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うそつき少女

「あの、その子はほんとにしてないと思います、万引きなんて」

 山内くんはおずおず声をかけた。

 パン屋の店員と小学生の女の子――事務室に行く行かないで押し問答していたふたりが、そろってかれを見る。

「……そう言われてもね。この子、ランドセルから未精算のドーナツをのぞかせて退店しようとしてたわけだけど」

 顔をしかめてまくしたてたアルバイト店員は、髪を茶色に染めた大学生である。いかにも軽そうな外見だが、仕事には真摯なのか、はたまた舐められてたまるかとむきになっているのか、「万引き犯」に対する態度にはまったく柔らかさがなかった。

「問いつめたらしらばっくれようとするしさ。すぐ謝ったなら許したかもしれないけど、態度が悪すぎるよ。ともかく奥でちょっと詳しく話を聞かないことには……」

「ほんとうに万引きなんてしていません」

 疑われていた少女が口をはさんだ。少女は身をよじってつかまれていた腕をふりほどく。真っ青な顔で、きっと店員をにらみあげた。

「盗むにしても、油まみれのお菓子をそのままランドセルに突っ込んだりしません。だれかがわたしのランドセルに入れたんです」

「そんなこといったって……ドーナツ売り場には君しかいなかったんだけどさあ」

 むすっとしながらも店員は、本当に違うのかもしれないと考えたようだった。かれは乱れた茶髪をなでつけて、山内くんに急に向き直った。

「……この女の子がやっていないという証拠がある? そう言えるなにかを見てたの、そこの君?」

「えっと、あの、み、見てるといえば見てるんですけど、その」

 山内くんはたちまち狼狽する。

「ちょっとその……説明しづらいというか……」

「はあ?」

 店員は顔をしかめて、露骨にいらだった声を出した。やっぱり怒らせちゃった、と山内くんは首をすくめそうになる。

(でもこんなのをどう言えばいいんだろうか)

 ちらりと山内くんは疑われた小学生を見た。

 中学一年生である山内くんから見てそう歳は変わらない。小五か六だろう。

 私服姿で、青いTシャツとジーンズ、それに白いシューズを身につけていた。どれも洗ってはいるようだが妙に使い古されていた。

 貧乏くさい少女はくちびるをかんでうつむき、短めの眉をぎゅっと寄せている。笑えば可愛らしいであろうその顔には、セミロングの髪が左目を隠すようにおちかかっている。陰りのある悲壮な雰囲気だった。

 もっとも、山内くんが注目したのは正確には女の子そのものではない――

 その背後。

 直径二十センチほどの毛玉がふわふわと浮いている。

 毛玉といっても、毛糸玉のような毛ではない。黒褐色の、野生動物の短い毛並み。

(万引きの真犯人、これなんだもの……なんなのかわからないけど、これ、また僕にしか見えないものだ)

 山内くんはその毛玉の犯行をたまたま見ていたのだ。

 ドーナツ売り場にいた少女が移動しようとしたとき、たわしに似たそれがふわりと宙に現れた。それは棚のドーナツを一個、体にくっつけるようにして拾い上げ、流れるように少女のランドセルの隙間に突っ込んでしまったのである。

 珍妙な出来事に山内くんが立ち尽くしたその直後、ランドセルを見とがめた店員がすっとんできたのである。

(最初はこの子が毛玉にやらせたのかとも思ったけど、なんか違うみたいだし)

 店員に言い返す彼女は、心底から憤然としていた。いわれのない疑いをかけられた被害者そのものであった。

 彼女は潔白だと山内くんには確信できた。無実の人間が疑いをかけられるのは筋の通ったことではない。山内くんは「筋の通っていないこと」を、見過ごすことができなかった。

 だからとっさに口を挟んだのだが……真犯人の毛玉が目の前をただよっているというのに、山内くんには少女を助ける方法がわからない。

 宙を飛んでいる毛玉が商品を盗みましたと正直に言うべきか?

 そうすれば店員は激怒するか山内くんを相手にしなくなるかのどちらかだろう。

 現に、店員はすでに目を細めはじめている。

 このパン屋に何度も来ている山内くんは、この店員とは面識があった。しかしいま、かれの表情には疑念が浮かび始めていた。もしかしたら君も万引き犯の仲間じゃないだろうな、と。

 店員は少女をふりむいた。

「……とにかく、違うというなら納得いく話をしてみてよ」

「信じてもらえないなら、これ以上話せることなんてありません」

「そう。保護者の連絡番号は?」

 とたん、目に見えて少女がひるんだ。その様子を見て、店員は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「やましいことがないなら誰の前でもいえるだろ。それと、それも黙ってたら警察に引きわたすだけだから。そうなったらどのみち親御さん呼ばれることになるよ。こっちだっていそがしいんだからうそつきの子の言うことなんか長々と相手してらんないよ」

 うそつき。

 そう呼ばれたとたん、少女が肩を落とした。糸が切れたような力の抜け方だった。

「……ほんとにわたしじゃありません」

 弱々しくしぼり出されたのは、なにもかもをあきらめた声だった。

「こういうことが最近よくあるけど、わたしが盗んだんじゃない。でも、だれも信じてくれないし……こうなったらなに言ったって無駄だってのもわかってる」

 少女は顔をあげて、暗いまなざしで山内くんを見た。

「だから、もう、いいです。ひとりだけでも違うと信じてくれたならいい。おにいさん、ありがとう」

 山内くんは焦る。このままだと少女の冤罪が確定しそうである。

(どうしよう? 紺ならどうするだろう)

 山内くんの脳裏に、別の少女の姿が浮かんだ。彼女の颯爽としたふるまい、妖しい笑み、薄くれないの唇から漏れる青い火……

(紺なら――)

 とっさに山内くんは、疑われた少女の手をつかんでいた。

 そのまま強く引っぱり、背後に開いていたガラス戸から店外へかけだした。いきなりの決断で、手を引かれる少女も、立ち尽くす店員もあっけにとられている。

 一拍置いて、店員の怒号が背を叩いた。



 さいわい、怒鳴りこそすれ、店員は店を離れて遠くまで追ってくることはなかった。

 商店街をかけぬけ、姫路城の石垣の近くまで逃げて、山内くんはほっと息をついた。その後ろでぜえはあと死にそうな呼吸音が聞こえた。

「は、はなし……て、ください」

「あっ、ごめん」

 山内くんはあわてて少女の手を放す。ひざに手をついて少女はしばらくあえぎ、ややあってから汗まみれの顔をあげた。

「……なんで、信じてくれたんですか?」

「その」山内くんはどう言ったものかまごつき、簡単に言った。「僕にはわかるから」

「なにそれ。助けてもらってなんだけど、おかしなこと言いますね」

 少女は捨て鉢な口調で言った。

「ああ……店なんかのぞくんじゃなかった。ずっと行かないようにしてたのに。

 わたし、なにかが欲しいなと思ったら駄目なの。気がついたら、ポケットやかばんに『欲しいと思ったもの』が突っ込まれてるの。買ってないのに。

 なに言ってるかわからないでしょ、ごめんなさい」

「いや……」

 山内くんは、視線を彼女の背後にふたたび向けた。毛玉はまだシャボン玉みたいにそこにただよっている。

「あの、後ろにあるもの見えてる?」

「え?」

 見えていないようだった。「いえ、なんでもないんです」と山内くんは手をふった。

「とにかく、きみの言ってることはわかるから。なんでわかるかと聞かれたらこちらも困るんだけど」

 少女はけげんそうにしていたが、しばらくして別のことに思考を奪われたようだった。

「ルミちゃん迎えに行かなきゃ。もう行きます。ごめんなさい」

 ふとうつむいて、

「あとで、あのパン屋さんから学校に連絡、行くかな。小学校の名前当てられてそういうこと言われた」

 暗たんたるつぶやきに、「う」と山内くんはうめく。

 そうなのだ。少女を連れて逃げてしまったが、このままではたいして解決になっていない。

 山内くんができたのは、少女がすぐ処罰されることを防いだだけだ。盗みのぬれぎぬそのものはかかったままだろう。


 彼女を助けるあてはある。


 ためらいはあったが、乗りかかった船を下りるのはもっと気が進まない。

 山内くんはそっと言った。

「あの。名前と連絡先、教えて」

 少女は目を丸くし、わずかに身を引いた。

「……なんですかそれ。まさか助けてくれたのって、ナン」

「断じてナンパじゃない」山内くんはしっかり釘を刺した。「きみの困ってること、どうにかできるかもしれないから」

 山内くんをしばらく見つめたのち、少女は「変なおにいさん」とつぶやいた。それから、ランドセルの中からノートとペンを出した。

 河辺鈴明と彼女は書いた。

「かわなべ、すずか。です」


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