73 名探偵は思考するが何かがおかしい
一夜明け、やや日が高くなった頃。
バロークの町で情報収集を終えたザイツとハウルグは、飛空母船エギーリャに戻る魔王海軍の小型船に乗り込み、中のテーブルを一つ占拠して得た情報を文書化して整理していた。
「ザイツ、誤字だぞこれ」
「う……面倒だなぁ、わざわざ文書化しなくても、メモ見て口で言えばいいのに」
「一度整理する事で、なんとなく聞き流していた事を思い出せる事もある。紙代はかかるが、きちんとした文書ってのは、あれでなかなか有益なもんなんだぜ?」
「うへー……」
一応読み書きができる程度のザイツには苦行だったが、ハウルグは人族の言語を難無く使いこなし、流暢に報告書を作成していった。
「――で、こう締め括るのが、人族言語の正式だ」
「へー……おっさんて魔国側なのに、人族の言葉にも詳しいんだなぁ。流石騎士様」
「敵国を知るのに、読み書きと会話は必須だからな。……それに」
「それに?」
「敵国の美女を口説くのにも、読み書きと会話は必須だからな♪」
「……そっちが本音か」
「はっはっは」
悪びれず笑ったハウルグは、やがて少々真面目な表情となって作成文書を見下ろすと、ザイツに問う。
「……なぁザイツ。お前はどう思った?」
「うん? 何が?」
「――朝に会った、町助役だ」
「あー……あの爺さんか」
二人は船に戻る前に、町から逃げた元町長の配下である、町助役に情報収集していた。
―な、なんだあんたらは朝っぱらからっ? ……ワイバーン討伐を受けた冒険者?―
―……町を襲うワイバーンについて、町人側からの意見を聞きたい?―
―し、知らんっ。儂は何も知らんっ。判らんっ―
―魔王軍に求められた町長関係文書は全て渡した。聞かれた事も全て話したっ―
―今の儂は、ただの町人だ。病身の妻がいるんだ。頼む、もう放っておいてくれ!―
年の頃はそろそろ老齢に差し掛かるか。白いものがちらほら混じった髪の小柄な町助役はザイツ達の訪問に顔を強張らせながら、自分は何も知らない、話せる事も無いと頑固に返し、硬く家戸を閉ざした。
「……ピクシーをけしかけてみたら、色々心配事はあるようだったな」
「読心術って怖いよなぁ」
「あんまり、役には立たなかったけど」
そしてそんな町助役を怪しく思ったザイツは、人の心を読む妖精魔法である【ピクシーの嘲笑】を発動させ、ピクシー達を町助役の家の隙間から、こっそりと差し入れてみたのだった。
―なっ、なんだこの妖精共は!! くっ、くそうあっちに行け!!―
―なになに~、へぇ~っ、お前母親と、妻の薬代が大変なのか~っ?―
―逃げた町長の事はキライだったのか~ッ―
―でも金目当てに、嫌々仕事してたのか~ッ。えーとそれからそれから……―
―あっちに行け悪戯者!! ――『鉄で殴り付けるぞ』!!―
―えっ!! ヤダーッ―
―鉄は嫌だー!!―
―逃げろ逃げろーッ―
だが、心を読むピクシー達に町助役は確かに動揺したが、すぐに鉄の鍋を振り回して、ピクシー達を家から追い払ってしまった。
「妖精魔法【ピクシーの嘲笑】は、所詮知能の低いピクシー妖精が遊び半分でやらかすだけだからな。町助役の爺さんは、何か隠し事があるかもしれないけど、俺じゃあれが限界だ」
ザイツは残念な気分で頭を掻く。
「爺さんが怖かったのか、ピクシー達があっさり逃げ出したしな」
「……『鉄』って単語を、ピクシー達が怖がったんだよ。妖精が嫌うものは色々あるけど、『鉄』っていうのは、大抵の妖精に効く弱点で脅しだから」
「へぇ、そうなのか」
「うん。だから『鉄で殴るぞ』って言葉は、魔法の心得のない人族でも使える、一番単純な妖精退散呪文になりえるんだ。……もしかしたらあの爺さん、妖精魔法の知識があったのかもしれない」
「ありゃ……じゃあまたピクシーを呼び出しても、追い払われるか?」
「多分」
「そりゃ残念だなぁ……あの爺さん、な~んか怪しいぜ」
書き終えた情報整理文書を一まとめにしながら、ハウルグも残念そうな表情で呟く。
「……いっそ物理的な説得で、洗いざらい聞き出す、って手もあるんだけどなぁ……」
「……なんだよ、物理的な説得って?」
「小指から一本一本、骨を折っていくだけの簡単なお仕事だ」
「やめとけおっさん。姫にばれたら後が怖い」
暴力を嫌がりつつ、無意識に人知を軽く越えた破壊力を振るってしまう雇い主を思い出し、ザイツはため息をついた。
【そこで物騒な事を相談しているお二方、そろそろ母船に着きますよ】
そんな二人にかけられたマーマン海兵の言葉で、ザイツ達は相談と作業を終え、椅子から立ち上がった。
「あそこか?」
「あそこみたいだな」
エギーリャに戻ったザイツとハウルグは、一休みする前にまず報告書を提出しようと、キョウとケイトがいる部屋に向かった。
キョウとケイト達は、船倉に近い奥まった場所に在る、エギーリャの小さな図書室にいる。と通りすがりのマーマン海兵は、ザイツ達に教えてくれた。
「船に図書室なんか、あるんだな」
「娯楽の一つだな。机や椅子、辞書なんかもあるし、調べ物をするには丁度良いだろうさ。……魔王女殿下、ケイト、ハウルグとザイツが、今戻りました」
部屋の外からドアをノックしたハウルグがそう言うと、中からどこかヨタヨタした足取りの誰かが入口へと近づき、ドアを開ける。
「……ざ……ザイツさん……ハウルグさん……っ」
「うわっ?!」
「ま、魔王女殿下っ?」
ぐったりと憔悴した顔で出てきたのは、キョウだった。
キョウはフラフラしながら女性美溢れる肢体をドアノブで支え、ザイツとハウルグを見上げると、ようやく安心した笑顔を浮かべ深く嘆息する。
「よ……よかった……二人とも帰ってきてくれて……」
「ど、どうしたキョウ姫?! 何かあったか?!」
「い……いいえ……」
ザイツの言葉に力無く首を振ったキョウは、何も無いですけど、と呟きつつ後ろを振り返り、ポツリと言う。
「……彼女を……どうしたらいいのか判らなくて……」
「彼女? ……」
ザイツはキョウにつられて、キョウの後ろへと視線を投げる。
そこには。
「――ブツブツブツフ、フフフブツブツブツクククブツブツなるほどそうなるのかブツブツブツいやまてブツブツブツブツ違うぞブツブツブツブツブツなにぃブツブツいやこれで良いのかブツブツブツ更にブツブツこの場合ブツブツハーフリットがブツブツブツブツブツブツブツブツ更に引き金となったブツブツブツブツブツそしてブツブツブツブツブツある意味ブブツブツブツブツブツもしやブツブツブツブツブツブツブツいやそれはブツブツブツブツブツとなるとそこにあったのはブブツブツブツブツブツありえない話ではブツブツブツブツブツクークククブツブツブツブツブツ逃げた場合のブツブツブブツブツ性癖はブツブツブツブツ彼の立場ならブツブツブツブツこれらの結論を踏まえブツブツブツ、ブ、ツ、ブツブツブツブブツブツ実証するにはブツブツブツブツ必要なものはブツブツブツブツブツブツできればブツブツブツブツブツそこにブブツブツブツブツブツブホォッ!! むせたツブツブツいや待てブツブツブツブツブツまだ慌てる時間じゃないブツブツ素数をブツブツブツブツ数えなくていいブツブツブツオラオラオラオラブツブツブツしかしこの仮説通りだったとするとブツブツブツブツブツ危険がブツブツブツブツブツブツ会計報告のブツブツブツブツブツブツブツ過信は禁物だブツブツブツブツブツ偶々という可能性もブツブツブツブツブツミスがブツブツブツブツブツブツブツならブツブツブツブツブツそうかそういう事かブツブツブツ真実はいつも一つブツブツブツブツブツとは限らないかもしれないブツブツブツブツブツ飛躍し過ぎか? ブツブツブツブツブツならばこの仮説をブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ判ってない判ってないぞブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツこの場合オレンジ七号のブツブツブツブツブツブツブツ精神状態はブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ極度の強迫観念がブツブツブツブツ――……」
海軍から借りたらしい文書の山を机一杯に広げ、目にも止まらぬ速さでそれを捲り時々付箋を貼りながら、延々呟いているケイトの姿があった。
「………………うわぁ」
瞬き一つせず、手と充血した眼球のみを動かすケイトの姿に、ザイツは思わず二、三歩下がった。
「わ、私……ケイトさんのお手伝いで、ケイトさんが付箋を貼った場所をノートに記録して整理してたんですけど……最初はケイトさんと会話ができたんですけど……だ……だんだん……徹夜明けのテンションになっていくケイトさんが……遠い世界にイッてしまって……」
「遠い……ああうん……確かにあれは……遠そうだな……」
「て、徹夜続きじゃ身体が持たないし、一度休みましょうって声かけたんですけど……ケイトさん……私の声が聞こえてないみたいで……と……突然閃いたり笑い出したり落ち込んだり誰もいない場所に話しかけたり素数を数え出したり……わ……私止めた方がいいんでしょうか? それとも応援するべきなんでしょうか?」
「……とりあえず、ああなったケイトには触らない方がいいんじゃないか?」
そうかもしれませんね、と返したキョウは、疲れたように肩を落とした。
「あ、そういえばバカラスは?」
「カンカネラさんならいつも通り寝て起きて、ガンバーちゃんの世話に行きました」
「主人放って寝てんなよ使い魔」
「いえ、全員徹夜で疲れるより、良いんじゃないですか? ……あのケイトさんじゃ、ガンバーちゃんの事忘れてそうですし」
「それは……そうかもしれないけど」
ドア前のザイツ達を一瞥もせず、ケイトはひたすら眼球と手を動かしていた。
「おーい、お疲れさんケイト~♪」
「ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ……」
そんなケイトに、呑気なハウルグの声がかけられる。
「ちょっと目にクマができちまってんじゃねぇのか~? 折角の美人が台無しだし、一休みした方がいいぞ~」
「ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ……」
視線さえ向けないケイトにも気にせず、ハウルグは会話にならない会話を続ける。
「お、おっさん……ケイト怖くねぇの?」
「あ~? 仕事一生懸命な女ってのも、可愛いじゃねぇか」
「……あれを、その程度に解釈できるあんたって、すげーな」
「これがハウルグさんの恋愛フィルター……さすがです」
呆れ半分で感心するザイツとキョウに、まぁな、と返したハウルグは、手にしていた報告書を軽く振りながら、更にケイトへと言葉をかける。
「バロークの町で一晩情報収集してきたのを、報告書にしてまとめてきたぞ~」
「ブツブ――」
突如瞬間移動でもしたように、ケイトは図書室の入口まで駆け寄って来た。
「速っ?!」
「ケイトさんっ、私の声が聞こえますかっ?!」
「勿論ですよ、おはようございます姫様。そして報告書を持って来て下さいましたか、ハウルグ卿?」
夢から覚めたようにまともな言葉を話し出すケイトへ、ハウルグはにこやかな顔で報告書を差し出す。
「それでどうだ、調子は?」
「そうですね、魔王海軍からお借りした資料のおかげで、いくつかの仮説がまとまりつつありますが、まだこれだという確定には……ブツブツ……」
そして一応会話しつつも、ケイトはその場で、ハウルグから受け取った報告書を読み始める。
「それで、仮説をまとめてみてどうだ? 何か他に、必要なものはあるか?」
「ブツブ……必要?」
更にハウルグの言葉に、ケイトは一時全ての動きを止め、じっと考え込む。
「必要……」
「……」
「……」
「……」
つられてその場の皆も沈黙し、ケイトの答えを待つ。
そして。
「――気象観測資料と、ドワーフ」
はぁ? と思わず上げた皆の声が揃った。
「き、気象観測って……ようするに、天気の資料……だよな、ケイト?」
「はい。確か大型船舶には、かなり精密な気象観測資料が保管されているはずですよね、ハウルグ卿?」
「あ、ああ……一応機密文書だが、申請すれば閲覧くらいはできるだろう」
「ドワーフってなんだケイト? リリエの実証みたいに、工兵が欲しいって事か?」
「いや、工兵では駄目だザイツ。ドワーフだ。種族の固有能力に鉱物鑑定がある、ドワーフが欲しい。鑑定能力が高ければなお良し」
「え? え? え? け、ケイトさんあの……」
「それでは、持って来てださい。よろしくお願いします」
戸惑う仲間達に淀みなく答えたケイトは、そのまま何事もなかったように机に戻り、作業を再開した。
「持ってくるって事は、ジェレミアに頼むのは俺かねこりゃ」
「うーん……ドワーフさんって、そもそも持ってくるものでしょうか? 連れて来る、が正しい表現だと思うんですけど……」
「いや、その辺はどうでもいいんじゃねぇか姫? ……けど二人とも……今のケイトが、何考えてるか判るか?」
ザイツの問いに、ハウルグとキョウの首が揃って横に振られた。
「だよなぁ?」
そんな二人に、ザイツも同意する。
現在この場に居る誰も、ケイトの思考が理解できていなかった。
とはいえ。
「……とりあえず文書閲覧の申請してから、一休みするか」
「一休みは賛成ですっ。あ、ドワーフさんだと船には乗ってないみたいですね。どうしましょうか?」
「海軍に頼んで、ワイバーン飛ばして近場にいるドワーフを連れてきてもらうのが、一番手っ取り早いんじゃないか?」
既にケイトの手腕を知っている三人は、ケイトを信じた。
こうして仲間の協力の下、ケイトの推理は続けられた。
カンカ「ほーら、ごはんであるぞガンバー」
ガンバー【ヒヒ~ンヾ(*´∀`*)ノ 】
カンカ「しかしお前、時々主人に忘れ去られているのであるなぁ」
ガンバー【ヒヒ~ン……(´・ω・`)】




