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94 二人で逃走するが何かがおかしい

 実家だった貴族の屋敷に精通していたエルンストは、抜け道や隠し通路を駆使して襲撃者達の目を眩まして逃走路を進み、やがて手を引いたアンネリーと共に、舘の敷地外へと続く深い森の中へと辿り着く事ができた。


「はぁ……ふぅ。……びっくりしましたわ」

「それは、こっちの台詞だ。……おい小娘」

「小娘じゃなくて、アンネリーですわ?」


 エルンストは、アンネリーの額に輝く光を陰らせるように帽子を被せると、進んできた森道から少しはずれた茂みを指差し、アンネリーに言う。


「その茂みから続く細い道を進んで行けば、街道に出られる。この辺の村には立ち寄らず、領境を越えて逃げろ。貴族と言っても、他領土への影響力はさほど無い。逃げ切れるはずだ」

「……」


 アンネリーは強張った顔のエルンストを見上げ、戸惑ったように言う。


「……貴方は、どうするのですか?」

「……」

「貴方が、襲われていたのですわよね? このままでは危険ではありませんの?」

「……お前には、関係無い」

「そうですけれど……助けていただきましたし。……一緒に行きませんか?」

「……っ」

「そうですわ、そうしましょうっ。わたくしも貴方も危険なら、お互い様で協力できるのではありませんか――」

「冗談じゃない!! 邪魔だ!!」

「――っ」

「さっさといけ!!」


 声を荒げたエルンストに、アンネリーはびくりと肩を振るわせた。

 その頼りなげな姿から視線を逸らし、エルンストはアンネリーを突き飛ばす。


「……」


 一瞬よろめいたアンネリーは沈黙したが、やがて身を返すと、茂みの中に入って行った。


『……()()……邪魔なんだよ』


 それを見届けたエルンストは、小さく息を吐きながら内心で続ける。


『……あの光は、聖女の御印『聖輝(セ・クラ)』だ。……あの子は次代聖女だ。強い加護を与えられているあの子一人なら、安全に逃げられるはずだ』


 貴族として、そして勇者として様々な物を見る機会があったエルンストは、アンネリーの額に宿った光の正体に気付いていた。


「……俺が……足手まといなんだ」


 そして、そんなアンネリーに対し、エルンストは自分の無力を痛感していた。


「さっき襲われて判った。……俺は……俺は命の危険が迫った時すら、もう剣を握る事ができなくなっていた。……俺は……もう戦う事はできない。……もう……昔のように、敵を倒す事はできない……できないんだ……っ!!」


 剣を握ろうとして感じた恐怖と吐き気を思い出しただけでも、エルンストの全身は強張り、膝から力が脱けそうになる。

 ゴミと見下していたザイツに圧倒的な実力差で打ち負かされたショックは、エルンストが思う以上に自信を打ち砕き、その心にトラウマを植え付けている。


「俺……俺はもう……どこにもいけない……」


 音も無く自分の剣の上に降り立ったザイツは、今やエルンストにとって、恐怖と絶望の象徴となっていた。

 剣を――武器を構えたら、またその象徴(ザイツ)が剣の上に見えてしまうかもしれない。

 そんなあるはずもない脅迫概念に支配されてしまったエルンストの身体は、剣を握るという行為自体を全力で拒んでいた。


「……もう……駄目なんだ……」


 そして、自分を回復してくれたアンネリーを救い出す、という目的を達したエルンストの気力は、再び尽きかけている。

 

「俺は……駄目だ……駄目なんだ……俺は……俺はもう……あ……あぁ……っ」


 襲撃者達の声と足音が近づいてくるのが判っても、身体は動かない。

 死ねば、全身を蝕む苦痛から解放されるのかもしれない。恐怖と共にそんな誘惑まで内心に芽生えさせながら、エルンストはその場に蹲り、嗚咽をもらすしかなかった。


「……駄目ですわよ、蹲っていたら」

「――っ?」


 そんなエルンストの耳に――そっと少女の声が響く。


「おっ――お前!!」

「だから、アンネリーです」


 思わず身を起こし視線をむけると、茂みの影からアンネリーが顔を出していた。


「お前!! 行ったんじゃなかったのか?! 邪魔だって行っただろうが!!」

「邪魔と言われましたので、邪魔にならない範囲から、御助力しようと思ったのですわ」

「ば――馬鹿か!!」


 年下の少女に無様な姿を見られたと判ったエルンストは、羞恥のあまり殆ど自棄になりながら叫ぶ。


「見たら判るだろうが!! 俺はもう駄目なんだよ!! 何もかもに見放されて!! あげく戦えなくなったんだよ!!」

「……」

「無様だろう!! 嗤えよ!! 負け犬のガラクタだって、嘲笑すればいいだろう!!」

「……そんな事、しませんわ」

「――っ」


 気が付けば、アンネリーはエルンストの傍らに戻って来ていた。

 アンネリーは座り込んでいるエルンストと視線を合わせるようにその場に膝を付くと、静かな声で言う。


「わたくしは、貴方がどのような方かも、どのような事情で戦えなくなってしまったかも存じません。……それが理不尽な不幸だったのか、それとも自業自得の報いだったのかも、知りませんわ」

「……」

「……ですが、例えどのような理由があろうと、わたくしは苦境に直面しておられる人族(かた)を、嘲笑うような真似は決していたしません。……それは僧侶として、恥ずべき行いですから」

「……っ」


 まだ幼い少女の言葉に、エルンストは震える。

 苦境に直面している者達を嘲笑う。それはエルンストが今まで平気でしてきた事だった。


「……俺が、嗤われて……当然のヤツだったと……してもか?」

「はい。人族は等しく、唯一神ゼーレの愛し子なのです。……その愛し子を貶め嘲る事など、どうしてできましょうか」

「……はは」


 あまりにも価値観の違う少女の言葉に、自然と自嘲が込み上げる。

 だがそれでも、少女の言葉はエルンストの心に、優しく響いた。


「それに、貴方はわたくしを助けて下さいましたわ。悪い方では無いと思います」

「ははは……小娘なんて好みじゃないが、女には違いない。助けておいた方が得だと思っただけだ」

「女性には優しい方ですのね。では男性にも優しくなされば、とてもとても優しい方になれますわよ」

「はっ、ごめんだねっ。男なんか大嫌いだ。その中でも俺より優れた男は、最悪に嫌いだ」

「まぁ、残念ですわね」

「そんな事言ってる場合じゃない。――行くぞ」


 震える身体を必死に叱咤し、エルンストは立ち上がる。


「どうなさるのですか?」

「……戦えないなら、今は逃げるしかないだろっ」


 ――目の前の少女を死なせたくない。

 内心に芽生えたそんな気持ちが、エルンストの恐怖と死への誘惑を押さえ込んでいた。


「……はい、そうですわね。逃げましょうっ」


 そんなエルンストに続いて立ち上がったアンネリーは、エルンストに頷き微笑んだ。


「――いたぞっ!! 灯りがある!! あそこだ!!」

「ちっ、お前、その額なんとか光を消せないのかっ?!」

「で、できるはずですの。……でもわたくしはまだこの力を制御できなくて……このままですの」

「くっそっ。『聖輝(セ・クラ)』ってのも制御できないと面倒なんだなっ」


 やがて聞こえてきた声を振り切るように、エルンストとアンネリーは走り出す。


「あら、貴方はこれが、『聖輝(セ・クラ)』って判りましたのね?」

「ちょっとモノ知ってるヤツなら誰だって気付く!! 小娘、お前もっと自分の立場を自覚した方がいいぞっ!!」

「立場くらい、自覚していますのよっ。わたくしは全ての魔族を根絶やしにするために、この御印を受け継ぎましたのっ」

「はぁあ?! いきなり物騒な事言うなよ小娘!! 死ぬぞ!!」

「全ては主の御心のままにですわ。……あと、わたくしは小娘ではなく、アンネリーです。ゼルモア神聖教国所属の尼僧、アンネリーと申します。貴方のお名前は?」

「え……」


 実家から捨てられた事を思い出したエルンストは、もう本名を名乗る事も危険なのだと気付き、少し考える。


「……エル、だ」

「エル様?」

「様はいらない。……ただの、盾使い(シールダー)のエルだ」

「エル……良いお名前ですわ。エルっ」

「……ふん」


 結局名前の一部を名乗ったエルンスト――エルは、アンネリーの言葉に照れた自分が恥ずかしく、走る足を速めた。


『なんで……俺がこんな胸無し小娘に照れなきゃいけないんだっ!!』

「あっ、待って下さいませーっ」


 エルの内心の葛藤など知るはずもなく、アンネリーは慌ててエルの後を追った。



 こうして散々逃げ回った後、エルとアンネリーはなんとか領土の境界を越え、隣町に潜り込む事ができた。


「――あらぁ~、ゆ~しゃエルンスト様じゃ~なぁ~いのぉ。いらっしゃいませ~ぇ♪」

「……あんたが店を開いてたのは、幸運だったよ……ユーイ」

「エル、どなたですの?」

「見ての通り、赤幌馬車の行商人で~す♪ 今後ともよろしくぅ()()()ぁ~」

「っ……よ、よろしくおねがいしますわ」


 エルにとって幸いな事に、隣町の裏路地では丁度夜市が開かれており、商品の質は信用できる行商人、赤幌馬車のユーイも来ていた。

 エルは実家から持ち出してきた盾に付いていた装飾金銀や宝石を外し、東方風の胡散臭い美女ユーイと商談した。


「あらあら~、華麗な装備品を好む貴方が、いいの~エルンスト様ぁ?」

「……いい。あと、これからはただのエルだ。間違えるな」

「エル君ね~? はいはぁい♪ ……買い取り金額はこんなものだけど~、何かいります~エル君?」

「動きやすい旅装と、丈夫な靴」

「はいはぁい~、マントも良いのが入ってるわよ~♪ ……剣もあるけど~?」

「っ……剣は、いらない」

「……ふぅ~ん?」


 ユーイはにこやかに笑うと、部屋着のような姿の薄汚れたエルを気にすることなく商談に応じ、盾から取り外した装飾全てを買い取り、エルが求めたものをそこそこの値段で売りつけた。


「……あと、アンネリー」

「はい?」

「お前、その法衣売れ」

「えぇっ?! 何をおっしゃるのですエルっ?!」

「えぇ~売ってくれるのぉ~っ? きゃあ~、尼僧服って好事家に大人気なのよねぇ~。……中身入りならもっと大人気商品だけどぉ~♪」

「中身?!」

「そっちは売らん。……アンネリー、お前はとりあえず目立たない方がいい」

「え……」

「まぁそうねぇ~。……最近、あちこちでゼーレ教の聖職女性が連れ攫われる事件が起きてるし~。法衣姿とかちょ~危ないって感じぃ~?」

「……エル、それはもしかして……」

「……細かい事は今はいい。でも着替えた方が、絶対危険は減る」

「わ、わかりました」


 更にユーイはアンネリーの法衣を買い取ると、部屋の奥に積まれた箱から子供用らしい服をあれこれと取り出してアンネリーに見せた。


「旅装ならこの辺だけど~、女の子だしちょっとフワッとしたこの辺のワンピースも可愛いわよねぇ。あ、いっそ男の子の恰好にする? 男装って感じじゃなくて、男女共用風でまとめたら違和感も無いし~」

「……こ、こんなものまで売ってますの。……ユーイさん、ここは何屋さんなんですの?」

「なんでも屋さんよぉ~♪ なんでも買い取っちゃったりもするのよ~?」

「……は、はぁ」


 あれこれとユーイに勧められたアンネリーは、悩んだ末大人しい暗色のワンピースと、同色の大きな帽子、ローブ、そして皮のブーツを選んだ。

 それらに馬車の奥室で着替えたアンネリーは、育ちの良い町娘のようになった。


「あと~、はいこれぇ~」

「え?」

「ブックカバ~♪ 大きな聖書を持ち歩く町娘ってのも、変だしぃ~?」

「……『男爵未亡人の淫らな昼下がり』?」

「何の本のカバーを被せようとしてるんだユーイ?!」

「あはははっ、冗談よ~♪」


 更にアンネリーの聖書には、皮製の無地ブックカバーがかけられる事になった。


「はい~、というわけでぇ~、お買い上げありがとうございましたぁ~ん♪」

「……こっちも助かった。……ありがとう」

「あらあら~、エル君がお礼を言うなんて~……やっぱり()()()()は大変だったのかしらぁ~?」

「っ……相変わらずの、地獄耳だな」

「それが商売よぉ~♪ ……これから、どうする気なのぉエル君?」

「……彼女を安全に匿ってくれる勢力を捜す。あんな危なっかしいのをフラフラさせておげば、いずれ魔王軍に捕まるしかない」

「そうねぇ、そうするしかないわねぇ。……聖女という存在そのものに敬意を払っている王も少なくないし、良い相手と上手く交渉すれば、彼女の身の安全は保証してもらえると思うわぁ」


 ユーイの言葉にエルは頷いた。

 そんなエルを見返し、ユーイは更に問う。


「……それで、そうしてから君はどうするの、エル君?」

「っ……俺の事は、どうでもいいだろう」

「そうでもないわぁ。自意識過剰な勘違い勇者サマは興味無いけどぉ~、誰かを心配して困ってるカワイイ男の子は、嫌いじゃないしぃ~」

「……ちっ、別にそんなんじゃない」

「それでぇ?」

「……特に決めてない」


 自分の今後の展望など、あるはずもなかった。今のエルは、危なっかしい傍らの少女をなんとかしてやらなければならないという感情で、気力を保っているに過ぎない。


「……盾を使うのね?」

「え? ……あ、ああ。……これしかもう、手に取れないようだからな」

「そう……」


 そんなエルンストの言葉を聞いたユーイは、ガラクタから掘り出すようにして小さな箱を取り出すと。


「エル君、ちょっと盾貸して」

「何をするつもりだよ」

「がんばってる男の子に、おね~さんからサービスサービスぅ♪」

「……」


 エルの盾を引き寄せ、宝石を外して空洞になっている穴の一つに、緑の石をはめ込んだ。


「……これは?」

「『再装備』ができる呪具よん。頼まれていた盾使いの戦士さん、引き取りに来る前に亡くなっちゃったのよねぇ。君にあげる」

「再装備?」

「地味だけど、使いようによっては役に立つ力ねぇ。がんばってぇ、盾職初心者さぁん♪」

「…………」


 そう言って細目を更に細めてウインクするユーイはとても胡散臭かったが、商品だけは信用出来る事を知っているエルは、盾を受け取り小さく頭を下げた。


「……ありがとう」

「……いやぁん。本当に素直になっちゃったのねぇ。見栄張ってた時より、そっちの方がいいわよ~ボクぅ?」

「…………」


 もはや見栄を張る気力も無いだけだと言い返そうか迷ったエルは、更に馬鹿にされそうだったので、口をへの字にして黙った。


「どうしたんですの、エル?」

「大人の階段上がってるのよぉ~ん♪」

「? よく判りませんけれど……良くしていただき、ありがとうございましたユーイさん」

「はいはぁい。商人への感謝は、ご贔屓にしてくれる事で返してちょ~だいねぇ♪ まいど、ありがとうございました~♪」


 こうして、エルとアンネリーの旅装は整ったのだった。


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