日報1
本作品は、クトゥルフ神話TRPGのリプレイから生まれた「北海道庁生活環境二課」に配属された人々の日常を記録した小説です。
実在の人物、地名、団体等とは、関係ありません。
また、特定の思想、信条、宗教などを擁護、あるいは非難する目的で書かれたものではありません。
○月○日 午前、規定巡回コースA-1を巡回、異常なし。
午後、規定巡回コースA-2を巡回、異常なし。っと
本日の勤務日報を所定のテキストファイルで作成し、
千田主任と金子主任にカーボンコピーをつけ、
浜田係長にメールで送信する。
時間は午後4時20分勤務時間終了まであと30分、世界は平和だ。好きなくとも私の周りは。
隣では私の指導をしてくれている木根さんが、コーヒーを飲みながら、私の日報を覗き込んでいる。
「丹波さんも、だいぶ慣れてきたみたいだね。はじめのころは半日でヒーヒー言ってたのに。」
「半日中、繁華街の地下とか屋上とか連れまわされましたからね。」
目的地も教えられず、札幌市内をランダムに徒歩で連れまわされたのだ。
翌日は親指の付け根の裏に豆ができ、ふくらはぎはパンパン、太ももはダルオモ、歩くのがつらかったっけ。
「そうだね、途中でハイヒールからスニーカーに履き替えたのは良い判断だったと思うよ。
もう2週間だし、一人でも巡回は任せられるんじゃないかな~」
私が、日報を送信し終わったのが分かると、彼は、隣の席に戻り、
自分の机の上を占拠している書類に目を通しながらそんな無責任なことを言い出す。
「そんなこと言って、木根さんは、巡回をサボりたいだけじゃないんですか?」
ここ 二、三日のやり取りである。私も心得たもので、軽口で返せるようになった。
はじめて言われたときは、頭の中が真っ白になったのを覚えている。そんな私を見て彼は、
「いずれね、独り立ちしてもらわないと」等とごにょごにょ言っていたが、テンパっていた
私は彼の表情もそのあとに続いた言葉も覚えていない。
「あ、わかっちゃう?何かおかしなことがあったら携帯で連絡くれたらすぐ駆けつけちゃうからさ。」
ニコニコしながらそんなことをいう木根さんは、短髪で、私より少し幼い感じの男性で、
薄いピンクのワイシャツの第一ボタンをはずして、ノーネクタイでジャケットという恰好だ、
ススキノで声かけられたら迷わず無視するだろうな私。まぁ私に声かけたりしないか...
巡回中も常にこんな感じで、人当たりが良いから救われているが、かなり胡散臭い印象が、いや、
先輩だけどはっきり言って胡散臭い、まぁ仕事も相当胡散臭いんだけれど...
「今の私が、巡回しても、異変に気が付かないかもしれませんよ。
具体的なこと何一つ教えてもらえてませんから」
私がこの二週間毎日繰り返していたのは、ススキノ界隈のビルや駐車場を決まった順番に周回する
正に、巡回だった。しかもこの巡回には特定の順番があり、隣のビルも巡回コースであっても、
一度路地を三本戻ったところの地下駐車場を確認してから、また戻るという、意味不明なコース取りをしている。
一度、効率が悪いと木根さんに聞いたところ、これが作法だからとか、意味不明な言葉で逃げられた。
あの胡散臭い笑顔で、「丹波さん、貴女は来たばかりだから、まだ、事情がすべて理解できていないんだよ。
まずは教えられたことをしっかり身に着けて、その意味を理解しようね。」等と言われたら、
実務7日の私には、悔しいけど反論できる余地はなかった。当然、理由は、「おいおい、ね」とはぐらかされた。
時刻は午後4時45分浜田係長が戻ってきた。
細面で体系はやせ形、スーツの上着の代わりに生活環境二課の作業用ジャンパーを着ている。
「木根、他のやつらは?」
低めのよく通る声だ、今まで会議だったのか、手に持った書類を机に置きノートパソコンを開きながら
木野さんに声をかけた。
「千田さんも、金子さんも、まだ帰ってきてないですね、田代さんは、子供さんが熱を出したので、
早退だそうです。あと聖帝は直帰連絡が来てます。」
「そうか、木根と丹波は今日は定時で上がれそうか?」
「私は、30分ほど書類確認してから帰ります。丹波さんは定時ですね」
私は毎日定時で帰宅していますとは言えないので、とりあえず、「はい、すみません」と返事をした。
「いや、定時で帰れるならそれに越したことはない。木根も、さっさと帰れ。」
「係長は定時で上がれそうなんですか?」
木根さんが書類から目を上げずに聞き返している。
「私は、まぁいつも通りだ」
浜田係長もパソコンから目を上げずにそう答えた。なにこれ、木根さんとりあえず上司に質問するなら目ぐらい見ましょうよ。
「あまり無理なさらないでくださいね。係長がいつまでも居ると、部下としては、先に帰りづらいですから」
いや、部下としてその回答はありえないんですけど...
二人の間に漂う空気は、特にギスギスしてもいないようなので、まぁ普段からこんな感じなのかなとは思うけど、
無いな、この受け答え、私には無理だな。
「そうですよ、浜田班長、いつも午前様なんだから、たまには早く帰ってあげないと。」
二人の会話にそういって割り込んできた女性は3係の田畑係長だ。
「田畑、私も、君も、係長だ、いつまでも部下のつもりでいるな。」
「そうでした、自然と出ちゃうんですよね。でも、木根君の言う通り、早く帰るのも上司の務めですよ。
はい、ブルマン、お好きでしたよね。」
「あぁ、すまんな、いや、ありがとう、田畑係長。明日は定時上がり目指してみるよ。」
「そうですよ、最も、私も人のことは言えないんですけどね。」
グレーのスーツを着こなし隣の島の机に座ると田畑係長も机の上に置かれた書類に目を通していく。
そんな彼女の姿を見ていると定時のチャイムが鳴った。
私は「お先失礼します」と声をかけて席を立つ。
私の世界は、限りなく平和だ。