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3 るりの追憶①

 るりが自分の能力をきちんと自覚し始めたのは、五歳になる頃だった。

 自分はどうやら、他の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているらしい、と。

 逆にその年齢まで気付かなかったのは、家族もそういうものが、るりほどではないけれど知覚していたからだ。

 特に六歳上の兄である明生(あきお)は、るりとほぼ同じものを見聞きしていた。

 るりが見える現実ではないものを兄も見ていたし、聞こえる現実でない音や言葉も、ニュアンスに差はあったが聞こえているようだった。

 だが父は、るりや明生の半分も知覚出来ないようだったし、母に至っては気配のようなものは感じるらしいが、それ以外ほとんど知覚できないようだった。

「ウチのチスジのトクセイ、なんだって。よくわからないけど、ウチの家族だけこういうのが見えたり聞こえたりするんだって、お父さんが言ってたよ。でも大人になったらだんだん、見えなくなったり聞こえなくなったりするんだって」

 個人差もあるらしいけど。兄はそう教えてくれた。


 兄は優しかった。

 六歳下の妹が頼りなく、でもだからこそかわいいらしく、よく面倒も見てくれた。

 兄は、父によく似た繊細な顔立ち、母によく似た漆黒の髪に漆黒の太い眉の、幼い頃からちょっと影がある感じの美少年だと言われていた。

 そんな兄に手を引かれて歩いていると、皆、ニコニコしながら道を譲ってくれたものだった。

「るりが可愛いからだよ。赤ちゃんの頃からるりのこと、お人形さんみたいだってみんな言ってたし」

 そんなことを言って笑っていた、幼さの残る兄をるりは時々思い出す。

 とても美しい夢のように。


 『幻視』『幻聴』と父や兄が呼んでいる現実ではないものが、るりにもなんとなくわかってきた頃。

 二年保育の幼稚園へあがった。

 集団生活の中で、るりは特に問題なく過ごせていた。

 るりは、あまりしゃべらない大人しい女の子として、普段は机の前に座って絵本を読んだり絵を描いたりして過ごしていた。

 遊びに誘われると二回に一回くらいは混ざり、集団生活をやり過ごしていた。

 兄に倣ったやり方だった。

 多くの人が知覚出来ないあれこれを見聞きしている日常で、それを完全にないものとして無視するのは難しかった。

 集団の中に上手く埋没し、基本はあまりしゃべらないように気を付ける。うっかり『ヘンなこと』をしゃべらない為の自衛だ。

 それに子供ばかりの集団は、現実も『幻視』『幻聴』もとても騒がしく、その場にいるだけで疲れた。だから、物を言う気力もそがれてしまうのが本音だった。

 そんな愚痴を兄に言うと、彼は笑って

「聞いたんだけど、お父さんも小さい頃はそうだったんだって言ってたよ。疲れるから学校も休みがちだったって。でも中学生になる頃くらいから段々『幻視』や『幻聴』が減ったって。だからオレたちもそうなるんじゃないかな?」

 と教えてくれた。そして、オレは別に疲れないよ、色々見えるしちょっかいもかけてくるけど、ゲキタイしてやるからね、と、胸を張った。

 記憶の中の兄はいつも優しく、そしてとても頼りがいのある存在だった。

 何か困ったことが起きても、きっとおにいちゃんが何とかしてくれる。

 幼い日々、るりはそう信じていた。


 そんな、穏やかといえる日々に影が差すようになったのは、るりが七歳、明生が十三歳になった秋だ。るりは小学一年生だった。

 父の仕事の担当者がその秋、ひとり変わった。

 それまで三十代後半くらいの女性が担当していた仕事が、二十代後半の男性の仕事に変わったのだ。

 父の仕事の相手が変わっても、基本るりには関係のない話だ。が、仕事の引継ぎと挨拶をする為にその男が自宅まで来て、たまたま帰宅したるりと鉢合わせた瞬間、運命が動いた。

『……天使だ!』

 目が合った途端、歓喜に満ちた男の心の声がるりに耳に響いた。

『天使だ、理想の天使だ。素晴らしい!』

 その人がるりをとても気に入り、とても褒めてくれているのはわかった。が、その気に入り方がどうも嫌な感じで、目が合った瞬間、るりは彼に生理的な嫌悪感を持った。

「るり、ご挨拶は?」

 父の声に、るりは我に返る。こんにちは、と、もごもごとつぶやくように言って頭を下げ、急いで自室へ入った。

「可愛らしいお嬢さんですね、先生。十年後にはきっと、すごい美人さんになっていますよ。悪い虫が付かないか今からご心配でしょう?」

 いかにも大人が言いそうな社交辞令を言って軽く笑う男の声が、虚しく響いてきた。


 男は柴田といった。

 あの日以来、仕事の打ち合わせ、とか、出張ついでにそちらへ資料を持参する、とか称し、自宅へちょくちょく来るようになった。

 柴田は父が一番古くから付き合いのある会社の社員で、その会社とは取り引きも多かった。

 柴田がるりのことを、普通以上に『気に入っている』ことは父も察していたが、柴田自身ある程度以上節度のある態度だったので、父も強く牽制出来ずにいた。

「あいつ、気持ち悪いよな」

 中学生になり、声が少し低くなった兄がむっつりと言った。

 彼は中学生になっても子供の頃とほとんど能力が変わっていない。明生は先祖返りの能力持ちかもしれないな、と、父が何故か心配そうにつぶやいていたことを、るりは時々思い出す。

「絶対るりを狙ってるよな、あのおっさん。気持ち悪い。変態だよ!」

 吐き捨てるように言う兄は、抜き身の剣のようでるりは怖かった。

 怯えた顔をするるりに気付いた兄は、目許をゆるめて笑みを作る。

「大丈夫だよ、るり。あのおっさん、そもそも気が小さいし。大体オレもお父さんも気付いてるんだ、あんな奴絶対るりに近寄らせないから、心配すんな」

 るりは曖昧に笑って兄へうなずく。

 柴田は怖いし気持ち悪かったが、最近時々、兄も怖い。

 だけどさすがに、それは誰にも言えなかった。


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