3 変わった子供
《シスタータバサside》
今日の午後、いつものように山羊を放牧している間、果樹の木陰にリュークを寝かせました。ここはリュークのお気に入りの場所で、ここに寝かせると機嫌よく一人で遊んでくれるのです。
リュークは多分三歳くらいでしょうか。ちょっと変わった子供です。
あれは一年前、春雷の鳴り止まぬ夜のことです。
戸締りを確認していたところ、礼拝堂の玄関を叩く音に、私とシスターチェスタが向かいました。
雨は止んでおり、時々窓の隙間から雷光を差し込み、遠のいていく雷鳴が窓を小さく震わせました。
だけどそれは雷鳴ではなく確かに扉を叩く音でした。
「どなたですか?」
シスターチェスタが問いかけるも返事はなく、またトントンと扉を叩く音がしました。
そっと扉を開けると、玄関の石畳の上に手提げ籠に入れられた幼児が眠っていました。それがリュークです。
「まあ、こんなところに赤児が」
扉を開け赤子の入った籠を持ち上げると、ピカリと雷光が辺りを照らしました。
「ひいっ!」
シスターチェスタの悲鳴に顔を上げると、少し離れたところに大きな狼が座っていました。
ゴロゴロという雷鳴が過ぎ去ると、新たな雷光が狼の姿を照らし出し、その大きさに私も腰が抜けたようにしゃがみこんでしまいました。
狼は見たこともない白く綺麗な毛並みをしており、こちらをじっと見つめるその瞳には知性を感じさせました。
私は恐怖しつつも籠を抱きかかえると、狼は一度頭を下げくるりと身を翻し、あっという間に姿を消しました。
その後、ファーザーロレンスとブラザーニックに話をし、村のハンターギルドに大きな白い狼について報告しましたが、それ以降その狼を見かけたという報告はありませんでした。
この辺りにも果ての樹海にも白い狼などいないと言われました。雷光と恐怖で実際より大きく、白く見えたのではないかと言われ、日が経つにつれそうではないかと自分でも思うようになりました。
赤子の首にかけられたネックレスには文字が彫られていました。ここフランツ王国で使われている文字と少し異なるようです。ファーザーロレンスがおっしゃるには、隣の大陸の文字ではないかとのことでした。
フランツ王国のあるヨーロ大陸とはかなり離れたところにある、エストア大陸の文字? なぜそのような文字がと疑問が浮かんでも答えを与えてくれるものはおりません。
刻まれた文字は〝リューク〟と読めたことで赤子はリュークと名付けられました。
リュークは、なんと表現すれば良いのでしょうか。まるで〝感情をなくした〟ような〝自我を持たぬ〟ような赤子でした。
食べ物を口に運べば咀嚼し、水を与えれば飲み込む。
疲れたら眠り、ときおり排泄もします。
けれど、泣かず、喋らず、声を出さない。もしや声が出ないのかとも思いました。その瞳はどこを見ているのかわからず、目も見えていないのか、耳もここ得ていないのかと心配しましたが、匙を近づければ口を開けますし、メリサが大泣きすれば顔を背けクッションに埋まろうとしました。
けれどこのままでは生きていくことはできません。いつまでも赤子のように世話が必要であれば、この辺境の地では淘汰されてしまうでしょう。
この孤児院の子供達は、いずれこの開拓村の村民となれるため生かされているのです。
世話をされなければ生きていけない孤児は……
そんな不安と悩みは、リュークがやってきて一年経とうとした頃唐突に終わりを告げました。
「ゔぁー、うー」
突然の声に食堂にいた全員がリュークに視線を向けました。
この一年全く声を発しなかったリュークが唸ったのです。そして何かを訴えるように拳を振りました。
あ、オムツが濡れたようですね。それすらも訴えることのなかった赤児が、ようやく人としての行き方を再開したようです。
思わずシスターチェスタと手を取り合って喜びました。
これもメスティア神のご加護でしょう。神に感謝を捧げましょう。
それから一ヶ月、何も写していないような瞳は、知性を感じさせる深緑の瞳に変わり、私たちの言葉を真似るよう必死に口元を見、自分の口を動かしています。
一年ろくに動かなかった身体は、ようやく立てるようになりましたが、まだ三歩以上は歩けません。
けれど食事もスプーンを持って自分で食べられるようになっただけでも、成長が著しく感じられ、日々シスターチェスタと共にメスティア神に感謝を捧げております。
そして今日、山羊たちが放牧地で草を食む横で、洗濯物を取り込んでいた時、アリアの悲鳴が聞こえました。
アリアを見ると果樹園の近くで林の方を指差していました。その方向にはリュークがいます。けれど敷物の上にリュークの姿がありません。
アリアが「狼が、大きな白い狼がリュークを!」と訴えてきました。
急いで駆けつけると、果樹園の柵の方向かって這っていこうとするリュークを見つけました。
けれどそこに狼の姿はありません。急いでリュークを抱き上げると、身体をよじって腕から逃れようとしました。
そして、初めて大きな声で鳴き出しました。
思わず力を込めて抱きしめてしまいましたが、ついてきたアリアに指示を出しながら足早に教会へと戻ります。
「あいあのばかぁ……」
リュークは鳴き続けましたが、教会に着く頃には糸が切れたように意識を落としました。