97 魔王国は動くが何かがおかしい
「では、魔術記録に成功した聖女の映像を御覧下さい」
「おう、ご苦労だったな」
「……この娘が、聖女」
「ああ。……聖女、シスター・アンネリーだ」
一方魔王の城では、聖女を追跡した兵達が集めた資料や映像を、魔王と魔王后が確認していた。
逃げる聖女の姿を魔力で記録し、その装いから身分や出身を突き止めた魔王国の諜報結果は、人領域にはまだ伝わっていない貴重なものだ。
「……人族ならば、年頃は十二、三……十六はいっておりますまい。……まだ、ほんの子供ではありませぬか……陛下」
「……」
大騒ぎしている聖女追跡の冒険者達が、喉から手が出るほど欲しいだろう聖女の映像をと魔王后セレスティンと見ながら、魔王はぽつりと呟く。
「……リュシエンヌ」
「……え?」
「目鼻立ちが、リュシエンヌ前聖女の若い頃にとても似ている。……なるほど、神聖家の姫とは認められていなくとも、血の繋がりがあるのは確からしい」
「……私生児、という扱いでございましたか」
「ああ。……将来利用する可能性も考慮にいれて、きちんと教育されていたようだけどな」
宙に浮かぶ鏡に映し出されている聖女――アンネリーを見上げていた魔王は、手元の資料へと視線を移しながら言葉を続ける。
「……」
『……陛下? ……いかがなされた?』
聖女の事情を確認する魔王の表情は、いつになく複雑な苛立ちを浮かべている。
「……聖シュザンヌ修道院の出身か。……さぞ魔族を恨んでいるだろうな」
「……え?」
「ん? ああ、セレスは覚えてないか?」
「……申し訳ございませぬ。……聞き覚えがあるような気はするのですが、思い出せませぬ」
「かもなぁ」
珍しく戸惑った表情のセレスティンに、魔王は苦笑する。
「あの事件が起きたのは、四年前だからな」
「四年前……っ」
「クーちゃんが毒殺されかかって、倒れた丁度その頃だ。お前が人族領域の事件に疎くなっていたって、仕方ねぇさ」
「……何が、あったのですか?」
生死の境を彷徨う娘に着きっきりだった時の恐怖を思い出し、セレスティンは微かに身を震わせたが、すぐに冷静な魔王后の顔に戻り魔王に問うた。
魔王も冷静な表情に戻って、セレスティンに答える。
「クーちゃん……魔王女クローディの毒殺未遂が、人族の仕業じゃないかって憶測が飛んでいたのは知ってるだろう?」
「ええ。……ですがあれは結局、魔王国内の反王政派の仕業だったと判明したはずでしたが?」
「ああ。魔王家傍系血筋貴族の、見果てぬ野望ってヤツだったな。主犯も一族郎党ごと罪に問われて、クーちゃんも助かって、あの一件はそれで片が付いた」
「はい」
「……だけどよぉ、あの事件解明前は、国内の殆どが、人族――っつーか、ゼルモア神聖教国の悪辣な奸計に違いないって信じてたんだ」
「それは……確かにわたくしも、やりかねないとは思いましたが」
「日頃の行いって大事だよなぁ」
魔王はぼやく。
「……悪い事に、魔王国内の貴族の子弟、つまり血の気の多い若造共が、確信しちまったんだよ。――それで、怒った。魔王女殿下を害した、ゼルモア神聖教国許すまじって。……クーちゃんモテモテだったからなーっ」
「そ、それは……」
「……それで、先走っちまった。……一応停戦が成立していたゼルモア神聖教国領の、小さな修道院領を襲撃したんだ。……見せしめだって、言ってな」
セレスティンは、小さく息を飲んだ。
「……何故、その修道院を?」
「そこが、魔王女を害した毒の精製工房だったって、若造共が当たりをつけちまったからだ。……確かにその修道院は、立派な野草園を持ち、優れた製薬技術も受け継がれていた。……更に、修道院には定期的に、いかにも身分在る高位聖職達が訪れていたんだ。……後ろ暗い事があるに違いないって、決めつけちまったんだよな」
「……違ったのですね?」
僅かに沈黙した後、ああ、と魔王は頷く。
「野草園と製薬工房を持ってたのは、修道院が困窮した怪我人や病人を一時保護する、治療院を運営していたからだ。修道院は自分達の技術を、人を救うために使っていた」
「治療院……」
「……更に、高位聖職達が来てたのは……その修道院は、聖女アンネリーのような、身分在る立場の人族の私生児が集められて育てられている場所だったからだ。……要するに、隠し子であるシスター達の様子を、お偉いさん達が確認していたのさ」
「……つまり」
「ああ。……全くの勘違いだった。全くの勘違いで、魔王国貴族の子弟達は……その修道院がある領を襲撃しちまったんだ」
冷めた声で、魔王はセレスティンに説明した。
「……酷い事になっちまったらしい。周到に準備して事に及んだらしくてな。修道院院領にいた人族は皆逃げる事も抵抗する事もできず、一方的に虐殺された。……領地の住民は勿論、戦う力を持たない尼僧達も、修道院に身を寄せていた病人怪我人達も、全て情け容赦無く、襲撃者達は牙をむいた」
「……」
そんな事が。セレスはそう小さく呟く事しかできない。
敵国とはいえ、無抵抗な者達が一方的に虐殺された悲劇を思えば、胸は痛む。
「……しかもなぁ……魔王国としては、大した罪には問えなかったんだ」
「っ……襲撃者達が、貴族の子弟達だったから、でございますか?」
「それもあった。……それに、ここで一方的に魔王国が悪かったと対外的に認めるのは、ようやく停戦が成立していたあの頃悪手でしかなかった。――あの事件には、修道院の関与が確認された。これは正当な復讐だ。……人族領域との関係を保つためには、嘘でもそう主張するしかなかったんだ」
それは、セレスティンにも判る。
外交とは相手へ正当に何を主張するかではない。何を主張し、それが正当だと相手に納得させるかなのだと、王の妃としてセレスもよく理解している。
魔王国の対外面子と、魔王国内貴族のとの関係。小さな修道院と天秤にかければ、どちらに傾くかなど考えるまでもないし、隠蔽工作を卑劣とも思わない。
――だが。
「……シスター・アンネリーは、その襲撃事件の、数少ない生存者だ」
「……っ」
だがそれでも、当事者の悲嘆と慟哭を思えば、セレスティンはやりきれない痛みを感じた。
「修道院の院長が、全魔力を使った保護壁でアンネリーを守ったらしい。……アンネリーはその壁の中で、自分を守った院長と尼達が、魔族に蹂躙される様を見ているしかなかったんだそうだ」
―やめて!! やめて!! みんなを殺さないで!!―
―院長先生!! シスター!! 何故!! どうして!! 停戦しているはずなのに!!―
―わたくし達が何をしたというの!!―
―いや……いやぁああああああああああああああああっ!!―
「駆けつけた聖竜騎士団と僧兵団連合によって保護された時、アンネリーはただひたずら、魔族への呪詛を呟き続けていたんだそうだ」
―……滅ぼしてやる―
―必ず魔族を皆殺してやる―
―女子供だろうと赤ん坊だろうと、病人怪我人だろうと、絶対に許すものか―
―お前達がわたくしの目の前でやったように―
―絶望と恐怖と苦痛しか存在しない地獄に、お前達魔族を叩き落としてやる―
―ころ……す―
―殺す殺す殺す殺すころすころすころスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス殺……―
「……憐れな」
幼い聖女の悲しみと憎悪を思い、セレスティンは憐憫を覚えた。
「……ああ。……それでも俺は、聖女に魔族を殺させるわけにはいかないし、聖女を放っておくこともできない」
そのセレスティンに頷きながらも、魔王は迷いのない視線を上げ、鏡に映し出された聖女アンネリーを見る。
「どれほど恨まれようと、俺は聖女を捕らえるぞセレス。聖女を魔王国の監視下で幽閉する以外、『聖輝』の脅威は無くならないんだからな」
「御意、魔王陛下」
全ては魔王国のために。魔王国で暮らす民のために。
その思いだけは揺らすまいと、セレスティンは魔王の言葉に一礼した。
「――というわけなんだが、問題はどうやって聖女を捕まえるか……だよなぁ」
「聖女に害意をもって追いかけると、『聖輝』の強制空間移動で、逃げられますからね」
あれから何度か聖女を追跡した魔王軍だったが、どうしても捕らえる事はできなかった。
「聖女はやはり攻撃してこないし、どういう事情かは判らんが、『聖輝』に今戦う力が無いってのは本当だろうが」
「戦えないといえば……確か、聖女に同行者が増えたらしいですね。盾のみ装備の」
「ああ。武器持ってない変なヤツだな」
魔王は投擲される槍や矢を盾で防ぎながら聖女アンネリーと共に逃げる、若い男を思い出した。
「どっかで見た事あると思ったら、あいつってウィスティーアの町でハウルグ達と決闘してボコ負けした、自称勇者じゃねぇか?」
「ああ……報告にございましたな。あの時は剣で戦っていたはずですが」
「なんだぁ? はっはっは、まさかボロ負けの決闘で、トラウマでもこさえちまったかぁ?」
正解だった。
「ただ、両手盾の戦闘スタイルは、攻撃力には乏しくとも防御力は中々のもので、余計追跡が厄介になっているそうです」
「ふ~ん。腕は悪くない防御特化型か。そりゃちょっと、面倒臭ぇな」
「下手に追いかけても飛ばれてしまいますので、現在は、密かな監視を付けておりますが……膠着状態でございますね」
「ああ、直接手を出さなければ逃げられないんだよな」
「ええ。ですが手を出さなければ、捕まえられませぬ」
「そこだよな~。『聖輝』の魔物に対する警戒心は強いらしい。聖女がそうだからか?」
「そうかもしれません。……いかがいたしましょう、陛下」
「……そうだな。……」
魔王は少々難しい顔をして考えた後、やや眉根を寄せてボソリと言う。
「……平和的に、人族を使うか」
「人族でございますか。冒険者に告知いたしますか?」
「いや……山賊並みの荒くれ冒険者共じゃあ、やっぱり逃げられるだろう。ここは聖女の方も、話を聞きそうな者に聖女の保護を要請する」
「……つまり、聖女側の人族を裏切らせるという事でございますね?」
「……幽閉つっても聖女は大切に扱うし、交渉に当たった者にも充分便宜を図る。決して悪いようにはしない」
そう言いつつも、やはり卑怯な手だという自覚はあるのか、魔王は複雑な表情で頭を掻いた。
「……ぼやぼやしてたら、人族の国々に出し抜かれる。ここは卑劣でもなんでも、聖女を速やかに回収できる手を使うぞ」
「御意、魔王陛下。わたくしも、それが最良かと存じまする。……貴方様は、間違っておりません」
「……うん。ありがとうな、セレス」
励ますような妻の言葉に、魔王はようやくいつもの調子の笑顔になって、立ち上がった。
「――ギスモー王国に使いを出せ!!」
御意、と一礼した伝令が、宰相へと報告するため部屋を出て行く。
「敗戦国ではなく、ギスモー王国にございますか」
「あそこは以前、ちょっとした事件で国民が魔王国に濡れ衣を着せた弱みがある。更に戦ってないだけで、内紛で疲弊した国内事情はとても苦しい。魔王国(戦勝国)との関係改善のきっかけは、喉から手が出る程欲しいはずだ」
「確かに、『命令』ではなく『お願い』する事で、ギスモー王国の顔も立てる事になりますし、互いに悪い話ではないと存じます」
「だろだろ?」
「ですが、適当な人選はございますか? 確かに、全体的にゼーレへの信仰心は厚い国ですが……」
「それは問題ない。……というか、あの男がいたから、この話をギスモー王国に持って行こうと思ったんだ」
「あの男、でございますか?」
頷いた魔王は、また複雑な表情になったが、すぐに首を振って言う。
「……聖シュザンヌ修道院の院長だった尼君には、古い友人がいた。友人は怪我が多い仕事をする修教派の修行僧で、優秀な癒術士である尼君には若い頃から世話になっていたんだ」
「……修行僧ですか」
「ああ。アンネリーも懐いていたらしいその修行僧は、今ギスモー王国にいる」
魔王の言葉は、規則正しい足音とドアが開く音、そして入室者の声で止まる。
「――修教派修拳士クラウスベル・フロウ・アドラゴルト大神官ですね。ギスモー王国の重臣であり、現在は王佐代理の立場におられる方だ」
「そうだ、ローゼルフォート」
魔王国宰相ローゼルフォートは了承を返し、恭しく魔王へと一礼を投げた。
「個人的に思う所はあっても、ギスモー王国を想い王族を守り通したクラウスベル大神官なら、必ず聖女の保護要請を受ける。いや、受けざるを得ない」
辛い事だろうがな。そう続けた魔王の言葉には、既に迷いはなかった。
「セレス、配下の聖女監視者に伝えろ。クラウスベル大神官が向かいやすいよう、聖女をなるべく移動させず、潜伏場所に留めよと」
「御意のままに、魔王陛下」
魔王国の方針は決まった。




