・結木草仁さま」
「結木……そう、じん?」
るりは思わずつぶやく。
理由はよくわからないが、この名というか音の連なりが、記憶の底に引っかかっている。
『大楠先生』はるりへ目を向け、ニコッと笑った。
厳めしいといえそうな顔立ちだったが、笑うとびっくりするほど人懐こい表情になる人だ。
「お初にお目にかかります。伝えられている話でしか存じ上げておりませんが、月夜見命を氏神にお持ちになられる『神鏡』の巫女姫でいらっしゃいませんか?」
るりが曖昧にうなずいて笑みを作ると、かれはもっと相好を崩した。
「おお、やはり。私は小波という町に長く住まう楠です。『義昭の楠』と呼ばれております。以後お見知りおきを」
軽く会釈をし、彼は続ける。
「ご本人はお認めにならないのですが、私は小波で生まれ育った草木の司・結木草仁に従う者であります。草木の草に仁徳の仁。儚い草に対しても仁の心で接する、この方に相応しい呼び名でいらっしゃいましょう?」
「いやそれは、そうあれかしと銀雪先生が……」
もごもごと言いかけたが、そこで結木はひとつ首を振った。
「や、呼び名問題は今はどうでもよろしいんでした、すみません。実はちょっと……だいぶん、厄介なことになってしまいまして」
「そのようですね」
『大楠先生』は真顔になり、ため息をついた。
「はっきりとは断言できませんが……かなり力のある祟り神の呪いを、あなたは受けていらっしゃいますね」
そして彼は、真顔のままるりを見た。
「こちらにいらっしゃる月の御裔たる巫女姫の……うつつ心を失った御剣、が、祟り神でいらっしゃるのではと推察いたしますが、いかがでしょうか?」




