終章 To be or not to be; that is the question.
すん、と鼻を鳴らす。強い違和感があった。
魔素の配分が普通すぎる。
「いらっしゃいませ。約束した時間ぴったりですね」
待ち構えていたネルフィリアが、ドレスの裾を摘まんで一礼した。後ろにいるメイドも高級そうなティーポットを持ったまま一礼する。
「これでも時間は気にする方でな。遅刻は前世でもしたことがない」
ネルフィリアとは一月ごとに訪問する約束をしていた。今日はその最初の日で、そして最後の日にしようと思っている。
魔界の瘴気対策はククリクが請け負ってくれた。あの学徒がやると言った以上、俺はその成功を疑う気にすらならない。
対してネルフィリアは信用できない。このお姫さまは不安定だ。同じ転生者としてひいき目に見たいところだが、やはり取引の相手として適切ではないと判断している。
だからもう、ここには用がない。今日はお別れを言いに来たのだ。
「浄化の結界はどうした? 解除されているようだが」
勧められるまま椅子に座りながら、まずは違和感について尋ねる。メイドがお茶を淹れてくれて、ふわりと良い匂いが立ちこめた。これすげーいいお茶だな。この前飲んだヤツとは香りからして違う。
「あれは停止しました。もう動くことはないでしょう」
返ってきた答えはあまりにあっさりしていて、そしてあまりに致命的だった。俺は目をぱちくりやって、ネルフィリアへと視線を戻す。
マジかよ。あれが停止する理由なんて、一つしか考えつかない。
「……あー、そうか。じゃあ気をつけなきゃな、俺も」
独りごちるように言って、紅茶を啜る。こんな話題の最中だが、やはり美味い。ていうかすごい。こんなの前世でも飲んだことないかもしれない。なんだこれ、少しだけ魔素が宿っている? 魔法で味を良くしているってことか? この世界だとこんなお茶が味わえるのか。
「やはり、あれが何か知っていたんですね」
「勇者の遺骸だろ?」
ネルフィリアの問いに、俺はあっさり頷く。こんなの別に、もったいぶるほど大した推理でもない。
「神殿を外から見ただけで分かったさ。この国の歴史も裏付けてる。俺でもちょっと躊躇うくらいの浄化なんて、勇者そのものくらいだ」
カップに口を付ける。このお茶の製法教えてくれないかな。失敗したな、瘴気抑える方法よりこっち交換条件にすべきだった。
「んで、その浄化の結界が完全に消えたってことは、勇者の継承が成されたってことだろ?」
「その通りです。先日、その儀が滞りなく」
「どんなやつだ?」
ネルフェリアは自分のカップに手を伸ばし、香りを楽しんでから上品な仕草で口を付ける。
「教えられません。人類の希望ですので」
ちょっとマシになったじゃないか。こいつ。
「なるほど。まあ当然だわな」
俺は魔族の味方で、彼女は人間の味方。線引きがしっかりできたなら、あとは単純だ。きっとこいつも、そのうちはっきりと目指すべき場所が見えるだろう。いずれ敵になるかも知れないが、今はそのことを祝福してやらんでもない。
「俺たち転生者はさ、きっと早送りと道標だ」
急に話題を変えたから、きょとんとされる。俺はゆっくり茶を飲んで、相手の聞く準備が整うのを待った。
「きっと、俺たちがいた世界は成功例なんだろうな。俺の前世はわりとろくでもないもんだったが、まあたしかに俯瞰で見れば成功した世界なんじゃねぇか、って思う部分はある。あそこに比べるとこの世界はまだ荒いな。文明だのなんだのの話もだが、世界の法則や基盤が安定していないふしがある」
この世界には、俺の前世にないものがたくさんある。魔法は無かった、亜人も無かった、魔物や魔族も無かった。
まるでオモチャ箱の中身をぶちまけたような世界だ。ところどころで汚れたり壊れたりしてるとこが、特にパンチが効いてる。
「成功している世界の魂を輸入して、まだ途上にある世界に転生させ、成長の早送りと道標の役割をさせる。たぶんこの世界の神様の思惑は、そんなところだろう。……それでいて、ただなぞるだけってわけじゃなさそうなのが困りもんだけどな」
「……きっと、より良いものが見たいんでしょう」
ネルフィリアが話にのってきた。彼女もまた、この世界に生まれてからずっとこんな妄想をしてきたのだろう。
「あの世界にはない、他のどこにもない、この世界だけの輝くような素晴らしい奇跡。それを求めているのではないか、と思っています。いえ、そうあって欲しいと願っている、といった方が正しいでしょう。……ゴアグリューズ殿」
「なんだ?」
「わたしたちがこの世界に喚ばれた理由は、結局は推測するしかありません。ですが、喚ばれた以上、喚んだ者は必ずいると、そうは思いませんか?」
その問いに、俺はしばし言葉を探した。カップに手を伸ばし、中身を飲み干して、テーブルの上に戻すまで声を躊躇った。
「俺たちが自分で来た可能性もある。俺なんか、こんなしみったれた世界なんか二度と生まれたくない……なんて、もし転生する直前に意識があれば、そう言って逃げ出しただろうな」
その場合はこんな妄想は無意味だ。だって、俺たちがこの世界に来た意味なんてないってことになる。
「けれど、俺たちは前世の記憶を持ち越してる。俺とアンタで立場は違うが、力と権力で生まれも特殊な方だろう。何らかの便宜があったんだ、と考えるのが普通だと思うね」
だから、きっと。
「ならばやはり、この世界に神様はいるのですね」
そういうことなのだろうさ。
「同意見だよ。だからまあ、アンタの生まれた意味も、いずれどっかで顔を出すんだろう。気長に待てばいい」
「そこまで気の長い方ではありませんが、そうですね。地道に探すことにします。……ああ、すみません。お茶がなくなっていますね。レティ、おかわりを注いであげて」
ネルフィリアが空のカップに気づいて、メイドに指示する。そういえば名前、初めて聞いたな。レティっていう名前なのかあの娘。
「サンキュ。美味いお茶だな。淹れ方にコツがあるのか?」
ティーポットを持って近寄ってきたレティに、カップを差し出す。彼女は軽く頭を下げてから、お茶を注ぐ。
「このポットはマジックアイテムで、お茶がとても美味しくなります。ですがこの味を出すには、良質な水と茶葉が必要不可欠です。水は北の霊峰の湧き水を使い、茶葉は南の諸国から輸入したものを混ぜています。配分はネルフィリア様独自のものです」
「ブレンドまでしてるのか。どうりで味が調ってるはずだ」
説明に舌を巻く。ていうかネルフィリアのオリジナルって、こいつ相当なお茶マニアなんじゃないだろうか。意外とやるじゃねぇか。
「ところで、その、ゴアグリューズ様」
「ん?」
レティの声は初めて聞いたが、まさか名前まで呼ばれるとは思っておらず、俺は眉を潜める。主を差し置いて客に話しかけるような、出しゃばるタイプには見えなかったのだが。
「あまりにも隙だらけでは?」
ドン、と衝撃があって。
俺の腹に短剣が刺さった。