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メッセージ

 マンションを出た路上で紺が言った。

「さっきの黒い霧。おまえには蟲みてーに見えたってやつ。

 オサキを憑かせた者はたぶん、ああいうものを呼び寄せるんだ。

 あれはオサキ憑きへの妬みや、盗まれた者の恨みが、呪詛となって凝り固まったものだ。最初はたいした力もなかっただろうけれど、長い年月のうちにここまで溜まって毒性が強くなってる」

「呪詛……君みたいな術者が関わってたの? 複数?」

「いや、術者はたぶんひとりだけ。遠い昔、氏神にしていた動物霊をさらにいじくって、こいつを……できそこないの福の神を作った術者のものだけだと思う。術者はたぶん自分の血筋にこいつを憑けたんだろう。

 強力な術の副作用なんだよ、これは。こいつが家に福運を呼ぶ一方で、まわりの悪感情も術の影響を受けて呪詛化しやすくなっていた。

 実質セットのものだから、長い年月のうちにどっちもいっしょくたにされて、前者を大尽オサキと、後者を貧乏オサキと呼び分けたんだろう」

 もういっそその術、このオサキごと解除してしまいたいけどな、と紺は手の中の匣をいとわしげに見た。

「そういうわけにもいかねーや。これはもう、うかつに消せない」

「うん……」

 山内くんも口ごもる。

 紺の推測はけっきょく正しかったのだ。

『このオサキは、内部に祖霊をとりこんでるのかもしれない』紺はそう言っていた。

 祖霊。

 代々の、オサキ憑きの血筋の者たちの霊。

 山内くんが確認したことで、その推論には裏付けがとれた。

「まちがいなく河辺さんの先祖のひとたちは、このオサキの一部になってるよ」

「ああ」

「でも、それなら」山内くんはため息をついた。「人間としての常識を身につけていてもよさそうなものなのに……盗みをつぎつぎ働くせいで河辺さんが窮地におちいってるってわからないんだろうか」

「主体はあくまで氏神だった動物霊だしな。しかも長いことちゃんと祀られてなかったせいか、だいぶ動物に近づいてる。

 そのへんを改めていけばたぶん、コントロールもできるようになる」

「そうするのには賛成だけど、紺、いまは悠長に話していないで、河辺さんたちを追いかけないと」

「待てよ。ちょっと思いついたんだ」

 紺はオサキの入った小匣を目の高さにかかげた。

「やみくもに探しまわるより、こいつが役に立つかも。こいつは鈴明ちゃんと結びついているからな、見つけてくれるかもしれない」

 ふたに手をかけて、

「出してみるぞ」

 とたんに小匣が爆発した。

 正確には、内側から破裂したような勢いで壊れた。

 ふたがゆるめられて封印がほころびた瞬間のことであった。

 飛び出した毛玉が原寸代にふくらみ、猛烈な勢いですっとび始める。

「び、びっくりしたぁ……」

 ちょっと涙目になっている紺がつぶやく。硬直したままの彼女に「見失わないよう先に行く!」言いおいて、山内くんは走りだしている。

 迷いなく飛ぶ毛玉は、一直線に南へと向かっていた。

(速すぎる。まちがいなく河辺さんたちの場所がわかってるんだ)

 オサキが空間中に残す力の残滓を「見」ることができるため、山内くんはどうにか追跡できた。

 残ったにおいで追跡する犬のように、見失いそうになりながらもけんめいに食らいつく。

(お城に向かってる?)

 姫路城のそびえたつ威容が行く手に見える。

 車が通りにくいほどに道幅が狭くなっていく。

 住宅街を通りぬけ、堀端の土手道に出た。向こう側は木のおいしげった石垣になっていて、すでに姫路城の敷地内だ。

 堀の向こうなのだろうか、と山内くんは焦る。橋は近くにない。

 だが、とつぜんオサキはすいと直角に進行方向を変えた。

 堀に沿って飛んでゆく。

(あ。堀の向こうじゃないんだ、よかっ……)

 一瞬ほっとしてから、ざっと血の気が引いた。

 堀のなかという可能性に思い当たったのだ。

 憶測にもかかわらず、なぜかそれが正解だといういやな確信があった。

 堀は浅い、大丈夫のはず――でも増水してるしところどころ深くなってると聞く――河辺さんは小柄なほうだ、それに小さな子がいる――いますぐ通報するか大声で周りの家の人たちに助けを求めるべきか――さまざまな考えがめまぐるしく頭をよぎる。

 だが、山内くんが迷うあいだに、堀が直角に曲がる箇所の手前まで毛玉は飛んでいた。

 水面の上でくるくると回り、それから、

「あ」

 山内くんが驚きの声を漏らしたのは、毛玉が水に飛びこんだのを見たからではない。

 その直後の光景を見てだった。

 幼児が、体をくねらせて浮かび上がってきたのだ。

 三歳に達するか達しないかという幼い女の子が、まぎれもなく泳いでいた。ばた足を使わず、優美にすばやく、なめらかに……

(あのオサキが、内側に入ってる)

 それは水に棲む獣の泳ぎかただった。

 憑かれた幼児は岸に手をついてせきこむように水を吐き、息を深く吸う。くるりと反転し、堀の底に戻っていって、またすぐに戻ってきた。

 こんどは、別の少女の襟首をくわえていた。山内くんは堀に下りながら呼びかける。

「河辺さん!」

 ぐったりした鈴明を、追いついてきた紺とともに土手に引き上げた。

 溺れてからほとんど時間はたっていなかったのだろう。応急処置をしはじめてすぐに鈴明は水を吐いた。

「目ェ、覚ましたぞ」

 人工呼吸をほどこしていた紺が表情をかがやかせる。横たわった鈴明は顔を横向けて、苦しそうにむせていた。

 紺はそれから、姉のそばで手をだらんと下げて座りこんでいる幼女に目を向けた。

 春美という名の幼い子に入ったオサキはまだ出てきていなかった。無表情で、どこを見ているのかもわからない目を薄く開けており、ただ沈黙して人ならぬものの雰囲気を放っていた。

 顔の汗と水をぬぐいながら、紺はぽつりと言う。

(うそ)憑き、か」

「獺……ああ、カワウソだね」

「うん。ウソとかオソとか、そんな名でも呼ばれてた。日本では古来から、狐や狸とおなじく力のある獣だった。化けたり人に憑いたりさ」

 紺はそれから、激しくせきこんでいる鈴明とオサキが入ったままの春美を見比べた。厳しくにらみすえる。

「……ったく。せっかくおまえらの厄介事をなんとかできそうな目処(めど)がついたってのに、自分で死のうとされたら水の泡だろーが。なんだよ、親に会いでもしたかったのか? おまえらのすぐそばにいるっつの、たくさんの祖霊と混ざって毛玉の一部になってるけど」

 口の前に指を一本立てて、紺はふうっと火を吹いた。

 らせんを描くようにして、指に秘火がまとわりついていく。

 橋渡ししてやるよと、彼女は言った。



 甘い匂いがただよってきていた。

「お菓子みたいな……シナモンだな、これ」

 空気を嗅いだ紺が言う。「娘にどういうことを伝えてんだろーな」

「わかんないけど」と山内くんは目をうるませて応じる。「きっと、優しいメッセージ」

 ぴい、ぴい、ぴいと耳にとどくのは口笛の音。

 かすれた、下手な口笛だった。

 堀端に鳴りわたる鈴明の泣き声にまじって流れている。

 吹いているのは春美だ。いまだ無表情で薄く目を開けた状態であったが、その腕は、泣く鈴明の頭をしっかりと抱きしめていた。姉妹の小さな体をシナモンの匂いがとりまいていた。

「おかあさん、おかあさんっ」

 びしょ濡れの鈴明がひざをついて幼い妹のおなかにしがみつき、何度も呼んでいる。

 ごめんなさい。ごめんなさいお母さん、ごめんなさいルミちゃん――号泣しながら鈴明は切れ切れに叫んでいる。

 ずっと殺してきた感情を解放して、幼児に戻ったかのように、少女は母を呼んで嗚咽しつづけていた。


 やがて口笛は夜風に消えてゆく。甘い香りも薄れてゆく。

 それでも春美が目を覚ますまで、山内くんと紺が見守る前で鈴明はずっと泣いていた。


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