最後の増援
これは余談だが、死霊兵は魔族ではない。
死霊兵は魔術で魂を縛りつけられた、使役されるだけの兵器だ。己の意思で行動する不死族とは違う。だから何を命令しようが忠実にこなすし、消滅するまで決して役割を違えることはない。そういう点では我の強い者たちの集まりである魔王軍の中で、最も特異な戦力である。
深夜。王都の外壁に向かい、その死霊兵たちが前進する。腐肉を引きずるゾンビ、カチャカチャと骨を鳴らすスケルトン、ぼんやりと透けて浮遊するゴースト。ホラーものの映画を思い出すおぞましい集団だ。俺、生前怖いの苦手だったからあんま見てないけど。
気づいた守備兵たちが一斉に矢を放った。さすがに警戒されているだけあって早い対応だ。対魔物用の太矢が雨のように降り注ぎ、死霊兵たちに突き刺さっていく。ヤツらあんまり素早く動けないから、いい的になっているな。
それでも死霊兵は止まらない。ヤツらのタフさは折り紙付きだ。身体に何本矢が刺さろうが、四肢が吹き飛ぼうが、痛みを感じないあいつらは壊れきるまで動き続ける。
「亡霊兵を」
俺が短く告げると、邪眼族の爺さんは頷いて黒魔術士隊に指示を出す。彼らは一斉に呪文を唱え、傀儡の魂に指令を飛ばした。
矢の雨をすり抜け、亡霊たちが空へと浮かび上がる。ゴーストは魔法には弱いが物理攻撃が効かない。人間の魔法使いは少ないから、あの数を即座に対応するのは不可能だろう。
亡霊兵は散開し、城壁もすり抜け、次々と矢狭間の向こうへと消える。するとすぐに飛来する矢の量が減り始めた。代わりに人間たちの混乱した悲鳴や怒号が聞こえる。
中の兵士に憑依して、同士討ちをさせているのだ。さっきまで隣りにいた仲間が斬りかかってこれば、そりゃ混乱もするだろう。
矢が少なくなった隙を突いて、地を行く死霊兵たちが前進していく。それまでの攻撃で多少脱落していたが、結構な数が城門にまでたどり着いた。
―――とはいえ、そこからは進めない。なにせこっちには破城槌も梯子もない。できるなら用意したかったがそんな暇はなかったし、そもそも工兵を連れてきていない。
「術士隊、門はまだか?」
「お待ちを」
「遅い。急げ」
死霊兵が減っていく。正門で止まったせいで、動かない的になってしまったのだ。ヤツらの耐久力でも、あれではさすがに長くは保たないだろう。ゾンビやスケルトンは飛び道具なんて使えないから、反撃もできやしない。
やはり最初から亡霊兵を先行させるべきだったか。だがそれではこっちの狙いを読まれて、対策される危険性が増す。多少数を減らすことになっても、散開した亡霊兵は弓兵を狙っていると見せかけたかった。
実際、今だって死霊兵たちが門前で立ち往生しているこの状況を見れば、勘の良いヤツならすぐに気づくだろう。そういうヤツは今頃走っているはずだ。そいつらが間に合ってしまえば、この作戦は失敗する。
「正門、開きます」
さすがに焦れて自分で突貫する選択肢を考え始めた時、邪眼族の爺さんから報告が来る。それと同時、重そうな正門が開き始めた。兵に憑依させた亡霊兵が、内側から門を開けたのだ。
まだ開ききらない内から、身体でこじ開けるようにして死霊兵たちがなだれ込んでいく。
「さすがに壁の向こうは見えんなー……」
まるきり観客の俺は後方から、温かい茶を飲みつつその光景を眺めていた。美味しいなこれ。略奪品だけど。
少し渋みがキツイが、前世の紅茶のような香りと味だ。懐かしくてちょっと泣きそう。きっとミルクを入れると、渋みが緩和されてなお美味いだろう。しかし紅茶ってたしか発酵させてあったはずだが、これもそうなのだろうか? 製法が知りたい。
魔界だと普通の植物は瘴気の影響で育たないから、普通の茶葉はおろか野菜や果物などもあまりない。だからこういう懐かしい味は生まれてこのかた縁が無かった。けれど人間界にはもしかしたら、前世に似た作物なども多くあるのかも知れない。
少し興味が出てきたな。せっかく転移できるんだし、今度探してみるか。
俺はそんなことを考えながら、すん、と鼻を鳴らす。お茶のほっとする香りが鼻腔をくすぐる。
「足りるか……? ちとあやしいな」
誰にも聞こえない声量で呟き、紅茶を一口含んだ。
最後の増援が間に合うといいのだが、こればかりは当てにならない。だってアイツは―――
「ゴ ア グ リ ュ ー ズ! 余に刃向かったあの愚か者はどこだ! どこにいる!」
怨念の塊のような声がした。俺は立ち上がって声の方を仰ぎ見る。魔王となった今、俺の名前を呼び捨てにするヤツなんて一人しかいない。
魔界からここまで、俺憎しではるばる来てくれたな最後の増援。
「ここだオログガン。魔王ゴアグリューズはここにいるぞ!」
「誰が魔王か! 余はまだ負けてはおらぬ。故に魔王は余のことだ!」
「それは違うがちょっとあそこに行って暴れてきてくれ!」
先代の魔王にして不死の王リッチーであるオログガンは、ぎらぎらと狂気に光を宿す目をしばたかせて、キョトンとした顔をする。お前そういうとこ面白いな。
「……なぜ余がそんなことをせねばならぬのだ?」
「魔王軍は人間界に侵攻中だ。やつら力は弱いが、数が多くてな。ぜひお前の力を貸して欲しい」
「ハハハハハ! 人間どもに苦戦するなど、器が知れるというものよ。して、なぜ余が貴様に手を貸さねばならぬ?」
「ここで戦っているのは魔王軍だ。未だ王を名乗るなら、それに恥じぬ雄姿を彼らに見せるのも務めだろう?」
「笑止なり。余への忠誠を忘れ、逆賊に与する者どもはもはや配下とは思わぬ。余の手で全て処刑してやりたいところだが、人間などに斃される間抜けを晒すなら嗤うてやるのも一興。まあ改心し慈悲を乞うなら、その屍を余の配下として加えてやっても良いがな!」
「そっか。じゃあいいや☆」
俺は魔力ダッシュで距離を詰めると、魔力ジャンプでオログガンの巨大な霊体に肉薄し、魔力ハンドで大層な法衣を引っ掴む。そして魔力転移でオログガンごとロムタヒマ城壁内側へと瞬間移動した。
だいたい上空二百メートル。戦場を一望できる高みで、俺は野球選手のように不死の王を大きく振りかぶる。
「な、き、貴様不意打ちとは魔王決定の尋常な勝負をなんと心え―――」
「俺の命令に背いたヤツを処罰するだけだ」
あー、やっぱ死霊兵たちやられてるな。いくらタフでも数が違うしな。市街での乱戦はあいつら向きの戦場にだが、このぶんだと時間の問題か。まああいつらの仕事はやられることだから、いいっちゃいいんだけどにゃー。
人間の兵士が固まっている場所を目視する。魔力ハンドに力を込め、空中で身体を捩る。
ヴァチィッ、と稲妻のようなオーラが湧き出た。俺の身体に黒い文様が浮かび上がる。きっと瞳も金色に変わっているはずだ。
遠慮無く本気でいく。コイツに遠慮したことないけど。
「逝ってこいオログガン。せめてその霊体に宿す魔素で役に立て」
力任せに、魔力任せに、思いっきりぶん投げた。
「必ず祟り殺してやるぞぉぉぉ!」
もはや物理的な質量を持つほどの呪いを撒き散らしながら、彗星のような速度で落下する不死の王。うーん、さすが断末魔が不死族的。まあいつでも来いよ。
ちなみにオログガンは霊体だから物理攻撃は効かない。だからただ高いところから落下して地面にぶつかっても、普通ならダメージは受けない。しかし今回は別だ。俺がぶん投げたことによって凄まじい速度になっているため、Gによる魔素濃縮が起こり凝固による固体化が云々。
チュドンッと、ものすごい音。地面に激突し、オログガンは破裂するように四散した。
そして、その霊体の残滓……濃密な瘴気が一気に拡散する。