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6.名もなき橋、天に克つよすが、生き残った者

 刺すような朝陽が御玄みぐろだけの向こうから登っている。

 琴葉は既に戦装束に着替え、軍議の間で戦支度の時にしか開陳されない支天してん像に向かって正座していた。

 琴葉の後ろには久世の武官が列席している。久道を入れて六人、今は揃って平伏していた。近隣で最も寺格の高い宗経そうけいの僧正が、先頭で勝利祈願を行っている。

 義五郎は外で控えていた。焦燥しょうそうの色が濃い。昨晩、一両日に返事をと言われたにもかかわらず、それを待たず出陣となったためだ。

 取りも直さず、それは国部衆を敵にすることを意味していた。加えて、刀の供給も止まる。城下での刀の生産は微々たるもので、多くの武器は国部衆を経由してワタリから手に入れていたのだ。つまり、雷撃のごとき短い戦しかできない。

 恐らく自分は国部衆の抑えに回ることになるだろう。

 彼らは信義を踏み越えた領主にではなく、緋羽大社の助勢に回ることは明白だった。今は立場を異なるものになっているとはいえ、古い友垣ともがきと戦うのは内奥で痛みを伴ってうずくものがあった。そして、自分に必要とされる役目はそれだけではないことを確信していた。


 祈願が終わり、全員がいつもの位置に戻ったが、軍議は始まらなかった。琴葉は義五郎をじっと見つめたまま言葉を発しない。

 「義五郎」

 目線を動かさないまま、琴葉は唐突に口を開いた。朝の涼やかな空気が動く。

 「はっ」

 にもかかわらず、義五郎の額には汗が浮かんでいた。琴葉を見返す。

 琴葉は義五郎を見つめたまま、またしばらく黙りこむ。座には奇妙な緊張が張っていた。やがて琴葉は、無表情のまま、声音に何とも言えない感情を乗せて言った。

 「国部衆を、此度の戦いに参加させてはならぬ」

 「承知しております。今すぐに向かいます」

 「人質をとれ」

 「……」

 やはり、そうなるか。義五郎は返事をためらった。

 が、琴葉は義五郎の返答を聞くつもりはないようだった。

 「領主の命令だ。お前は下知げちを以て、国部衆の主だった頭目の家族を押さえよ」

 そこまで言って琴葉は軽く手を振った。話が終わった合図だ。義五郎は黙って平伏し、軍議の間を下がった。

 ――いつもならば必ず意見を聞く琴葉が命令する。効果的であるが彼らには最も忌避きひされる人質をとるという手段を義五郎に強いる。抗弁も許さずに。

 最も困難で、確実に裏切りとそしられる苦痛を伴う汚れ役だったが、義五郎以外にはできる者はいなかった。下知を以てというのはだから――義五郎への気遣いだった。

 琴葉は全て自分の責にあると言ったのだった。

 譜代ではない臣の感情にさえ心を砕く領主。

 年端もいかぬ少女の器に、義五郎は今更ながら胸が熱くなった。せめて、国部衆が琴葉の一端でも理解してくれれば。


 義五郎は廊下の端まで歩き、振り返って深く一礼した。



     ☆



 視界が暗紅色で染まっていた。

 夢見が悪かったせいか、身体が戦闘状態に入ったまま、紫庵は眼が覚めた。ほとんど反射的に、眼の端を横切った影の後ろを取り羽交い絞めにする。か細い悲鳴とを入れた湯呑が転がった。

 紫庵は自分の押さえた感触の柔らかさに当惑しながら、自分のいる場所を見回した。確か農具小屋で眠ったはずだったのに、ここは農家の板間だった。

 「離して……」

 怯えた声に、危険が解除されたように視界が元に戻る。

 「……え……?」

 紫庵が拘束していたのは、芳乃と同じくらいの年頃の少女だった。

 おかっぱに切りそろえた後ろ髪が震えている。

 何かわからないが、どうやら自分は相応ふさわしくない振る舞いをしたようだった。口ごもりながら詫びようとしたところに、高い声が割って入った。

 「あらまあ!」

 ほうに明るい大きな声と同時に、紫庵はいきなり斜め後ろから後頭部を殴り飛ばされた。唸り声を上げながら前回りに受け身を取って紫庵が振り返ると、先ほどの声とは裏腹に、三歳くらいの子を背負った小柄な女性が少女を気遣っている。

 「大丈夫ですか、雪江?」

 少女は小さく可憐な手で押し止めるように、身体の前で手を振った。

 「そう」

 小柄な女性は身軽に立ち上がり、身体ごと紫庵を振り返った。小柄でほっそりとした見かけ、小づくりの顔立ちに小動物のような可愛らしさがある。悪戯っぽい眼つきのまま、つかつかと紫庵に近づくと、ゲンコツを固めてはあっと軽く息をかけた。

 「え……ちょっと」

 「何も言わなくていいです。悪ガキはぱかんといくです。さ、頭出して」

 「いや、さ、だって」

 「つべこべ言わないのです」

 紫庵には成り行きも分からなかったが、彼女の言い方には不思議に説得力があって、しぶしぶ頭を垂れた。

 ごつん、と強烈な衝撃が頭頂部に落ちた。身柄は小さいが、腕力は別だ。

 「行き倒れを介抱してあげたら、いきなり襲うなんて。反省しましたか?」

 「いや、あの、俺は別に行き倒れたわけじゃなくて」

 彼女は人が悪そうに笑うと、もう一度拳を握って息を吐きかけた。

 「いい年して言い訳ですか……風上にもおけないです。さ、もう一度」

 「え、なんで……そんな」

 「いいから」

 少女が立ち上がって、肩のあたりをさすりながら声をかけた。

 「お母さんっ、もういいってば」

 「まあ、お人よしねえ。一体誰に似たのかしら。こういうしつけのなってない子はね……」

 「もう大丈夫だから、お母さん」

 少女は紫庵を見て軽く頭を下げた。

 「あ、あの……大丈夫ですか?」

 「あ、ああ……」

 紫庵は事情が呑み込めぬ顔で、とりあえずは頷いた。



     ☆



 広い板間の中央に大きめのがあり、農村でも比較的裕福な家と見えた。

 今は囲炉裏を囲んで、紫庵と、すいと名乗る(強力の)女性と雪江と呼ばれた少女、雪江の妹の冬宇とう、三人の親子が座っている。未明からの事情を雪江が説明していた。

 「小屋の中で倒れている姿が亡くなっているようだったのですが……息はしっかりしていたので、男衆に運んでもらったのでした」

 自分で思っていたよりウミトからの損傷が大きかったのだろう。運ばれたことも気付いてないとしたら、それは眠っていたのではなく気絶していたのだ。

 「そうか……悪かった。手間をかけさせた」

 紫庵が素直に頭を下げると、翠が得意そうな顔で白湯をとん、と置く。

 「まったくです。うちの出来のいい娘に感謝するのです」

 「え……と、はい。ご迷惑をおかけしました……」

 農家の朝は早く、すでに朝餉あさげは片付けた後だったが、翠は紫庵のために粥を作ってくれていた。に降りた翠が、手早く整えて雪江に木椀を手渡す。雪江が紫庵の前に差し出した。

 「はい」

 「いや、俺は……すまない」

 断ろうとして思ったより腹が減っているのに気付いて、紫庵は木碗を受け取った。

 「謝るのではなく、礼を言うです」

 「……ああ。ありがとう」

 「そうそう」

 翠は満面で笑うと大人しそうな雪江も笑った。


 胸が痛んだ。

 樹乃もそうだった。

 樹乃も、謝るのではなく礼を言え、とよく言ったものだった。

 紫庵は皆が思っているより人見知りで、本当に言いたいことは隠すくせがあるのを樹乃だけが知っていた。

 ――紫庵、簡単なことだよ? いちばん強く思ってる気持ちを素直に言えばいいの。格好つけないほうが、紫庵は格好いいと思うけどな。

 そして、眼を三日月にして樹乃は笑う。


 神女だろうとなんだろうと、さらってしまえばいい、一緒に逃げればいい、と何度思ったことか。

 でも、その勇気はなかった。

 周りにるいが及ぶと言い訳して、自分は何もしなかった。誘うことも口説くことも試すこともしなかった。何もしなかった。

 何も。

 そして、それさえ独りよがりの思い込みに過ぎなかった。

 樹乃のあの笑顔の裏に、悲壮な覚悟があったことに自分は気づかなかった。

 自分のことしか考えておらず、樹乃の哀しみの一端にさえ触れようとしなかった。自分には樹乃と一緒に逃げる価値さえもなかったのだ。

 今は、それが、身を切るほどに悔しい。


 「大丈夫ですか?」

 雪江に気遣わしげに問いかけられて、紫庵は我に返った。

 「ん、ああ、大丈夫だ」

 紫庵は無理矢理微笑んでみせたが、気づかぬうちに涙が一筋伝っているのに気付いた。手の甲でごしごしとこする。息を吐いて粥をすすり始めた。

 翠は少しの間そんな紫庵を見ていたが、にっこりと笑って言った。

 「よほど飢えてたのですね」

 紫庵は何も言わず、黙々と粥を食った。

 雪江は眉根に皺を寄せて紫庵を覗き込んでいる。樹乃には似ていないのに、困ったような顔はともすると樹乃の面影にかぶった。見ないように紫庵は木椀で顔を隠した。

 「独りで生きるのはやめなさい」

 紫庵は手を止めて顔を上げた。

 翠は紫庵を放浪中の戦災孤児と決め込んだらしい。確かに今の身なりでは風来坊以外の何者にも見えまい。

 「久世では、身寄りがなくとも労役や荷役で暮らせる仕組みができています。根を下ろすには早い方がいいです」

 「……それで、何が得られる?」

 「お天道てんとうさまの下を歩ける暮らし」

 翠の微笑みを紫庵は正視できずにうなれた。

 自分を動かすものはもう、復讐と嫉妬しかないのだ。もはや生者を呪うしか、生きる道がないのだ。

 「それは、もう俺には……ぜいたくだ。今更……」

 「であれば、野垂れ死ぬのがいいですか?」

 「それが分相応だ。もう、俺には仇しかいない」

 「仇……あなた、誰かを殺されたの?」

 「誰か……誰か?」

 紫庵は首を振った。痙攣けいれんのような笑いが起きそうになったのをかろうじて抑えた。

 「誰か、じゃない。みんなだ。里の皆、全員だ。何もしてないのに、何も」

 翠は庫裡から板間に上がり、心配そうな雪江を脇にやってから、紫庵の前に正座した。

 「俺だけが生き残った……俺だけがこの先も生きていくなんてできるわけがない。生きているだけで皆に申し訳なくて、俺は」

 翠は紫庵の肩に優しく手を当てた。いつの間にか前後左右に震えていた紫庵の身体が、肩口を起点にしてゆっくりと落ち着いた。

 翠は甘やかすように紫庵の頭を撫でると、

 「よほど飢えていたのですね」

 と言った。

 紫庵は自分の眼から涙がこぼれているのに気付いた。今度のそれはとめどなく溢れてきた。喉の奥で音が鳴った。

 翠は声を押し殺して泣く紫庵を見つめながら、雪江に顔を向ける。雪江は仄かに笑い返した。

 「雪江も生き残りなのです」

 「……?」

 はっと顔を上げた紫庵に翠は眼で頷いた。

 「雪江が三つの年に、集落が合戦に巻き込まれて雪江以外全員が亡くなったのです。戦の双方が互いに裏をかこうとして、本来の合戦場から大きく離れた雪江の集落が衝突の場所になったのです。逃げるいとまもなかったと聞きます」

 翠は同情するでも諭すでもなく、紫庵を見つめながら言った。

 「私の主人が戦の後始末をしていて、雪江を見つけたのです。その雪江は、優しい子に育ちました。あなたのような行き倒れを看病してあげられる子に」

 「……俺は……」

 「自分をかわいそうに思えば、自分をだますようになります。自分を騙していたら、いつか生きている意味を失います」

 翠は淡々と続けた。

 「私たちは息を吸うように生きてやがて必ず死にます。なら、何のために生きるかくらい、自分で決めさせてもらうです。あなたにもあるでしょう?」

 「……俺には……もう、そんなものはない」

 紫庵はいやいやをするように、ゆっくりと首を振り続けた。



     ☆



 街道から外れた農道を、編み笠をかぶった婆娑羅姿の男が五人、久世の館に向かって歩いていた。

 どうやら周辺の地形の調査をしているらしく、時々立ち止って何事か話し合い、再び歩き出す。機敏で無駄のない動作から、武芸をたしなんでいる様子がうかがえる。

 と、蓬髪の男がその前に立ちふさがった。男たちは全員予備動作もなく立ち止まった。緊張が一瞬張りつめる。が、蓬髪の男はにこやかに声をかけた。

 「ご苦労だったな」

 「心玄様、お久しぶりでございます。地形の調査はひと通り……」

 心玄は右手を振りながら鼻を鳴らした。

 「いらんいらん。相変わらず用意がいいが、戦場はここまで来ない。我らの戦はほれ、あそこで全部だ」

 心玄が指差す御玄岳を振り返り、向き直った男たちが首を傾げた。

 「心玄様、戦とおっしゃいましたが……山を取るのですか? しかし……」

 心玄が相好を崩した。というより、舌なめずりせんばかりだ。

 「あそこにな、大神がいるのよ。我らの悲願成就も近い」

 「……神を斬る、と?」

 「人の身のままでな」

 心玄はほがらかに笑った。

 「我ら高弟一同、及ばずながら全力を以て心玄様の助勢を」

 「なに、お前らが斬れる時があったら、自由にしてかまわん」

 一瞬、それぞれの眼が印象的に光った。が、すぐに剣気は消える。

 「……未だ修業中の身であれば」

 なにか統率のとれた獰猛どうもうな獣の群れを連想させる集団だった。



     ☆



 雪江は庫裡の窓から農道を見ていた。

 眼を離したすきに冬宇の姿が消えて、探していたのだった。

 好奇心の強い三歳の子は何でも口に入れて、何でも見に行きたがる。翠は開け放していた勝手口から農道へ冬宇を探しに出ていた。

 家近くの農道に、見たことのない婆娑羅姿の男たちが何事か話していて、冬宇がその最後尾の男に忍んで行くのが見えた。

 雪江が冬宇の名を小さく呼ぶのと同時に、冬宇は男の脇に置いてあった筆と墨を掴んで逃げ出した。いつもの悪戯のつもりだろうが、相手がよくない。

 雪江は名を呼びながら勝手口を走り出た。

 声は聞こえないが、既に翠が冬宇を抱きかかえ、書道具を返しながら謝っていた。

 が、男は翠の弁解を聴こうともせず、左足を引いて刀の鯉口を切ろうとしていた。翠が男に背中を向けて冬宇を抱え込む。

 雪江は何も考えずにその場に走り込んだ。

 男は闖入ちんにゅうしゃに呼吸を乱されて二、三歩下がったが、そんな自分を恥じるように再び刀を抜く構えに入った。

 雪江は翠と冬宇の前に立ち、その一挙手一投足を見つめながら、両手を大きく広げた。

 自分が護るのだ。

 何があっても。

 それが、自分の望みだ。

 男が鞘走る金属音と共に刀を抜いてゆっくりと振りかぶる。衝撃を予想して雪江は眼をきつくつぶった。

 刀と刀が打ち合う重く高い音。

 斬られた感触はなかった。

 雪江が恐る恐る眼を開けると、眼の前に紫庵が小太刀を抜いて男の刀を受けていた。

 奥の方で蓬髪の男が大笑いしている。

 男がその笑い声を侮辱と取ったのか、初めて表情をけわしいものにして二度三度と打ちかかった。紫庵は鋭い斬撃を全て受けて、最後の斬撃を唸り声と共に力ずくで押し返した。打ち合った男がたたらを踏む。

 雪江は力が抜けて座り込んだ。後ろから「馬鹿!」という声と共に、強く抱え込まれた。


 「これはまた、よく会うな。城から逃げ出したとは思ったが」

 「……またあんたか」

 心玄はいつものごとく、立ち会いの剣気にするりと入り込んで、身振りで刀を収めるよう示した。刀を抜いていた高弟がしぶしぶ退く。

 「お前ら、やめておけ。こいつは人鬼だ。お互いに無事ではすまん」

 まだ小太刀を構えて警戒を解かない紫庵の眼を覗き込んだ。眼の中の赤味がゆっくりと引いていくのを認めて楽しそうに言う。

 「ほう。鬼を磨いてるか。善哉善哉」

 「なんなんだ一体。あんたたちはなにもんだ?」

 「いやいや、言ったろう? 天剋流は刀を振る馬鹿どもだと」

 この男の中には強い者を斬ることしかなく、紫庵が人鬼として強くなるのが嬉しくて仕方ないらしい。納得いったように何度も頷いている。

 紫庵は呆れて小太刀を収めた。先ほどの男も気を削がれて既に刀を収めている。


 ――唐突に、心玄が炯炯けいけいと光る眼を向けた。

 口角が微妙に吊り上っていた。

 「じき、大戦になる。お前はどうする?」

 先ほどの男とは比べものならない気を吹きつけられて、紫庵はわずかに身を引いた。

 そのまま眼光に縫いつけられたように、心玄の無機質な眼と見つめ合ったが――紫庵の心は決まっていた。


 翠は我が身を省みず、冬宇をかばった。

 雪江はふたりのために、すすんで刀の前に身をさらした。

 十分だ。それで十分だった。

 樹乃はオクヤマツミのために我が身を捧げた。芳乃は自分を皆殺しから救うために禁を破った。

 翠の親子の姿は、自分の大事な少女たちを思い出させた。

 仇は討つ。

 燃え盛る身裡の炎は時を経るごとに大きくなっていく。

 でもそれ以上に、何よりも、樹乃を助けなければ。

 もし、もし万が一、間に合わなくても、自分は樹乃の下に行こう。


 紫庵は軽く脱力して鼻を鳴らした。

 「もちろん、行く」

 心玄が嬉しそうに笑った。

 高弟たちに顎をしゃくってみせると、彼らは編み笠のひもを結び始めた。

 紫庵は振り返って、翠と雪江に頭を下げた。

 「世話になった。感謝する」

 いつの間にか翠は紫庵を心配そうに見上げていた。

 「……何のために戦に行くですか?」

 「いや、仇討に行くんだが、でもそれだけじゃない」

 「……今からでも生きる理由を見つけることは難しくないです。生きていればいくらでも見つかるものです。私のように」

 翠は抱き寄せた雪江と冬宇を交互に見た。袖から出た細い両腕の肘近く、大きくえぐられたような傷があるのに紫庵は気づいて、眼を見開いた。

 「それ……」

 翠は軽く首を振った。

 「最初から最後まで幸せでいようなんて、おこがましいと思いませんか。最後で帳尻が合うだけで十分でしょう?」


 心玄と天剋流の高弟たちはもう歩き始めていた。小川にかかった簡易な橋を渡っていく。

 そのほとりには名も知らぬ黄色い花がたくさん咲いていた。樹乃の好きなやまぶきの花のような。

 紫庵はゆっくりと歩き始めて、振り返った。冬宇が事情も分からぬまま笑顔で大きく手を振っていた。雪江も小さく手を振っている。

 紫庵は一度だけ手を振ってそれに応えた。











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