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「咲、朝だ」
頭の上から聞こえてくる美声に何枚もの毛布にくるまって寝ていた咲は目を覚ました。
息が苦しくない。咲は自分の幸運を喜んだ。どうやら、今朝もヴィーラのほうを向いて眠って彼女のはちきれんばかりの胸(推定Pカップ)で窒息死しかけたのではないらしい。
咲の視界を覆っているのはよく鍛えられた厚い胸板やら割れている腹筋。
だからといって、疚しいところなど一切ない。タキトゥスは半裸が普通の人物で、咲は彼がそんな格好をしていることに慣れている。
元々、咲はこの世界の人間ではない。中学生の時に足下の地面がなくなって落ちて来た時に咄嗟につかんだのがタキトゥスの母親の角だった。
そう、角なのだ。
咲は異世界トリップしてしまったのだ。それも第一異世界人は人間ではないというハードモードで。
それをまざまざと思い知らされたのは最初の一週間だった。
まず、格好。タキトゥスたちアークデーモンはほぼ半裸だ。ピラミッドの壁画に描かれているような服である。
次に寝床。アークデーモンは石の台で眠る。毛布どころかシーツもない。いくらタキトゥスとその母親・ヴィーラが同じ石の台で川の字に眠ってくれたからといっても、病気にかからないアークデーモンではない咲は翌日には風邪を引いてしまった。
翌日、ヴィーラに仕えている使用人が毛布を用意してくれたおかげで、咲だけはそれを使うことになったのだが、少し大きめのダブルベッドほどの大きさの石の台でヴィーラとタキトゥスの間で眠る咲だけが毛布を使っているという異様な光景になってしまった。アークデーモンの親子が気にしなくても、風邪が治った咲は違う。
三つ目は咲を拾ったのはアークデーモンで、アークデーモンは人間に角が付いていて、空を飛べるだけではないということ。小学校低学年くらいに見えていたタキトゥスが咲が風邪の熱で朦朧としている間になんとなく大きくなったような気がしていたら、意識がしっかりした頃には同年代になっていて、治った時には大人になっていた。アークデーモンは生まれて一週間で大人になって独り立ちする種族だった。
異世界で弟ができたと思ったら、数日もしないうちに兄になってしまった。
おかげで咲はここが異世界なのだと思い知らされた。
それでも、子育て中のアークデーモンの母親が子どもと同じ石の台で眠るからと、ヴィーラが我が子として扱ってくれているのは咲も嬉しい。
しかし、大人になったタキトゥスが母親と喧嘩してまで以前と同様に同じ石の台で眠るのは困った。アークデーモンの身長は女性でも2メートル前後ある。ヴィーラもそうだ。それにタキトゥスもやはり2メートルはある。少し大きめのダブルベッドとはいっても、2メートルはある大人二人と一緒に眠るには小さすぎる。
かといって、居候の身である咲はそれに文句を付けられない。一緒に眠る二人が片やスイカのような胸、片やどうやって鍛えたらそうなるのかわからない(眠っていただけで実際には鍛えていない)胸板をした、どう見てもわりとがっしりとした体格でも。
それでいて、二人ともやはり半裸。ヴィーラが上半身にも服を着ていても横から胸が見えるような薄着だし、タキトゥスは上半身裸だ。
だが、人間は慣れる生き物である。二人が半裸であることがまだ慣れなくて恥ずかしくて見られなかった時期もあったにはあったが、毎日意識して眠れないでは生きていけない。よって、咲の生存本能は半裸のタキトゥスが寄り添ってようが惰眠を貪れるように環境に順応させた。そのうち、二人が半裸なのもアークデーモンだからだと気にしないようになった。
ちなみに咲自身は人間だし、恥ずかしいので、しっかり服を着て生活している。
「まだ大人にならないのか?」
咲は義兄弟の毎朝の挨拶に溜め息を吐く。どうも、タキトゥスは一朝一夕で成長するものだと思っているらしい。タキトゥスがそう思っているのも、咲を同じアークデーモンとして考えているからである。
見上げた先にあるのは、艶々とした黒髪と同じ色の二本の角。それに色硝子を嵌め込んだような黄色がかった薄い水色の切れ長の目を彫像に付けたようなタキトゥスの顔。目は数少ない興味を引くことがない限り虚ろで、タキトゥスを作り物のように見せている。
魅力的な異性へのときめきよりも睡眠をとる生存本能が勝るようになった咲はタキトゥスを残念なイケメンだと思いながら、いつものように申し訳なさそうに挨拶を返した。
「おはよう、タキトゥス。ごめん、まだ子どもで」
「そうか。まだ子どもか。なら、早く大きくなる為に食事は沢山食べなくてはな」
タキトゥスは咲の頭を撫でながら落胆した声であやすように言った。
咲としてもタキトゥスにそんな声を出させるのは心苦しいが、咲はアークデーモンではなくて人間だ。毎朝、身長が20センチ以上成長していたり、(物理的にも容積的にも)どうやって付いたのかわからない筋肉も増えない。
「すぐに大きくなれるのは横だけじゃん」
成長するにはよく食べ、よく動き、よく眠ることが必要である。咲は一つしか満たしていない結果を元気よく指摘した。
「しっかり食べないと大きくならない」
タキトゥスの意見は変わらない。
「それは大きくなるんじゃなくて、太るって言うんだよ!」
自分の食べたい量を食べてもタキトゥスの気がすむまで食べさせられたら太る未来しかないので、咲の主張も激しくなる。いくら学校に行かなくてよくても、太りたいとは思わない。
「?」
脳筋に見えない外見詐欺は首を傾げて見せるのだった。