奪還
10、奪還
宙港は、ドーム保有船で逃げようとする人でごった返していたが、なぜか先ほどディスプレイで見た映像よりも人が少なくなっているようだった。
「この船は、子供達を乗せるんだって」
「まだ、感染は限られた地域だけみたいよ」
出口から荷物を担いで帰っていく人々が情報端末を見ながら話しているのが、変装して保有船に近づくアルフレッドに聞こえた。
ふと、彼は宙港の出発ロビーの大型スクリーンにも刻々と情報が流れているのに気がついた。その中に、先ほどの自分の会見も繰り返し織り込まれている。
「ドーム1779ニュースがずっと、無料で臨時ニュースを流しているわ」
「深夜からずっと流れているのよね」
「栄光日報は、情報を売れるだけ売って無しのつぶてだけど、こちらのほうが本当みたいよ」
群衆が落ち着きを取り戻しかけている。
夜間照明帯は終わろうとしているのか、ドームの空が徐々に薄紫に染まってきた。
「早く明ければいいのに、こんな夜」
コムで手伝いに呼び出されたマーシャルが眠そうな眼をこする。
「職員専用通路に入りましたから、そろそろこいつらを解放しましょう」
「ああ」
アルフレッドは上の空で返事をした。
大日本衛生研究所の奴らに逆恨みされて拷問を受けたフェスは大丈夫だろうか。焼けるような胸の痛みを感じながら、自分はどうしてしまったのだろうかとアルフレッドは歯噛みした。
もしかして、これは恋をしたということか……。
まるで急に繁殖期が来た動物のような、心の衝動をもてあまして彼は混乱していた。
「奴は誘惑するぞ」
バクスターの言葉が頭に蘇る。
いや、断じてフェスは誘惑などしていない。なのに、妙に最近彼のことが美しく見えていた。それに加えて、さっきの痛めつけられるフェスを見たら狂おしいほど愛しくなってしまって……。全ての優先順位を踏みつけて、自分の心を支配する、アルフレッドはこんな激しい気持ちを女性を愛した時にも感じたことがない。女性を愛するときにはいつも恋に落ちる順序と理由があった、しかし、今回はいきなり滝壺に落とされたみたいな感じだ。
作戦前というのに、フェスの事が頭から離れないアルフレッドは、自己嫌悪に陥りながら首を振った。
「それにしても、本当にこれで大丈夫なのかマーシャル」
「多分……」
マーシャルもリードに関して確証が持てるような実績を見たことが無い。
「あいつ、衛生局のラボからものの30秒で出てきたぞ」
「あの二人には相当頭にきていましたから、すでに薬剤は作っていたのかもしれませんね」
「お前の上司って、結構根に持つタイプだったんだな」
アルフレッドはリードの目に砂を投げつけたことを少し後悔した。
感染対策を進めるため、当のリードは衛生局に残っている。
「それにしてもこいつら本当にうまくやってくれるんだろうな」
頭上を見上げ、司政官はため息をついた。
「もうそろそろ10分だ、奴はまだ来ないか」
ザイバーがモニターで外を見ているロッドに声をかける。
「気をつけろ、相当な切れ者だそうだ、次の司政官は」
「大丈夫ですよ、ザイバーの旦那。催眠ガスは浄化設備があるから使えないし発光弾も壁に過剰光吸収材が使われているから無効。入口は不法な侵入者を防ぐため守りやすく攻めにくい構造になっているし、透視装置があって武器の所持や、隠れている人間も全て感知できるようになっています」
「司政官はなんだかおたおたしていたな、実は噂ほどでもない単なる若僧かもしれないな」
ザイバーは高笑いした。
「おっ、奴です」
モニターには、関係者用エントランスから群衆を避けて操舵室に向かう司政官の姿が映っていた。その横には若い男がいる。
「あれは、衛生局の優男じゃないか」
ロッドが口を歪める。
「あいつと、五月蠅いゴミ上司にはいろいろ横槍を入れられたから一度、仕返しをしてやろうと思っていたが、ドームを立ち去る前に都合よくやってきてくれるとはな」
ロッドは傍らのフェスを振り返った。
「お前の上司が来たぞ」
唇をかんで、顔を背けるフェス。
いやらしい笑いを浮かべて彼はフェスの背中の傷に、爪を沿わせた。
「なんだか、お前は人をむらむらさせる魅力があるな」
苦痛に顔を歪め身体をそらせるフェスの腰をぐい、と引き寄せロッドは彼の頬を指でつかんで自分のほうに向かせた。
「そこらの女よりきれいじゃないか」
ぐいっと顔を近づけた、その時。
「ううううう、っ」
ロッドが震えだした。
「たまんねえ、がまんできねぇ、なんて魅力的なんだ。このまま押し倒して……」
「何、やってんだ、ロッド」
部下の突然の体たらくにザイバーは声を荒げる。
「司政官がドアの外に来たぞ」
「旦那、お、おれ、頭が真っ白に……」
フェスを抱きしめながら、ロッドが小声で呟く。
仕方なく、ザイバーが自ら司政官と衛生局員を慣れない手つきでスキャンする。スキャンの機械が古いのか、多少画面がちらちらするが、それでも彼らが武器を持っていないことは明らかだった。
周囲もスキャンしたが、警備隊の姿は無い。
「それでは、入らせるぞ。人質に銃口をめり込ませておけ」
ザイバーがボタンを押す。
ウィーン、静かな音でドアが開いた。
司政官が足を踏み入れた、その瞬間。
バチーッっ。
二人めがけて、部屋に滑り込んだ3センチ大の黒い弾丸達が猛スピードでぶつかった。
その衝撃でなぎ倒される二人、そしてまるで黒い雪だるまのようになって転げまわる。
マーシャルが目にも留まらない速さでロッドに飛びかかり、鳩尾に一発こぶしをかます。そしてそのまま体を返しザイバーの首に手を伸ばすと、一瞬のうちに昏倒させた。まるでプロの暗殺者のような無駄の無い動きで、彼は数秒で蝿だらけの二人を拘束した。
アルフレッドはフェスに駆け寄り、ぐったりとした身体を抱き上げる。
「大丈夫か」
「ええ」
ほっとしたように目を開けて、フェスが頷いた。
「あなたが助けてくださると信じていましたから」
抱きしめた~~~~い! 気持ちを何とか抑えてアルフレッドは無表情を作る。
ただ、彼は一つ気にかかっていることがあった。
あの時、ロッドが片手に持つ銃はフェスの首に押し当てられていたが、引き金から指は外れていた。あんな甘い事、抗争を重ねて来たプロがやることだろうか……。
「なにはともあれよかった」
遠巻きにして近寄ってこない公務員達の気配を背中に感じて、司政官は声を張り上げた。
「私は何も見ていない。だから、これからは粉骨砕身働いてくれ。それでは先ず……」
アルフレッドはまだ蝿にたかられて黒いままの二人を指差した。
「護送してくれ、影響を消す薬を蝿達に投与するまでは奴らは蝿ダルマのままだ」
「はい」神妙な声がして、迅速に命令が実行された。
「いったい、これは?」フェスが細い声で尋ねる。
マーシャルが紅潮した頬で得意げに話し始めた。
「リード課長は攻撃の的を絞るため、二人にしか無い特徴を考えたんですよ、それで奴らの使う鼻が変になりそうなくらいきっつい香水に思い当たりました。リサイクラーを通さずにいい加減な処理をしているから、あのヤクザども腐臭が身体にこびりついてしまったんです。だからいつも奴らが僕ら衛生局員に会うときは、あの香水で腐臭を隠していたんですよ。あの香水に対し強い攻撃性を持つようにする薬品を調整して、採取していたボタ山の蝿どもに投与して、品種改良をしたんです」
「そうでしたか、ありがとうございました」
フェスが長い睫毛を揺らしてかすかに頭を動かす。
司政官はうっとりとその部下のはかなげな姿を見つめた。が、以前より少し頭の霧が晴れているような気がする。
「ところで司政官」
マーシャルが困ったような顔で話しかける。
「もう、帰ってシャワーを浴びさせてください。ハエの軍団を連れてくるために、頭にくさやを凶悪にしたような臭いのスプレーをしたじゃないですか、この匂いもう我慢できません」
「ああ。私も同感だ」
もしかすると、フェスへの気持ちが落ち着いてきたのはこの匂いのせいか?
かくも匂いとは、不思議なものか……。司政官は窓を見上げた。
ああ、夜が明ける。
頭の腐臭に閉口しながら、アルフレッドは人工太陽の赤い光を見つめた。
そうだ、キースにこのハイジャックネタを一番に知らせてやろう。
と、司政官が宙港の掲示板を見上げた瞬間。
ふっ、と掲示板の光が消えた。
全ての光が音も無く静かに消えていく。
「停電だ」人々がざわめき始める。
そして夜明け間近だったドームは再び暗闇の中に沈んでいった。