91 聖女周辺が何かがおかしい
「おーいクロー(略)ンっ、飛べ飛べっ、ほらもっとパタパタしろっ、高く行けーっ」
「まぁ陛下。そんなに最初から張り切らせたら、クロー(略)ンも疲れてしまいますよ」
【クワー】
「だってよセレス、こいつが完治したかどうか、ちゃんと見極めたいじゃねぇかよ~……ん?」
「――魔王陛下に申し上げます!!」
「……おう、どうした?」
その一報が届いたのは、魔王が魔王后と共に、魔王城の王庭で保護したワイバーンの幼体を飛ばせていた丁度その時だった。
「バース連合国、リリエ領内南西付近の街道で、巡回任務中の魔王国軍兵士が――聖女と思われる尼僧と接触いたしました!!」
「――っ」
跪き報告する兵士に、魔王の表情が引きしまる。
今は亡き聖女リュシエンヌの遺体から飛び去った、聖女の祝福の証にして力の源『聖輝』が次に選んだ宿主――つまり次代聖女の身柄を抑える事は、現在の魔王にとって出来る限り優先したい急務だった。
「間違いないのか?」
「はい、休憩中だったらしい尼僧がたまたま帽子を外していた所に兵士が遭遇したため、額にはっきりと、事前情報通りの『聖輝』が確認できたとの事です」
「そりゃ、警戒心のねぇ事だが……なるほど。それは身柄確保すべきだな。……できたか?」
「い、いいえ……」
「……戦ったのか? 被害はどのくらいだ?」
聖女確保には少数で当たるなと厳命していたが、それでも相手にならなかった時の被害を考え、魔王は厳しい表情になった。
『聖女の証である『聖輝』。……その力は未だ未知数だが、それでも宿った者の魔力をとんでもなく強化するモンだって事だけは判ってる。……リュシエンヌが使って来た聖属性の攻撃魔法、とんでもなく強力だったからな……魔力を封じる事ができず、あんなの一般兵が喰らったりしたら……』
「……い、いえ……それが」
「……ん?」
だが、そんな魔王に対し報告する兵士は、戸惑ったように言葉を続ける。
「……え?」
そしてその報告を聞き終わった魔王もまた、報告してきた兵士同様戸惑ったような表情になり、どういう事だと首を捻った。
「……その尼僧は……『戦えなくなった』と言いながら……逃げただって?」
一方その頃。
「――きゃーっ?!! きゃーきゃーきゃーきゃーきゃーっ!! 何故ですのー?! 何故なんですのー?!!」
【ブルルル!! 隊長殿!! 聖女と思われる娘が何か騒いでおります!!】
【ブルブル!! 構わん!! 追え!! 追いかけろ!!】
「いやー!! 来ないでくださいですのーっ!! わたくしに乱暴する気でしょーっ!! 春画みたいにっ!! 春画みたいにーっ!!」
【ブウゥウ!! 隊長殿!! 何かとても失礼な誤解をされているであります!!】
【ボッフゥウウ!! ふざけるな小娘ぇえええ!! 我らミノタウロス族は巨乳こそ女性美!! 貴様のような断崖絶壁まな板胸の小娘など、誰が性的対象にするものかぁああああ!!】
「なぁあああ?!! とても失礼ですわこのクサレ魔獣ぅうう!! 力さえ!! 攻撃魔法さえ使えれば!! お前達なんかグチャグチャのミンチにして野犬の餌にしてやりますのにぃい!!」
街道を外れた森を、聖書と外してしまっていた帽子を抱えて必死に逃げる、一人の尼僧少女の姿があった。――次期聖女アンネリーだ。
『お――おかしいですわ!! どうして?!! 『聖輝』の新たな力どころか――今まで使えていた攻撃魔法さえ使う事ができないんですの?!!』
予想外の事態に、アンネリーは混乱していた。
できると思っていた魔物達の虐殺が、まったくできなくなってしまっていたからだ。
『魔力自体は上がっていますのに――回復や支援の力なら――最高位の術だって発動できましたのに――なぜですの?!!』
『聖輝』を受け継いだアンネリーは、確かに大いなる力を手に入れていた。
巨大な魔力が身体中を巡り、今まで発動する事もできなかった高位の回復術や支援術も楽々使いこなす事ができるようになっていたアンネリーは、当然今まで使えていた攻撃魔法も使えるものだと思い、余裕で敵と対峙したのだ。
『殺して――殺してやろうとずっと思ってましたのに!! やっと思う存分、魔物を殺せると思ってましたのに!!』
――だが、結果は惨憺たるものだった。
なんとアンネリーは、最高位術どころか、初歩中の初歩として息をするように使えていたはずの、聖属性攻撃魔法すら使えなくなってしまっていたのだ。
『な――何故なのですか――『聖輝』よ!!』
それは悪い事に、『敵』である魔物達と接触して初めて知った事実だった。
それゆえ、今のアンネリーは魔王軍兵士達の虐殺どころか、逃げる事しかできなかった。
【ブル!! くそ!! だが速いな!!】
【ブルル!! このままでは、また逃げ切られるであります隊長殿!!】
とはいえ、『聖輝』の力は確かにアンネリーを守護していた。
『っ……いつの間にか、疾風の翼がかかってますわ……それに……』
【グッ、仕方が無い!! 後で蘇生させれば良い!! ――槍を放て!!】
「きゃっ――っ?!」
【なっ?! ――弾いただと?! 魔法障壁か!!】
『輝く護りまで……唱えてもいないのに』
アンネリーの危機に反応するように『聖輝』は輝き、次々発動される支援魔法がアンネリーを包む。
これがあるからこそ、魔王軍の兵士達もアンネリーを捕まえる事ができなかった。
「きゃ――ああぁ?!!」
【グァ?!】
一際大きくアンネリーの身体が輝き、その身体が宙に浮く。
慌てて追い付こうとする魔王国兵士達が飛びかかるが、僅かに遅い。
【な?!! ――……き、消えた……】
光に包まれたアンネリーの姿は、光に溶けるようにその場から消え去った。
【ヒィイ?!! ま、まさか幽霊でありますか隊長殿?!!】
【馬鹿を言うな!! ……あれは人族が使う最高位の聖属性魔法、空間転位だ。……あんなものまで、聖女は使いこなす事ができるのか】
『聖輝』の力を目の当たりにした魔王軍兵士達は、驚愕しながらその場に立ち尽くした。
『――死にませんわ……死んでたまるものですか!! ……魔物共を――あの汚らわしい悪の化身共を根絶やしにするまで――わたくしは絶対死なない!!』
そして空間転位によって運ばれて行くアンネリーは、その光の中で古びた聖書を抱きしめ――震える声で魔物達への呪詛を呟いていた。
「……攻撃、できない……なぁ?」
報告を聞いた兵士を下がらせた魔王は、納得がいかない様子で首を捻った。
「……陛下、『聖輝』を宿した聖女は、攻撃魔法が使えなくなるのですか?」
「いや? そんな事は絶対に無いぜセレス」
魔王后の質問に首を振った魔王は、庭先にあるベンチに抱いていたクロー(略)ンを降ろしながら答える。
「俺は現役バリバリの聖女だったリュシエンヌから攻撃魔法を喰らった事があったが、そりゃもー凄まじい威力だったぜ。……あいつ激怒すると、魔力も増幅するんだよな。死ぬかと思ったぜ」
「怒った? ……前聖女リュシエンヌに何をしたのですか陛下?」
「ちょっと隙を付いて、ナマ乳鷲掴みにして揉んだだけだぜっ」
「…………」
魔王后の魔力が、怒りによりバチバチと音を立てて増幅した。
「えぇ?!! いやいやこのくらいで怒るなよぉセレスぅ!! もう五十年は前の話だからぁ!!」
「魔族の感覚では、つい最近の出来事ですわね」
「といいつつ詠唱しようとするのはやめようぜ!! クロー(略)ンの前じゃねぇか!! 教育上良くないよな?! な?!」
【クワー】
パタパタとはばたきながら、クロー(略)ンは魔王の側から退避していった。
「まぁ、場の空気が読める良い子ですこと」
「あああああ見捨てるなクロー(略)んぅぎゃあああああああああああああああああ!!」
その直後、魔王后怒りの電撃魔法が魔王に下った。
「……それはとにかく。聖女の現状は、未だ不透明という事でよろしいのでしょうか?」
「……おー……プスプスする。……だな。……聖女の言葉が本当かどうかも判らねぇし。だがいずれにしろ、できるだけ早く聖女を捕まえねぇと」
数分後、庭に転がって焼け焦げた髪をかき混た魔王は、すぐに真面目な顔になって魔王后を見返した。
「聞いた感じ、とりあえず攻撃魔法は使えなくても、聖属性魔法お得意の回復支援魔法は使えるんだろう? 聖女が味方でも作って、そいつらをサポートする形になったら、脅威になりえるぞセレス」
「……御意、魔王陛下。……しかし、『聖輝』を持つ聖女は、人領域の多くの勢力から狙われている事でしょうね」
「だろうな。……神の祝福の具現とされる『聖輝』を宿した聖女って存在自体が、神聖の象徴のようなもんだったし。ゼルモア神聖教国の残党にとっては良い旗印、そうでなくても、自分ところの手駒にしたいって勢力はごまんといるだろう――なぁ?」
「さようにございますな、魔王陛下」
魔王に応えるように、姿を現した者がいた。
魔王国宰相ローゼルフォートだ。
「その一件との関係性は断言できませんが、少々不穏な事態になりました魔王陛下」
「何があった、ローゼルフォート?」
「神聖家血筋の女性の何名かが、幽閉施設から誘拐された後、死体で発見されました」
魔王は舌打ちして、身を起こす。
「……そりゃ、次代の聖女捜しである可能性は高いな。『聖輝』は今まで、ゼルモア神聖教国の『王家』である、神聖家の女にのみ宿っていた」
「それにしても……殺すというのが、穏やかではありませんが」
「大部分の×は潰しておいた方が、『聖輝』があちこち飛んでいかれなくて便利だからかもな。その場合でも、二、三人は確保するだろうが」
「恐ろしいお話ですこと」
「全くだ。……それに、魔王国の警備を抜けて誘拐できるってのも、恐ろしい」
敗戦国となったゼルモア神聖教国の頂点に連なる血筋は、現在魔王軍の厳重な監視の下で幽閉されていた。
「幽閉先の内部から、連絡を取っていた痕跡が残っておりました」
「って事は……誘拐犯は、ゼルモア神聖教国残党か、少なくともなんらかの関わりがある連中の可能性は高いか」
「その割には、主筋の女性達に対する扱いが冷淡ですが」
「自分達主導で国を復興させるなら、旗印以外の主筋なんてジャマなだけだろ。手元に置くのが大変なら、必要な者達以外すっぱり殺してしまった方が、後々面倒が無い」
利用価値の無い『王族』の扱いなんて、そんなもんだろ。
魔王は皮肉げにそう言うと、軽く首を振った。
「ローゼルフォート、神聖家血筋に対する警備を固めろ」
「御意」
「それから聖女確保、誘拐犯達の特定も……か。やれやれ、面倒臭ぇな」
「必要な事でございますわ陛下。……相手がゼルモアの残党なら、ここでその野心ごと、息の根を止めてやりましょう」
「はは。頼もしいぜセレス」
魔王后は魔王を見下ろし、静かな笑みを返した。
魔王はゆっくりと立ち上がって妻に頷き、悠然と言葉を発する。
「……俺も、狙った獲物を逃がす気はねぇけどな」
「陛下」
「見てなセレス。……次代聖女も、聖女を狙う連中も――全てこの手に捕らえてやるよ」
魔王后はそんな夫を見上げ――そしてくすりと笑った。
「……御髪が爆発してなければ、恰好良かったのですが」
「やったのお前じゃん?!!」
相変わらずの魔王夫妻に、宰相はため息をついた。
同時刻。
「また外れか」
「面倒臭い。聖女候補が多すぎる」
濃い闇が周囲を覆うどこかで、手の平に乗るほどの小さな灯りを囲み、数名の気配が蠢き会話を交わしていた。
小さな灯りは、地面に転がる若い女を照らしている。
「聖女候補リストは、あと何人だ?」
「おい、これアテになるのかぁ?」
「さぁな? でも一応、ゼルモアの教皇直々の情報だぞ」
首を不自然にねじ曲げられている女は、既に事切れている事が明らかだったが、周囲の声にはその死に対するなんの感情も浮かんではいなかった。
「仕方が無い、次に行くか」
「次は誰にするんだ?」
「そうだな……」
ただ作業のように与えられた情報に従い、聖女を追う。
そんな彼らが、目的のためなら手段を選ぶ必要も無いと思っているのは明らかだ。
「……アンネリー? こんな姫がいたか? ただの尼僧じゃねぇのかこいつ?」
「……私生児だそうだ。神聖家の、やんごとなる御方がこっそりと作った、な」
殺人者達は『当たり』を知らず名前を辿る。
「いいだろそいつで。当たりなら『聖輝』ごと捕獲、外れなら殺せばいい」
「そうだな」
――戦う力を持たない彷徨える次代聖女へと、危機は迫ろうとしていた。




