一章 困ったので誰かに丸投げしたい
魔王城の謁見の間はかなり広く造られている。魔族には巨人みたいなでかいのもいるし、場合によってはここで戦闘もするからだ。王座を賭けた決闘とかいう、バカみたいな風習があるしな。
俺は魔族だが、骨格は人間と変わらない。外見もほとんど人間で、見た目は黒髪黒目の冴えない青年だ。本気を出すとちょっと体中に文様が浮かび上がり瞳が金色に輝くが、メイクだと言い張れば人間といっても通用しないかなって思っている。無理か。黒い稲妻みたいなオーラ出るもんなアレ。
まあとにかく何が言いたいのかというと、この謁見の間は小さい俺には広すぎるのである。この広い空間で玉座にぽつんと座っていると、だんだんミニチュアの玩具になったような気がしてきて現実感が薄くなり、一体俺は何やってんだろう的な哲学問題が頭を横切るのだ。
改装しちゃおっかな、魔王城。せっかくだし俺好みに、畳ばりにして時代劇のお城っぽくするのはどうだろう。
「魔王様、こちらはサキュバスからの報告書です」
声に我に返った俺は馬鹿な妄想をやめ、側近が手渡してくる紙束を受け取る。
別に謁見の間にいるからって、予定があるわけではない。暴走した者は自分の元に通せと言った手前、分かりやすいところにいなければならなくなっただけである。完全に自業自得だ。おかげで執務室でやるような仕事もこの場でこなさないとならない。
「……ふぅん。人間同士に戦争の動きあり、か」
報告書に目を通すと、かなり事細かな内容が綴られていて舌を巻いた。淫魔や夢魔は優秀な諜報員だ。情報収集も情報操作も大得意で、スパイとしてはちょっとヒくくらい完璧な仕事をする。サキュバスやインキュバスは脳内ピンク色だけど、魔族の中じゃ頭いいしな。こういう仕事は彼らの独壇場だ。
報告書によると、どうも最近になって周辺国を取り込んだ大国が神聖王国にケンカを売ったようだ。神を道具とし不徳の利益を貪る腐敗云々とかを大義に攻め入るらしい。対する神聖王国は近隣諸国に救援要請、神に刃向かう逆賊に鉄槌をくださんと以下略。
あ、これダメなヤツだ。大陸中を巻き込む大戦になるぞ。
「魔王様。失礼ながら質問させていただいてよろしいでしょうか」
「質問を許す。疑問を疑問のまま留めることこそ不敬と心得よ」
側近の申し出に即答する。後ろの文句は定型で、俺が部下たちにいつも言ってることだ。
分からないことを分からないまま放って置くのはいろいろよくないからな。こいつらすぐ暴走するし。
「魔王様は何故、人間どもの情勢などを気になさるのでしょうか」
竜人の側近は感情を抑えているが、声には期待が滲み出ていた。コイツも魔族だから血の気が多い。きっと俺の口から人間界侵略の声を聞きたいのだろう。
んー、つーか人間界侵略か。それって未曾有の大戦が始まりそうな今が絶好の好機ではあるよなー。サキュバスたち使ってわざと長期間になるよう仕向けて、疲弊したところを漁夫の利とかが一番効率いいかなー。
「探し物だな」
「……探し物、ですか?」
馬鹿なことを考えつつ俺が正直に言うと、側近は不可解そうな顔をする。うん分かんないよな、説明してないもんな。とはいえこれは詳細を説明するのが難しい。
まあ部下のコントロールも王の仕事だし、少しばかり期待に応えることを言ってごまかそう。
「ああ。見つかったら奪いに行く。魔王軍にも活躍してもらうだろう」
「っ! 御心のままに」
平静を装っても声が嬉しそうだ。とはいえ、俺が探してるのは転生した意味とかいう曖昧でぼんやりしたものであるから、だいぶ待っててくれ。大丈夫だ戦争が無くても魔族は問題の塊だから、お前の仕事はちゃんと山積みにしてやる。
「ん……? これは」
報告書の一部に目がとまる。内容は神聖王国側の物資状況。きっと帳簿か何かを丸写ししたのだろうと思われるそれに、異彩を放つ項目があった。
にぃ、と口端が上がる。その項目を見つめながら、俺は思わず呟いていた。
「みぃつけた」
側近が歓喜を隠しきれずぶるりと武者震いする。
……いや、違うからな?
すん、と鼻を鳴らす。ふわりとした香水の匂いが鼻腔をくすぐる。瘴気の気配は皆無。周囲をたゆたう魔素の配分があまりに清浄すぎて、一目で違和感を覚えるほどだ。
この清浄さはおそらく、神殿内に張られていた浄化の結界のおかげだろう。人間にとっては神聖な空気に感じるのだろうが、魔族にとっては迷惑な話だ。結界の中に入るだけで体内から灼かれてしまうのである。さすが神聖王国だと舌を巻きつつ自分でどうにかしようと試みたが、破壊はともかくすり抜けはできそうになかったので、結局サキュバスたちに偉いのをオトさせた。今は突発的な術式装置の点検で、一時的に結界は消えている。
「しっかし、魔界じゃありえないよな、こういうの」
俺は辟易した顔で。広い部屋を見回す。踝まで埋まる毛足の長い絨毯。天蓋付きのベッドに、芸術の域に達した調度品の数々。化粧台の横には、この世界では凄まじく高価であろう高品質の姿見があった。
正直、完全に俺の趣味ではない。この部屋だけでお腹いっぱいどころか胸焼けがしてくる。魔王城にある俺の私室の調度品なんて、おそらくこのベッドを売り払ったカネだけで揃えられてしまうほど粗雑なものだが、俺にとってはあっちの方が何倍も落ち着ける。
たぶん、この部屋の主とは気が合わないだろうな。
俺は書棚に差してある本を適当に手に取ると、椅子に座った。パラパラとめくってみれば、勇者の伝説に関わる本だ。たしか神聖王国は、二百年くらい前の魔王を倒した勇者の血筋が王族を務めている。……いや、王族ではなく教皇だったか? まあどっちでもいいが、宗教と政治がまだ別れていない拙い国だ。
ガチャリ、とノブが回され、ドアが開いた。少女が二人入ってくる。一人はメイドで、一人はきらびやかなドレス姿。すぐに俺に気づいて声を上げようとしたので、それを魔力で縛り付けた。
オログガンくらい強いやつならともかく、たかが人間を一人二人縛る程度なら簡単なものだ。術式すら必要無い。俺の魔力量で真綿のように包み、圧力をかけてやればそれで足りる。
彼女たちは今、本能で理解しているはずだ。喉もとに刃物を突きつけられるより、よほど危険な状況にあると。
俺は机に本を置いてゆっくりと立ち上がり、彼女らへと近づく。開けっ放しだった扉を閉め、カチリと鍵をかけた。
「逃げようとしたら殺す。大きな声を上げようとしても殺す。二人とも良い子にしていれば危害は加えない。分かったらゆっくり瞼を閉じて、ゆっくり開こう」
改めて彼女たちに向き直ってそう言うと、顔を蒼白にしたメイドがドレスの少女を見る。視線を向けられた少女は俺から目を離さず、額に脂汗を浮かべながら頷いた。二人ともゆっくり瞼を閉じ、開く。
「よろしい。君たちは賢いね」
ニコッと笑ってやってから、魔力を引っ込める。メイドが床に崩れ落ち、ドレスの少女はふらついて壁に手をついた。
「まずは自己紹介しよう。俺はゴアグリューズ・バドグリオス・ハイレン・マドロードゥニウス。どうせ長くて覚えられないだろうし、気軽にゴアちゃんと呼んでくれ」
実際、一回で覚えられたことないんだよなこの名前。
「異界からの転生者で、今は魔王をやっている。どうぞお見知りおきを」
理解した上で驚いた顔をしたのは、ドレスの少女だった。メイドの方はわけが分からないといった様子で混乱している。
あー、しかしアレだな。彼女がもし隠してるとすれば、このメイドさんにバレちゃうんだな。まあいいか。
「いやなに。硫黄と硝石を用意しているようだったからね。これは同郷がいるのかなと思ってちょっと探ってみれば、神殿の奥に住むお姫様が所望したというじゃないか。せっかく挨拶の一つもしておきたいと思ったのに、結界のせいでなかなか近寄れなくて大変だったよ」
小説で読んだから、硫黄と硝石が何の原料かくらいは知っている。なんなら配合の比率も知ってる。
「火縄でも作るつもりかな、ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタ殿?」
ドレスの少女……ネルフィリアは俺をじっと見つめた。
年の頃はまだ十五くらいだろう。長く流れるような白銀の髪。透けるような白い肌。碧玉の瞳は静謐な知性を秘め、引き結ばれた唇は強い意思を感じさせる。
このネルフィリアという少女を改めて見据えて、俺は苦手なタイプだと直感した。
多分コイツ、学級委員とか進んでやりそうなタイプだ。掃除時間に遊んでると注意してくるヤツ。
「ゴアグリューズ殿でしたか。遠き魔界の王に名前まで覚えられているとは、光栄ですね」
壁から離れたネルフィリアが、育ちの良さを感じさせる仕草で一礼する。この状況で笑みを浮かべられるのは大したものだ。どうやら度胸は一級らしい。
「ですが、淑女の部屋に勝手に上がり込むのはいかがなものかと」
一級どころの話じゃねぇな。特級だこれ。
「失礼。なにぶん最果ての田舎者でね。多少の不作法は許していただきたい」
ていうか騒ぎにしないためにわざわざここ選んだんだよ分かれよ。いや分かってるだろうけども。
「それで、本日は挨拶だけではないのでしょう?」
否定せずに話にのるってことは、肯定と受け取って良いだろう。だがあえて肯定しないということは、メイドには転生者の件をしらばっくれる気だな。
「今から用意しても間に合わないと思ってね。あまり詳しくないが、アレは開発、量産、訓練で何年もかかるだろう? そんなことしている間に負けるぞ、と忠告に来たわけだ」
少し調べたが、神聖王国と大国では単純な戦力差がある。まあ守りに徹すればだいぶ善戦はするだろうが、順当に行けば大国の勝ちだろう、と俺でも分かるくらいの差だ。
それを打開するための火薬だろうが、用意された硫黄と硝石はほぼ同量だった。おそらくネルフィリアは原料は知っていても配合比率までは知らないのだろう。まず実験して性質を確かめるつもりだったに違いない。
つまり、銃造りはまだ最初期段階。それでは今から始まる戦争には間に合うはずもない。
「確かに技術的に時間はかかるでしょう。そして敵国は強大でこちらの不利は否めません。ですが戦争が長引いたとして、実装が間に合えば切り札になり得るのでは?」
「どうかな? あんた軍事関係の権力なんかないだろ。敗色濃い方に新兵器温存の選択ができるかは疑わしい。そいつは作った端から順次戦線投入される。最初は相手も驚くだろうが、しょせん数が揃って初めて威力を発揮する武器だ。将が期待するほどの成果は得られず、戦場で相手に拾われ、模造品を作られるのがオチと思うが」
ネルフィリアは数秒黙考し、俺の話を吟味したようだった。
「……ですが、わたしの知識にはそれくらいしかありません」
「俺が欲しいものをくれたら、何とかするのもやぶさかじゃないがね」
「支払いましょう」
モノも聞かずに即答しやがった。俺こういう女信用しない。
「払えなかったら踏み倒す気だな?」
「ええ。ですので無茶な要求はしないでくれるのが双方のためかと」
けっこういい性格してやがるよなこいつ。好感度上がるじゃないか。
「最近魔界の瘴気が濃くなってきて困ってる。タダでさえ血の気の多いヤツらがさらに荒々しくてな。発散ついでにあんたらの敵さん足止めしとくから、対処法を調べてくれ。不浄は神聖王国の専門だろ?」
「……魔族が、瘴気が濃くなると困る、ですか?」
よほど意外だったのか、ネルフィリアは怪訝そうに問い返した。
「人間にとって瘴気はただの毒だが、俺らにとっては酒みたいなもんだ。少量なら気分が良くなるが、大量に飲むと記憶がトんで暴れ出す。さすがの俺でもそんな部下どもをまとめるのは不可能だ。実際、このままじゃ俺の号令無しに人間界にあふれ出しそうでな」
というか、耐性の低い魔族はこれ以上魔界の瘴気が濃くなると、瘴気の薄い人間界に逃げるしかなくなるのだが。
ネルフィリアは納得したのか、頷く。そして目を細めると、より重要な件に切り込んだ。
「足止めの方法は?」
「あちらさんは今、神聖王国側に兵を集めて背後ががら空きだ。軍団単位でちょいとつついてやれば、結構な被害を出せる。連中は仕方なく兵を戻し、結果神聖王国は時間を得る、という感じだな。あとは魔族をダシに交渉するも良し、しぶってる周辺諸国を説得して軍備強化するも良し、銃を実用段階まで仕上げるも良し、だ」
「……銃を開発するのもいいのですか?」
その声が少し暗くて、俺は眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
聞くと、ネルフィリアはぽつりと、小さな声で答えた。
「まだ早い、と言われるかと思いました」
……なんだそりゃ。この世界の文明レベルにそぐわない、とでもいうつもりか。魔法があるんだから、どうせその辺ぐっちゃだろうに。
つーか今の俺は魔族だから、わりとその辺の見解は厳しいぞ。
「そりゃ早いだろ。一万年早い。俺の前世はそいつができて何百年もたってたが、ずっと殺し合いに使われていた。もちろん俺が死んだ後も何百年と使われただろうさ。俺にいわせりゃ銃なんてのは、ヒトという種に過ぎたるモノなんだよ」
考えてもいなかった答えなのだろう。ネルフィリアは驚いた顔をする。こういう表情は可愛いな、こいつ。
しかし、俺にとっては当然の考え方だ。なにせこっちはヒトじゃない。
「別に銃に限った話じゃないけどな。せっかくだし予言でもしとこうか? 『ヒトはいずれ世界の理を解き明かし、地上の全てを焦土とする力を持つだろう』ってな。ははは、なんて気持ち悪い。今のうちに滅ぼした方が良いんじゃねぇの?」
さすがにそんなことする気はないけどな。
「ま、とはいえ俺は数百年、もしくは千年も越えての先のことなんか興味ない。なにせ目先のことで手一杯だしな。人間界は人間界で好きにやってくれりゃあ……」
「足止めでは足りません」
話を遮って発せられたネルフィリアの言葉に、俺は目を細める。
「彼の国の王は暴君です。交渉は決裂するでしょう。そしてたとえ周辺諸国の協力を得られたとしても、まだ不利なほどの戦力差があります。時間を貰っても結果を変えるのは困難です」
「銃は?」
「作るのはやめにします。そもそも、製法に詳しいわけでもありませんし」
きっぱりと、少女はそう言い切った。
俺の話で気が変わった、というわけではないのだろう。彼女は元々迷っていた。そして彼女は知識を使わないと決意した。どうせ遅かれ早かれではあっても、己の意思で、それを決めたのだ。
「それで、俺にどうしろと?」
「あなたが本当に魔王だというのならば、それを信じるにたる証明をしてください」
思わず笑ってしまった。最高かよこの女。
あまりに最高だったので、一拍すらも考えず俺はそれに乗ってやる。
「よかろう。お姫様がお望みとあらば、彼の国の滅亡でもって我が王位の証明としようではないか」
本当に、最高に愚かな女だ。