二章 魔王軍侵攻
すん、と鼻を鳴らす。濃い木々の匂いが香る。数時間前はまだ見慣れた植物も多かったが、この辺りの植生はもう完全に人間界のそれだ。魔界を出た証である。
魔界とか人間界とか分けて呼ばれていても、実際のところは地続きだ。単純に瘴気の濃い場所が魔界と呼ばれているだけで、何か明確な境界があるわけではない。ヒトが、ヒトが住めない場所を魔界と呼んでいるのである。
そして、魔界に住める者たちを魔族と呼ぶ。
勝手な話だ。いかにも人間らしい物言いだ。俺は、魔族は追いやられたモノたちの末裔なのではないか、とふんでいる。そうでなければあんな土地、誰が住みたがるというのだろうか。
「夜には砦に着くな」
「はっ。進軍は順調であります」
呟きを聞いていたのか、竜人の側近が答える。
俺は今、魔王軍を率いて進軍中だ。ゴブリンやオークといった下級魔族混成軍が五千、竜人や鬼人、巨人族などの中、上級魔族で構成された軍が千。そして邪眼族やダークエルフなどの黒魔術士隊が二百と、彼らが操る死霊兵が千五百と、かなりの規模を動かした。
これから戦う国の名はロムタヒマ。いまや軍事力によって大陸の半分を支配下に置いた大国だ。それを滅ぼすのだから、俺の初陣とはいえこれくらいの戦力は用意しておきたかった。
「急ぐぞ。ここはもう人間界だ。最初の砦は井戸に糞を投げ込まれる前に制圧したい」
俺は側近にそう指示し、自分の乗る黒角馬の歩調を、歩兵たちがついてこれる限界まで早める。
魔族の戦闘能力は高い。ゴブリンですら一般の兵となら互角に戦えるくらいだ。上級魔族なら一体で百人の兵でも相手にできるかもしれない。おそらくロムタヒマの軍勢はこちらの五倍はあるだろうし、地の利も当然あちらにあるが、戦力的には劣らないと俺は思っている。
だが、そんな魔族軍にも弱点はある。というか弱点だらけだ。
多種族の混成は問題を生じやすいし、魔族の性格上血の気が多すぎて統制が取りきれない。規律も緩いから気づけば隊列が原形を留めないほどに乱れている。
そもそも、魔王軍は大規模作戦の経験が少ない。我の強い魔族をまとめて一つの軍にしようなんて、そんな妄想は最初から間違っている。だから歴代のどの魔王も完全な統制を諦めた。俺も諦めている。
この規模の進軍も、せいぜい最初の砦までが限界だ。時間がたつほどに魔王軍は統制を失いバラバラになっていくだろう。
魔王軍を動かすなら電撃作戦一択。
士気がある内に、勢いを殺さず王都まで肉薄しなければならない。速度はなによりも重要だ。
だから今回、俺は輜重部隊を編成していない。