突撃! 司政庁
5、突撃、司政庁!
二十二世紀前半、ワープ航法とワームホールの発見で人類の活躍の場は飛躍的に拡大を遂げる。
幸い懸念された人類以外の生命との接触も無く、地球生まれの祖先を持つ人々は我が物顔に銀河に散らばって行った。
その足がかりになったのが宇宙ドームと呼ばれる、人類が生存するのに不適な環境下での生活を可能にする閉鎖型都市建設だった。
地球外の星に作られた最初の居住区はやはり月で、子供が遊ぶ六角形のブロックをつなげたような無骨なコンクリート作りの建物が始まりだったが、数十年たたないうちに工法も発展し、小型ではあるが現在のような都市型ドームの建設が可能となった。
宇宙ドーム建設ラッシュに一役買ったのはリサイクラーと呼ばれる自動廃物分別、処理、再製品化の一括システムであった。このおかげで究極のリサイクルが行われ、太陽系からの物資補給がし難い辺境の地でもある程度の自給が可能になったのである。
辺境のドームの管理は異種生命体との接触や、不測の事態に備えて太陽系連合宇宙軍からの出向で行われる。特に、利権に絡まない辺境ドームは、誰も手を差し伸べないため、仕方なく軍が航行中継地点として管理する傾向が強かった。
しかし、ドームの維持費が宇宙軍の財政を逼迫し始めたため、昨今は補助が強制的に打ち切られて、ドームも独立採算の道を歩まねばならなくなっている。
「ああああっ、寝過ごした。もう昼だっ」
悲鳴を上げながら、リードが衛生局の共用スペースに駆け込んできた。
荷物も家族も無い彼は、5階の廃物処理課の空き部屋に私物を持ち込んで寝泊りしている。
「朝行くって行っていたんだから、起こしてくれてもいいじゃないか、マーシャル」
「やですよ、あなたの部屋に入るの。だって窓際のあの天使の像、薄気味悪いんですから」
マーシャルは、リードのほうを振り向きもせず、共用の調理台に立って手元のフライパンを見つめている。彼もまた、ここに寝泊りしている無帰宅公務員の一人だった。
「何が、薄気味悪いんだ」
「一度あなたの部屋に洗濯物を届けに入った時、目が光ったんですよ」
「お前の事だから、挨拶代わりに胸でも触ったんだろう、そりゃ石でできた天使だって怒るさ」
図星だったのか、マーシャルが黙り込む。
「ところでアポは何時に取ったんだマーシャル。気になる報告が来たんだ。今日は絶対に司政官に会わなくてはいけない」
資料の詰まったブリーフケースを持ち今にも出かける勢いでリードがイライラした声で叫ぶ。自分の昼食を作りながら、仕方なく顔だけ出してマーシャルがへーぜんと答える。
「ああ、取ってませんよ」
「なんだって、昨日言っておいたじゃないか」
「要りませんよ。着任2日目です。暇に違いありません」
人工肉のベーコンを炒めるいい匂いがする。
コイツはずぼらで怠惰な男だが、料理だけはうまい。何も食べていないリードは思わず鼻をひくひくとさせた。世間知らずのリードは目玉焼きさえ満足に作れない。
「以前の僕たちとは違うと思うが……」
「大丈夫ですよ。我も人なり、彼も人なりって言うでしょう」
「例えもちょっと違うと思うが……」
「司政庁って言ったってこんな規模のステーションじゃ村役場みたいなもんですよ。そんなにしゃちほこばる必要はありません」
「そんなもんかなあ」
急に空腹を感じたリードがさみしく机の上のクッキーを取ろうとした時、部屋の電気が消え、暗くなった。
「あ、停電だ」
「あー何も見えない。今、卵割ったとこなのに」
30秒程度で停電は回復した。
「最近、多いな。こんな停電」
「まあ、エネルギー供給のサブラインがいっぱいありますから少々の事じゃ、大事には至りませんよ。しかし、くっそー、オムレツがあ。僕のふわふわオムレツがあ、スクランブルに……」
くやしがるマーシャルを見てリードは幾分機嫌が良くなった。
「じゃあ、司政庁に行ってくる」
「早くリサイクラーを買っていただいて、私をもとの安穏とした生活に戻してください。期待してますよ、課長」
「期待は僕じゃなくて、新しい司政官にしてくれ」
「ま、期待はほどほどにしておきます。人生そんなに甘くないんですから」
スクランブルエッグとカリカリベーコンを挟んだパンにかじりつきながらマーシャルは手を振った。
「人生を極甘に生きているお前に言われたくないぞ、マーシャル」
寝ても覚めてもゴミとともにあったこの3ヶ月。いくらなんでも、もう人生の底は打ったはずだ、これからは少しずつ上昇するに違いない。
と、リードは思っている。
それにしても。
廃物処理課長は部下のブロンドの巻き毛と明るい茶色の瞳を思い出した。
ちゃらんぽらんな奴だが、女性には相当もてるらしい。そういえば、以前母方にイタリア系の血が混じっていると言っていた。あのいいかげんさと調子良さ、日系の自分とは根本的に合わないのも頷ける。
とりあえず、今日は司政官をなんとしてでも説き伏せなければ。いったいどんな奴なんだろう。
考えながら歩いて、柱に突き当たったリードは悶絶してしゃがみこんだ。
「なんか、幸先悪い日だな……」
司政庁に着くと彼は入り口の受付嬢に司政官に連絡を取るように頼んだ。
「御冗談でしょう。いきなりなんて無理ですよ。」
「急ぐんだ。これは緊急事態なんだよ。今日は衛生局長の代理も兼ねているんだ」
「ミスターセレクター。あ、失礼。ミスターリード。あなたの大変はみんな良く知っておりましてよ。ゴミがある日モンスターになって襲ってくるんでしょう」
けたけたと赤毛の受付嬢は笑った。嘲笑うかのようにカールした長い髪が揺れる。心の中で彼女を屎尿処理場にたたき込むと、一息吸い込んで、できるだけ押さえた声でリードは凄んだ。
「いいか、止めても無駄だ。絶対に面会してやる。たとえ、司政官が集中治療室に入っていてもだ」
「女と思って甘く見るんじゃありませんわよ。申し上げたでしょ、何かあっては大変ですのでアポなしでは、絶対お通しできません」
官庁的口調でリードにまくし立てたあと、受付嬢はリードに顔を近づけて脅すように呟いた。
「黄金色のさらさらヘア、そして射抜くような青い切れ長の目。あ~んなハンサムな司政官見たこと無いわ、絶対にお命とお顔を守り通しますわよ」
ふと、司政庁の受付嬢はスペースコマンドー出身の猛者という噂をリードは思い出した。
すっくと椅子から立ち上がった彼女の手にはパラライザーが握られている。
「冗談じゃない。寝ている暇はないんだ」
受付嬢を振り払うと、リードは2階の司政官室に通じる階段を駆け上がった。
「おまちっ」
ブリーフケースを抱えた彼を背後から受付を飛び出した彼女が猛然と追いかけてきた。
「いくら、衛生局のゴミ男とわかっていても、いきなりは会わせません。手続きを取りなすぁいっ!」
深夜、隣の研究室から足りなくなった試薬をくすねに行って見つかったとき以来の必死のダッシュを見せて、リードも司政官室に向かう。
しかし、足音で差がぐんぐんと縮まっていくのがわかる。
「あなた、運動神経ないんだから」
マーシャルののんびりした声が頭に響いた。
なにが村役場は暇だ。元はといえばあの野郎がちゃんとアポイントメントさえとっておけば良かったんだ!
リードは上がりきったところの、立て付けの悪いドアに思い切り身体ごとぶつかった。そして襟が細い手でひっつかまれるのを感じながら2階のフロアーに倒れ込む。
「なんの騒ぎだ」
部屋の外から、人々のざわめきと、物の壊れる音がして、ディスプレイから顔を上げたアルフレッドはフェスに聞いた。
「受付のミリアンからの通信では、衛生局長代理がアポなしでこちらに向かったとか」
「ちょうどいい。僕も衛生局の者に言いたかった事があるんだ。通してくれ」
「抵抗はおよしっ」
手を捻じりあげられ床に押さえつけられたリードがもはやこれまでと観念した時だった。コマンドレディのコムが鳴った。
「は、解りました。ほんとによろしいんですね」
捻じった腕をはなし、彼女はリードを立たせた。
「司政官から、面会許可がおりました。御案内いたします」
「は、なんて言った?」
彼女は彼をねじ伏せた場所の真ん前のドアを指差し、何事も無かったようににっこりと微笑んだ。
「司政官がお会いになられるそうです。きちんとした手順さえあれば、私は誰にでも天使の笑顔を差し上げましてよ。はい、ここが司政官室」
どうなることかと思ったが、しかしこれでやっと司政官に会う事ができる。リードは裾の埃を払いながら立ち上がった。前の司政官は耳を貸してくれなかったが、このゴミ問題をどうにかしなければドーム1779は崩壊してしまう。
でも、ああ、やっと、3ヶ月の苦労が、報われる時が来た……。
リードは感無量でドアを開けた。
「衛生局のリード・エザキです。司政官に是非聞いていただきたい事が……」
「ああ。お待ちして……」
アルフレッドが顔をあげた 次の瞬間、二人は同時に叫んだ。
「ああーっ、お前は昨日の」
何が起こったのかすぐには理解したくない二人だった。
「てめー、よくも昨日は」リードが叫ぶ
「それはこっちのせりふだ」負けじとアルフレッドもリードを睨み付ける。
「お前が司政官だって? ここもいよいよ最後だな。ここのドームは、司政官のゴミ捨て場か」
「無礼な奴だ。お前みたいな無能な衛生局員がいるからリサイクラーがぶっこわれるんだ」
「なにおっ、僕らの努力を……」
リードは司政官の襟首を掴んで壁にたたきつけた。
「努力の方向がちがうんだ、この単細胞」
反対にリードの腕をつかみ、床に叩きつけるアルフレッド。
「誰が単細胞だ」
「私の目の前にいる奴だよ」
司政官という職務を忘れ去ったアルフレッドは立ち上がったリードを殴り付けた。リードも負けじと相手を蹴り上げる。組み合ったまま二人は床を転がった。物音に驚いてやってきた人々に二人とも叫んだ。
「手を出すなっ」
「あああああーーーっ、何やってんですか。嫌な予感がして来てみればやっぱり……」
司政官室に飛び込んできたマーシャルはいきなりの修羅場に立ちすくんだ。
「あ、あの人は運動神経がとっても不自由なんですよ。早いとこやめさせないとゴミ回収に行く人間がいなくなる。止めてください。誰かっ」
しかし、手を出すなという命令を受けている人々は動こうとしない。
頭をかかえたマーシャルにそっと近づいて来たフェスはささやいた。
「大丈夫です。ああ見えても司政官も文官上がりですから、体力は知れてます。それよりもこれから協力していただかなければいけない二人ですからわだかまりのないようにしっかりスキンシップしていただきましょう」
マーシャルは振り向いて清楚な美青年の顔をまじまじと見つめた。
「君、誰だか知らないけど、若いのに老成してるね」
「よく可愛げがないといわれます。司政官秘書のナイ・フェスです」
「僕は衛生局のマーシャル。お互い大変だね、握手しようか」
意気投合しあう部下をしりめに上司二人はさらに大人げなく罵り合っていた。
「お前のような、心の腐った奴にこのドームは任せられん」
「この嫌われ者の偏執狂め」
「ふん、偏執狂か。まあ、市民に砂をかけて逃げる司政官よりはましだと思うがね」
「ゴミに埋もれて人に言い掛かりをつける奴の何処がましなんだ」
「馬鹿野郎。あそこに捨てられた缶に特殊物質が使われていて、それが爆発してセレクターが壊れたんじゃないか」
「なに、特殊物質だって」
「私は分析結果を上申したぞ、何度も。警察も軍も面倒くさくなるのがイヤなのか、犯罪としては取り上げてくれなかったがな」
「そんな事は一言も……」
襟首を掴んでいた手を放し、アルフレッドはリードから離れた。
「テロの可能性があるじゃないか」
「そんな事もなきゃ、誰が好き好んでゴミに潜むかよ」
「大変じゃないか」
「だから、大変だって言ってるんだ。僕らはな」
少しの間の後アルフレッドは口を開いた。
「話を聞こう、セレクター爆発事件の資料があれば見せてくれ」
そのときになって、リードは生暖かい感触に気づき、顔をぬぐった。鼻血と思われる血で手は真っ赤だった。
次の瞬間彼の身体中には痛みの感覚が蘇ってきた。予期しない激痛に彼はたじろいだ。
「おい、話を聞こうと言っているんだ。どうした、おい……」
リードの目の前の光景が一瞬ぐらりと揺れ、ゆっくりとフェイドアウトしていく。
「さんざん騒がせてこれか、お前」
司政官の声が暗闇の向こうに消え去っていく。
「せっかく整頓した司政官室を血だらけにしやがって。この野郎……」
リードがマーシャル達によって医務室に担ぎ去られ、アルフレッドは司政官室に一人になった。
司政官はふと首を傾げる。
「リード・エザキ。それにしても奴は何者だ?」