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対峙

17、対峙


 どんよりと煙った大気の中、土星が地平を昇ってくる。

 宇宙から見るとクリアに見えるその美しい輪もタイタンの厚い大気を通すとぼんやりとして美しいとは言いがたい。

 窓から陰鬱な風景を眺めながら、レイモンドは珈琲を口に含んだ。

 液体メタンの雨といい、軍事的な重要拠点ではあるがこのタイタン基地は長居したくは無い場所であった。

 ただ、彼はこの我慢もあと少しということを知っている。にやりとほくそ笑みながら、彼はこれからの華々しい人生を夢想した。

 今や1779は無人のドームだ。採掘権が二束三文で売り出されるのも時間の問題だろう。すでにめぼしい土地は購入しているから、採掘権を購入して再開発に乗り出せばいい。ミラクルストーン以上のエネルギーを持つスーパーエネルギーストーンをわが手にして、瞬く間に億万長者だ。そうなれば、宇宙ステーションを一つ別荘として購入して、視界全部が星空の部屋で独り寝転がるというというのも夢ではない。

 そう自分に言い聞かせると、彼は来月の物資補給計画を頼りない補給部門に代わって立て始めた。

 ルルルルル。

 インターコムが鳴り、受付嬢が画面に現れた。

「レイモンド筆頭秘書官、面会です」

「誰だ」

 その瞬間、ふっとインターコムの画面が消え、代わりに部屋に入ってきたのはアルフレッドだった。

「失敬な、ノックくらいしてください」思わず机から立ち上がるレイモンド。

「失礼した」

 ごっそりと落ちた頬の肉、浅黒い顔に眼だけらんらんと光らせて1779ドームの司政官がレイモンドを真正面から見据えた。

「このたびは、とんだことでしたね」

 一瞬、目じりをつり上げるもすぐに薄い笑みを浮かべてレイモンドは司政官に椅子を勧めた。

「ああ、就任直後から散々な目にあわせてもらったよ」

「奇病が流行って、死者まで出るとは大変でしたね。ベクターはホワイトデストロイヤーと伺いました、いやあ、ちょっと早ければ私達がその憂き目にあっていたと思うとぞっとします」

 レイモンドはアルフレッドの視線を軽くはずすと珈琲を入れた。

「どうぞ」

 珈琲には口をつけず、アルフレッドは刺すような視線をレイモンドに向けた。

「老後には1779に来てくれるとのことだったが、残念だな」

「え、何のことです? 私はあそこが好きなので再開発されるとなれば舞い戻ろうと思っているんですよ。被害を最小限にとどめた優秀な司政官もいらっしゃいますし、ね」

 レイモンドが固い表情のアルフレッドにしらじらしい笑みを送る。

「ホワイトデストロイヤーを持ちこむような奴に入植を許可する訳にはいかん」

「何のことです」

 さすがのレイモンドの顔も険しくなる。

「私があのネズミを? 言いがかりもはなはだしい。どこにその証拠があるんです」

「お前、私と同じだな」

 コンピューターの画面を見ながらアルフレッドはにやりと笑う。

「人任せにできない、なんでも仕切りたがるタイプだ」

「それがどうしたんです」

「ホワイトデストロイヤーを調達したお前は、司政官をまるめこんで特権である司政官郵袋の中にネズミを入れた。郵袋はすぐ返却する必要があるから、おまえ自身がすぐさま檻か何か人には見えないようなものに移し変え、誰かにホワイトデストロイヤーをα地区に置き去りにさせたんだろう」

「だから、何を根拠に」

 レイモンドの声が怒気を帯びる。

「たとえ、上官にあたるプライス中尉でもあまり私を侮辱なさると許しませんよ。あんな辺境ドーム、壊滅させても私には一文の得にもなりません」

「フェスがお前名義の広大な土地があることを発見したが、その土地にはエネルギーストーン以上のエネルギーを持つ鉱石の鉱床があるらしいぞ。それでも、お前の得にならないか? もっとも採掘権は高いから、この騒動でタダ同然になったところで買いたたこうとしたんだろうがね」

 レイモンドが息を飲む。

「リードが感染源特定のためにここ半年の死者と死因を調べたところ、鉱床関係者数人に立て続けに不審死があった。特に問題とされなかったようだが、新しい鉱床の情報を得るだけ得て口封じをしたのもお前じゃないのか」

「あなたが、赴任地で立て続けに苦労をされて頭までお疲れになったのは良くわかります。でも、そんな夢物語を本気で語られてもね」

 アルフレッドに背を向けてレイモンドは続けた。

「さ、今のうちですよ。私が怒って、あなたに不名誉な精神鑑定訴訟を持ち出さないうちにさっさとお帰りください」

「このタイタンの入職時健診の際のお前の血液を調べさせてもらった。ネオペストと呼ばれるネズミの媒介した病気の中和抗体を持っていたな」

「ええ」

「あらかじめ、ホワイトデストロイヤーにかまれてもいいように打っていたんだろう」

「私はいろいろな赴任地に行きます。数え切れないほどの予防接種を受けています。私は用心深いので、対テロ用の軍部用希少ワクチンもいろいろ打っているんです。その中にたまたまネオペストの中和抗体も入っていたのかもしれません」

「ネオペストの中和抗体価は高かったぞ、最近打ったものと思われるんだが」

「新しい司政官がいらっしゃる直前、慰労もかねて10日間ほどバクスター司政官との他ドーム視察に行きましたが、そのときも予防ワクチンを打ちましたからね。その中に入っていたのかもしれません」

「あくまで、しらを切るつもりか」

「だから、何が証拠でそんな世迷言を言ってるんだ」

 レイモンドが声を荒げる。

「私がドームに来たとき、お前はレポート作成で1ヶ月司政庁を出ていないと言ったな」

「ええ、あの時期は忙しくてね」

 眉をひそめてレイモンドが答える。

「ホワイトデストロイヤーの初めての感染者、そして、各地域でネズミの巣穴に近い感染者から特異的なIgE抗体が見つかった」

「なんです、その特異的IgE抗体ってのは」

「IgE抗体は免疫グロブリンの一種だ。アレルギーを起こす物質が鼻腔などから入ると、リンパ球の中のB細胞から分泌される抗体の一種だ。後日の実験からホワイトデストロイヤーの体毛や糞塵などの抗原を吸入すると、その抗原に特異的なIgE抗体が作られることがわかった。症状が出る場合と出ない場合があるが、この抗原に濃厚接触したものにしかホワイトデストロイヤーの糞塵の抗体は発現しないことが分かっている」

「で、そのIgEがどうしたんです」

 レイモンドの顔に明らかな狼狽の色が浮かんだ。

「郵袋に数日閉じ込められていたネズミたちの袋を開けたとき、貯められた粉塵が空気中に散ったものを吸い込んだんだろうな。お前はかまれさえしなければいいとだけ思っていたんだろうが」

「私はあのドームにいましたから、知らない間にどこかであのネズミと濃厚接触したかわかりません」

「昨日、健康診断の再検査をされただろう」

 はっ、と目を見開くレイモンド。

「ホワイトデストロイヤーの糞塵は強力なアレルゲンで必ず生体内に特異的なIgEを生産する。一回だけの暴露の場合、ほぼ3日で半減していくがタイタン到着直後の採血と昨日の採血の特異的IgEの量と変化から考えると、明らかに暴露したのはここ1ヶ月だ」

 レイモンドが黙り込む。

「司政庁にはネズミが来た痕跡は無かった。もちろんここタイタンや君が見学に行ったドーム、移動に利用した宇宙船内にもホワイトデストロイヤーは存在していない。あの時申し送りのレポート作成が忙しくて1ヶ月間司政庁に缶詰だったと言ったな。すべて調べたところネズミ達の週齢は一番年長の数匹が約5週間だった。こいつらが最も古い侵入者と考えられる。ネズミの寿命は約5年。以前からドームにネズミがいたのであれば、もっと年をとったネズミがいるはずだ。君の視察は10日間だったから、帰ってきた時以外ドーム内で君がネズミに接触した可能性はない。すなわち君が密輸したとき以外は接触の可能性は無いということだ」

「気取った坊ちゃんかと思っていたら、なかなかやるじゃないか」

レイモンドが珈琲を口に含みながら呟いた。

「これで勝ったと思うな」

「バクスターのほうへも調べが行っているはずだ。お前が自白しなくても、あの親父なら自白剤の投与でぺらぺら吐いてくれるだろう」

 アルフレッドはレイモンドを睨み付けた。

「貴重な人命が失われた。ホワイトデストロイヤーもある意味犠牲となった可哀相な生き物だ。この罪を償うためお前は一生監獄の中で星空を見ることなく過ごすがいい」

 彼の言葉が終わると同時に警備員がなだれ込んでレイモンドを拘束した。

「覚えておけ、アルフレッド」

「ああ、最低の人間として記憶しておく。私からもお前にはなむけの言葉をやろう」

 指を一本立ててアルフレッドはふん、と鼻を鳴らした。

「こんなちんけな計略で巨万の富を得られるほど、人生は甘くないんだよ」

 窓からはぼんやりとした土星が見える。

 アルフレッドは早くあの人工太陽の空を見たいと思った。

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