98 危機が迫るが何かがおかしい
そのしばらく後。聖女とその道連れ――アンネリーとエルは、追跡を逃れ逃れた末、偶然にもギスモー王国領の最南端にある、小さな山間の修道院に身を寄せていた。
「――司祭様、今日の獲物です」
「おおエル殿、貴方のお心遣いに感謝申し上げます」
「……いいえ。……熱を出した妹を休ませていただき、感謝しております」
盾武術の鍛錬を兼ねて魔獣を仕留めてきたエルは、そういうと狩果である角兎六匹を、修道院の司祭に渡して頭を下げる。
「妹殿の具合はいかがですか?」
「まだ少し、熱があって。……どうやら疲れが溜まっていたようです」
「そうですか……どうぞゆっくり養生なさって下さい」
「感謝致します、司祭様」
「いえいえ。エル殿の狩りのおかげで我が修道院の食生活が豊かになって、こちらも感謝しているのですよ」
「……ありがとうございます」
修道院に辿り着いた日の夜から、アンネリーは熱を出して倒れてしまっていた。
そしてエルは、そんなアンネリーを看病しながら、養生させてくれた修道院に、細々と恩義を返していた。
『……この俺が、こんなシケた修道院の貧乏坊主に頭を下げるなんてなぁ』
数ヶ月前には考えられなかった境遇だったが、エルは存外慣れてしまっていた。
それどころか、羨望の視線を浴びながら周囲を見下し嘲っていた勇者時代と比べ、驚く程心が落ち着いている事にエルは気付く。
「エル殿、田舎司祭の真似事ですが、私はいささか医者の心得もございます。必要ならば、診察いたしますが?」
「いっ、いいえっ。妹は額――じゃない、その、肌を男に晒すのを非常に怖がっていましてっ。お気持ちだけでっ」
「っ……そうですか。……きっとご苦労なさったのですね」
「あ、い、いや……はい。苦労しました。ので、休ませていただくだけで充分です」
「判りました。ではせめて、栄養をとっていただきましょう。すぐに食事の支度をしますからね」
「ありがとうございます」
質素な佇まいの老人へ素直に礼を言い、エルはアンネリーが眠る修道院の一室に戻った。
「……寝てるか、アン?」
「……いいえ、エル」
小さな寝台に横たわっていたアンネリーは、熱で真っ赤になった顔をエルへと向けて、安堵したように目尻を緩ませる。
「……申し訳ありません、エル。……ご迷惑を、おかけしてしまって……」
「そう思ってるならさっさと直せ。お前に言われた通り調合した野草薬は効いたか?」
「はい……とても喉と呼吸が楽になりました。……ふふ」
「……なんだよ?」
「やっぱり……エルって薬草摘みの才能があるんですわ。……効果が高い色合いの薬草を、きちんと採集できるんですもの……」
「……ちっ、そんな貧乏くさい才能、嬉しくもなんともない」
「あら……わたくし、羨ましいですわ」
「知るか。ほら、頭冷やして食事まで寝てろ」
エルはアンネリーの頭を冷やす濡れた布をもう一度冷水につけて冷やしてから、アンネリーの額に置き直した。
『……この光がなきゃ、あの司祭に診察してもらえるんだがな』
宿主の不調など気にせず、アンネリーの額に宿った『聖輝』は、冷えた布の下で相変わらず神々しい光を放っている。
『薄布でちゃんと隠れるのがせめてもの救いだが、なんかの拍子で見られたら大変だからな、油断できない』
アンネリーの立場がばれれば、例え人の良さそうな司祭達でもどんな行動に出るかわからないため、エルはこの『聖輝』を修道院内の者達に見せないよう四苦八苦していた。
「にゃ~」
「っ……なんだ、猫か」
ふいに聞こえた鳴き声にエルは驚き、だが窓辺の小さな生き物に気付き安心する。
窓辺で丸くなっていたのは、フサフサの柔らかそうな栗毛が思わず触りたくなる、なかなかの美猫だ。
「へぇ、良い毛並みだ。アンの湯たんぽになるか? 来い来い」
「にゃ~」
気まぐれな姿が女を思わせるせいか、エルは猫が嫌いではなかったため呼んでみた。
だが猫は、つまらなそうにしっぽを揺らすと、するりと窓辺から近くの枝へと飛び移り、どこかに行ってしまう。
「あら……美猫ちゃんに……ふられてしまいましたわね……エル。……コホコホッ」
「アホな事言ってる場合か。ほら寝ろアンっ。それとも水飲むか? もらってくるぞ」
「コホコホ……うふふ……エルって……優しかったんですのね」
「っ! か、勘違いするなっ! お前のためじゃないぞっ! お前をこれ以上足手まといにしないようにするのは、一応道連れになった俺のためなんだからなっ!」
ムッとした顔で返すエルの言葉に、アンネリーはきょとんとしたような顔になり――やがて笑い出した。
「あ……あはは……ははは……エルったら」
「なっなんだよっ」
「だってエルったら……院長先生にそっくりな事をおっしゃるんですもの……あはは」
「い、院長? お前の出身修道院のか?」
「ええ。……その修道院は、貧しい人達の診察も引き受ける……治療院を運営していたのですが……院長先生は……治療した人達に……まるで救い神のように感謝されるのが……お嫌いだったみたいで……」
―かっ勘違いしてはなりませんよっ。これは貴方々貧しい者達のための行為ではなく、わたくし達の修道院のための奉職なのですっ―
「……そんな事を言いつつ……薄汚れた老人や赤ん坊達を……優しい手つきで世話をなさるのですから……うふふふ……」
「……面倒臭い女だな。年喰った修道女ってのは、そんなもんなのか?」
「いいえ? ……院長先生の御友人だった方のお話によると……院長先生は、ほんの少女の頃から……そんな性格だったそうで……」
―かっ勘違いしないでくださいませねクラウスっ! 貴方に回復魔法をかけるのは、貴方のためではなく後衛であるわたくしのためなのですからっ―
―どっちのためでもいいからさっさと詠唱してくれないかなぁ?! 俺モンスターによってたかって暴行されてて、今にも死にそうなんだけどねぇ?!―
―っ……モンスターによってたかってなんて……いやらしいっ―
―何が?!―
「ふふふ……院長先生は……クラウスベル様といっしょだと……余計素直じゃなかったみたいですけど……」
「……クラウスベル?」
ギスモー王国の重臣の名に、エルは思わず聞き返した。
「まさかクラウスベル・フロウ・アドラゴルトじゃないよな?」
「……エル、クラウスベル様をご存じですの?」
「っ……まじかよ。……知らないはずないだろう。修教派修拳士クラウスベル。数々の武勇伝を残す、有名な『勇者』の一人だ」
対抗心と、認めたくないがある種の憧れから、エルは過去の『勇者』の情報集めに余念がなかった。
その中でもギスモー王国の武人クラウスベルといえば、功績も実力も、ついでに女を惹き付ける容貌も、エルが嫉妬するには充分な存在だ。
「クラウスベル・フロウ・アドラゴルト。ギスモー王国の一般家庭から僧籍に入り、修行僧として武術を極めた徒手格闘の達人だ。……聖職として、多くの凶悪なダンジョンマスター・モンスターを退魔したその功績は、修教派の誇りとなっていると聞いた」
「ええ。……院長先生は、お若い頃そんなクラウスベル様の癒術士として、共に戦ったのです。……凛々しくてお優しくて頼りになる、素敵な殿方だったそうですわ。修道女の御姉様達がおっしゃっておられました」
「……ふ、ふんっ。まぁもうとっくに、隠居間際のジジィだけどなっ。男は若い方がイケてるに決まってるんだっ」
「修道女の御姉様達は、『若造より、断然年輪を重ねた大人の男性よね~♪』……とおっしゃってましたけど」
「それは少数派だからなっ。若さは男女問わずで魅力なんだよっ」
「……エル、幼い子が好きですの?」
「若すぎるのは範疇外だよっ!! 俺の好みは、成人~熟女までのバインバイン美女だっ」
「ばいんばいん……」
アンネリーは視線を自分の胸元に移し、数秒後そこから目を逸らした。
「ん? どうかしたか?」
「……いいえ。べつに」
「そうか? ……ああ、そういえばお前の出身の修道院は大丈夫だったか? ゼルモア神聖教国領にあるんだろ?」
「……え?」
「まぁ……魔王軍は占領国内で無闇な殺戮はしてないっていうし、無抵抗なら尼僧達でも殺されたりはしないだろうが……」
「……そんなはず、ありませんわ」
アンネリーの身体中が強張り、目から感情が消えた事にエルは気付かない。
「……ん?」
「……修道院は、もうありません。……みんな、亡くなってしまいました」
「え……」
「魔王国の外道共が、院長先生達を殺したのです」
「……っ」
失言だった事に気付き、エルは返す言葉を無くす。
「……あいつらもみんな、死ねばいいんです」
「……その……すまん」
「いいえ……エルは悪くありません。……悪いのは……全て魔族。……魔領域に住む……汚らわしい魔物共……」
「……」
「……皆殺してやりたいのに……何故『聖輝』は応えてくれないの……」
ぞっとするほど冷たい声でそう言うと、アンネリーはそれきり黙ってエルに背を向けた。
「……寝てろよ」
何か慰めの言葉をかけようとしても出ず、結局エルはそれだけ言い残し、部屋を後にした。
「……まいったな」
しっかり部屋に鍵をかけて修道院の中庭に出てきたエルは、適当な場所に設置されていたガーデンベンチに腰掛けてため息をついた。
『……何故『聖輝』は応えてくれないの……か。……そりゃ、そうだよな。……親しかったんだろう院長や尼達を殺されたんだ。……魔族を殺してやりたくなったって、仕方ないだろう』
エルはアンネリーが、追跡してくる魔王軍に強烈な敵愾心を向けている事に気付いていたが、それは戦争に負け追われているからだろうと、なんとなく理解したつもりでいた。
男はどうでもいいが、女を傷つける事には抵抗があるエルは、自分の失態を後悔する。
『でも……そんな事を、させるわけにはいかないんだけどな。……魔王軍を相手にするには、俺達はあまりにも弱い』
更に、アンネリーの希望に添う事は絶対にできないのだと思うと、アンネリーが不憫になる。
『……統制された魔族の兵士達が……あんなに強いなんて。……無理だ。お伽噺の勇者だって、あんな集団には勝てない。……まして俺じゃあ……』
エルはつい数日前、魔王軍一般兵士の一撃で吹き飛びよろめきながら、アンネリーに手を引かれ、ほうほうのていで逃げ出した事を思い出し落ち込む。
『……あっちにアンネリーを殺す気が無いのが、せめてもの救いだが……このままではいずれジリ貧で追い詰められ、捕まる。……俺の抵抗なんて、なんの役にも立たない』
守る者も無く貧弱な装備で戦う程、エルは自分の未熟さを痛感していた。
『……くそう、格好悪い。恥ずかしい。……せめて、昔の装備さえあれば……なんて考えた所で仕方がないのに。今の懐具合じゃあ、マント一枚だって新調するのは厳しい……はぁあ……』
知らず知らず、ため息が漏れる。
今のエルは、装備や消耗品で、能力を底上げする事もできない。
以前は遊びのように使い消費していた装備や魔法薬は、一般的な旅人にとっては目玉が飛び出る程高価なものだったと知ったのは、つい最近だ。
金も無く、身分も無く、頼れる者も無い。寄る辺のない身となってしまった厳しい現実は、エルを容赦無く押し潰そうとする。
『……いっそ……あいつを見捨てて一人で。……いや、駄目だそんなの。……でも……くそ……くそぉ……っ』
「……にゃ~ん」
「っ……ああ、お前か」
聞こえた鳴き声に顔を上げると、茂みの影から先程の美猫が顔を覗かせていた。
気まぐれをおこしたのか、猫はそのままエルの傍に近寄り、座っているエルの膝に乗る。
「なんだよ? ……あ、これか? 目敏いな~お前。ほら、干し肉」
「にゃ~ん♪ なぁ~ん♪」
猫は待ってましたとばかりに甘い声を上げ、エルの手から干し肉を取って囓りだした。
「ははは。……やっぱり猫って、女っぽいよなぁ。気まぐれで現金で、それでいて可愛いんだ」
「にゃ~♪」
「…………可愛いんだよなぁ」
ぽつりと漏れた言葉に、エルは苦しくなる。
無力な自分が、酷く情けなく辛い。
「にゃ?」
「……なぁ猫。……俺は……女を助けたいんだ。……見捨てたくないんだ。……なのに……力が無いんだ……」
「……にゃ~」
「……どうすれば……どうすればいいんだろうな。……俺は……どうすれば……っ」
「……」
視界がぼやけたのに気付き、慌てて目を拭いながらエルは俯いた。
万一声に気付いたアンネリーに窓から覗かれたら、格好悪いどころの騒ぎではない。
「……にゃ~、にゃ~」
干し肉分の礼なのか、猫はそんなエルに身を擦り寄せ甘えた。
「……くっそ。この俺が……猫なんかに慰められるなんて……」
自嘲しながらも、エルは柔らかい毛皮の感触に安らぎ、もふもふとそれを撫でた。
「――――――っ!!」
「……にゃ?」
――その手が、ビクリと震え止まる。
『――警戒信号か!!』
エルが感知したのは、『聖輝』が発した警戒信号だった。
アンネリーの道連れだと『聖輝』も認識したのか、ここ最近、エルは追跡者が近づくと、『聖輝』から目が冷めるような感触の悪い魔力の震動を受け取るようになっていた。
鬱陶しいそれに眉を潜めながらも、エルは素早く猫を降ろすと立ち上がり、周囲を警戒する。
『魔王軍か?! ――いや、ここは敗戦国じゃない。そうそう魔王軍が出入りできないはず……だ……が……――』
男性らしい、見知らぬ人影が突如エルの視界に在った。
「っ?! い――いつからいた?!」
人影は静かな足取りでエルへと近づき、その全貌を見せた。
年輪を示す皺が刻まれた穏和な顔立ちに、不釣り合いなほど隙の無い気配。
衰えを感じさせない引き締まった体躯と、それを包む簡素な長丈の胴衣。
『胴衣に、ゼーレ神の紋章……ゼーレ教の僧、か?』
それならば魔王軍ではない、とエルが安堵しようとするも、脳に響いてくる警戒信号は全く収まらない。
『くそ……なんなんだよ『聖輝』っ!! こいつが敵なのか?! 魔王軍関係無いって事は俺の方の追っ手か?! それともどっかの国の工作員か?! くそっ……目の前のやつ!! なんとか言え!!』
「……聖女の道連れとは君か?」
「――っ?!」
まるで心を読んだように、目の前の男はエルに話しかけた。
静かな声は、その辺のゴロツキの恫喝など比べものにならない威圧をエルに与えた。
『――強者だ』
さして鋭いわけではないエルは、それでも目の前の男をただ者ではないと判断し、緊張を強める。
「争いたいわけではない。聖女の保護を邪魔せず、立ち去ってもらいたい。聖女の身の安全は保証する」
「っ……そ、そんな事を言う……あんたは誰だ?」
ここギスモー王国内に存在する強者――勇者。
『まさか――いや、まさかそんな――違うと言え!!』
嫌な予感が過ぎり、それが間違っている事を切望しながら、エルは必死に虚勢を張り男に問いかけた。
「……」
男はそんなエルへ静かな眼差しを返し――穏やかな声で、その希望を打ち砕く。
「ギスモー国王陛下が臣。修教派修拳士クラウスベル・フロウ・アドラゴルトだ。――判ったなら、立ち去ってもらえるか?」
無駄な犠牲は出したくない。
そう静かに続く老人の言葉に、エルの全身は震え、エルに恐怖を訴えた




