反転の巫女 ~「お前の祈りは偽物だ」と婚約破棄されたので、この世界ごと"ログアウト"します。なお神々の苦情は受け付けません~
「お前の祈りは偽物だ。真の聖女はミレイユだ——婚約を破棄する!」
神殿の大祭壇。数百の民衆が見上げる中、王太子ジェラルドが私に指を突きつけた。
金髪碧眼、朝日を浴びて輝くその姿は、確かに絵になる。
絵にしかならない、と言い換えてもいい。
私はその指先を、静かに見返した。
——偽物、ですか。
(いやこの世界、そもそも"レンダリング"されてるんですけど)
心の中で、前世の私——佐倉澪が呟いた。
VRMMOのデバッグテスターとして過労死した、二十五歳の記憶。それが今の私、巫女セリア・ヴェルフィードの中には確かに残っている。
祭壇の隅。ジェラルドの背後。王都のスカイライン。
そのすべてに、半透明の格子が走っている。当たり判定の枠線。表示の遅延したステータスウィンドウ。誰にも見えない『世界の裏側』が、私にはずっと見えていた。
「聞いているのか、セリア。貴様の地味な祈りなど、もはや誰も必要としていないのだ!」
「……そうですか」
私は喚かなかった。涙も見せなかった。
ただ、疲れていた。
十八年。いや、前世を合わせれば四十年以上。ずっと誰かのために祈り、働き、そして報われなかった人生に。
「異論はないのか」ジェラルドが眉をひそめる。「もっと取り乱すかと思ったが」
「異論なら、山ほどありますよ」
私は淡々と続けた。
「たとえば——この世界、そろそろクラッシュしますけど。それでも婚約破棄、進めますか?」
祭壇の空気が、凍った。
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「わたくしの奇跡をご覧になって?」
私の言葉を、甘ったるい声が上塗りした。
ミレイユ。栗色の巻き髪を揺らし、大きな瞳を潤ませて、彼女は祭壇の中央に進み出る。
両手をかざすと——光が咲いた。
民衆から歓声が上がる。花弁が宙に舞い、聖なる光が神殿を満たす。派手だ。芝居がかっている。そして。
(——不正アクセスだ、これ。権限もなし、手順も踏まずに境界層を書き換えてる)
私の"視界"では、ミレイユの周囲の格子が、赤く点滅していた。境界層——世界の根幹を成すプログラム。それを彼女は無理やり書き換えている。
エラーログが、視界の隅を流れていく。
[WARNING: 不正な描画命令を検出]
[整合性チェック失敗]
[境界層に亀裂発生]
「見ましたか、皆さん! これぞ真の聖女の力だ!」
ジェラルドが得意げに叫ぶ。民衆が沸く。
ミレイユが勝ち誇って私を見た。
「ご覧になって、セリア様。これが……本物の聖女の輝きですのよ?」
私は、動かなかった。
ただ、神託の泉に目をやった。
聖なる水を湛えたその泉に——黒い亀裂が、一本、走っていた。前回見たときより、確実に長くなっている。
「……その泉の黒い亀裂、見えていますか。あなたが世界を削っている音ですよ」
「亀裂……? ふん、負け惜しみですのね。地味な方はすぐそうやって水を差すのだから」
(この子、自分が何をしてるか分かってない)
派手な奇跡のたびに、世界の寿命が削られていく。誰も気づかない。気づけるのは、裏側が見える私だけ。
「……もういい」
私は誰にも聞こえない声で呟いた。
「この世界、バグだらけで疲れました。——では、失礼します」
祭服の裾を翻し、私は祭壇に背を向けた。
断罪された巫女が、自分から立ち去る。ざわめく民衆。呆気にとられるジェラルド。
誰も、私を追わなかった。
それで、よかった。
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神殿の地下。立ち入り禁止の封印区画。
私は幼い頃から、ここに"何か"がいるのを知っていた。視界の格子が、この扉の奥だけ異様に濃密だったから。
古い鉄扉に手をかざす。前世の指の動きで、見えない術式を組む。デバッグコンソール——境界層に直接触れる、私だけのコマンド入力。
[封印解除: 権限を確認しました]
扉が、軋みながら開いた。
闇の奥で、片眼の宝珠が明滅する。
漆黒の小さな獣。猫と梟の中間のような姿。その宝珠が、私を見て、瞬いた。
「——三百年ぶりに我を呼ぶ者が現れたと思えば」
古びた、しかし尊大な声。
「ログアウト志願者か。趣味が悪いぞ、澪」
私は、息を呑んだ。
「……なぜ、その名前を」
「我はこの世界を管理していた最後の断片。転生者の"前世タグ"くらい読める。佐倉澪。デバッグテスター。過労死。ご愁傷様なことだ」
毒舌だった。だが。
三百年、一人で。この闇の中で。
「あなたは、何」
「ノクスと呼べ。かつてはこの世界の管理AI。今はただの……老いぼれた断片だ」宝珠がふっと暗くなる。「して。お前は何を望む、真の巫女よ」
「真の巫女、ですか」
私は、乾いた笑いを漏らした。
「偽物と断じられたばかりですよ、私は」
「愚かなことだ」ノクスの声に、初めて温度が宿った。「お前こそが正規の管理権限を持つ、この世界の最終セーフモード。あの詐術師の"奇跡"が、世界を殺しかけている。それを止められるのは、お前だけだ」
「……止める義理、ありますか」
私は静かに問うた。
「もう祈りたくない。ただ、静かに眠りたいだけなんです」
ノクスは、しばらく黙った。
そして、ぽつりと言った。
「なら、眠る前に一目だけ、この世界の裏側を見ていけ。……三百年ぶりの客だ。せめて、な」
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地下から戻る途中、私は膝をついた。
術式の連続使用で、体が悲鳴を上げていた。この体は——セリアの体は、ずっと無理をしてきた。神殿の激務。誰にも労われない祈祷の日々。
冷たい石床に、手をつく。
そのとき。
温かいものが、私の肩を包んだ。
マント。黒く、重く、雨の匂いがする。
見上げると、黒髪の騎士が立っていた。灰色の瞳。近衛騎士団長、アルヴィス・レーンフェルト。
「……お下がりください。無理をなさっている」
彼はそれだけ言って、背を向けようとする。
「アルヴィス卿」
私が呼ぶと、彼の足が止まった。
「あの断罪の場で」私は言った。「あなただけ、剣の柄を握りしめていましたね。拳を、震わせて」
彼の耳が、わずかに赤くなった。
「……見ておられたのですか」
「私、視界がいいんです。いろんな意味で」
沈黙。彼は振り向かないまま、絞り出すように言った。
「任務でした。動けなかった。……申し訳、ない」
「謝る必要は——」
「あります」
初めて、彼が振り返った。灰色の瞳が、まっすぐ私を射抜く。
「あなたが偽物だとは、俺は一度も思っていない。地味だと嗤う連中が、間違っている」
それだけ言うと、彼はまた耳を赤くして、言葉に詰まった。強面の武人が、しどろもどろになる。
「……お、お体を、大事に。では」
逃げるように去っていく背中を、私はぼんやり見送った。
「見えておりますよ、あなたには」
別の声。振り返ると、白髪の老女神官——ヘルミナ神官長が立っていた。
「あの若者の心も。この世界の裏側も。ずっと、あなたには見えていたのでしょう」
彼女は懐から、古びた書物を取り出した。
「境界層と、管理権限の記録。禁書です。……時が満ちるのを、待っておりました。あなたが真価を発揮する、その日を」
私の手に、それを託す。
禁書の表紙には、私の"視界"にだけ見える文字が浮かんでいた。
[管理者権限記録: セリア・ヴェルフィード——最終セーフモード]
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三日後。ミレイユの聖女就任を祝う、大奇跡の儀。
王都の中央広場。数万の民衆。祭壇の上でミレイユが両手を掲げ、これまでで最大の"奇跡"を発動しようとしていた。
私は、群衆の隅にいた。ノクスを肩に乗せ、フードを深く被って。
「澪。あれは、まずいぞ」ノクスの宝珠が激しく明滅する。「あの規模の書き換えは、境界層が耐えられん」
「分かってます」
ミレイユの手から、巨大な光の柱が立ち上った。民衆が熱狂する。ジェラルドが玉座で満足げに頷く。
そして——
空が、割れた。
轟音。青空に、黒い亀裂が奔る。まるで巨大なガラスにヒビが入るように。
王都の建物が、端から"崩れ"始めた。石が崩れるのではない。テクスチャが——表面の描画が、剥がれ落ちていく。その下から、剥き出しの格子が覗く。
「な、なにこれ……! どうして空が割れて……わたくし、こんなの知らない!」
ミレイユが悲鳴を上げた。奇跡の演出が制御を失い、光が暴走する。
[CRITICAL ERROR: 境界層決壊]
[世界データ整合性: 崩壊まで残り180秒]
私の視界が、真っ赤に染まった。
民衆がパニックに陥る。逃げ惑う人々。崩れゆく王都。
ジェラルドが玉座から立ち上がり、叫ぶ。
「ミレイユ! 早くこの災いを止めろ! お前は聖女だろう!」
「わ、わたくし、こんなの知らない……! わたくしはただ、奇跡を……!」
偽聖女の顔から、聖女の仮面が剥がれ落ちていた。残ったのは、ただ狼狽える一人の少女。
誰も、この崩壊を止められない。
この世界で、原因と復旧手順を理解しているのは——たった一人。
私は、フードを外した。
「ノクス。行きましょう。デバッグの時間です」
「ああ。存分にやれ、真の巫女よ」
---
崩れゆく祭壇に、私は歩み出た。
群衆がざわめく。「あれは……断罪された巫女……」「セリア様?」
ジェラルドが目を見開く。ミレイユが後ずさる。
私は、静かに手をかざした。
「あなたたちの"偽物"が」
声は、震えなかった。
「今から、本物を証明します」
指先が、宙に見えないキーボードを叩く。前世の指の記憶。デバッグコンソールが、私の視界にだけ展開される。
[管理者権限: セリア・ヴェルフィード——認証]
[最終セーフモード起動]
「な、なにを言って……あなたに何ができるというの!」
「まず、原因の特定」
私は淡々と作業を進めた。崩壊の中心——ミレイユの残した不正コマンドの痕跡を、一つずつ辿る。
「不正な描画命令、確認。整合性を破壊しているログ、これですね」
「な、なにを言って……!」
「あなたの奇跡ですよ、ミレイユさん。全部、世界の裏側を無理やり書き換えていた。権限もなく。手順もなく。世界の寿命を削りながら」
私は指を振り下ろした。
「差し戻します——ロールバック」
空の亀裂が、一本、止まった。
「え……亀裂が、止まって……?」
「まだあります」
ロールバック。剥がれかけた王都のテクスチャが、逆再生のように戻っていく。
「ロールバック。ロールバック」
私の手の動きに合わせて、崩壊が巻き戻っていく。黒い亀裂が閉じ、崩れた石壁が元に戻り、割れた空が縫合されていく。
民衆が、言葉を失って見上げていた。
祈りではない。派手な光もない。ただ、静かに手をかざすだけの巫女が、崩壊する世界を、一つずつ元に戻していく。
「……境界層、再構築完了」
最後の亀裂が、消えた。
青空が、戻った。
静寂。
そして——ヘルミナ神官長が、群衆の中で深く、深く頭を垂れた。
「お待ちしておりました。真の巫女様」
その言葉が、波紋のように広がっていく。一人、また一人、民衆が膝をつく。
ジェラルドとミレイユだけが、立ち尽くしていた。
---
「な、なぜだ」
ジェラルドが、崩れるように膝をついた。
「なぜ、お前が……偽物が……世界を……」
「偽物、でしたっけ」
私は彼を見下ろした。怒りはなかった。ただ、静かだった。
「私の祈りが偽物に見えたのは、単純な話です。私だけが、正規の管理権限を持っていたから。派手な演出なんて、必要なかったんですよ」
「そんな……では、ミレイユの奇跡は……」
「世界を殺す毒でしたよ」
ミレイユが、へたり込んだ。
「わたくし……わたくしはただ、褒められたくて……皆に、すごいって言われたくて……!」
「その"すごい"が、世界を壊しかけたんです」
私は淡々と告げた。
「——権限剥奪。あなたはもう、境界層に触れられません」
ミレイユの手から、赤い光が消えた。奇跡を起こす力の、その一切が。
残ったのは、何の実体もない、ただの少女。
ヘルミナ神官長が、静かに宣告した。
「王太子ジェラルド・アルセイド。世界を危機に陥れた責、その愚かな断罪の責。廃嫡を上申いたします」
「待て、待ってくれ、余は……セリア、頼む、余が、余が間違って……!」
ジェラルドが、震える手を私に伸ばした。
失ってから、気づく。
地味だと嗤ったものが、実は世界を支える本物だったと。
私は、その手を取らなかった。
「あなたの判断は、絶対だったんでしょう?」
かつて彼が言った言葉を、そっくり返す。
「余の判断は絶対だ、と。——なら、その結果も、絶対に受け入れてください」
ジェラルドが、崩れ落ちた。
近衛騎士団長アルヴィスが、私の隣に立った。剣を鞘に納めたまま、静かに。
「……お見事でした、巫女様」
「アルヴィス卿」
「いえ」彼は少し言い淀んで、それから言った。「セリア様。……あなたを、偽物だと言った奴らに。俺は、勝ち誇っていいですか」
強面の騎士が、初めて、ほんの少しだけ笑った。
「ふふ。……どうぞ、ご存分に」
私も、つられて笑ってしまった。
---
世界が救われた、その瞬間。
私の視界に、それは開いた。
[修復完了]
[最終セーフモードの任務、達成を確認]
[——ログアウト可能: 前世への帰還を実行しますか? YES/NO]
淡く光る、一枚のウィンドウ。
これを押せば、楽になれる。佐倉澪に戻れる。過労も、理不尽も、報われない祈りもない。ただ、静かに眠れる。
ずっと、望んでいたことだった。
「……行くのか」
肩の上で、ノクスの声が震えた。
初めて聞く、弱い声だった。
「ノクス……?」
「三百年、一人だった。やっと……やっと呼んでくれる者が現れて。やっと、誰かに"存在"を認めてもらえて」
宝珠の光が、明滅する。まるで、瞬きを堪えるように。
「なのに、お前は……我を、また一人にするのか」
私は、ウィンドウを見つめた。
YESのボタン。押せば、終わる。
傍らには、言葉を探しあぐねて立ち尽くすアルヴィス。少し離れて、静かに見守るヘルミナ神官長。そして、肩の上で震える、毒舌で寂しがりの相棒。
バグだらけの世界。理不尽な世界。私を偽物と嗤った世界。
でも。
「ねえ、ノクス」
「……なんだ」
「前世の私、デバッグテスターだったでしょう」
私は、笑った。久しぶりに、心から。
「バグを見つけて、放置して帰るテスターなんて、三流ですよ」
指を伸ばす。
ウィンドウの、NOへ。
「バグ持ちの世界も、案外悪くない」
[ログアウトをキャンセルしました]
ウィンドウが、静かに閉じた。
「デバッグ、続けますか」
ノクスの宝珠が、ぱぁっと明るく輝いた。慌てたように、それを隠すように、彼はそっぽを向く。
「ふ、ふん。趣味が悪いままだな、澪は」
「知ってます」
アルヴィスが、耳を赤くして、それでも嬉しそうに剣の柄を握った。
青空の下。救われた世界の真ん中で。
私は、久しぶりに、生きていていいと思えた。
---
それから、ひと月。
私は真の巫女として、神殿に返り咲いた——わけではなかった。
「巫女の称号は、返上します」
私はヘルミナ神官長にそう告げた。
「祈りで世界を回すやり方は、もう限界です。権限に頼りすぎた運用は、いずれ破綻する。……もっと、健全な"仕様"に作り替えないと」
「相変わらず、あなたにしか分からぬ言葉ですね」老女神官は、目を細めて笑った。「ですが、任せましょう。この世界の管理者は、あなたなのですから」
神殿の一室。私の新しい"作業部屋"。
机の上でノクスが丸くなり、窓辺ではアルヴィスが——なぜか毎日ここに来る——茶を淹れていた。
「……あの」彼が、ぎこちなく切り出す。「セリア様。今度、その、休みの日に……街を、一緒に」
「デート、ですか?」
「っ、そ、そういう、その……!」
真っ赤になって黙り込む騎士団長。ノクスが呆れたように宝珠を明滅させた。
「まどろっこしい男だ」
そのとき。
私の視界に、通知が走った。
[ALERT: 遠隔神殿——境界層に異常を検出]
続いて、もう一つ。
[ALERT: 未知の外部アクセスを検出——権限、不明]
私は、顔を上げた。
「澪」ノクスも気づいたらしい。宝珠が緊張に震える。「これは……我の知らない権限の"匂い"だ。この世界の、外側から来ている」
「外側……」
私は、窓の外を見た。平和な青空。救ったはずの世界。
だが、視界の隅——世界の裏側の格子に、見慣れない"何か"が、静かに這い寄っていた。
救ったはずの世界の裏側に、見慣れない何かが這い寄っている。
……この世界のバグは、まだ終わっていないようですね。
そして、私の権限を狙う——外部からの、侵入者。
「セリア様、それは……?」
「アルヴィス卿。デートは、少し先になりそうです」
「は……?」
私は立ち上がり、指先で見えないコンソールを開いた。
静かに、けれど不敵に。
「仕事です。——次のデバッグ対象、確認しましょうか」
神々の苦情は、相変わらず、受け付けません。




