4 クサのツカサ②
「さて。だいぶん暗なってきましたね、さすがに腹も減ってきましたし。この後、一緒にメシでも食いに行きませんか?」
「は?」
あまりにも日常的な言葉が突然出てきて、るりはポカンとした。結木は慌てて、
「あ、スミマセン。この後のご予定とかも確認せんと。大体、急にメシに誘われても困りますよね」
もう一度彼は、スミマセンと言って軽く頭を下げた。
「あ、いえ、そういうことではないんです。でも……」
やはり、彼は状況がわかっていないんだ、とるりは確信する。
「ごはん、その、食べられるんですか?あの……殺される、のが、決まってる、みたいな、状況なん、です、けど……」
さすがに語尾があやふやになるが、ここは言っておかなくてはならない。
しかし結木はふわりと笑んだ。
「殺されそうな状況なんは、これでも一応、把握してますよ」
るりが信じていない顔をしていたのであろう、結木は困ったように苦笑した。
「でも腹は減りますし。腹減った状態であれこれ考えても落ち込むばっかりでしょう?今後に向けて腹ごしらえは、どっちにしても大事ですから」
「はあ……」
そう言われればそうかもしれないが、あまりに彼の雰囲気がのん気で、るりは脱力する。
「といいましても、この辺で美味しい店とか知りませんし、ネットなんかで探す時間ももったいないです。愛想のない話ですけど、昨日晩飯食ったこの近くのファミレスでかまいませんか?あ、もしおススメの店とかあったら教えて下さい」
「え?いえ、特には……」
答えているうち、なんとなく心が軽くなってきた。
悲壮に思い詰め、食事もしないで緊張していても事態は改善しない。何かあたたかいものをおなかに入れた方が、気力体力が充実してくるのは確かだ。それに。
(この人なら……大丈夫かもしれない)
過去の話をするうち再び絶望的になっていたが、彼ならうまくやれるかもしれない、と、改めて思った。
まなかいにふと、不思議な光景が見えた。
鬱蒼とした深い森を行く黒い影は、手練れのハンター。
彼はこの森の隅から隅まで熟知した、非情で狡猾な狩人だ。
彼の銃弾は過去、あらゆる獲物の心臓を過たずに撃ち抜いてきた。
自分に狩れない獣はいないと、彼は慢心しているだろう。
だが今回の獲物は、彼と同等の狩人と渡り合った経験のある、いわば『主』のような存在。
幼い頃に読んだ、椋鳩十やシートンの物語を信じるのなら、名人と呼ばれる狩人でも、主と呼ばれる獣を狩るのは一筋縄ではいかない筈、だ。
るりは、目の前の青年をもう一度見た。
これという特徴のない平凡な顔立ちの、強いて言えば柔らかな笑顔が一番の魅力であるこの人は、恐ろしい狩人にも動じない強かな主の獣を内に秘めている。
その誇り高い孤高の獣を守るように、白いほど青い炎が彼の足元から立ち上る。
おそらくそう簡単に、彼を闇へ引きずり込むことは出来まい。
忘れていた笑みが、るりの頬をかすめた。
「……そうですね。お食事に行きましょう」
彼が着替えをしている間に、るりはゆのみ類を洗って片付ける。連れ立って外へ出、事務所を施錠をして空を見上げ、改めて世間が夜なのに気付く。
「スミマセン、ちょっと寄り道させてもらいたいんですが」
結木が言う。
「こちらのシンボルツリーさんのところへ。今晩はあの方の根方でやすませてもらおうかと思うんです」
「は?」
次から次へと、この人は突拍子もないことを言う。
「実は今朝、あの方の根方で爆睡かましてしもたんには、ちょっと訳があるんですよ。宿泊所でどうしても寝付けんかった時、これはどうやら良からぬ輩がちょっかいかけてきてるなぁと思いまして。実はそういうのん、今までにも経験がないでもないんです。でまあ、そういう場合は土地の主みたいな大樹にお願いして、守ってもらうんが近道でして。小物の妖怪とか幽霊さんとかは、土地の守り神みたいな大樹には遠慮しますから、少なくとも安眠は出来ますんで」
彼にしか使えない裏技的なやり方だが、そういう切り札を持っていたからのん気だったのか、と、るりはようやく納得する。ただ……。
「まあ、祟り神クラスのお方の攻撃まで躱せるかどうかはわかりません。気休めでしかないかもしれませんけど、それでも土地神さんに一番近い大樹のテリトリー内やったら、いくら名だたる祟り神さんでも遠慮しやはるでしょう。いきなり殺される可能性は、だいぶん減るはずです」
大樹の幹へ素早く身を躱し、残酷な弾丸を避ける主の大鹿。
そんなイメージが見え、るりはふとほほ笑んだ。




