和菓子屋さんのバレンタインデー
(同タイトルのものを、「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」に再掲しています。)
よもぎの青い香りに囲まれながら、私は掌の餅であんこを包んだ。
などとそんな悠長なものではない。私は素早い手つきで次から次へとよもぎ大福を作り続ける。
私の名前は野宮みこ、中学2年生だ。
私のウチは和菓子屋さん。名前を「野乃屋」という。
5年前にリフォームした店舗は、真新しいけれど木の柱によもぎ色の土壁、これぞ和風、和菓子屋さん、というような風情を感じさせる。私のお気に入りの場所だ。
でも今、私は店舗の奥の厨房にいた。こちらは機能優先、清潔優先でちょっと味気ない。
私のウチはありがたいことに繁盛しており、いたいけな長女を小学校4年生の頃から駆り出して和菓子を作り続ける。
それは今日のようなバレンタインデーでも関係ない。ウチの顧客はお年寄りが多いし当然だ。
私はそれに不満は感じていない。赤ちゃんのころから炊きたての餅や小豆の香りをかぎ続けているのだ。お店の手伝いが大好きな娘に両親、祖父母もおおいに喜んでいる。
しかし我が家には問題があった。
現・店主の父の子供が私一人ということだ。
「みこが男だったらなぁ」
父はたまにそう呟く。
しかし大丈夫である。私が婿養子を取ればいいのだ。
つまり、サラリーマン家庭の次男坊で、勉強はそこそこでも、ハンドボール部でエースをやる程度には体力があって、愛想が良くて、かと言って女子にモテモテではないような男子と結婚すればいいのだ。
そう、ウチのお店のためにはそうするしかないのだ。
大福作りが一段落ついたので、今度は店舗に立って店番をする。
店の前をカップルが通り過ぎる。
扉の向こうはバレンタインデーだった。
うらやましくないと言えば嘘になるが、私はウチの店に全てを捧げた女。
愛想を振りまいて和菓子を売りさばいていくのが、私の喜びなのだ。
そうこうするうちに日が暮れて来た。そろそろあいつが来る頃だ。
ああ、来た来た。
「ちわーっす」
学生服姿のまま現れた水野由起彦、私と同じクラスの男子だ。
いつも通り、間の抜けたしゃべり方をする。
こいつはほとんど毎日のように店に現れては、2、3個和菓子を買っていく。
「うちのばぁちゃんが、この店のじゃないと駄目だって聞かなくってさ。毎日反対方向のここに寄ってく俺の身にもなって欲しいよ」
としょっちゅう、ぼやいてた。
水野由起彦自身は、「甘いのは別にいいわ」だと。だと!
「今日はどれにしようかな?」
ガラス張りの陳列棚に並んだ和菓子を見渡す。
最中に饅頭に大福にわらび餅、いろいろ揃ってますよ。
「まぁ、どれでも一緒かぁ」
「それ、ウチの爺さんが聞いたら、頭かち割られるわよ」
偏屈で有名なウチの爺さんの名前が出て、水野は肩をすくめる。
「怖い怖い、内緒な、内緒」
「いつもよりお高いの、買ってってよ」
「おいおい、俺にはばぁちゃんに貰ってる予算てのがあってだな」
「どうせ毎回お釣りをちょろまかしてるんでしょ?」
「手間賃だよ」
「その貯まった手間賃とやらを使えばいいじゃん。で、どれにするよ」
「おすすめは?」
「そうね、これとこれが出来たてでいいと思うけど」
「容赦なく高いな。まぁいいや、それ貰うわ、1個づつな」
などと話しながら、お婆さんのお茶菓子を選んでいく。
「はい、お釣り」
小銭を水野に手渡した時、水野の指が一瞬私の指をかすめた。
その瞬間、私の顔は真っ赤に沸騰しそうになったが、「平常心、平常心」と自分に言い聞かせる。
そして練習通り、何気なく言う。
「ああ、それとこれ」
別に包んで置いておいた袋を渡す。
「え、これなに?」
「和菓子。ウチ、和菓子屋さんでしょうに」
「あ、ああ、そう」
ちょっと目が悲しげになるのを私は見逃さなかった。
「あんたのために、私が特別に作ったんだから」
「それって?」
今度はちょっと目が輝く。
「こう、気をね。おいしくなれーって」
と、私は掌を広げて、袋に念を送る真似をする。
「呪いじゃないだろうな?」
「失礼ね、あんこから餅から、全部私の手作りなんだから。全部を1人で作ったのは初めてなのよ」
「俺って実験台?」
「いいから食べなさいよ、あんたがね」
「まぁ、甘い物は好きじゃないんだけど、ありがたく頂いとくわ」
「そうして頂戴」
水野は軽く手を振ると、さっさと店を出て行った。
心臓の鼓動はしばらく収まらなかった。
しかしあいつはあの和菓子の意味を理解しただろうか、ニブい奴だからなぁ。
そうするうちに、新しいお客さんがやって来る。
その常連のオバさんは店に入るなり口を開いた。
「ねぇ、みこちゃん、さっきお店から出てきた男の子が、道端で『おっしゃー』って叫んでたけど、何かあった?」
「さぁ、私にはさっぱり」
そう言って、私はにんまりと笑みを浮かべた。