16 夜市に行くが何かがおかしい③
―数十分後―
「――はい満タン~、ほら大丈夫だったでしょ~ザイツ君~……ちっ」
「舌打ちすんな……う……完全に魔力切れだ……目眩する……」
術行使の冷却時間を休憩時間にしながら魔法を使い続け、意識をなんとか保ちながら、ザイツはユーイの要求通りユーイの手の中の水晶を自分の魔力で満たす事に成功した。
「あら大丈夫ぅ~? 一休みしていっていいのよ~? ほらこの寝袋とか、気持ちよさそうでしょ~?」
「外から逃げられないように鍵かけられるとか!! ソレどうみても拘束衣だろうが!! 誰が入るか!!」
「ちっ、ばれたかぁ~」
「もはや隠す気もねぇのな!!」
扱う商品の品質以外信用できない女の手から離れ、ザイツは手に入れた呪札を懐にしまいながら叫ぶ。
魔力が宿る輝く水晶を箱に収めたユーイは、そんなザイツを見てしばらく楽しそうに笑っていたが、やがて思わせぶりな表情になってザイツに声をかけてきた。
「ねぇ~、ザイツくぅ~ん?」
「……なんだよ?」
「ふふふ恋人ごっこ~♪ ただ呼んだだけ~♪」
「そうか。じゃあな」
「あぁん待ってぇ~っ。ザイツ君って死んだ息子に似てるからぁ~、ついからかいたくなっちゃうのよぉ~♪」
「昔お前、『死んだ弟に似てる』とか言ってなかったか?」
「あれぇ~? そ~だったかぁ~? じゃあ弟~♪」
「おい、適当だな」
「ちなみにねぇ~、ちょっと気になる殿方には、『死んだ恋人に似てる』って言うの~。好みですぅ~♪ ってアピールねぇ~うふふ~♪ ザイツ君はぁ~♪ あと十年くらいイイ感じに老けたら本当に好みかもぉ~?」
「……そうか、じゃあな」
せっかちな男は格好悪いわよぉ~、と相変わらず間延びした声で言うと、馬車の布幕を開き出ようとするザイツに、ユーイは続けた。
「……ふふ、それで結局マントはどうするのかなぁ~?」
「どうって……ここに無いなら他の店探すよ」
鬱陶しく思いながらつい返してしまうザイツに、ユーイは本当に弟へ向けるような表情で言い聞かせる。
「無駄足だと思うわよ~? 転売目的で見て回ったけど、今日の夜市、本当に大したもの無かったもん。そこそこ良い性能のものは、か~な~り~売り子がふっかけてたしぃ~」
「……本当か?」
「だからあたしぃ~、商売絡みで嘘はつかないわよ~」
確かに今まで、それだけは本当だったと思いながら、ザイツは諦めたようにため息をついた。
「……それじゃあ仕方が無い。どこかで良いものを見つけるまで、このマント使う」
「ボロボロじゃない~。……汚れて刺繍も千切れて、そこに宿っていた祝福も消えてしまってるわよぉ~?」
「そうなっちまったもんは仕方がねぇよ」
ユーイの目が、僅かに細められる。
「……お姫様に新しいモノを買ってもらったらぁ~?」
「なんだよそれ?」
「だってぇ……そのマントがボロボロになったのって、決闘の原因になったお姫様のせいなんでしょう~? あっちはすっごいお金持ちなんだしぃ~、マントの一枚くらい弁償してくれるんじゃないかしらぁ~?」
「……そんな義務は、依頼人にはねぇよ」
先程キョウが差し出して来たエルフの織布を思い出し、ザイツはやや不機嫌になってユーイに吐き捨てた。
「『あんたの依頼を遂行したら、装備がダメになったから弁償しろ』――なんて、タチの悪い冒険者崩れの恐喝常套句じゃねぇか。そんな事依頼人に言ったなんてギルドに知られたら、俺が処罰されちまう」
「そんなの、上手く言えば大丈夫よぅ~」
「大丈夫じゃねぇ。……やっぱり受け取れねぇよ、そんなん」
「……ふぅん?」
「……だからなんだよ?」
「もしかして、お姫様弁償しようとしたの? それで断ったの?」
「……」
「ふぅう~ん?」
ユーイは興味深げにザイツを見つめ、そしてにやりと笑った。
「お姫様には誠実なんだぁ~ザイツ君?」
「な、なんでそんな話になるんだよっ!?」
「だってザイツ君、それってお姫様の権力やお金が目的じゃなくてぇ……お姫様自身のために戦ったって事でしょ~?」
とんでもない誤解をされ、ザイツは耳が熱くなる。
「違うっ!! 戦ったのは単なる成り行きってヤツだ!!」
「ねぇねぇ~、魔王女様ってザイツ君から見てどんなコに感じた? 美人? 可愛い? 優しい? それともイイ身体してるぅ~?」
「アホか!!」
勝手な事を言うユーイに呆れながら、ザイツは掴んだ布幕を投げ捨てるように開き怒鳴る。
「あぁん、帰っちゃうのぉ~?」
「これ以上付き合ってられるか!! 本当にそんなんじゃないからな!!」
「そうなの~?」
「当たり前だろ!! いくら話し易いったって、魔王の娘だぞ!! 変な事考えたら殺されるような女なんか冗談じゃねぇよ!!」
「ふむふむぅ、ザイツ君には、魔王女様は話し易い気さくな可愛いタイプに見えたのねぇ?」
「おい?!! 勝手に捏造するなよ!! 誰が可愛いとか言ったよ?!!」
「あらぁ……可愛くないの?」
「えっ」
「全然可愛くないの? ブスなの? デブなの? ガリなの? 美人って言うのはただの噂で本人は気の毒になるくらいお顔が不自由なお姫様なのぉ~?」
「そんなわけねぇだろ!! 可愛いよ!! 美人な上に表情とか言動とか何かがおかしくてもすげー可愛くて、危なっかしくてほっとけねぇタイプだよ!!」
「……あら」
気が付けば、ザイツは聞かれてもいないような事まで力説していた。
慌てて付け足す。
「っ……きゃ、客観的に見てな!! 俺がそう思ったんじゃなくて!! 誰だってそう思うだろうって事だ!!」
「……ザイツ君もお年頃になったのねぇ……おねーさん感動だわぁ~」
「ちち違うつってんだろーが!! ユーイ!! 変な事言いふらしたら、お前の店で二度と買い物しないからな!! 魔力売らないからな!!」
「言いふらしたりなんかしないわよぉ~……恋も知らずに死んだ弟の代わりに、楽しい青春を満喫してねぇ~ザイツ君~♪♪」
「それはもういいっての!!」
「ふふふ……」
長い袖で口元を覆うようにして、ユーイは細い目を更に細めて楽しげに笑う。そんなユーイの柔らかい物腰に艶めかしい女らしさを感じ、それを美しいと思ってしまった自分に後悔しながら、ザイツはそっぽを向いた。
「……本当に、もう帰るからな」
くすくすと甘やかな声をたてて笑う女は、それには応えず一人言のように涼やかな声を紡ぐ。
「……魔王家の正嫡、クローディ・アヌファス・ルブラン・ノーア・フォン・ウィッヒ・ヴィラド・ティレンツァイザード・ミスクリフォン・アーデルベルヒム殿下」
「――え?」
「美しく聡明で強大な魔力を持ち、同じ魔族は勿論、魔の領域ですら見下されている下等な魔獣民達にも慈愛に満ちた態度を崩さない気高い第一魔王女だが……その反面大の人族嫌いで、立場上口には出さなくても、人族領域と共存路線を取っている魔王の考え方には、明らかな不満を持っている様子だった」
「……は?」
「……って、言ってた。……ねぇザイツ君、あたしの客ってぇ、魔族のかなり身分の高い男もいるって言ったら、信じるぅ~?」
「……信じるかよ、ばか」
突拍子も無い事を言われ、思わず苦笑したザイツは肩を竦めて言い返す。
「きっとそいつはお前の気を引きたくて、見た事もない姫を好き勝手言ったんだぜユーイ。ガセ掴まされるなよ」
「あらぁ、そう思うのぉ~?」
「ああ、少なくとも『大の人族嫌い』なんてのは嘘っぱちだ。……姫は人族の領域も人族も嫌ってねぇよ。そんなのは見てれば判る」
ザイツはジルベルトを救った後ザイツの無事に心底ほっとしたように涙目で微笑んだキョウや、目を輝かせながらシュネイの街を周り、店の店員達に商品の詳細を尋ねているキョウを思い出し苦笑を深めた。
そんなザイツを細い目で見つめ、ユーイは言う。
「……女は装う生き物よぉ~?」
「え?」
「感情も本音も笑顔と媚態で包み隠して、仇の褥に侍る事だってできるのが女という生き物ぉ~」
「……なんだよ?」
「……魔王女殿下が君を騙しているとか……考えないのぉザイツ君~?」
「……はぁ?」
想像もしなかった言葉に、ザイツは思わずユーイを凝視する。
「それは……本当は人間嫌いだけど、そうじゃない風を装っているって事か? ……だとしても、別にどうもしねぇよ。腹の中がどうだろうと、友好的な態度で人領域を回ってくれるなら、トラブルが少なくてすむだろうし」
多少寂しいものを感じながらもそう返すザイツに、ユーイは肩を揺らして更に言う。
「ふふ……それじゃあ魔王女の目的が、君だったらぁ~? ……君を騙して誑かしてぇ~、か弱い女の顔してぇ~、君がなんでも言う事を聞く手駒になるように仕向けていたらぁ~?」
ザイツは今度こそ呆れて返す。
「あのなぁ……誑かして手駒にするなら、それこそ俺なんかより、利用価値の高そうなジルベルト王子様みてーなお偉い色男を選ぶだろうよ。お姫様が俺なんか騙したって、何の得にもなりゃしねぇよ?」
「……そうかしらねぇ?」
「え? そうだろうが」
「……本当に、そうかしらねぇ……」
ため息混じりのザイツの言葉に、何故かユーイは思わせぶりに念を押し、ザイツを見上げた。
「――と――とにかく、帰るから……わっ?!!」
その目に居心地の悪さを覚え、今度こそ開いた布幕から出ようとしたザイツは、突然ユーイが投げた物が顔にぶつかりそうになり、咄嗟にそれを手で取った。
「な、なんだ――?」
「ふふふ、サービスぅ~。というかぁ~、色が気に入らないからあげるぅ~。……それがあれば、ザイツ君の嫌いなトラブルの類はぁ~少しは減ると思うわぁ~」
それが何か尋ねる前にそう言うと、ユーイは背後の箱に寄りかかった。
「これは……『まやかし』の……か? ユーイ?」
そして手にした物を確かめているザイツに応えず、勝手な言葉をかける。
「彼女が偽ってないのなら……魔王女殿下が四年前から変わってしまった、という噂の方が本当だったのかしらねぇ~?」
「おい、ユーイ? ……四年前?」
「……四年前からまるで人が変わられた……まるで別人のように大人しく気弱になってしまった、あれではただの小娘だと、魔領域の上流階級ではまことしやかに囁かれているんだってぇ~。……娘を深く愛する魔王陛下の手前、表だってそんな事を言ったりはできないけどねぇ~」
「……」
そう呟いたユーイは、背を向けたまま話を聞くザイツに、珍しく真面目な声を聞かせる。
「……彼女が偽ってないと思うなら……なおさら注意なさい」
「注意?」
「権力者の変化は良かれ悪かれ、それを利用しようとする者達を生み出す。……そんな連中がまず邪魔に思うのは、権力者の周囲にいる者達よ」
「……」
忠告めいたユーイの言葉にどう応えて良いか判らず沈黙したザイツは、そのまま帰るのもどうかと思い、先程ユーイもらった物をヒラヒラと振り返した。
「変わった云々ってのは良く判らねぇが……一応忠告と、コレはもらっとく」
「ふふふ……そう~?」
「まぁその……ありがとうな。それじゃ」
「またね~。闇市で赤布の幌馬車を見つけたら、また寄って行ってぇ~♪」
また間延びした口調に戻ったユーイに手を振られ、相変わらずバトルアックスの手入れをしているユーイの用心棒に挨拶をして、ザイツは幌馬車から離れた。
『……しかし……俺を騙してるかもしれないだの……以前とは人が変わってるだの……いきなり言われても……』
そして再び露店と客がひしめき合う雑踏の中を歩きながら、ザイツはぼんやりと先程のユーイとのやりとりを考え、そしてキョウを思い出す。
『……判るわけねぇよな。……嘘かどうか判断できるほど……俺はあの姫を知らないしな』
明るく好奇心旺盛で、それでいてどこか自信なさげで何かがおかしい。――そんなキョウが本物のキョウなのか、考えてみたザイツは、当たり前の事に気付き首を振った。
『バカラスの思い出のキョウ姫は、確かに今とはだいぶ違ってたけど……それも子供の頃の思い出だしなぁ。大きくなればそりゃ変わるだろう。……どちらにしろ、俺はもう依頼を受けちまったんだ。……今の彼女が本物でも、人領域用の作った姿だったとしても、俺は仕事をこなすだけだ……』
そんな事を思い歩いていたザイツは、だがボロボロになったマントの端が雑踏の中で何かにひっかかり、少しだけそれにひっぱられる。
『……ああ……でも』
――その感触で思い出したキョウは、突然乱入してきたジルベルト王子を怖がり、行かないでくれと泣きそうな顔でザイツのマントにしがみついていた。
『……あの姿が嘘だったら……俺は本当に、バカみたいだよなぁ……いや、別に……何だろうと仕事をこなすだけなんだけどな……』
胸の奥で感じた小さな痛みに顔をしかめ、それを忘れるように首を振って、ザイツは帰り方向に向かって早足で歩く。
「――だからなぁねえちゃん!! 顔見せるだけでええと言うとるじゃろうが!!」
「い……いえ……あの……その……っ」
「――?!!」
――その耳に、不機嫌そうな男の野太い声と、怯えた若い娘の声が飛び込んでくる。
『あの声――やっぱり空耳じゃなかったのか?!!』
弾かれたように顔を上げたザイツは、雑踏を走り声の方向へと走る。
やがて辿り着いた、人だかりになった路地の一角には、大勢のならず者風の男達に、誰かが囲まれている。
「まさか本当に?!! ――キョウひ――」
――め、と呼ぼうとしたザイツは、目の前に映った人物に、思わず声を失い人だかりの中に一旦停止してしまう。
「あ……あの……私は本当に……怪しい者じゃないんです……」
ザイツが知るキョウ姫の声を声を発している若い娘は――何故かMマークが入ったパンの袋を頭から被っていた。
『……あれってマーカスの店のパン袋? ……え? ……どういう事? ……なんで姫がパン袋? ……というかあれは本当に姫なのか?』
一瞬目の前の人物を疑ったザイツの前で、パン袋娘を囲んだ男達の親玉らしい強面の中年男は困ったように頭を掻き怒鳴るように言う。
「だからなぁ!! ワシゃ不正を増長する、闇市での顔隠しは御法度だと言っとるだけなんじゃねえちゃん!! そんな恰好してたら、難癖つけられるんじゃ!!」
どうやら中年男は、闇市の主催側の人間らしかった。壁際に追い詰められているパン袋娘は、震える声で返す。
「……い……いえ……人を……捜してるだけなんです……それで……声をかけてくる人が……ちょっと怖くて……それで……ど……どこにいるの……」
――ザイツさん。
そう小さな声で呼ばれたのを、ザイツは確かに聞いた。
『……あ……姫だ』
キョウが自分が知っているままのキョウだった事に気付いたザイツは――ふと肩の力が脱けるような安堵を覚えた。
「――待ってくれ!! 俺の連れだ!! 勘弁してやってくれ!!」
「あぁ?!!」
「――ザイツさん?!!」
根拠など何も無い、単なる感情の問題だったが、それでもキョウが自分の知らない場所でもやはりキョウだった事は、ザイツを安心させた。
「ザイツさん!! よかった会えた!! すみません勝手に追いかけて来て!! でも早く言いたい事があってそれで!!」
「ああ判った、判ったから」
いつもの慌てたようなキョウの声に苦笑しながら、ザイツはキョウの前に出ると、油断なく中年男に対峙し言った。
「本当にすまない。彼女は夜市に来た事が無かったんだ、すぐ連れて帰るから勘弁してやってくれ」
「坊主……お前このねえちゃんの連れか?」
「……ああ、そうだ」
中年男の凶悪な目付きで睨まれ、ザイツは内心で恐怖を握りつぶしながらキョウを庇う。
魔力は殆ど使い切ってしまっているが、いざとなったら精神崩壊しかかってでもヘンキーを呼び、大地震で場を混乱させているうちにキョウを逃がすと決心する。――それを嫌だと思いながらも我慢できる程度には、ザイツは今悪くない気分だった。
「……坊主」
そんなザイツとパン袋娘を交互に睨んだ強面の中年男は。
「――だったらちゃんとねえちゃんをエスコートしちゃらんかいぃいい!!!」
「俺のせい?!!」
「じゃかぁしいわぁ!! ええチチしとるねえちゃんをないがしろにするクソガキは許さぁああん!!!」
「どこ見てるんですか?!」
凶悪な顔に殺気を滲ませながら、ザイツに怒った。
「全く、今日日のガキはねえちゃんの有難味がちっとも判ってないのう!!! どうせ『可愛いねえちゃんに冷たくする俺カッコイイ』だとか一人で恰好つけて、さっさと先を進んでしまったんじゃろが!! そうじゃろうが!!」
「そ、そんなんじゃねぇよ!! ……そもそも連れて来るつもりじゃなかったんだしな」
「ご……ごめんなさい……でも……どうしても早く言わなきゃって……」
パン袋が揺れ、白銀の長い髪を滑り落としながら、キョウの素顔が現れた。
中年男とその手下を含め、突然パン袋の中から現れた美女に周囲は息を飲むが、ザイツはその顔が作る、困ったような泣きそうな表情に安心を覚え笑えてくる。
「……何もなかったようで本当によかった」
「あ、声はかけられましたけど、逃げましたから。それで顔を隠せばヘンな女と思われて大丈夫かと」
「バカ。……そこのオッサンは別に変なことを言ってなかったが、ここにはスリやかっぱらい、それに女に悪さしようとするヤツも山ほど来るんだ。……あんたがここまで無事だったのは、本当に運がよかったんだぞ」
「……はい」
素直に頷くキョウの手を掴み、ザイツは人混みを駆け出す。
「帰るぞ」
「は、はいっ」
「て……天女様じゃ……天女様をワシゃ見たぞぉおおおっ」
「親分……相変わらずロマンチックですねぇ」
「しかたねぇ。親分は夢見がちな女好きだからよ」
「しかし……本当にいい女だったなぁ……何者だぁ?」
幸い強面の中年男と手下達は、本当にキョウをどうこうしようと思っていた訳ではなかったらしく、キョウの素顔を見ても追ってくるような事はなかった。
「うわっ?!」
「気を付けろ!! あぶねぇだろうが!!」
「悪い!! 急いでいるんだ!!」
「ご、ごめんなさいですーっ」
巨大な一個の障害物のようにゆっくりと動く人混みを抜け、時々ぶつかりながら更に駆け、やがて裏路地の終点である細道のぬけて、シュネイの静かな表通りに出る。
「……にうー」
「……みぃー」
「……にゃー」
――その様子を物陰で――正確には物陰の、キョウを凶悪な方法で襲おうとした、今は気絶している悪党達の上に乗っかって見ていた小さな黒猫は、同じく悪党達の上に乗っかっていた白猫と三毛猫に視線を向けると、頷き合って悪党達から飛び降り、暗闇の中へと消えていった――。
「……このエルフの織布は、病院のお手伝いをしたとき頂いたものだったんです」
「――もらったぁ?」
裏通りと比べれば格段に安全なシュネイの夜の表通りを歩きながら、まず軽はずみな真似をした事をザイツに詫びてから、手下げ鞄からハンカチ大の織布を取り出し言った。
「はい。だから……そんなに高価なものだったとは知らなくて。……嫌な感じしましたよね? ……すみませんでしたザイツさん」
「ああ……いや」
「でもですねっ、これを下さったエルフのお婆さんは、『ご自分で使われないのならば、どうか旅のお仲間にでも使っていただいて、姫の旅のお役に立てて下さい』っておっしゃったんです!! 本当に良いマントですし、だからこれをザイツさんに使ってもらうのは、悪くない事だと思ったんです!!」
「……そういう事だったのか」
ザイツさんは私の護衛なんですからっ、と力説するキョウの気持ちが判り、ザイツはなんとなく感じていた劣等感や後ろめたさが薄れていくのを感じた。
『……金持ちの気まぐれ……とかじゃなかったのかな。……そうだな、確かに護衛に良い装備を貸すのは……旅の安全を上げるのかもしれない……にしても』
「……どうしましたか?」
「……病院の手伝いってのは、なんだ?」
ああ、と声を漏らしたキョウは、静かに目を伏せ応える。
「……戦争で……傷を負って王都に帰還した方々の治療に。……人手が足りませんでしたから、高位の神聖魔法を使えるなら王族だろうと貴族だろうと、みんな協力したんですよ」
「……戦争……そうか」
意外な告白に、ザイツは思わず目を見張る。なんの根拠も無く、ザイツはキョウが戦争など無関係の場所で幸せに過ごしていたのだろうと思っていた。
「……私は……一応高位神聖魔法が使えましたから。……あはは、でも最初は重傷の方々を見ただけで卒倒しちゃったりして、役立たずでしたけどね。……今も……あれを見ちゃったからでしょうね。……流血や……怪我は本当に嫌です」
「……」
「それで……偶々私が治療した方の奥様が……そのお婆さんだったんです。……『夫のために織った物ですが、もう夫は戦えないので』……お婆さんはそう言って、私にマントを託してくれたんです」
「……戦えない……そいつは死んだのか?」
だとしたら悲しい場面に立ち会ったものだと、ザイツはキョウに同情した。だが。
「――いいえ? そのエルフの老将軍様は、戦地で負った傷のせいで元々患っていたギックリ腰が悪化したため、家督を長男に譲って隠居しろと魔王陛下に命令されただけですけど」
「え……エルフのギックリ腰? ……ぷっ」
「し、仕方ないんですよっ。基本美形種族だって、なる時にはなるんですっ」
吹き出しそうになったザイツに気付いたキョウは、早口でそう言うと、手の中の織布をしばらく見つめ、そしてそっと言葉を発する。
「……これは、使う者の無事を祈ってお婆さんが織ったものなんです」
「……」
「……だから私、これをザイツさんに使って欲しいと思ったんです。……お婆さんは私の旅の無事を祈ってくださいました。……だからマントを使う私の仲間も……守ってくれます」
「……俺は人族だぞ? ……エルフを追い立てた、人族領域の属だ」
確かめるように言うザイツに、キョウは笑う。
「……それでも、今は私の旅の仲間です。だからきっと、守ってくれます」
「……」
「ザイツさんは私を守って戦ってくれました。……それが私のためじゃなくて報酬目的だっていいんです。……それでも嬉しかったから。……だから、私もザイツさんを守りたい」
一歩前に出たキョウは、振り向きザイツに向き直ると、織布を差し出す。
「……だから、受け取って下さい。……そしてこれを、貴方を守る力としてください」
真剣なキョウの表情に、ザイツは内心でまだ感じていた迷いが消えた。
「――判った、借りる。……必ず代金は都合して、旅の終わりまでに払う」
「っ……はいっ」
厚意を受け取り、自分が納得する答えを口にしたザイツは、それに頷いたキョウの手から、小さな織布を受け取った。
「よし……じゃあ開いてみるぞっ」
「ザイツさん、なんだか緊張してませんか?」
「す、するだろうっ。エルフの織布だぞ……すごい布なんだぞ……っ」
そう言いながらザイツは布の端を掴み、思い切ってそれを大きく開いた。
「おお!! 一瞬でマントサイズに!! すげぇ――……ん?」
そして丁度良いマントの大きさとなったエルフの織布を握り締めたザイツは――それをまじまじを凝視し、そしてキョウの方を向くと、マントを見せながら尋ねた。
「あ……あのよキョウ姫……」
「はい? ……やっぱり短いですかっ?」
「ああいや、男モンだと考えると、このくらいで充分だ。……なんだけどよ」
「はいっ?」
「……これ……なんだ?」
ザイツはマントの留め紐口付近に刺繍されている――奇妙な黄色の存在を指さし、キョウに聞いた。
「あっ……あーっ。あはは、それは……えーと……ピカ○ュウ……です」
「……ピカチュ○?」
――それは動物のような、魔獣のような、ザイツが見たこともない奇妙な姿をしていた。
森にいたら目立って仕方が無いだろう黄色い体毛に、ウサギのような長く尖った耳、ギザギザのシマが入ったシッポ、短い手足、そしてまん丸な黒い瞳。
二足歩行で走っているようなポーズを取るそれの周囲には、雷のような紋様が縫い込まれ、更に顔の横には、それの鳴き声なのか、『ピッカーッ』と文字が縫い込まれている。
『これは……魔領域の魔物……なのか? それとも精霊? 妖精? ……くっ……こんなイキイキしつつ何かがおかしい不自然な生命体……俺は見たことねぇ!!』
刺繍を見つめながら一生懸命自分の情報を探るザイツに、済まなさそうなキョウの声がかかる。
「その……ですね。……実はお婆さんが、『旅に持って行くものでしたら、他の人と被らないデザインを刺繍しておくと、区別が付きやすいですよ』って……それで……私がデザインしたワンポイントを……刺繍してくれるっておっしゃったんですよ」
「……」
「あ……あははは……いえその……私……絵とか上手くなくて……それで……ずっと昔に、遊びに来た親戚の子に頼まれて、絵本を見て描いた○カチュウを思い出して、描いてみたんですっ」
「……ピ○チュウ……」
「そうっ、ピカチ○ウですっ。そ、その子すごいんですよっ。人語は解するし電撃は放つし海外でも大人気だしっ。え、えーと……ここの人達には判らないと思うので、別に男の人のマントに付いていても大丈夫ですよねっ?!!」
「……」
ザイツはピッカー、と鳴いている謎の小動物を見つめ、やがてそれが、何か魔力を秘めている事に気付いた。
「!! ま、まさかこれは……祝福?!!」
「あ、はい。お婆さんは刺繍の達人でもありまして、どうやら祝福が宿っちゃったみたいなんです。ええと、これが鑑定してもらった祝福の詳細ですっ」
キョウが取り出したメモ帳の一ページには、刺繍に宿った祝福の詳細が記されている。
【○カチュウの祝福―速度プラス15 攻撃力プラス10 耐久力プラス5 電撃無効】
「……すごくね? 無効効果のある装備とか……俺初めて触ってるんだけど」
「す、すごいですねーっ。やっぱりピ○チュウは、偉大なるポケ○ンなんですねっ。主人公のお供をしていただけのことはあります!!!」
元の効果が高いエルフの織布に、恐ろしい程の祝福が宿ったそれをじっと見つめていたザイツは――やがて何かを納得したように頷き、そしてマントを裏返し、それを羽織った。
「――おっ、すげー軽いっ」
「あっ……ザイツさん……やっぱり刺繍……嫌ですか?」
「……嫌って言うか……何となくのカンなんだが……あのつぶらな瞳をした黄色ネズミ(?)は……でかい図体した男が……堂々と身に付けていたらいけない気がするんだ……なんでだろう?」
「……ちっ、鋭い」
「……姫、今舌打ちしなかったか?」
「ああいえっ。……ただ……思い出して描いた割には上手くいったから……気に入ってくれたら嬉しいと思ったんです」
「……悪いが、やっぱり見せて歩くのヤダ。見せて歩きたいなら、自分のマントに刺繍してもらってくれ」
「えー、私も恥ずかしいです」
「だったら俺に付けさせるなよっ?」
下らない言い合いをしながら、ザイツとキョウは並んで歩く。
「でも……裏返しですけど、良く似合ってますよザイツさん」
「そうかな……」
「あ、照れたでしょ今?」
「……別に?」
「嘘だー」
「嘘じゃねぇよ」
今の魔王女を、ユーイの言う本物だと確信する事などできなかったが、本物ならば嬉しいとザイツは思った。
――そして数十秒後。
「ところで……バカラスはどうした?」
「え? ……カンカネラさん……そういえばどうしちゃったんでしょうかっ?」
「おい?!」
「確か私が夜市に走り出した時にカンカネラさんも私を追いかけて――あれ――なんかペチッって鞄に当たったような気が……」
「本当にペチッ、か?!! ブチィ!! とかグチャ!! とかじゃねぇよな?!!」
「そういえば鞄に何か赤い羽根が――か――カンカネラさーん?!!」
「ひ……ひめさ……ま……っ」
キョウの夜市行きを止めようとして鞄にぶつかり、そのまま奥底に押し込められていたカンカネラが、キョウの鞄の中から憐れなコブ姿となって発見された。
更に。
「ひゅーっ、ねえちゃん一人かぁ~あそばぼぉあいぇ?!!!」
「ええい!! 追い払っても追い払っても鬱陶しい!! ――どこにいるのだ姫様ー!! ザイツー!!」
キョウを追って夜市に来たケイトは、下心丸出しで近寄ってくる男共をなぎ倒しながら、まだキョウを探していた。
キョウ「ドラ○モンも書けるんですよっ」
ザイツ「なんだこの青狸は?」




