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インフェクション

6、インフェクション


「全く、何てことしてくれるんですか。」

「ふっ、ふごっっ。もっと優しくできないのかっ」

 もがくリードを押さえつけて、マーシャルは鼻にガーゼを詰め込んだ。

「優しく詰めてたら、止まらないんです。鼻血ってのは」

 鼻声でリードは部下にもごもごと弁解した。

「言っただろ、昨日のぽい捨て現行犯なんだよ」

「そんなことどうだっていいんです。たとえセレクターを破壊した犯人であろうとも、相手は司政官なんですよ。今セレクターを特権行使して買う事のできる唯一の人間なんです。土下座して足を舐めろといわれたら、私ならしちゃいますね。それを……とっくみあっちゃうなんて、どういう神経してるんだか。ああ、情けないっ」

「悪かったよ、マーシャル。どうも僕は感情を抑えるって事が苦手なんだ」

「世間知らずの上に、性格的な視野狭窄がありますからね、あなたは」

 マーシャルはため息をついて嘆いた。

「ローズ局長から、新進気鋭の天才科学者が来るって言われて、どんな人だろうと思ってたら、こんな人だった……」

 マーシャルの愚痴を聞きながら、ベッドに横たわりぼんやり天井の上を眺めながらリードは考えた。

 もう、司政官は僕の陳情を聞く耳をもたないだろう。やっぱりローズ局長に交代してもらって僕はゴミ回収に行こう。局長ならきっとうまくやってくれる。

 そのときリードのコムがなった。

「もしもし」

「私だ。ローズだが、困った事になった」

 左手にはめたコムのディスプレイに衛生局長のローズが浮かび上がる。白髪がちらほら見えるが、筋肉質のがっちりした男で、働き盛りオーラが画面から漂ってくるようだ。

 ちょうどいい。天の助けだ、局長だ。リードは安堵のため息をついた。

「局長、実はですね……」

「すまない、急ぐので私の話を優先してくれ。今日は司政庁に行っているはずだな」

「ええ、まあ……」

「昼に伝えた伝染病の患者が一挙5人も増加した。α2地区の同じ団地の一家だ。症状は同じで咳、リンパ節腫脹。最初に発症した父親が重体だ。1時間前から全身状態が急変して、呼吸管理を行っている。現在原因を検索中だ。空気感染の可能性があるので診察医師、看護婦を含め計10人が隔離状態となる。そのうち衛生局関係の医師が3人。私もその中の一員だ」

「なんですって」

「α2地区は、廃屋も多い過疎地区だ。ベクターの発生がないか至急調査してくれ。とりあえず、そのアパートの退去、そして住民の隔離勧告をしなければならないだろうな。エザキ君、病院関係者を除けば君が衛生局のナンバー2になるんだから、現場の指揮をよろしく頼む。病院はしばらく修羅場になりそうだ。資料はすぐ司政庁と君に送る。司政官に報告してくれ」

「あ……」

 リードが答える前にコムは切れた。ローズ局長はいい人なのだがせっかちなのが玉に傷だ。リードはブリーフケースの中からノート型のマルチコミュニケーターを取り出して、送られた資料を読み始めた。

 見る見るうちにリードの顔が青くなる。

「マーシャル、もう一度司政官に会いに行くぞ」

 二人は立ち上がった。1階の受付に行くと、またあのコマンドレディがいてこっちを睨みつけている。

「あ、し、司政官に」

 平静を装っても、なにせさっきねじ伏せられたばかりである、知らず知らずのうちに舌がもつれて説得力のある言葉が滑り出さない。

 その時、リードを押しのけてマーシャルが受付嬢の方に進み出た。

「お、おい」

「さっ、課長は邪魔だから向こうに引っ込んでいてください」

 彼は彼女の耳元に何かささやいた。硬かった受付嬢の頬がゆるむ。二人で数分楽しげに話していたが、やがてブロンドの巻き毛の部下は軽い足取りでリードの方に戻ってきた。

「さ、行きましょう。今、メインコントロール室だそうです」

「え、フリーパスか?」

 彼女の方にマーシャルは振り向いて叫んだ。

「センキュー。今度お茶しよう、ミリアン」

 マーシャルがウインクして手をあげる。彼女もにっこりと手を振る。

「なんでだ、なんでだ。どうしてこんなに違うんだ」

 リードの憤慨を見て、にやりと笑いマーシャルは言った。

「何事にも抜け道があります。人生経験が足りませんね。課長」

 先を行く鼻歌のマーシャルをリードは横目でにらみつけた。メインコントロール室は司政庁5階にある。受付嬢からの連絡がはいっているのか守衛は二人を見るとドアを開けた。

「リード・エザキです」

 二人を出迎えたのはフェスだった。小声でリードに耳打ちする。

「すいません、やはりご機嫌ななめなんですが……」

「いいよ、もうそれどころじゃない」

「私も聞きたいことが山ほどある。今、この報告を受けた」

 怒りのオーラでかげろうが立つほどの迫力で、アルフレッドは画面を指差した。

 メインコンピューター上にローズの報告書が開かれていた。

「大変な事が起こった。原因不明の伝染病だ」

 司政官はリードの方に向きなおった。報告書をスクロールしながら彼は浮かない声で言った。

「α2地区か。昔は栄えたとこらしいな」

「昔の繁華街だ。現在は住む人も少なくなっている。廃屋の多い所だ」

「まだ、これだけではなんとも言えない。病原菌の確定を急いでくれ。宇宙赤十字本部には報告しておけよ」

「今から、α2地区に消毒等の視察に行く。結果は今日中にまた報告するが、最悪第1級隔離体制を引くことも考えておいてくれ」

「なに、1級だと。住民のステーション避難か」

「ドームは原因の病原体が蔓延しやすい。空気感染の可能性があるのだが、このままでは隔離をすり抜けて猛スピードで感染が広がりそうなんだ」

 ドアに向かうリードをアルフレッドは追いかけて肩を並べた。

「私も行くぞ」

「結構だ」

 と、言おうとしてリードは言葉を飲み込んだ。機を察してマーシャルが答える。

「こんな事態ですから司政官に視察をしていただけるのは大変にありがたい事でございます」

 彼の方には目もくれずアルフレッドは机の上の制帽をかぶるとちらりと鏡を見た。

「フェス君。α2地区に視察に行く。地区の資料、感染防御マニュアル、災害マニュアル等を至急そろえて……」

「あります。1級感染対策用のプロテクターも用意するよう伝えました」

 手早いフェスの仕事にアルフレッドは舌をまいた。きれいにまとめられた資料が渡される。顔色一つ変えることなく、こともなげに仕事をこなすフェスにアルフレッドは感謝した。

 秘書が彼で本当によかった。しかし、見れば見るほど透き通るように色が白い奴だ。アルフレッドは少しだけ前任者の気持ちが解るように感じた。

 四人は全身にプロテクト剤を噴霧され、その上から防護服を着込んだ。20世紀のものと比べると、息もしやすいし機能的だが、全身を覆う作りは同じで、決して着心地の良いものではなかった。

「私が運転いたします。」

 フェスが運転席に乗り込んで四人はα2地区に向かった。

「いやあ、司政官自らなんて申し訳ありませんね。司政官の中で今までこんなアクティブな方はいらっしゃいませんでした」

 マーシャルが後部座席から愛想よく話しかける。しかし、アルフレッドの耳には入っていなかった。

「詳しい報告をしてくれ。リード」

「第一の患者が発見したのは、3日前の昼だった。ドーム中央病院にα2地区の開業医から連絡が入ったんだ。60歳の男性で、どうやら2日前から微熱が続いているのだが、通常の抗生物質に反応しない。くぐもった咳がひどく胸部特殊断層写真で肺胞の細胞浸潤と膿の貯留を認めた。合併疾患はないそうだ。昨日その家の30歳の長男と、その5歳の子供も類似した症状があることが解り、空気感染が疑われた。昼にローズ局長より連絡があったんだが、最初に発症した男性が今日急変し重態に陥ったようだ。今から行く団地の住民を含め感染者はさらに5人増えて8人になったらしい」

「もし、死人が出ればパニックになるな」

「病院も30人の医師のうち3人が隔離状態だ。ローズ衛生局長も含めて」

「今の衛生局のナンバー2は誰なんだ」

「副院長のレイダーさんだ。医師がほとんど兼任しているんだよ。衛生局は」

「村役場のようだな」

 村役場はおまえの所だろう。後部座席でこぶしを震わせるリードをマーシャルは身振り、手振りで必死に止めた。

「レイダー医師は病院にかかりっきりだろう、今、衛生局実務の実権はどこにあるんだ」

「ローズ局長からさっき委譲された」

「誰がだ」

「僕だ」

「冗談だろ。こんな若僧にか」

 はき捨てるように言うアルフレッド。

 ぬおおお。いきり立つリードをマーシャルは押さえつける。

 バックミラーでそんな二人を見てフェスがすかさずフォローする。

「しかし、司政官もかなりお若いですよ」

「若くても、中身が詰まっているからな。僕は」

「ど、どういう意味だっ」

 リードが後ろから司政官の首に手を伸ばす。

 もう、限界です。セレクターよ、さようなら。

 とマーシャルが思った時、がっくんと揺れて車が急停止した。

 反動でリードは両手を前に突き出したまま、後部座席に沈み込む。

「α2地区につきました。ここが感染者の出た団地です、司政官」

 フェスが後部座席と助手席を気遣うようにちらりと見る。

 マーシャルが、ありがとうというようにフェスに目配せする。

 眼の端でほんの少し微笑むフェス。アルフレッドは彼の美しいラインを描く横顔を見るのを無意識に避けた。きれいだ。と思った自分の心を見透かされたくなかったからである。

「どうしました。司政官、少しお顔が青くなられていますが御気分でもお悪いのですか」

 マーシャルが駆け寄る。

「何でしたら、うちの課長は医学博士号をとっておりますので……」

「悪かったな、マーシャル。僕はレジデントをしてないんで診察はできないんだ」

「課長はマッドサイエンティストの上に、ペーパードクターなんですか」

 大げさに落胆する仕草をして、アルフレッドを持ち上げるマーシャル。

「お前、おべっかが見え見えなんだ、少しは黙れよ」

 司政官に擦り寄るマーシャルの腕を引き寄せ小声でリードが釘をさす。

「なに言ってるんですか。そんなことじゃセレクターを買って貰えませんよ。もっと私達の売り込みをしないと。あなたもがんばってお世辞の一つくらい言ってください」

「どうせ、僕は性格的視野狭窄の世間知らずだよ」

「なに、ひがんでんですか」

「何をこそこそ言ってるんだ」

 司政官が振り向いた。

「いえいえ、何でもございません」

 両手を胸の辺りでぶんぶん振って、あわてて取り繕うマーシャルをリードは不服そうに横目で見た。

「これが問題の団地か」

 このドーム絶頂期の4、50年前の建物らしい。3階建ての古ぼけたアパートだが剥げかけた桃色の外壁、不必要に装飾された手すりや入り口の作りにそこはかとなく成金趣味が漂う。

 だが、現在は人があまり住んでいないようで、窓ガラスが割れている部屋もいくつかあった。

「司政官」

「なんだ。リード」

 リードは震える手で団地の斜め後ろを指差した。


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