59 戦時からはじまるが何かがおかしい
戦時――バローク港上空付近。
刻一刻動きその陣形を変えながら、戦況が変化する。
夜空を煌々と照らし、魔法が、火矢が、砲の火花が炸裂し人と魔の命を刈り取っていく。
「――が――ぐぁっ!!」
【グギャアアアア!!】
空で破れた聖騎士と竜が、墜ちる。
不利に傾く戦況下でさえ戦意を失わず奮戦していた聖騎士は、それでも空から崖下の岩面へと叩き付けられた自分の中で破裂し砕ける衝撃に、自分の命運が尽きた事を悟る他なかった。
「ぐ……う」
身体中が痛み、ズレ崩れ。臓腑は破け、口からはドス黒く濁った血がこぼれ落ちる。
「っ……ウィルジニー……」
それでも自分の身体が粉々にならなかったのは、今まで騎乗していた飛竜の両翼によって自分が包みこまれてからだと気付き――そしてその飛竜が既に事切れているのを理解し、聖騎士は涙を零した。
「ウィルジニー……最後まで無茶に付き合わせて、すまなかった。……ありがとう……」
心臓部分に刻まれていた隷属の呪印が消え、全ての拘束から解放されて死んだ飛竜は、聖騎士の苦しげな言葉にも、もう反応する事はない。
「……苦労をかけたな。……だがお前は……人族である私によく従い……共に戦ってくれた……最後……まで……あのゼルモア……神聖教国……で……」
聖騎士が忠誠を誓うゼルモア神聖教国において、竜は魔物、と蔑まれる存在だった。
悪しき魔物を隷属させ、更に悪しき魔領域の魔物全てを倒す戦道具とする。
そう取り決めた非道な支配者達の下で酷使されながらも、竜は聖騎士に懐き、最後まで共に戦った。
「……妻を娶る気になれなかったのも……当然であろうな。……お前ほど信頼できる女など……この世に存在するはずもなかった……我が最愛の……ウィルジニー……」
そんな竜に命を預け飛ぶ聖騎士もまた、竜に親愛を感じ最後まで信頼しようと思った。
そしてその絆を、聖騎士は竜と共に死ぬ時になって、ようやく確信する事ができた。
「――ぐ! ……っ!」
物音に振り返った聖騎士は、立ち上がる力も無く蹲ったまま、近接攻撃用の槍を構え的に備える。
「……この首……くれてやるに相応しいか……試して……くれるわ……」
聖騎士達と空で死闘を演じ撃墜した敵は恐ろしい飛手であり、聖騎士達の攻撃に対し常に優位を保ち、ほぼ無傷の状態で聖騎士達を撃墜していた。
その飛手が仲間を引き連れ聖騎士の首を取りにきたのかもしれないと思えば、状況は絶望的だ。だが最後の最後まで自分に尽くしてくれた愛竜を思えば、聖騎士はこれが最後になるにしても、無様だけは晒すまいと決意できた。
やがてガサリと音を立てて、防護帽と防護眼鏡を装備し、防寒マントに身を包んだ、小柄な者が岩陰から現れる。
「……っ!! ――貴様、が……飛手、か?」
「……はい。ゼルモア神聖教国、飛竜突撃部隊長クレマン・パラディール卿にあらせられるか」
「……」
――小さい上に随分細い。と、聖騎士クレマンは目の前に現れた相手に内心で驚いた。
種族差というものは確かにあるが、それにしても目の前の人物はどこか線が細く、頼りなげに見えたからだ。
『まさか……子供か?!』
その残酷な想像に一瞬震えたクレマンは、それでも動揺は見せまいと、自分を倒した魔物を見据え、高慢に言い放つ。
「下賤な魔物に、名乗る名など持たんわ!」
「……さようにございますか。ならば私も、名乗りますまい。……御印、いただきにまいりました」
『……ほう?』
そう静かに言い、腰に低く携えていた短剣を胸の高さに構えた小柄な者の態度に、聖騎士は秘かに感心する。
騎士の矜持を踏みにじり強引に名乗らせるでもなく、さりとて下手に臆するわけでもなく、飛手の態度は頼りない体躯が大きく見えるほど、堂々としていた。
覚悟をしている者の姿だ、と理解した聖騎士は、やや口調を改め小柄な者に返す。
「……左様、我が名はクレマン。ここに眠るは、我が愛竜ウィルジニーだ」
「存じ上げております。……素晴らしいファイヤブレスと強靱な翼を持つ、名竜ですね」
「左様。……この乙女は素晴らしい、我が幸運の女神であった。……その名にいささかでも敬意を示してくれるのならば、どうか彼女の遺体だけは晒し者にせず、まともに弔って欲しい」
「お約束しましょう。……仇討ちが終わった後は、御二方共丁重に葬らせていただきます」
「……仇討ち?」
その一言に、クレマンは小柄な者の覚悟を理解する。
「なるほど……私とウィルジニーは、お主の仇か」
「はい」
「誰だ?」
「バジル・アビルトン」
「っ――あの、撃墜王か!!」
「覚えておられましたか」
「当然よ。……くく……なるほど。……どうりで……似た飛び方だと思った……」
クレマンの脳裏に、死闘の末空に投げ出され消えて行った、魔領域空中戦最強の英雄が浮かんだ。
「……なる……ほど。……あの男の攻撃は紙一重で凌いだと思うていたが……ヤツはこれほどの息子に、後事を託していたのか……く……くくく……これは負けた……完敗だ……」
悔しさと、同じくらい強い苦い喜びを感じながらクレマンは笑った。
「……私は、息子ではありません」
「ならば養子……いや、婿か? いずれにしろ貴様は見事バジルの仇を討ち果たした。武人の本懐であろう。男として誇るがいい」
「……」
その言葉に、何故か小柄な者は黙り込み、ヘルメットに指をかける。
「……いいえ」
だがすぐに思い返したのか指を離すと、小柄な者は短剣を構え、クレマンに向き直った。
自分の手首に力が入らなくなっているのを感じ、クレマンは闘志を収めずも、討たれる覚悟を決めた。
「――お覚悟を」
「うむ」
鋭い刃の風切音が短く呻り、短い地上での戦闘が始まる。
「――見事である」
「……」
決着はすぐに着いた。
鎧の隙間を切り裂くようにして肉を抉られ、血が噴き出して己の身体が息絶えるその最後まで、クレマンは目の前の勇士の仇討ちを、静かに見届け続けた。
そして。
「――なんデ、訂正しなかったネ?」
「……わざわざ、末期の武人に恥をかかす事はないだろう。……ご年配の方は、ああいう事は案外気になさるものだしな」
「確かニ、頑固でプライドの高ソウなジジィだったネ」
「ああ。……この老騎士は、最後まで誇り高く戦い、そして命尽きたんだ」
その遺体に跪き一礼した小柄な者は、背後から声をかけてきた相棒にそう答えると立ち上がり、そして叫ぶ。
「――ここにアビルトン家の仇討ちは成された!! 我が勝利により、我父バジルの名誉は回復した!!」
「――おぉおおおおおおおお!!」
「隊長万歳!!」
「我らが隊長万歳!!」
「新たなる撃墜王に栄光あれ!!」
「新たなる撃墜王に!! 闇神シューレの祝福を!!」
空から滑降してくる味方陣営の飛手達が、竜が、歓喜の叫びを上げた。
「……父より受け継いだ我力は魔王軍へ。我忠誠は魔王陛下へ全て捧げん。――我らが魔国の、勝利のために」
「勝利を!!」
「勝利を!!」
「勝利を!!」
「勝利を!!」
「勝利を!!」
皆が因縁の勝利を祝福する。
勝利の知らせはやがて魔王軍へと伝わり、それはやがて、新たな英雄譚となって魔領域へと鳴り響く。
魔王軍を戦勝へと導く英雄群に名を連ねた、空の勇士。
父親の仇討ちを見事果たした、撃墜王の後継者。
「……」
「……お疲レ様、ダネ」
「……ああ。……少し疲れたよ。……はやく戦が終わればいいのに」
「きっとあと少しネ。聖竜騎士達の精神的支柱ダッタ空ノ御大が墜ちタ。もうゼルモアの空軍は、イクラもモタないヨ」
「……そうなら、いいな」
――だが称賛の嵐中でそう呟き、小柄な者は再び空へと飛び立つ。
「……戦の無い大空を自由に、父さんは飛びたがっていたんだ。……沢山の食べ物を積んで、楽しい歌を歌いながらパイプを吹かして……あの子と……一緒に……」
誰に聞かせるためのものではない小柄な者の言葉は、上空で密やかに響き、そして風の音に掻き消された――。




