絶対絶命
13.絶体絶命
「司政官、住民の避難誘導の指示を早く出してください」
前線の指揮官として働いているベイリーの困惑した声がメインコントロール室に響く。
各所から次々に悲鳴に近い催促がここに寄せられる。
「優先避難者の乗船が終わりました。出航の指示を」
「隔離されているα1~3地区の人々はどうするのですか」
「とうとう住民達が明かりを持って次々と司政庁に押し寄せて来ています。今、階下で食い止めていますが、突破されるのも時間の問題です」
しかし、当のアルフレッドは今までと別人のようにぼんやりと返事をするのみ。
その顔は真っ青で、額からはだらだらと汗が流れ落る。
一歩判断を誤れば、そして一刻を逃せばドームが破滅するこの絶対絶命の時期に自分は何を考えているんだ……、その焦りがまた妄想に拍車をかけ、彼は全身を震わせた。
「アルフレッド!」
ばちん、と頬をひっぱたかれて妄想の淵に沈んでいた司政官ははっ、と我に返った。
「お前、ちょっと、来い」リードが彼の肩をぐいっと引き寄せる。
「なんだ、司政官に対してその言いぐさは」
「医師の特権だ。精神的に問題がある可能性がある、ちょっと診察だ」
耳元で彼は呟いた。
「僕は、ペーパードクターだが、名医だ」
「すぐ戻る。代わりに指揮をとっておいてくれ、フェス」
自身でも限界を悟っていたアルフレッドは力なく言うと、廃物処理課長に引きずられるまま部屋を出て行った。
司政官執務室で、リードとアルフレッドは二人きりになった。
「おかしいぞ、お前。ドラッグでもやったか?」
リードが険しい顔で聞く。
「薬の力は借りん」
「そうだな、お前のようなふてぶてしい奴はこの程度の事ではびくともしないはずだ」
「ご挨拶だな」
そう言いながら、司政官はリードの言葉を内心肯定していた。
自分は、確かに厚顔でふてぶてしい。彼はそう自覚している。ただそれだけに何にも動じない精神力を持っているとの自己認識もしていた。
なのに、この体たらくはなんだ。何かが自分の中で起こっているに違いない。もう、真実を話してこのちょっとピントの外れた天才に頼るべきだろうか。彼はフェスの面影を頭から追い出そうと戦いながら自問自答した。
他に道筋は無いように思えたが、それでも彼にとっては大きな掛けだった。
「じつは……」
と、言いかけた時リードが口を開いた。
「お前の妙な変化をいろいろ考えてみたんだが、原因はフェスじゃないかと思い当った。彼はどうも特別なフェロモンを分泌しているみたいだ」
「え、フェロモン?」
「微量で他者に働きかける機能を持つ分泌物だ。人間が惹かれあうのもこのフェロモンの影響が大きい。ただ」
「ただ、なんだ」
「彼のは同性に働き、始末に負えないくらい強力みたいだ」
リードはフェスが暴行されたときに、傍らにいた男が急にフェスに恋い焦がれだした事を聞いたと話した。それまでにも、いくつか彼が男から言い寄られてことごとく断るために仕事上の辛い仕打ちを受けたり、刃傷沙汰になりかけたりしたという噂もあるらしい。
「僕らのようにまったく反応しない人間と、反応してしまう人間がいるようだ」
「ま、まさか」
と、言いながらアルフレッドは身に起こったこの激しい感情の答えが出ることで、心が急に軽くなるのを感じていた。。
フェロモンは匂わないというが、フェスのフェロモンは特殊なのだろうか、会ってすぐの頃、なにか特別な芳香を感じたことがあったのを彼は思い出した。
そういえば、あのロッドという男。フェスに向けた銃の引き金に手を掛けていなかった。あいつもあの短時間で彼に参ってしまったのだろうか。
「気が狂うくらいの恋煩い。違うか?」
リードの言葉に完敗して、アルフレッドは力なく頷く。
「指揮をとる人間は私しかいない。しかし、今の私では指揮は取れない」
「お前の目の前にいる人間を誰だか知っているか?」
アルフレッドは首を左右に振る。
「天才科学者、そして奇跡のペーパー名医のリード・エザキ様だ」
彼はウィンクした。
「大船に乗ったつもりで任せておけ、すぐ効く薬を作ってやる。待ってろ」
自信満々の後ろ姿を見送る司政官は、一抹の不安を感じながらも、溺れる者は藁をもつかむの心境ですべてを委ねることにした。
リードを待つこと数分。
「待たせたな」
彼は右手に持った壺からスプーンでねばねばした白いクリーム状のものをすくい上げながら司政官に向かった。
「フェロモンに反応するのは鼻腔の嗅上皮だと言われている。それをブロックすれば、徐々に効果は消えていくはずだ」
異臭を放つ白い薬が鼻につっこまれた。
「皆、待たせた」
すっきりした顔でメインコントロール室に戻ってきたアルフレッドの声に皆が振り返る。
「お風邪でも急にひかれましたか?」
きれいな顔なのに残念な鼻づまり声になってしまって……。ミリアンは目を丸くしながら司政官に尋ねる。
「少し、鼻閉があるが気にしないでくれ。それよりも、一階に住民が押し寄せているとのことだが、すぐ私が出て対処する」
「あと、500人の避難場所は」
「それも、多分大丈夫だ。隔離船はすぐ出航させろ、宙港にいる人々はすべてここ司政庁に誘導するんだ」
彼は、颯爽と言い放つと住民が待つ司政庁入口に向かった。
「出てきたぞ、司政官だ」
手に手に明かりをもった住民が、怒号で若い司政官を迎えた。
「この停電はどうなっているんだ、わしらを見殺しにするのか」
「ドームの汚れた空気で病気になって死ぬのはまっぴらだ」
「無能な若造を殺せ、船を乗っ取れ」
司政官は胸についたマイクで静かに話し始めた。
「説明します。何らかの罠がこのドームに仕掛けられた可能性があります。すなわち、セレクターの爆破とホワイトデストロイヤーという白ネズミの繁殖による停電、そして原因不明の疾病の伝染。これらは一連のつながった事件の可能性があります。また、今はやっている感染症、これはネオペストと言われる病気の可能性が高いようです」
ペストと聞いた途端、群衆はしん、と静まった。
「しかし、ご安心ください。今、宇宙赤十字がワクチンと特効薬を持ってこちらに向かっています。ただ、警戒しないといけないのは、ホワイトデストロイヤーという獰猛な白ネズミが、このドームの食糧を狙って襲ってくることです。奴らは高いところと明かりを嫌います。今から住民の皆さんに急いで避難していただきます。指示に従ってください」
「そんな、夢みたいなウソ信じられるもんか。停電の言い訳だろう」
その時。
「白ネズミが襲ってきたっ」
叫びとともにコンクリンが何台も急ブレーキで止まる音がした。
「家が瞬く間に破壊されて、皆で避難してきた」
泣き叫ぶ声がする。
「大変です、α、εのドーム外縁部にもホワイトデストロイヤーが出現しました」
いつも冷静なフェスの声が、やや裏返っている。
「全ドーム対象の緊急避難の指示をする。α1から3地区の人々は病院で待機。そしてそれ以外の健康な男女1500人にはここ司政庁で白ネズミと戦ってもらう。司政庁に入って、ベイリーの指示を受けて戦闘配置についてくれ、そして残りの方500人程度いらっしゃるはずだ。あなたがたは避難してもらう」
「どこにだ。この周辺で500人も収容できる安全な場所があるはずがない」
群衆の中から声がする。
「鉱山だ」アルフレッドが静かに答える。
「ふざけるな」
太い男の怒号が聞こえ、群衆のまとめ役らしい筋骨隆々とした鉱夫然とした男が人波をかき分けアルフレッドの目の前に現れた。
「俺は、このバレスタ鉱山の現場監督のディバロンというもんだ。あそこにそんな場所はない」
「私はこのドームに来るとき、ドームの歴史をなめるようにして勉強してきた。数多見た鉱山の開山初期の画像には鉱山で働く千人を超える人々と、まだこのドームが立つ前の粗末な閉鎖空間住居とそれに比べ立派な設備のある鉱山の様子が映っていた」
「ああ、初期のころは鉱石を掘るのに、機械よりも人間の方が信用されていたんだよ。それにしちゃ、扱いは悪かったがね」
先祖に苦労話を聞かされているのか、吐き捨てように鉱夫は言った。
「しかし、千人規模の採鉱現場には必ず500人規模の自家発電付きのシェルターが整備されていたはずだ」
「百年も前のことで、誰も知りゃあしないぞ」
「検索して場所はわかった」
「安全に使えるのか、百年前のもんが」
強い語気に、一瞬アルフレッドは言葉に詰まる。
「ああ、使えるさ。カギも持ってる」
名乗り出たのは、あの栄光日報のアーメッドだった。
「俺は、功を焦って皆を惑わせてしまった。今こそ、一致団結してドームのために戦わなければならないのに、俺は文屋としての誇りを無くしてしまっていた。黙々と面白くもない正確な記事を並べているキースの情報を読んでいて、恥ずかしさに、のた打ち回ったよ。だから何か役に立たせてくれ」
彼はアルフレッドを真正面から見た。
「じいちゃんが、あのシェルターの管理責任者だったんだ。最後のカギを閉めるとき、たとえ二百年後でも使えるような状態にしておいたとうそぶいていたからな」
「それにしてもいきなり非戦闘員、ほとんど女達だろうけど、をあんなところに閉じ込めて大丈夫なのか。本当に白ネズミは防御できるのか」
ディバロンはまだ納得できないというように腕組みをする。
「大丈夫だよ、あんた。あたしは行くよ」
その妻らしき、でっぷりとした押し出しの良い中年の女が声を上げた。
「あんたたちがドームを守る間、あたしたちはシェルターで待っているさ。心置きなく戦っておいで」
「しかし、お前」
鉱夫の代表が口ごもる。
確かにシェルターと言っても百年前のものだし、定員ぎりぎりの人数が入るのだ。
「他に妙案があるってのかい、多少狭いけど何とかなるさ。ま、あたしと入る人は不運だけどね、ははは」妻は豪快に笑い飛ばす。
「俺たちのドームを何とかして守るためだ。皆、協力してくれるか」
現場監督は、群衆を振り返る。住民たちは皆、口をぐっと結んで彼を見かえした。そして彼らの妻も。しばらくの沈黙があり、ディバロンが頷いた。
「わかった、計画を実行してくれ、司政官」
「くどくど礼を言う暇はない、炭鉱方面はまだホワイトデストロイヤーが出たという連絡はない。皆すぐに第2出口から、炭鉱のシェルターに向かってくれ」
プライスは妻達のほうに振り返った。
「旦那さん達は私が責任をもって生きてお返しする、頑張ってほしい」
妻たちの中には泣き出すものもいたが、おおむねの女性が気丈に頷いた。
「おい、あんな大言壮語していいのか」
リードが演説から戻った司政官を追ってきて詰問する。
「ああ」
プライスはにやりと微笑む。
「何かあったら一番先に死ぬのはこの私だ。死んだ後にウソつき呼ばわりされても痛くもかゆくもない」
「おまえなあ……」リードは呆れ顔でプライスを見送る。
「司政官」
プライスの横に影のごとく付き添って、フェスがつぶやいた。
「司政官が一番なら、二番目は私です」
それだけ言い残して、彼はコンソールに座ると避難の細かい指示を出しに各部署に連絡を始めた。
丁寧な彼は漏れがないかすべての住民の住所と、その動向を照合していく。その手がはた、と止まった。
「なぜ、レイモンドがこんなに広大な土地を所有しているんだ」
「なんだか、感激しましたね、司政官の演説。うって変わってしゃきっとしちゃって」
珍しく白衣を着こんで、試薬を調合しながらマーシャルがリードに話しかける。
「ああ、いいよな、持てる力を出し切って」
浮かない顔でリードが呟く。
「僕ができることは他にもあるかもしれないが、僕はもう封印された人間だ。これ以上の事はしてはならないんだ」
「誰に封印されたんです」
「それは、言えない」
それきり、リードは慣れない司政庁の実験器具を使いながら、禁持ち出しの資料に書いてあったホワイトデストロイヤーをおびき寄せる強力な香りの調合に没頭した。
「えい!」
マーシャルが髪の毛を抜いても気が付かない。
「集中力はすごいんだけどなあ、集中力は……」
部下は抜いた髪の毛をまじまじと見つめた。
24時間後。
ドームは瞬く間に白ネズミに占拠されて、まるで白いドーナツの輪が太くなるようにじわじわと中心の司政庁にネズミの進攻が始まっていた。衛生局はドーム辺縁にあるため、すでにネズミ達の大群に飲み込まれている。
司政庁を中心とした200メートルの円の内外で日夜を徹したネズミと人との戦いが始まった。
人間は光で脅し、火器で攻撃する。いったんは退くネズミ達だが、すぐさま津波のように押し寄せ、徐々に防衛ラインを突破していく。噛まれたものも多く、すぐさまその人々は、病院へと担ぎ込まれていった。
「次のレーザーを持ってこい」
前線でアルフレッドも戦っていた。
「そろそろその防衛ラインもライトを照らすエネルギーが持ちません。10メートル後退してください」
フェスからの通信が入る。
「ベイリー裏門の方はどうだ」
「こちらも、負傷者が続出しています。休む時間も少なくなって、皆疲れが出てきています」
司政官に縋り付くようにして若い女が泣き叫んだ。
「うちの坊やがいないの。避難の時、行方がわからなくなって。おうちに大好きな犬のぬいぐるみを取りにかえったのかも……」
「残念ですが、もう奴らに取り囲まれて助けに行けません。お家は、高いところですか?」
「忌み口の近く、7階建ての建物の5階です」
「ホワイトデストロイヤーは高いところが苦手です。助かる可能性はあります。希望を捨てずに待っていてください」
女性は、警備員に抱えられるようにして司政庁の中に引きずられていった。
「プライス司政官、赤十字からの連絡です」
フェスの声が耳元の通信機からアルフレッドの鼓膜を震わせた。
「上空に到達したそうです。ただ、ドームに安全に入れないため、まず周回軌道に避難した人々の診察を行うと言っています」
「わかった、私が直接話をする」
アルフレッドは予想より早い宇宙赤十字の到着に安堵を覚えながらも、このホワイトデストロイヤーを片付けないとワクチンも特効薬も手に入らないという厳しい現実も噛みしめていた。