日報3
日常はつつがなく過ぎていく。間に2係の波田さんが怪我をして1週間ほど入院したり、金子主任と聖帝君が大雪山の出張先で音信不通状態になり、事務所が騒然としたり、そのあと何故か宮城県から交通費の無心の連絡が入り、みんなホッとしたり。
私の周りは色々ごたついてはいるが、押しなべて私自身はつつがなく日常を過ごしている。
日々の巡回先には、もれなく、三の泉と二の泉が追加された。
二の泉もやはり地下駐車場の片隅にある扉を開き階段を下った先にあった。
三の泉と違い、階段は20畳位の洞窟につながっており、泉自体は2m程の丸い池だった、特に発光もしておらず
ただ、部屋全体をヒカリゴケが覆い尽くしている為か、三の泉と違い、部屋の隅々まで見渡すことができた。
壁一面に何か書かれているようではあるが、大半をヒカリゴケが侵食しており判別は不明だった。
文字というよりはアットマーク的な模様の羅列だったが。
木根さんに、毎日巡回しているが、異常とはどういう状態のことを示すのかと、かなり強い口調で聞いてみたが、
「それは、今までと違うことが見つかったら異常かな?」と、だいぶフワッとした返答が帰ってきてイラッとした。
なので、今日も日報は異常なしと打ち込んで帰宅した。
いつしか私の研修も3か月目に突入した。
官庁勤めと聞いて私が想像していたのは、オフィスで書類のコピーをとったり、会議用の資料を準備したり、電話対応など、どちらかというと内勤の事務仕事だったわけだが、ふたを開けると、バリバリの外回りで、しかもルート営業張りの巡回業務、その実、お散歩して帰ってくるだけのお仕事だった。
雪が降ったらかなり大変そうではある。
幸い巡回コースにも慣れ、当初の半分くらいで回りきれるようになっているので、半日ぐらいの仕事量だ。
一度万歩計をつけて測ってみたことがあったが、移動距離が15kmを超えていたのでそれ以降は怖くて測っていない。
あの数字は本気で具合が悪くなった。
入庁3か月、私のしていることは毎日15km散歩するだけ...これって必要なんだろうか。考えたら負けだと思いつつ、たまに木根さんに聞いてみたりするが、いつもの調子で「今はそれで良いんじゃないかなぁ。体力も大分ついてきたようだしね」と明後日の回答ではぐらかされた。ムカつく。
そして、3か月も毎日決まった時間に決まったコースを散歩していると、当然街の空気というものにも慣れてくる。
朝の閑散としたススキノの街に出入りする飲食店のトラックや、人のことは言えないが、スエット姿で歩く人々。
言葉こそ交わさないが、毎朝同じあたりですれ違う人というのは何人かいるわけで、そんな人が突然居なくなったら、それはそれで、少しだけ気になるわけだ。まぁ口には出さないが。
その日、私は浜田係長から、今日からしばらく、田代さんと巡回を行うようにと言い渡された。
「丹波さん、がんばってね~」隣でにこやかに手を振る木根さんは、これから聖帝君のお手伝いに昭和新山まで出張らしい。
昨日の夜、急遽決まったらしく、現地のトラブルが解消されるまで、田代さんにご迷惑をかけることになる。
本当に申し訳ない。田代さんの業務は千田主任と、金子主任が分担して請け負うらしい。重ねて申し訳ない。
「まぁ、がんばりましょうね」落ち込む私を邪気のない笑顔で田代さんが癒してくれる。」
「浜田係長、泉については、木根君が戻ってくるまでルートから外して良いでしょうか?」
浜田係長に田代さんが切り出した。
「木根、どうだ?」
浜田係長は直接担当の木根さんに確認をとる。
管理者として当たり前のことだが、意外とできない上司も多い。
そういう意味でも浜田係長は優秀だ。
「問題ないと思います。今は泉も安定していますし、何かあれば2係から連絡が入るでしょうから」
普段の木根さんとは違う、できる男モードだ。
今だけは誠実そうに見える。今だけは。大事なことだから2回言っておく。
「そうか、田代、外してもかまわん。2係には私からも連絡しておく。」
報連相がしっかり出来ている職場ってやっぱり素晴らしい。
「ありがとうございます。木根さんも出張がんばってね。じゃぁ巡回出ますね。」
係長と、木根さんに声をかけて、田代さんは私を連れて巡回に向かう。
私は、木根さんに今まではぐらかされた質問をぶつける機会をうかがいながら後をついていく。
「田代さんはこの職場長いんですか?」
階段を上りながら聞いてみる。
「そうね、もう12年くらいかな、ここは特別だから、異動がないのよね。」
階段を上りきり、屋上の扉を開ける、視界に赤い鳥居が入る。
「珍しいですね、異動がない部署なんて。」
「それだけ業務が特殊なのよ。怪我も多いし、でも誰かがやらないと。」
今こうして巡回している事も、誰かがやらないといけないことなんだろうか?
「異常なしですね。田代さん、木根さんに何度聞いてもはぐらかされるんですが、何が異常に当たるんですか?」
私は田代さんにそう切り出した。
「そうね、何が異常に当たるのか、質問がフワッとしてるから答えづらいけど、前に泉の話をしたこと覚えているかしら?」
「はい、三の泉に初めて行った日のことですよね。」
初めて泉に行った時のあの雰囲気は二回目にあの場所に行った時にはすっかり消えていた。
「そうそう、例えばだけど、丹波さんは、あそこの雰囲気がここにあったら、それは正常だと思う?」
気のせい?いや気のせいなどではなかった。あれは神域に触れた時のどうしょうもない、本能的な恐れ。
「いえ、正常だとは思いません。」
あんなものを振りまくものがあちこちにあるはずがない。
「じゃぁ、もし、そこの鳥居が無かったり、倒れていたらどうかしら?」
田代さんが指さす先には昨日と同じお稲荷さんがある。
「それも、正常だとは思いません。」
「ほら、ちゃんとわかっているじゃない。丹波さんも。」
田代さんの声は少し安堵したようで、教え子の成長を確認した先生のようだ。
「え、でもそれって毎日来ていないと気が付かない変化ですよね」
「そうよ、だから、毎日2人の人がこの場所まで足を運んでいるのよ。一人じゃなく二人でね。」
写真やカメラでもその場の差異は確認できる、しかし、その場が纏う雰囲気を伝えてはくれない。
微妙な差異に気が付けるのは、感覚が鋭いものか、明確な比較基準を持った者だけ。
私たちが巡回している場所は世間一般で言うところの重要施設ではない。
日常では目に入っても見逃す場所や、普通には気が付かないような路地の片隅にポツンと置き去りにされたものばかり。
実は、この巡回を始めてからその予想は立っていた、無意味な順番で回るポイント、これはポイントより、順路に意味があるのではないか?
現代科学では解明されない何某かの法則によって構築された呪術的な何かなのではないか?
厨二病的解釈だったから自分の中で却下した意見が頭をもたげ始めていた。
「それって、私たちが毎日巡回している場所って、なんなんですか?」
「そうね、今の北海道を支えている要石的な場所の一つかしら。木根君は教えてくれなかった?」
田代さんがサラッとおかしなことを言った。
「はい、散歩って言ってました。」
私は本能的に理解できたが、理性的には感情の整理が追い付かず、木根さんがはぐらかした理性で納得できる言い訳を返した。
「相変わらずね、木根君らしいわ。何時までも情報を手元に残しておきたがる癖、まだ治っていないのね。」
不出来な弟を嘆くような口調で田代さんはつぶやくと、その安心できる笑顔を私に向けてこういった。
「いいわ、木根君が伝えなかったことも、私が伝えてあげるわ」と。