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路上の金魚と狐の子


 山内くんの通う姫路の男子校は、カトリック系の女子校と隣接している。

 が、男子校「賢真学院」にくらべ、有名なのは圧倒的に女子校「清麗」である。……創立した明治時代のモットー〈良家の子女にふさわしい礼・貞・品を叩きこむ〉をいまだに堅持する古臭さ。校内に重要文化財指定の礼拝堂(チャペル)をそなえ、制服も女子修道服を模しているという本格的な骨董品(こっとうひん)感。

 正式名称は、清麗女子大付属中等教育学校。

 創立百二十年、時代おくれが一周まわって特色と化した名門お嬢さま校。

「なにしてんだよ山内。ぼーっと道のむこう見てさ」

 姫路城下の市立図書館のまえで立ち尽くしていた山内くんは、声をかけられた。

 山内くんの同級生である高橋だった。

「ははあ、あれか。清麗の女子通りかかるの待ってんだろ?」

 かれは軽薄ににやりと笑い、手にしていた参考書でとんとんと肩を叩いた。

 山内くんは顔をしかめる。

 図星だが、高橋はまちがいなく勘違いしている。

「高橋くん、僕はただ」

「みなまで言うなって。うちの学校の連中で、おまえとおなじ魂胆のやつがよく図書館に来るぜ。なんとかしてお近づきになりたいってやつが。

 せっかく校舎がとなりなのに、学校周辺でうろちょろできないんだもんな」

 清麗は、明治の女学校であった時代から、上流階級のお嬢さまがたを預かる場所だった。生徒の礼儀作法にことのほか口やかましいのはもとより、いわゆる悪い虫を寄りつかせまいとしている。

 かんたんに言えば、不純異性交遊が絶対禁止だ。

「うちは昔っから清麗の生徒に妙なあこがれ抱いてるからな。

 知ってっか。このまえ、うちの男子生徒が何人も停学になっただろ。あれ、うちと清麗との敷地をへだてる煉瓦の壁、肩車してのぞこうとしたからだってよ」

「すごい熱意」

「バカだよなあ、『お嬢さま』とやらに幻想持ちすぎだっつの」

 高橋が失笑する。そうだね、と山内くんは歩道に視線をそそぎながら相槌をうった。

(あ、来た)

 下校中の女生徒が三人ほど、談笑しながらやってくる。

 山内くんはポケットをまさぐる。

 獣の牙に穴を開けた笛の感触があった。この春から、連絡用にあたらしく持たされている“狐笛”だ。

 この放課後にすでに一度、かれはそれを吹いていた。

 そうすると「彼女」にだけ聞こえる音が発されるのだ。

 清麗の中等部の生徒たちはかれの前を通りすぎてゆく。仲間の話に手に口をあて、くすくす笑いさんざめきながら。

 そのうちのひとり、ショートカットヘアの少女が、山内くんを流し目で見た。

 ほんのつかの間、上品な笑みを浮かべていた少女のくちびるが、にぃと吊り上がる。

 天使から(あや)しいモノへ。輪郭がぶれたかとすら感じる、印象の変貌。

 その口からは、青い火がちろちろと漏れている。

 ……一瞬のことで、すぐに少女は邪気をひっこめて友人たちと去っていった。常人には見えない口からの火をたなびかせて。

(って、行っちゃった! 待ってたのに)

 素通りされたことに山内くんは気づく。

 だが友達といたのではしょうがない。

 あちらの特殊な事情を考えると、ひと目のあるところで山内くんとおおっぴらに話すことを避けるのは無理もない。

(あの子の下宿先にあとで行ったほうがいいか)

 とにかく緊急連絡はしてあるのだから、たぶん待っててくれるだろう。

(こうして呼び出すのは何度目かになるけど、そろそろ正式に落ち合う場所を決めておいたほうがよさそうだなあ)

 思案しながら山内くんは自身も帰ろうと身を返し、高橋が後ろで呆然と口をあけていることに気づく。

「……どうしたの?」

 高橋は「あ、悪い」とわれにかえって目をぱちくりさせ、

「いや、そのさ、やっぱオジョーサマっていいよなあ、間近で見たら」

 さきほど自分自身が言っていたことをひっくり返した。

 山内くんがまじまじ見つめるとかれは赤面して、あわてた様子で口走る。

「違うんだ、べつにこう、ほかの女子は見ても『ふーん』なんだけどさ、いま通ったあの髪短めの子が……わかるだろ、おい!」

「…………」

「やっべ、なんだよあれ、もの静かなのにキラキラしてる子なんてはじめて見た! 清麗の校則や校風って、話に聞くだけでも『このご時世によくやるよ』って感じだったんだけど、あんな生き物作れるんなら悪くないかも」

 熱に浮かされた調子で、高橋はしゃべりつづける。よほど高橋くんのタイプだったんだろうな、と山内くんは顔をしかめた。

「……もの静か、か」

 のぼせた高橋に言いたいことはいろいろあるが、すべてごくんと飲み下す。



 高橋と別れて帰路をたどる山内くんは、途中の公園で、空中を泳ぐ金魚を見た。

 立ち止まってかれは目をみはる。

 金魚は、山内くんの胸の高さのところに浮いていた。ひらひらと尾びれを動かして近寄ってくる。気がつくとその数は増えていた。十匹そこらに。

 山内くんがさしのべた手を、不思議な金魚たちはつつきはじめた。

 少年は、水中にいる錯覚につかの間とらわれる。

(いつもの幻術……それとも新しい式神かな?)

 こうしたいたずらを、山内くんのよく知るあの少女は好む。

 どうやらお出ましらしい――はたして、背後にたたたと軽快な足音を聞いた。

「よおっ!」

「うわっ」

 楽しげな声。

 制服のままの(こん)は、かれの背に身軽にとびついてきた。山内くんの肩にうしろから手をかけ、跳び箱を跳ぼうとするかのように地を蹴って、少女はかれの背に一瞬のしかかる。

 やわらかな重みに山内くんがどぎまぎするあいだにぱっと紺は離れ、くるくる踊るような動きでかれの前に回りこんだ。

 すらりとしたその肢体は、去年の夏よりはるかに年頃の少女らしさを増しつつある。

 さらさらと初夏の風になびく髪が、陽光を受けて光の粉をまく。天然茶毛で、去年よりやや伸ばされたそれは、育ちのいい狐の毛並みのようだ。

 金魚たちがひらりひらりと彼女のまわりに集う。蝶か花びらさながらに。

 妖しく(かす)かな夢幻美の情景――

 彼女が腕にさげていた通学かばんを開けると、金魚たちはつぎつぎそこに飛び込んでいった。山内くんがかばんをのぞくと、教科書の上に魚型の赤い紙片が散らばっているのだけが見えた。

 ぱたんと通学かばんを閉め、

「二週間ぶりだな、山内!」

 脚を開いて立ち、紺はやんちゃな少年を思わせる満面の笑みをかれに向けた。

 美少女なのはまぎれもないが、楚々たる深窓の令嬢の雰囲気などかけらもない。あふれんばかりの命の輝きに満ちて、陽気で小悪魔めいた常夏(とこなつ)の少女。

 それが紺だと、山内くんは知っている。

「あ、うん。こんにちは紺」

 十妙院(じゅうみょういん)紺。

 幼いころからたまに顔を合わせる、山内くんと縁のある少女だ。

「『あ、うん』じゃねーだろ。あいかわらずぼーっとしてんなおまえ。わざわざ狐笛で呼んだんだから、オレになにか用があったんじゃねーのかよ?」

 微妙に機嫌をそこねた口ぶりで紺がぽんぽん言葉を継ぐ。山内くんはあわててうなずいた。

「あるある。あるよ」

 紺は呪禁師(じゅごんし)の家の跡継ぎだ。おかしな力や知識を必要とするときには山内くんは彼女に頼ることにしていた。

「それじゃ紺、さっそく聞いてほしいんだけど」

「待てよ。立ち話もなんだからどっか入ろーぜ、外はあっちーし。またこのやぼったい制服が熱こもるのなんのってさー」

 ぼやいた紺は、制服のスカートの裾を体の左右でつまんで持ちあげ、ぱたぱた風を入れはじめた。ハイソックスを穿いた脚がひざまであらわになる。露出度そのものは低いが、健康的な脚線美がちらちら見え隠れするのがなんとも悩ましい。

 このふいうちに山内くんは精神的によろめいたが、なんとか即座に立て直した。

「わかった」と言って歩きはじめる。

 どうせ紺は無自覚でやっているのだ。いつもの天然扇情(エロ)娘っぷりにいちいちふりまわされていられない。

 それに、清麗女子校(紺の学校)は不純異性交遊禁止である。男子生徒と話しこむところを見られて勘ぐられるのはあまりよろしくない。路上で長々と話し込むわけにはいかなかった。


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