1 孤児院
ここはどこ? 父さんと母さんはどこ? アイリスは? ロキは? 僕たちの馬車の家は?
周りを見回すと、木の柵で囲まれた牧草地の向こうに一軒の家が見えた。
全然見覚えのない家です。牧草地では数人の子供が山羊に草をはませているようですが、そこに両親の姿はありません。
僕はといえば、枝葉を大きく広げた木の下に広げられた敷物の上、継ぎ接ぎだらけのクッションに埋もれ身動きが取れません。というか身体が思うように動かないのですけど。
見上げると枝葉の間から、太陽の光が溢れてる。
ゴロン……
見上げたせいで後ろに転んでしまいました。仕方ありません、子供は頭の方が重いのだから。ん? どうして僕はそんなことを知っているんでしょう?
家の方から女性が足元に子供をまとわりつかせながら、ゆっくりと近づいてきました。紺色のワンピースに同色の頭巾をかぶっています。
クッションの隙間に倒れこんでもがく僕を覗き込んだ女性は、歳は三十歳くらいでしょうか、明るい茶色の瞳の、目尻が少し下がり気味の優しそうな女性でした。
「**********リューク***?」
……
「***********」
……あれ? 何をいってるのかな?
「****? ***」
女性は話しかけながら僕を抱き上げ、ゆっくりとゆすりつつ背中をトントンと優しく叩いて顔を覗き込んできました。
「*******」
うん、口調は優しげだけど、やっぱり何をいっているのかわからない。
あれぇ?
それからひと月ほど経ちました。
僕を抱き上げた女性だけでなく、周りの人たちの話す言葉がわからない理由ですが、なんてことはありません。
周りの人が話している言葉が、父さんや母さんが使っていた言葉と違っていました。
僕は齢三歳にして二つめの言語を覚えねばならないようです。
早々にわかったことは、僕が〝リューク〟と呼ばれていること。
のちに判明したことですが、僕の首にはペンダントがかけられており、ペンダントトップに〝リョウガ〟と名前が彫られていました。
母さんが作ったペンダントトップに父さんが名前を掘ってくれたのです。
しかし掘られた文字はここで使われている文字とは若干形が違う上、ここの発音に当てはめると〝リューク〟と読めるようで、僕の名前が〝リューク〟になってしまいました。
まあ、仕方ないです。訂正しようにも、僕はうまく喋れませんでしたから。
どうも記憶のないこの一年、全く声を発しなかったようで声帯がうまく機能しません。
まずは発声練習が必要なようです。言葉も覚えなくてはなりませんけど。
頑張って初めて声を「ゔぁー、うー」と出した時、周りにいた人間が一斉に僕の方を振り向き、驚愕の表情を見せた時は、何事かとおののき漏らしてしまったのは消してしまいたい記憶です。
記憶のない一年間は身体の方もろくに動かしていなかったようで、三歳にしては身体は小さくやせ細り、歩くこともままならず、一歳からやり直しのようにハイハイする羽目になりました。
ウソです。最初はハイハイどころか寝返りからでした。
日中は動かない身体を動かそうと頑張れば、夜は疲れてぐっすり……とはいかず、僕にとっては突然家族と別離。父さんと母さんを求めてぐずぐずと泣きながら薄い布団の上で悶えて寝付けずにいました。
仕方ないです。三歳かもしれないけど意識的には父さんたちと離れたばかりの二歳児なんですから。
でも二歳児でも三歳児でも親が恋しいのは変わらない気がします。
眠いのに眠れずむずかっていると、どこからか母さんの子守唄が聞こえてきた気がたことが何度かあります。
多分母さんではなく、あの女性。シスタータバサと呼ばれている人だったのではないかと思います。
眠れなくとも目は開かず、気配だけを感じていました。優しい声が僕を眠りに誘っていきました。
いるはずのない母さんが頭を撫でてくれているような気がして、朝目が覚めれば母さんを探す。そんな日々が一ヶ月ほど続きました。
一ヶ月が経ち、少しずつ言語を理解できたと思います。けれど周りは子供が多く、その子供の言語が怪しいせいで覚え間違いをすることが多々ありました。
周りに子供が多い理由も言語を習得する過程で理解しました。
僕がいるこの場所は〝孤児院〟だったのです。
僕を抱き上げた女性はシスタータバサ。女司祭でこの教会付属の孤児院長でした。教会にはファーザーロレンスという司祭長様とブラザーニックという助司祭、そしてシスターチェスタという女司祭の四人が、僕を含め九人の子供たちと暮らしてました。
ここは創造神メスティアを主神とするメストア教の施設です。
教会は真ん中に礼拝堂、右側にシスターたちの居住区、左側が孤児院という名の子供達の居住区で、一つの建物です。教会の敷地は木製の柵で囲われていますが、教会以外は山羊の家畜小屋、畑と果樹園、牧草地とかなり広いいです。
教会があるのはフランツ王国の辺境、深緑の樹海と呼ばれる森近くに作られた開拓村でした。
教会は村の西側、樹海に近い方にあるのですが、開拓地ということもあり好きなだけ土地を確保したみたいです。
この開拓村ができてそろそろ十年が過ぎるそうです。
樹海には動物以外に魔物が生息しており、時折森からやってくるはぐれモンスターに襲われ亡くなった村人の子供や、素材を求めて樹海へ挑んで帰ってこなかったハンターの子供などがここの孤児院に集められているそうです。
極たまに、どこから来たのかわからない僕のような子供もいますけど。
シスター等の表現を使用していますが、キリスト教のそれとは関係ございません。