52 対戦が始まったが何かがおかしい
『勇者』エルンストは、『引き立て役』がより自身の優秀さを輝かせる事を、幼少期から理解していた。
家に買われていた子供奴隷に、遊び相手として連れて来られた父親の家臣の子弟、共に勉学や剣術を学んだ兄弟弟子。
関わる子供達の中でも一際みじめな者を選びそれを側に置く事で、エルンストは元々自信があった自分の力をより鮮明に引き立たせ、それを見る周囲も、エルンストを褒めそやした。
―エルンスト様は、なんと優秀なのでしょう―
―それに比べて……の、なんと愚鈍な事か―
―足手まといにも優しくなさるなんて、若様は心根も立派ですのね―
エルンストにとって側に置く同世代の男は全て、弱く愚鈍な役立たずでなければならなかった。
そしてその引き立て役のみじめさと、手を差し伸べるエルンストの慈悲深さをより周囲に知らしめるためにも、引き立て役は無様な姿を晒して泣きわめかねばならなかった。
―お前雑用の一人だな、名前は?―
―……ザイツ―
だから腕試しの迷宮探索の雑用として雇ったザイツに、エルンストはひたすら苛立ちをつのらせた。
その頃のザイツは小柄で非力な、表情に乏しい愚鈍そうな子供だった。
大した役にも立たないだろうと思ったエルンストは、ザイツはその時の引き立てとする事に決め、さっさとザイツが無様な姿をさらすよう、あれこれと影から仕掛けた。
だがエルンストに邪魔をされるザイツは、それに全く堪えた様子もなく、淡々と仕事をこなした。
エルンストに荷物をぶちまけられれば素早く拾って集団に追い付き、焚き火を蹴り消されれば、用意していたのか枯葉で再び火を起こし、鍛錬という名の暴行でエルンストに打ち据えられても、決定的な怪我は避けて逃げおおせる。
―エルンスト様に稽古をつけていただいたのか? ……大丈夫かザイツ?―
―……ああ―
雑用仲間に心配されても、文句も言わず顔色一つ変えないザイツに、エルンストは益々苛立った。
エルンストが中心の世界で、引き立て役が有能など、あってはならない事だった。
その、あってはならない余裕の態度を見せるザイツを、エルンストは嫌悪し目障りなものと認識した。
だからこそ。
―ああ、じゃあそいつを置いて行けば時間を稼げるんじゃないか―
―どうせ使えない下働きだし、いいよな―
―おいザイツ、生きて帰ってきたら、特別報奨をやるよ―
その日エルンストは、躊躇無くザイツを見捨てた。
罪悪感などまるで感じなかった。
それどころかエルンストは、魔物の群れの中に捨てていくと告げられたザイツが、普段の余裕ぶった態度をかなぐり捨て、助けてくれ、置いて行かないでくれと泣きわめきながら這いつくばる姿を期待し、残酷な愉悦すら感じていた。
――だが。
―……判った―
そんなエルンストの前で、ザイツは怯えるでも怒るでも無く、自分が背負っていた荷物を仲間の雑用に渡すと、腰に差していた短剣を引き抜き背を向けた。
―集合場所は、変わらないな―
絶望的な状況にも変わる事の無いザイツの冷静な声と態度に、エルンストはまるで自分が馬鹿にされたような屈辱を覚え、怒りを増した。
お前の邪魔なんて大した事はない。
お前なんて大したヤツじゃない。
お前なんかに、俺は殺されない。
ザイツの態度からそんな幻聴を聞き取ったエルンストは、まだ子供のザイツにあまりにも無慈悲だと止める護衛達に命令を下し、ザイツ一人を残してその場から退却した。
『――下等な役立たずが余裕ぶりやがって!! 死ね!! この世から消えろ!!』
逃げるため必死に足を動かしながらエルンストは、自分を不快にさせるザイツを呪い、そしてザイツが自分の世界から消える事を、心から喜んでいた――。
――なお、ザイツが冷静な無表情だったのは、単にそのように見える平坦な顔のせいであり。
怒ったり泣きわめいたりしなかったのは、体力を温存するためであり。
不遜に見えるほど口数が少なかったのも、敬語が使えないため必要最低限の事しか話していなかったから。
――という当時の事情を、エルンストは勿論知らない。
『この俺が引き立て役としたお前ごときが――あんな美人と仲良く口をきくなんて、絶対に許さない!! 美女の前で叩きのめして、お前がどれほど無能なのかを、あの美女に見せつけてやる!!』
知らぬまま狭い自分の世界の中心で、エルンストは理不尽な怒りと憎悪をザイツへと向け――そして自分をすげなく拒絶した、白金の髪と黒肌の美女に対する嫉妬を燃やすのだった。
――そしてその一方。
「……ほんとうにやんのか、おっさん?」
「お~♪ ……こうやって腕試しするためだけに準備するってのは、なんだか久しぶりだなぁ~。平和な頃を思いだすぜ~♪」
闘技場の控え室隅にぐったりと寄りかかるザイツは、長椅子に腰掛けて楽しそうに拳に布を巻き、更にその上から丈夫な皮ブローブで防護しているハウルグ相手にぼやいていた。
「ってか、なんで俺まで……」
「ぼやくなぼやくなってぇ。こっちの賭け金は金貨一枚だってのに、勇者サマはヒュドラ討伐の報奨金全額賭けるって言ってんだぜぇ? 勝ったら大儲けじゃねぇか」
「それも理解できないし……」
バカバカしい条件に、ザイツは頭を抱えたくなる。
よほど戦いたいのか、エルンストは勝負に大金を賭けてきた。更にこれは一方的なものであり、ザイツ達が提示した賭け金の額はそのままでいいという了承込みだ。
「リスクの少ない一攫千金チャンス、いいじゃねぇか。あの坊ちゃん、お前の事、よっぽど『美女』の前で叩きのめしたいんだろうなぁ。あははは~」
「なんなんだ王侯貴族のお坊ちゃまってのは? 好みの美女には、自分の強さをアピールしなきゃならないって教えでもあんのか?」
「当たらずとも遠からずかもなぁ。……もっともあの勇者サマは、それだけじゃねぇよな?」
「……」
なんとも言えない渋顔になって、ザイツはこめかみを押さえる。
自分をエルンストが(多分に勘違いしつつ)嫌悪している、という事はなんとなく理解できた。
「――だがだからって、あいつの憎悪にわざわざ付き合ってやる義理は、俺には無いはずだよな?」
「そ~だな~♪ でもおっさんのために、付き合ってもらうぜ~ザイツ~♪」
「……確かに、あんたは戦いたかったんだろうが……なんていうか……すごく楽しそうだよな、おっさん?」
「ん? そう見えるかぁ?」
見えるよ。とニヤニヤ笑うハウルグに返して、ザイツはため息をつく。
正直に言えば、こんな面倒事には付き合いたくなかった。――無かったが、力勝負では勝てないハウルグに引き摺られ、強引に連れて来られた。
そして単に対戦者が決まったというだけでなく、ハウルグが対エルンスト戦を非常に喜んでいるらしいと、その雰囲気からザイツは察してた。
「なんでそんなに、あいつと戦いたいんだ?」
「ん~? お前さんがイジメられたから、仇討ちでもしてやろう――とか、俺が思ってるようにでも見えるか?」
「それは見えない」
正解だ、と肩を揺らしハウルグは返す。
「騎士が守るのは主筋と、弱い者達だ。……一緒に殿下の護衛やってるお前が、弱者じゃ困るぜ」
「悪かったな」
魔王軍の特別編成部隊を難無く叩き伏せたフェンリル状態のハウルグを思い出し、ザイツは小さく吐き捨てる。どう足掻いても、ザイツにそこまでの力は無い。
「おいおい、勘違いするなって。弱者じゃ困るって言ってるだけで、お前さんが弱いとは、俺は一言も言ってないぞ?」
「自分の力量くらい判ってるさ」
「へぇ、そうかねぇ?」
呆れたようにそう言うと、ハウルグは皮グローブを装着した両手を軽く叩いて立ち上がり、その場で軽快な風斬音を立てて、数発の突きと蹴りを繰り出した。
「――よっし。随分鈍くなっちまってるが、動くことは動くな」
「……どこがだよ」
ザイツが羨ましくなるほど、その動きは無駄なく鋭い。
しばらく動いた後、確認を終え動きを止めたハウルグはザイツへと視線を向け、その仏頂面に苦笑して言う。
「なぁザイツ、俺が楽しみなのは……そりゃあ強敵を期待してるからだぜ」
「……そうか。そんなにエルンストは強くなってるのか」
ザイツはヒュドラ討伐の勇者として、立派な装備を身につけ立っていたエルンストを思い出した。
だがそんなザイツに、更にハウルグは笑って続ける。
「――本当に、そう思うか?」
「……というと?」
「あの坊ちゃんが本当に強敵に見えたのか、お前さんの意見を聞きたいね」
「……」
ザイツは僅かに眉根を寄せて、首を振る。
「……俺の意見なんて、あんたには関係ないだろう」
「そうだなぁ、お前さんがどう見ようと、俺の判断は変わらねぇし」
「……」
「お前さんの意見が必要なのは、お前さん自身さ。……これから戦う相手を、自分がどう捉えているのか、ちゃんと把握してるか?」
「……俺なんていてもいなくても変わらない、単なるおまけだろう? 戦いたいのはあんただ。俺は隅っこで大人しくしているから、存分にやるといいさ」
返しながら、ザイツはふて腐れている、自分の言葉に気付き呆れる。
『……魔王の騎士に認められたエルンストを妬んでるのか? ……馬鹿だな』
「俺にあの坊ちゃんが認められたと思って、妬んでるのか? 馬鹿だなぁ~」
「――はっ? フェンリル族は人の心が読めるのかよ?」
「そんな力ねぇよ。――まぁあったとしても、今の俺はただの人間だが。……なぁ、ザイツよ」
「――ぐっ?」
ザイツが眼前に風を感じた次の瞬間、ザイツの眉間には、ハウルグが手にした、控え室のモップの柄が突きつけられていた。
殴られたような風圧に、ザイツは強い痛みを感じ呻く。
「うーん。強度が不安だし、棒術はやめとくかねぇ」
「……何すんだよ、おっさん?」
「なに、喝入れさ。……言ったろう、俺が守るのは主筋と弱い者だって。……俺はお前を守らねぇぞザイツ」
「……」
「あの坊ちゃんが叩き潰しにかかってんのは、お前だ。ならそれを跳ね返すのも、お前の役目だろう。――男なら、てめぇの誇りくらいてめぇで守ってみろ」
どこか楽しげな声でそう言うと、ハウルグは突きつけていたモップ柄をザイツから離した。
「……騎士サマの、魔獣サマの、強者サマの言い分だな」
「当然だろう。俺は魔王陛下の騎士で、フェンリル族で、強者だぜ。……そしてお前は、魔王女殿下の護衛だ。――俺同様、『見栄』は張ってもらわなきゃならねぇ」
「……はっ、無茶を言いやがる」
――高慢な言い分に、腹立ちと同時に愉快なものを感じながら、ザイツは思わず笑ってしまう。
『……だがハウルグの言う通りだ。……姫の護衛が……自分の『敵』くらい、自分でなんとかできなくてどうする。……俺が姫を、トラブルに巻き込んでどうする。……今の俺は、そういう仕事をしてんだろうが』
ハウルグの言葉は、ザイツに自分の役目を思い出させた。
そんなザイツを見ていたハウルグは、やがて満足そうに頷き、クルクルとモップを回して言う。
「よしよし、ちったぁマシな顔になったな。――それじゃあ、あの坊ちゃんの相手は任せるぜザイツ」
「ああ。……あれ?」
そのまま道具置き場にモップを放り込むハウルグに頷こうとしたザイツは――だが何かがおかしい事に気付いて、首を傾げる。
「……おっさん、あんたは強者との戦いを期待してる……んだよな?」
「そうだな♪」
「……その強者のエルンストと俺が戦っちまったら……あんたは何と戦うんだ?」
まさか二対一でなければ勝てないほど、エルンストが強いと思っているのか?
そんな疑問を込めて見返すザイツに、道具置き場の扉を閉めながら、ハウルグはニヤリと笑い返す。
「それはその時がくれば判る。――ってー訳で、決闘最初の方だけは、大人しくしててくれな、相棒♪」
「……え?」
ちょっと『仕込む』からよ~♪ と悪い顔で言うハウルグが何を考えているのか、その時のザイツには判らなかった。
――そして判った時、ザイツはハウルグの悪企みに呆れた。
「ふぇええ?!! あ……あれぇええええ?!!」
大興奮で歓声とヤジを飛ばす観客達に囲まれた闘技場で、審判となった受付嬢が驚き慌てふためく。
「は――離せ!! 俺の頭から――足をどけろこのクソ野郎ぉおおおおおお!!」
決闘開始僅か数秒で、砂で覆われた闘技場の足場に叩き伏せられ、頭をハウルグに踏みつけられているエルンストが暴れながら怒声を上げる。
――だがエルンストを捕らえるハウルグの足は、ビクともしない。
「――おう、てめぇら。――てめぇらだよ。――この坊ちゃんの、護衛三人」
そして闘技場中央で悠然と立つハウルグは、ゆっくりと片手を上げ。
――やがて決闘を観戦する一団を指差し、挑発するように言った。
「―― 一目で判ったぜ。てめぇらはこの場の誰よりも強ぇ。ゾクゾクするほどの戦士だ。――だから俺と戦え。――さもなきゃ、このままてめぇらの雇い主であるこの坊ちゃんは、頭を踏み潰されて死ぬ」
そのために、こんな素人丸出し坊ちゃんの挑戦を受けたんだ。
そう続けるハウルグに怒り更に暴れたエルンストが、もう一度強く踏みつけられた。
ぐぇ、という潰れた声は色男には似合わない、と、ハウルグ達から少し離れた場所に立つザイツは、どこか現実逃避気味に思う。
「こんなつまらねぇ坊ちゃん相手で、満足できるわけねぇだろう!! 三人一緒で構わねぇ!! ――俺と戦え人族の強者!!」
誰もが予想もしない展開に、そして色男勇者の無様な様子に、観客席は湧いた。
その片隅に立つエルンストの護衛達は、冷静な目をハウルグに向け、そして雇い主であるエルンストを見た。
「う……ぐ……っ!!」
ハウルグの足の下で、血涙でも流しかねない表情で、エルンストは歯ぎしりする。
『目を付けた相手を引っ張り出すために、『勇者』エルンストを人質にする……だと?』
そんな事が簡単にできると考えたハウルグの自信に、ザイツは呆れる他無い。
そして呆れ――自分では到底できないと思いながら、ザイツは油断無く構え、次に備える。
自己愛が強いエルンストは、例えどんな手を使ってもこんな屈辱を許したりしない。
そして決闘場の対戦形態は、有利不利の区別無く、両者の合意によって成り立つ。――ならば。
「――許可する!! 今すぐ俺を足蹴にしたこいつを殺せ!! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ命令だぁ!!」
「――って感じで、勇者エルンストサマから了解は出たぜぇ審判の姉ちゃん。……さぁ、あんたが許可すれば、この決闘は成立だ」
「ふえぇええ?!! なんですぅこの異常事態はぁああ?!! あたしは安定した仕事と収入が欲しかっただけですのにぃいいっ!!! だからパパのコネで冒険者ギルドに就職しただけですのにぃいいい!!!」
オロオロと慌てる若い受付嬢が、助けを求めるようにザイツを見るが、ザイツは黙って首を振り、保護水晶を顎で差した。
泣きそうになる受付嬢は、だが泣いてもどうしようもないとようやく理解したのか、やがて悲鳴のような声を上げ、審判として宣誓した。
「っ……ううううう!!! わかりましたよぉ!! やればいいんでしょう!! やればぁ!! ――決闘の加勢を認めます!! ――勇者エルンスト様の護衛三名は、保護水晶に承認され次第、決闘場への参戦が可能です!!」
決闘場が震えるような大歓声が、観客席から上がった。
そして新たに増やされた保護水晶三つを、使用可能にする魔力が込められるその短い猶予時間。
観客席にいた護衛達は、音も無く柵を跳び越えて闘技場敷地内へと足を踏み入れ、それぞれの得物を抜き戦闘開始に備える。
「――そういう訳で、だ。俺は俺の戦いをするから、お前さんはお前さんで、きっちりと戦えよザイツ。よろしくな~♪」
「ザイツっ――ザイツ貴様!! 貴様下等な役立たずのくせに俺を見下ろしてるな!! 許さない!! 殺す!! 殺してやるチクショウ!! 死ね!! 死ね死ね死ね死ねぇえええ!!!」
「…………」
思い通りになって上機嫌のハウルグと、そのハウルグの足の下で怒り狂うエルンストを少し離れた場所で見ていたザイツは、剣を握り直しながら小さく息を吐き、そして内心で泣き言を漏らした。
――とんでもない事になった、と。
ザイツvsエルンスト、ハウルグvsエルンストの護衛×3で、変則バトル開始。




