緊急事態
1 緊急事態
人工太陽のまろやかな日差しが瞼をとおして心地よい。
サウンドコントローラーから流れるせせらぎと、蜜蜂のうなり。ときおり空調に乗って運ばれる干し草のさわやかな青い香りが鼻をくすぐる。
まるで20世紀のスイスの原野に転がっているようだ。
これを幸せといわずして何が幸せ……。
ふかふかのベッドの上、大地に抱かれているような穏やかなまどろみの中、青年は細い指で黒髪を掻きあげて満足げに呟いた。
「ああ、左遷されて良かった」
しかし、その次の瞬間。
安眠をつんざく不快な警告音によって彼はベッドから転げ落ちた。
キュイーン、キュイーン、キュイーン、キュイーン。
「大変です。課長」
まっ昼間というのにピンクのハートと緑の縞模様のパジャマを着た部下のマーシャルが息を弾ませて飛び込んで来た。ご自慢のブロンドの巻き毛がぐしゃぐしゃに乱れている。
いつも仕事には怠惰な彼がこんな顔をしているのだ、大変に違いない。
まだ覚めぬ頭でぼんやりとそんなことを考えながら、衛生局廃物処理課長リード・エザキは、ベッドから落ちた姿のまま部下に詰問した。
「どうした。何が起こった」
「リ、リサイクラーが……」
女性に対しては饒舌なその口がパクパクとするばかりでまともな音声を発しない。
「なんだって、リサイクラーがどうした?」
リサイクラー、と聞いてリードもさすがに姿勢を立て直す。
「い、今モニターで見たら、煙を……」
マーシャルは人懐こい大きな茶色の目を三角にして、言葉を搾り出した。
「じゃあ、このサイレンは?」
「リサイクラーの一部、ゴミの分別をするセレクターに火災が発生した警報です」
「冗談じゃない、すぐ現場に直行だ。しかしお前この平日の昼間にパジャマのまま廊下を走って来たのか?」
「課長だって、パジャマじゃないですか」
マーシャルはリードを見つめて不服そうにぼそりと呟いた。
部下の呟きは無視して、課長はさっさとクローゼットからコートを2枚出して、1枚を部下に放った。
「無駄口をたたいている暇はない。コートを羽織って行くぞ」
「パジャマにコート。まるで不倫の最中に旦那に踏み込まれた男みたいですね」
「君の例えはいちいち生々しいんだよ」
ほこりを被ったトラブル対処マニュアルを手にリードは1階に続くエレベーターに乗り込んだ。マーシャルも続くが、なんだか不満げである。
「それにしても、地味なコートですね。これまでの私の人生でこんな遊び心の無いコートを着たことなんかありません」
「イヤなら返してくれてもいいんだぞ」
不機嫌極まりない顔で、リードが答える
「着ますよ、着ます。だって外は省エネ設定で寒いんですから」
「えらく、饒舌になったじゃないかマーシャル」
「なんだか課長の寝癖のついた髪をみたら、落ち着きました。だって、あの壊れ方。もう僕達が急いだって、多分手遅れです」
「手遅れで落ち着くなよ……」
二人は車庫に入っていた、コンクリンと呼ばれるドーム用小型車に乗り込んだ。マーシャルがハンドルを握ると、コンクリンは静かに、しかし勢い良く道路に飛び出した。
「おいっ、人が飛び出してきたらどうする」
リードが助手席で凍りつきながら叫ぶ。
「ご冗談でしょう、人に当たるより星間宝くじに当たる確率のほうがまだ高いですよ」
マーシャルの言葉にふと、リードは窓の外に眼を向けた。
透明の強化合成樹脂の窓から、このドームの景色が流れていく。
居並ぶ豪奢な建物、そして整備された道路や公園。
しかし、どこもかしこも見事に人気が無く、ガランとしている。
良く見ると派手な装飾の建物達は年月に蹂躙されて壁ははげ落ち、いたずら書きに埋め尽くされ、すでに廃墟の雰囲気をまとっていた。
「辺境に軟禁か……」
リードがぼそりと呟いた。
ここはドーム1779。
今でこそ人類が宇宙進出をして1779番目に立てられた宇宙ドームという意味の味気ない名称で呼ばれているが、100年前のこのドームは今とは全く違っていた。
このドームが建設されているのは弱毒大気を持つ、極寒の星バレスタ。本来なら入植など考えもしない場所だが、大量のクリーンエネルギーを含有するミラクルストーンの鉱床が発見され、その採掘の拠点として建設されたのである。ミラクルストーンの稼ぎ出す膨大な資金力をバックに技術の粋を集めた、その当時としては珍しい、地下に円柱状に掘り下げた大きな都市型ドームで、細部まで無理に金を使った凝った造りになっていた。
ドームの天井には、人工太陽と呼ばれる照明機能が備えられ、それが描き出す空の美しさは、一目見ようと観光客が押し寄せたくらいである。
しかし、栄枯盛衰は全てのものに訪れる。空前の繁栄をしたこのドームだが、その繁栄も長くは続かなかった。
30年前に資源の枯渇の徴候が見え始めるとともに、人が減り始めた。悪いことにそれに加えて、資源消費の中心である太陽系近隣にミラクルストーンを産する星が発見され、ワームホールを乗り換え乗り換え、ここにたどり着く意味は全く無くなってしまったのである。それがとどめで人口はざっくりと減り、好景気に酔い他の産業の育成を怠ったこのドームは衰退の一途をたどって行った。今は一頃の賑わいもなく、細細と採掘夫とその家族が食べていけるだけの鉱物を辺境近隣に輸出しているにすぎない忘れられた田舎ドームに成り下がってしまっている。
「半年前でしたよね、課長がこの宙港に来たのは」
マーシャルの視線の先にはドーム外の離着陸場に通じる宇宙港のくすんだ建物が静かに佇んでいた。かつてはさまざまな星からタンカー船が毎日のように停泊し鉱物を満載にした後、母星にむけて飛び立っていったにぎやかな一帯だが、今はぺんぺん草の生えた家屋に、ピンクサロンとかカジノの扇情的な看板が斜めになって引っ掛かっている建物がところどころに残っているばかりである。
昔は近隣でも名高い扇情的なサービスを誇った繁華街で、綺羅星のごとくスターが皆お忍びで訪れることで有名だったが、勝手を知らない田舎者が不用意に遊びに行くとしりの毛までむしり取られると評判だったらしい。
「ああ、そういえば迎えに出てくれたのは君だけだったな。ずいぶん昔のように思えるよ」
リードは傍らの働かない部下が、宙港の到着ロビーでぽつねんと立っていたときの事を思い出した。迎えなど期待していなかったが、それでもやはり彼を見たときはうれしかったものだ。
「いや~、目の前にいる人が自分の上司だって最初はゼンっゼンわかりませんでした」
「貨物船に便乗して来たから、乗客は僕以外いなかったじゃないか」
マーシャルが笑いだす。
「だーって、破れたTシャツに皺くちゃな上着、ぼさぼさの髪ですよ、まっさかこの人が、って」
「だからって警察を呼ぶことはないだろう」
「だって、密航者かと思ったんです、あははははは」
リードは笑いが止まらないマーシャルを憮然として横目で睨んだ。
半年前、トランク一つでこのドームに来た時のリードは人生の目標を奪われて失意のどん底であった。12年間、科学者として第一線でがむしゃらに仕事してきた彼に与えられたのは落ちぶれたわずか人口三千人の辺境ドームの衛生局廃物処理課長の席のみ。
廃物処理課長とは、文字通りこのドームのゴミ、汚物処理の責任者である。
典型的な窓際ポスト、の役職ではあったが廃物処理課長の生活は人から顧みられないかわりに干渉されることもなく、人付き合いが苦手なリードにとっては、慣れればなかなか良い閑職であった。
西暦二千年代ならいざ知らず、宇宙進出とリサイクルの発達した現在、どれだけ複雑怪奇なゴミが出ようとボタン一つでコンピューターとロボットが効率よく安全に片づけてくれる。廃物処理課長とたった一人の部下のマーシャルのお勤めはリサイクラーという全てのゴミの処理とリサイクルを統括する装置、のメンテナンスだけであった。
もっともリードに仕事を引き継いだ前任者は、出世コースから転げ落ちた者特有の開放されたような笑顔で、彼の11年の任期のうち(このシステムに変わってからは、8年といっていたが)1度しか警告をあらわす赤ボタンにならず、それもトラブル処理コンピューターのボタンを押せば5分で消えたと言っていたものだ。
前任者はこのご時勢に無駄飯を食わせてくれるニッチな職だ、と繰り返しこの仕事を辞めて家業を継ぎに帰ることを心から惜しんでいる様子だった。
確かにこの職を引き継いでからは彼の言ったとおり、向上するための努力を忘れることのできた。のんびりとした職場で極楽のような日々が続き、リードは徐々にハリネズミのようだった自分の心が弛緩していくのを感じながら、多くを失ったが、しかし引き換えにこれからはもうこの安穏な生活に耽溺すればいいのだと、半ば納得しかけていた。
のに……。
「ゴミ処理施設に着きました」
マーシャルの言葉に、リードは追想から我にかえった。
「人生は甘くないぞ、マーシャル」
これは自分にも言い聞かせながらリードはすばやく備え付けの防護服を着ると部下と地下のリサイクラー施設に向かった。
「これは、ひどい」
無残に砕け散って白煙を上げている、廃物分別装置セレクターを見てリードは立ちすくんだ。すでに消火システムが作動して辺り一面びしょびしょである。
キュイーン、キュイーン、キュイーン、キュイーン。
施設中にはまだ警報が響きわたっている。
「怪我人は」
「ここは全てオートマチックですから、人がいる訳ないでしょう」
「そういやあ、そうだね」
こんなもの無駄だ。リードは大破したセレクターを見ながらトラブル対処マニュアルを放り投げた。傍らでマーシャルが頭を抱えている。
「でも、なんでこんなことになるんだ。あーあ。明日までに報告書を書かなくちゃいけませんかねえ、課長」
「それで済むといいけどな」
リードもうんざりとしてその光景を見つめていた。
しかし、その警報はこれから始まる大災害のプロローグを告げたに過ぎなかったのである。