二人の違い
ネルフィリアはもう分かり合えるとは思わないと言ったが、俺は人間と分かり合えるだなんて最初から思っていない。人間同士でも無理なことを、魔族と人間でやるのは不可能だ。
けれど、取引ならできると思っている。商売の基本はwin winだ。手を取り合うことはできなくても、双方に利益があれば同じ方向へ歩くくらいは可能だろう。
だが俺は、取引には信頼関係が重要であることもよく知っていた。そしてネルフィリアが信用できる相手かどうか、俺にはまだ計れていない。
「あなたは」
しばらくして、ネルフィリアが口を開いた。下げていた頭は戻したが、伏し目がちにして俺と目を合わせようとしない。
「あなたは、これからどうするのですか?」
ぼんやりした問いかけだ。意図を量りかねたが、俺は少し考えてから答える。
「瘴気を抑え、魔界を安定させる。ロムタヒマを拠点として魔族の支配区域を広げる。文化レベルを上げて、衣食住の改善を目指す」
一つ一つ指折り数えてみると、大きなものは三つだった。すべて一朝一夕でどうなるというものでもないし、ここからは地味で地道な仕事になるだろう。
まあゆっくりやれば良い。俺の代で終わるような話でもないしな。……いや、寿命長いしいけるか?
「いいですね。とても……とても素晴らしい」
俺の話をじっと聞いていたネルフィリアは、壊れそうな微笑を浮かべてそう言った。
……なにその顔。
「なんだそりゃ。人間にとっちゃ都合が悪いんじゃねぇの?」
「でしょうね。ええ、そうでしょうとも」
白銀の髪の少女は顔を上げると、まっすぐに俺を見た。
高貴な仮面を剥ぎ、おそらくは転生前の素をさらけ出して。
「わたしは、あなたが羨ましい」
それは告白だった。
「あなたは魔王。空を飛ぶ鳥のように自由で、誰に気兼ねすることなく存分に力を振るえる。なのにわたしは……こんな生まれはしたけど、箱入りで、なんの力もなくて、なにもできない。せっかく転生したのに、わたしはまだ何も成していないの」
それは仕方ない。王女だかなんだか知らないが、この歳の小娘に政治的な力はない。せいぜい多少のわがままが通る程度だろう。
こんな場所に生まれてちゃ、そうそう突飛なこともできないだろうしな。
「だからあなたが来たときは、恐かったけれど、嬉しかったのよ。同じ転生者のあなたが、わたしを見つけてくれたんだって舞い上がった。……ええ、そうね。きっとあなたはバカだって笑うだろうけれど、わたしにもこの世界で何かできるんじゃないか、って思ったわ」
ああ、なるほど。
だからあの時、それでは足りないなんて言ったのか。
彼女は勝ち取りたかったのだ。明確に、自分の行動で時代を変えたという事実を。世界に影響を与えたという証明を。
銃も造れない臆病者のくせに。
この女は、俺と同じなのか。
転生者として、前世の知識と経験を持つ者として、この世界に来た意味を探す迷子。理由も知らず野に放たれた半端物。自分がなんのためにここにいるのか、が分からない何者か。
ネルフィリアは……今、ネルフィリアという少女である女は、自嘲気味に顔を歪める。
「あなたはきっと、この世界に望まれた役割を果たしている。でもわたしは、それがなんなのかさえ分かっていないのよ」
「俺にだって分かってねぇよ、そんなもん」
黙って聞いていれば、好きに言ってくれやがって。
「同情してやるよ、夢見るんだよな。わたしはきっと、この世界でなにか成すべき役割があるんだ、ってな。わざわざ前世の記憶持って、こんな生まれしてりゃ無理もない」
ああもう。
本当に、なんて愚かな女なんだ。
「俺もだよ。俺だってそう思ってる。こんな超がつく強い力持ってりゃさすがに分かる。ぜってぇ何かあるんだろうなって思ってるよ。俺は何かを望まれて、この世界に転生してきたんだろうってな。けどな」
俺は胸の中のごろついた塊を吐き出すように、言い放つ。
「もし誰かがそれに答えてくれたとして、その理由が気に入らないもんだったらどうするよ?」
ネルフィリアは唇を引き結ぶ。考えたことが無いわけではないだろう。だが、考えることを放棄していたに違いない。
だってそれは己の存在意義の話だ。『今ここに自分が選ばれて居る理由は、誰もが納得できる、美しくて素晴らしいものでなければならない』。それだけは、ブレてはならないものだからだ。
けれど。
「いいか、神聖王国のお姫様。魔王からの忠告だ。神を信じるな」
俺は知っている。
「どうせろくでもないヤツだ。魔族に転生した俺が言うのだから、間違いないだろうよ」