逃亡
9話めには、暴力的表現が出てきます。苦手な方は飛ばして読んでください。(多分、大勢に影響ありません)
9.逃亡
1時間の仮眠のあと、目覚ましの力を借りることなく目覚めたアルフレッドは窓から外を見た。まだ夜間照明帯のようで、暗い夜空にそれらしくデザインされた星座が浮かび上がっている。彼はすぐさまメインコンピューターにアクセスした。ここに新しい情報が集まっているはずだ。
ディスプレイ上には、学校関連の感染者が50人になったが、何れも隔離されているα1から3地区のみということと、初めての発症者である患者の男性から他の患者からは見つからない妙な抗体が見つかった、というリードからの報告があった。
フェスからは簡潔な文章で、大日本衛生研究所の廃棄物取り扱いライセンスを停止し、星間処理業者組合にもその旨を通告したとの報告が届いていた。どうやら彼らは、アルフレッドが休んでいる時間も働き続けていたようだ。
アルフレッドはよれよれになった服を脱ぎ捨て、支給された新品の銀色のスリムスラックスのカバーをはずしてもどかしそうに長い足を通した。これからの会議にはリードも初め、主要なポストの人間が対策を作成して持参するはずである。積み重なる難問どもを、気分一新、一刀両断だ。とばかりに彼は司政官の制服である銀色の短いチュニックをベルトでぎゅっと留めて、鏡で襟を整えた。
「ピンチはチャンス。臆する無かれ、難題は私に解決されるのを待っている」
アルフレッドは大きく息を吸い込んで会議室に向かった。
しかし。
勢い良く部屋に入った司政官の目が信じられないといったように宙を泳いだ。
がっら~~~~ん。
なんと会議室に座っていたのは、リードただ一人だったのである。
出席が不可能な場合に使う画面会議用ディスプレイも全て沈黙している。
「なんだ、この醜態は。こんな非常事態に遅刻者がこんなに多いなんて」
気合を自己注入して、やる気満々でやってきた司政官は声を荒げた。
「これを見ろ。全家庭に配信された号外だ」
リードが机上のディスプレイを指差した。それを見るなり、アルフレッドは震えながら唸り声を上げた。
「やりやがったな、栄光日報っ」
―――栄光日報緊急ニュース
滅亡の危機! ドームで治療不能の伝染病発生
非難用船舶も無く、すでにお手上げの司政庁
「くそう」
アルフレッドはコピーを投げ捨てる。
血の気の多そうな若者、アーメッドとか言った。さも、先達の業績に感動して司政庁に協力するようなことを言っていたのに。自分はまんまと謀られたのか。アルフレッドは唇を噛み締めた。
「灯台下暗しだな。この情報が届く前に、状況をいち早く知ったここの職員達が先ず居なくなったようだぞ」
リードが席を立って伸びをしながら、ぼそりと呟く。
「フェスは、フェスはどうした」
うわ言のように呟くと、アルフレッドは周囲を見回した。
「信じられないといった顔で、先ほど管理職の面々を探しに宙港に行った」
自分に報告しようにも、先ずフェスがこの事態を信じられなかったに違いない。アルフレッドは彼が逃げたのではないことを知り、ひとまず安堵のため息をついた。
「いい事を教えてやろう、司政官」
リードは一指し指を立てて、無表情で呟いた。
「人生はそんなに甘くない」
「司政官、大変ですわ」
当直のマークのついたIDバッヂをつけた受付嬢のミリアンが、会議室のディスプレイにいきなり現れた。
「宙港に市民が集結しています」
会議室の中型のディスプレイに大量の市民が押し寄せる映像が映し出された。
「メインコントロール室に移動だ」
リードも司政官の後を追う。
「船舶が市民に占拠されたら、避難の優先順位の高い人々が乗れないぞ」
「大丈夫だ。ドーム保有船舶はロックされていて、司政官の生体認証がないと発進できない」
本当は、入船のためのドアも幾重にも施錠されているのだが、司政庁の人間が行っているならば、すでに鍵はすべて持ち去られていると考えたほうがいいだろう。アルフレッドは、歯噛みしながら、リードを振り向いた。
「感染者はどんな具合だ、感染弱者のドーム退去型隔離は必要なのか」
「82人に増えたが、隔離地域から以外は出ていない。今のところ、近隣の開業医総動員、ロボットフル稼働でなんとかなっているらしいが、できることと言ったら対症療法しかない状態だ。一番最初に発症した男性が敗血症で危篤状態だが、さらに悪いことに、5歳の孫も……」
「待て」
アルフレッドの目がディスプレイに釘付けになった。
群衆が大挙して宇宙船になだれ込もうとして、船からレーザービームの照射を受けている。津波の前に波が引くようにさっ、と人々の輪が船を遠巻きにした。
そのとき、メインコントロール室のディスプレイが切り替わり、あばただらけの赤ら顔が浮かび上がった。
「初めまして、司政官」
カメラは少し引いて、赤ら顔の男がスーツに極彩色の鳳凰を配した派手な羽織を引っ掛けている姿が映し出された。
「これが最初で最後の挨拶かもしれんがな」
「あいつは誰だ」
アルフレッドがリードに尋ねる。この見るからに柄の悪そうな男は、司政官の脳内コンピューターにも入っていなかったらしい。
「大宇宙衛星研究所の親玉だ、廃物処理のことで、こいつとはやりあったことがある。確か名前はザイバー」
「プライス司政官、よくも我々の会社を潰して、星間ライセンスも取り上げてくれたな」
ザイバーが口元をゆがめて笑う。
「きわめて当たり前の処遇だ。それにしてもお前、この公共の電波をジャックして何をしているんだ」
ザイバーはアルフレッドをぎろりとねめつけた。
「この船のロックをはずしていただけないかと思ってね」
カメラがさらに引いて、彼の横に宇宙船の操舵室が映った。
「お前、ドーム保有の船舶を占拠したのか。そこに乗るのは未感染の子供達とお年寄りだ。こうしている間にも感染が広がる、バカなマネは止せ」
「私は我慢できない体質でね」
ザイバーが余裕綽々という面持ちで、葉巻に火をつけた。
「これを見ても、ロックをはずさないか」
画面が切り替わる、と、同時にアルフレッドが身を乗りだした。
ザイバーの高笑いがメインコントロール室に響き渡る。
そこには司政庁の制服を着た人々が縛り上げられて、転がっていた。
「俺達アウトローと違って公僕の皆さんはドームの危機に最後まで立ち向かうと思っていたのに、俺達より先にココにたどり着いていらっしゃった。俺達が司政官の弱みを握っているからロックをはずせると言うと、疑いもせずドアの鍵を渡してくれたよ、おいロッド」
ザイバーに呼ばれて黒のスーツをだらりと羽織ったやせこけた男が、画面に現れた。いつもザイバーの指示で実行犯として働いているのだろう目つきの鋭い、ハイエナのような雰囲気の男である。
「俺は本気だということを見せてやれ。司政官がうんというまで、一人ずつなぶり殺しだ」
「やめろ、バカなマネはよせ、ここは逃げおおせても犯罪者はすぐ捕まる運命にあるんだぞ」
敵前逃亡した腰抜けとはいえ、部下である。わずか2日の付き合いだが、それでも見た顔が何人かおり、アルフレッドは必死で説得を始めた。
が、ロッドが引っ立ててきた両手両足を拘束された男の細いシルエットを見たとたん彼の声が止まった。
「まず、コイツからだ。虫も殺さない顔をしているくせに、俺達を業務停止に追い込んだこの性悪からな」
捕まるまでにかなり抵抗したのだろう、猿ぐつわをされた頬に赤い血しぶきが飛んでいる。
「フェ、フェス……」
アルフレッドは自分の頭の中が真っ白になるのを感じた。
「用意しろ」楽しむかのようにザイバーが命令する。
両手首を吊り下げられたフックに固定されて、フェスは天井から釣り下がった形になった。悔しさがにじみ出た顔で、彼は衛生研究所のヤクザ達を睨みつけた。
「やれ」
ザイバーの声とともに、ロッドの電子鞭が一閃する。
フェスの服は破れ、仰け反った白い背中に赤い裂傷が走った。
猿ぐつわをされた口から、くぐもったうめき声が漏れる。
「や、やめろ」
アルフレッドは早鐘のように打つ自分の鼓動で、ぐらぐらと揺れるような感覚に陥った。まるで、自分自身が切り刻まれているようだ。
フェスの背中は見る見るうちに赤い筋で埋め尽くされていく。
「た、頼む……、止めてくれ」
うめく様な司政官の声が聞こえているのかいないのか、ロッドは血走った目で鞭を振るい続ける。画面のフェスはとうとうぐったりとし始め、鞭のしなるほうに左右に揺れていた。このままでは本当に彼の命が危うい。
アルフレッドは自分が明らかに冷静さを失い、常軌を逸しているのがわかった。
これまでも、何回か危機的な状況に直面することはあったが、彼はそのたびに『万年雪』とあだ名されるくらい、常にクールに対処してきた。
しかし、今。
自分の頭は完全に停止している、とアルフレッドは認識している。
脳内にあるのは、フェスの事だけである。
なぜだ、動け! と頭の中では司令を出しているのに、その解決方法の模索の部分で、襲ってくる脳内の激しいうねりに溶けてしまうのだ。
決断ができない。一秒が永遠にも感じる、自分は今、指揮を取れる精神状態ではない。
アルフレッドが周囲を見回すも、傍らにはリードがいるだけ。
こいつ、得体の知れない、何かしでかした、噂では天才科学者。彼をこのドームに隠すために何か大きな力が働くほどの……。こいつなら、もしかして。
司政官は決断した。
「わかった、ロックをはずす」
「ふふふ、最初からそう言えばこのきれいな兄さんも痛い目にあわずにすんだのにな」
画面に映るフェスの目がだめだ! と叫んでいる。
しかし背中の出血がひどく、もうこれが限界だということは一目瞭然だった。
「ザイバー、わかった。船は出港させる、ロック解除の手続きと船での私の生体認証が必要だ。15分でそちらに向かうから待ってろ」
「10分だ、それ以上たったらこの兄さんだけではなく、他の職員の命もないぞ」
ディスプレイの画面が消え、そこには空港に押し寄せた人々が司政官を糾弾しながら船を取り巻く姿が見えた。
「おい、ど天才」
アルフレッドがリードのほうに顔を向けた。
「お前のその普段は役に立たない頭脳をフル回転して考えてくれ、占拠された船舶を奪還するにはどうすればいいか」
「そんなのは、ドーム警備隊に言えよ」
「警備隊とその所属ロボットはα1、2、3の隔離地域にほとんどが行っている、幾人かは宇宙港にもいるが、群衆を抑えるのに精一杯のようだ」
アルフレッドはリードの肩を引っつかむようにして、歩き出す。
「それにあの画面の隅っこにこそっといたのが、ドームの警備隊長だ」
「警備隊長がダメなら、奪還計画を考えるのは切れ者の司政官様がお得意だろう」
司政官は立ち止まった。
「つべこべ言うな。今、私の頭は原因不明の不調で働かないのだ」
彼はリードの襟首をつかんで、搾り出すような声で懇願した。
「たのむ、打開策を考えてくれ」
リードは襟首の手を払いのけて、アルフレッドの目を真正面から見た。
「お前、変だぞ、どうした」
「ごらんのとおり変なんだ」
吐きすてるように言って、顔をそらすアルフレッド。
「今までこんなことは無かった。どうしても、考えが前に進まない」
「なんでも、独りで抱え込んでやってしまおうと思っているから、混乱するんじゃないか」
リードは呟いた。
「ま、フェスのためでもあるし、力にならんでもないよ」
リードの黒い眼がきらりと光った。
「頼む」
「頼みました、だろ」
「たのみました……」躊躇している暇は無い。小声で呟くアルフレッド。
急にリードはにんまりとしてアルフレッドの肩をたたいた。
「天才に不可能の文字は無い。閃いたぞ、司政官」
ついて来い、と言わんばかりにリードは先にたって歩き始めた。