58 ―過去― とある男女④
―エリーっ、この水変な感じがするよっ。気持ち悪いっ―
―……ありがとうケルピー。……まだ他に、おかしな水はある?―
―えっとねー……―
―ほう……邪悪な水妖精が、子犬も同然に懐いておるのう、エリザベート―
―これは、聖女リュシエンヌ様―
―よいよい、楽にせい。供もつれておらぬからの、そなたが子供の頃のように我を、リュシー小母様と呼んでも大丈夫じゃ―
―そのような、畏れ多い事でございます―
―ほほほ、反感を持つ大勢の高位聖職者達の前で、堂々と傭兵団の有益ぶりを説明しておったそなたが、このような婆を畏れるのか?―
―あれも、内心ではとても恐ろしゅうございました―
―ほっほっほ。なるほどなるほど―
―しかし精がでるのうエリザベート。傭兵団に回す物資は、そうしてそなた自ら管理しておるのか?―
―安全な物資を傭兵団に供給するためですわ。ケルピーに手伝ってもらえば、毒物混入を察知する事ができますので―
―ほう、その半馬半魚の邪妖精には、そんな力もあるのか―
―はい。人を喰らう水魔であるケルピーは、人体と人体が必要とする水分を熟知しております。ですからどのような毒物も、ケルピーは『気持ち悪い水』として、感知する事ができるのです―
―ほほう―
―……と申しましても、特殊な香料や香辛料、身体を酩酊させる酒や麻薬の類も察知してしまいますので、この子が検出してくれた物を、更にわたくしが無害かどうか、成分分析する必要はあるのですが……―
―ほほほ、精微過ぎる力というのは、扱いが難しいものよな―
―人族が思う通りに力を使ってくれないのも、妖精の特徴でございますわ―
―エリーっ、エリーっ、あれっ、あの瓶もヘンな臭いーっ―
―はいはい。……あらケルピー、これは以前もいただいた事がある、東方の地酒よ。確かに、変わった臭いではあるのだけどね―
―しかし、成分分析か……。エリザベート、そなたの薬物の知識は確か、妖精魔法の師から授けられたのであったな―
―はい聖女様。妖精魔法と薬学は切っても切れない関係ですので。妖精は気まぐれでなかなか言うことを聞いてくれないので、妖精達を良い気分にさせたり、逆に嫌がらせたりするために、調合した香料や薬を使うのです―
―なるほどのう。だからこその薬学か―
―魔力だけでは足りない部分を補う知識だと、師匠はわたくしの修学期間、持てる限りの知識を残していって下さいました―
―その知識が今現在、あの若者達を守るために役立っておるのだな―
―はい。……できそこない呼ばわりされても、師匠を呼び妖精魔法を学ばせてくれた事は、親に感謝しておりますわ―
―ほほほ。あれらは、魔法の使い方を知らずに大きな厄災を招いては困る、という言い分ではあったがのう―
―……それでエリザベート……これらから毒物が検出された事は、何度あるのだ?―
―……何度か、とだけお答えさせていだたきますわ聖女様。……より詳細は、お許し下さいませ―
―む……泣き寝入りする気か?―
―いいえ。……これらの『叛意の証拠』は、セージ達の手札となりえますもの―
―……ふっ。なるほど、犯人達を脅したか!―
―おかげさまで、数家の有力者が金ヅル……ではなく素晴らしい協力者となってくださいましたわ―
―ほほほ。汚いものなんか知りませんという顔をして、ドス黒いことよな―
―黒くも汚くもなりましょう。セージを守れるならば、わたくしの評判などどうなっても構いませぬ。……軽蔑なさいますか?―
―なぁに、それでこそ神意などという高慢極まりない旗頭を掲げ、多くの民草の屍の上に神殿国家を築き上げた、業深き神聖家の姫よ。……暗殺にだけは、気を付けるのじゃぞ―
―心得ておりますわ―
―じゃがのうエリザベート、評判が悪くなるどころか、そなたの評判は現在赤丸急上昇中じゃぞ―
―そうですの?―
―うむ。――神聖教国の勇者を支える、神聖国の姫君。としてな―
―勇者……それはセージの事ですか?―
―ああ。セージと仲間の傭兵団に救われた兵卒やその家族達がな、噂しているそうだ。『彼らこそ、この沈みかけたゼルモア神聖教国を救う勇者だ』と―
―……無責任な事を。……セージ達には、この国を救う義務などありませんわ―
―そうじゃな。だが期待され民草に希望を託されてしまうほど、彼らはこの国の力となっている―
―名声が高まる程、この国の支配者階層達からは、恨みと妬みをぶつけられておりますのに―
―そうじゃな―
―……―
―不満そうじゃな、エリザベート―
―どうして満足できましょう。……セージ達に最も助けられているのは、セージ達を蔑む神聖国軍と首脳陣でしょうに。感謝どころか恨むなんて―
―優秀な成り上がり者達に対する支配者階層の反応なんて、どこもそんなものであろう。高貴な者達は成り上がり者を働かせたいが、自分達の地位を脅かされたくないのだ―
―怠惰で甘ったれた思考ですこと―
―まったくじゃな。……大方の連中は、あのセージと仲間の傭兵達ができるだけ活躍した末に、死んでくれるのが一番良いと思っているだろうよ。……少々気の早い者は、実行に移しておるしのう―
―……クズが―
―……エリザベート、そんな言葉を使うようになったのじゃのう―
―あんな連中には相応でございましょう―
―……―
―あんなクズ共に、セージも、セージの仲間達も殺させたりしません。……わたくしは絶対……絶対にセージを……故郷に帰してさしあげるのです―
―……エリザベート―
―……彼は今でも帰りたいはずなんです。……家族の待つ住み慣れた故郷が、彼にとってきっと……一番幸せな場所なんです―
―……そうかもしれんな―
―……ですから聖女様。……わたくしは……大丈夫だと笑って、セージを見送れるようになりたいのです……―
―結ばれる事は、望まんかエリザベート―
―……―
―上層部の中には、それも悪く無い政略と考える者達も出てきておるぞ―
―ふふ。……役立たずのできそこないを、勇者の枷とするのですか。……ですがわたくしはこれ以上、彼の重荷になる気はありません―
―……エリザベート―
―今でも申し訳ないほど助けていただいているのです。……彼を婚姻という呪いで縛りつけた、この国の走狗になど絶対にさせません―
―……神聖家の姫としてではなく、一人の娘としてもか?―
―……考える事ではないと思いますわ。……どう足掻こうと、わたくしの身体に神聖家の血が流れている事実は変わらないのですから―
―……それでもセージの隣に在る今が……とても幸せなのです。……なんて虚しく自分本位な恋を、わたくしはしているのでしょうか……―
―……エリー、ねぇエリー―
―……あ、ケルピー……ごめんなさいね話し込んでしまって。どうしたの? 気持ち悪い水を見つけたの?―
―ううん。――美味しそうな、血の臭いが近づいてくるよ。食べていい?―
―……なんですって?―
―エリザベート姫!! 聖女様もいたのか!!―
―傭兵団長さん?! そんなに傷付いて、どうかなさったのですか?!―
―俺は大丈夫だ。――だが神殿敷地で、セージが襲われて斬られた!―
―え……―
―なんと神殿の中でか?! 傭兵団長、賊は魔族かえ?!―
―……いえ、聖女様。最近入団した傭兵の数人です。どうやらこの国の重鎮の一人に金で抱き込まれて、セージ暗殺を企てたようで……―
―な……なんという……愚かな……っ―
―セージ……―
―とにかく、治療薬と癒術師を頼む! セージを傷つけた刃に毒が塗ってあったみたいで熱が――おっ!!―
―セージ!!―
―行っちまった……あの姫様、あんな風に走れたんだな―
―……虚しくとも自分本位でも……強い恋心なのじゃろうなぁ―
―へ?―
―なんでもないわ。……想い人に必死になれるあの娘が、少々羨ましいだけじゃ―
―……あー聖女様。……バーさん……じゃなく年配の女性に必死で迫られても、セージの病状が悪化しそうなんで、勘弁してやって下さい―
―我がセージに迫りたいとは言うておらんわこの馬鹿者ー!!―
―セージ!!―
―……エリー? ……あはは……格好悪い所……みせちゃったね。……やっぱり、油断してる所を丸腰じゃどうしようもないんだよなぁ……―
―その怪我……―
―ああ……大丈夫。急所は外れたから。……それにジジィが助けてくれたからね。犯人は全員捕まえたし……っ―
―……セージ……セージセージ……っ―
―……エリー……ごめん、また泣かせてしまったね―
―……ごめんなさい……酷い国民が……ごめん……なさい……っ―
―泣かないでエリー。……ちゃんと判ってるから。……そんな人ばかりじゃないって―
―……―
―俺こそごめんな。……君を泣かせない、強い男になろうって思ったのに。……なかなか現実は厳しいよ―
―セージ……―
―……でも、泣かないでくれ。……俺もっと強くなるから。……君が安心して俺の帰りを待てるくらい、強くなってみせるから……愛しているよ、エリー―
―下手人共が、雇い主を吐いたぜ―
―ふーん、聖騎士団副団長……このオッサンに俺、恨み買ったけ?―
―お前の活躍が気に入らないってのは確かだろうが、俺達傭兵団と比べて、采配が悪いとか上に色々言われてたらしいな。このままじゃすげ替えじゃねぇかって噂もあった―
―ふーん。……それなら兵を動かしてる、あんたを狙えばよかったのに―
―おいこらクソガキ。……まぁ、お前は目立つんだろうな。勇者とか言われてるし―
―くっだらない。……くだらないが……許せないなぁ。そいつのせいで、俺はまだ、エリーを泣かせちまった……―
―ねぇねぇっ―
―ん? ……ああ、君はエリーと一緒にいた、水魔のケルピーだっけ?―
―そうだよっ。ねぇねぇお前っ、美味しそうな血の臭いがするっ。食べていいっ?―
―セージ、とりあえずコレ、殺っておくか?―
―いやいや。一応これ、エリーの友達で協力者だから。……水魔か。……なぁケルピー、君って確か、水を操ったりもできるんだっけ?―
―できるよっ。水の力が大きい場所では、オレも大きくなって、水を操って人族を引っ張り込むんだぜっ―
―……へぇ。……水の力が強い所って?―
―決まってるじゃん。――雨降りの下、とかだよっ―
―――ええい忌々しい雨音だ!! 気分が塞いでくるわ!!―
―か、閣下……成り上がり者の暗殺未遂が閣下の仕業だと、神殿内でも噂になっております……どうやら雇った者達が吐いたようで―
―ふん!! だからなんだ!! 下賤な傭兵共の自白などまともな証拠となるものか!!―
―で、ですが風評というものが……最近ではあの成り上がり者を勇者と崇める、愚かな者達も増えておりますし……―
―ああ、あの妖精姫のせいだろう!! 小娘が!! あいつのおかげで物資に毒は仕込めぬし、成り上がり者共は益々でかい顔をするしで最悪だ!! できそこないならできそこないで、隅っこの方で小さくなっていればいいものを!!―
―あ、暗殺を依頼した傭兵達はいかがしましょう。……神殿内の牢屋に繋がれておりますが……―
―これ以上面倒になる前に、さっさと処刑させろ。法務の役人に金を握られせれば容易いだろう―
―……それが……聖女様が公の場での裁判を望んでおられるとの……―
―あの婆もか!!! くそぉ!! ――何もかも忌々しいわ!!―
―ええ、雨音がやかましい!! ――しかし、卑しい者達共が金で転ぶ事は判ったぞ。ふんっ、ならばまだまだ、策は立てられるというものだ―
―ど……どうなさるおつもりで……―
―簡単だ。どんどん金で抱き込んで、あいつらを裏切らせればいい。傭兵に傭兵の世話をする下女、娼婦、医師、鍛冶屋……いくらでも裏切りは生み出せる―
―……―
―いや、いっそあの妖精姫に仕える下女か女官を抱き込んでやったらどうだ? あの小娘は独自に動いているからな。使用人さえ抱き込めば、いくらでも守りが手薄な機会が得られるだろう。……あの小娘を金で雇った傭兵共に襲わせ、それをあの成り上がり者共の仕業とするのはどうだ? ……ふふ……これはいい報復ではないか―
―……さ……さようでございますな……―
―ふははは!! あのクソガキの悔しがる顔が浮かぶわ。全く、我らに使われるために存在する下々出身者の、何が勇者だバカバカしいわ!! あのできそこないの小娘も、卑賤者共に汚されてせいぜい苦しむと良いのだ!! ――いや、一度さらって、最初に犯してやるというのも面白いな。あの済ました顔が歪んで泣き叫ぶのを見物するのも―――
―くそう!! なんだこの雨音は!! 我が屋敷を叩くようではないか!!―
―う、裏手の山側から流れ込む雨量も、相当なものでございましょうな―
―なに、どうという事は無い。なにせこの屋敷は、丈夫な堀と堤壁に囲まれているからな。これがある限り、例え裏山の雪崩が起こっても大丈夫だ―
―さ、さようでございま……か……閣下……揺れ……っ!!―
―っ……な……なんだ……これは……地震――?!!―
―ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!―
―お屋敷が――お屋敷が崩れ――水――がぼぉおお――!!!―
―きゃははっ。ねぇねぇ、食べていい? 食べていいんでしょうこれっ?―
―ああいいよケルピー。食べカスをちゃんと、海に流してくれるならね―
―いいよーっ。また喚んでねーっ―
―……雨の日を狙って、ケルピーを喚んだのかセージ―
―ついでにヘンキーのダンスで緩んだ地盤で地震を起こして、上流からの鉄砲水で、建物が崩壊するようにできた。うん。魔法の制御もかなり精密にこなせるようになってきたな―
―こいつぁひでぇ。……だがたかが妖精魔法で、ここまでできるたぁ誰も思わねぇだろうなぁ……―
―こりゃ、屋敷の住人は全滅か―
―そうだろうね、可哀想に―
―ふん? 可哀想だとは思うのかセージ?―
―そりゃあね。確かあの副団長、妻妾に子供もいたっけ。まだ小さい子供が倒壊する屋敷の中で水魔に喰い殺されるなんて、考えただけでも可哀想だ―
―だが、止めようって気にはならなかったわけか?―
―ならないよ。……言ったろう? オレは生きる事を躊躇わないって。……俺は自分と自分が守りたい人達を守るためなら、誰だって殺すし巻き込むよ―
―……お前だけは、敵に回したくねぇなぁ―
―そうかな? ……この国の支配者階層共もそう思ってくれれば、色々とやりやすくなるかもしれないな……―
―……聞きましたか、聖騎士副団長の……―
―ああ、暴風雨の雪崩れで屋敷が倒壊して……―
―全て土砂と水で押し流され、遺体すら見つからなかったとか……―
―下々は、勇者様を殺そうとした罰が当たったのだと言っております―
―神がお遣わしになった勇者を害そうとした不心得者に、神が天罰をお与えになったのだと―
―天罰……ありえない話ではありませんなぁ……色々と悪い噂もあった方ですし―
―確かに確かに。……そうでなければまさか……―
―……ははは、まさか……そのような力がまさか……―
―あの小僧と姫が使えるのは、役立たずの妖精魔法ではありませんか―
―いくらなんでも、まさか―
―そうでしょうそうでしょう……―
―……でもまさか……―
―……まさか……―
―……まさか……―
―……まさか……―
―……まさか……でも……―
―……そのまさかなら……なんと恐ろしい事よ……逆らうまい―




