前編
怠惰ネタを思いついたので書き出して肉付けしてみた話。
いっそ短編扱いにしようかと思った程度には短いですが、一応前後編に分けました。
タイバー伯爵家の一人息子テオフィルには、三歳年下の婚約者がいる。
彼女、フェルダ子爵令嬢アリスは現在、王立学園の二年生だ。
王立学園は貴族の子女であれば必ず通う学び舎で、テオフィルも当然通ってはいたが、三年制であるためにちょうど彼の卒業後にアリスが入学するという、見事なまでのすれ違いが起きる年齢差であり、当然ながら一緒に学生生活を送ることは叶わなかった。
もっとも、それを残念がるほど婚約者らしい交流が二人の間にあるかと言えば、実のところそうでもない。
タイバー家とフェルダ家の両夫人が仲のいい幼馴染みだからという縁で結ばれた婚約だが、それぞれの領地は国の北東部と南部という離れた場所に位置するため、その子供たちは幼馴染みと呼べるほど親しくも近しくもならなかった。そして嫡男であるテオフィルは後継者教育に忙しく、年下の婚約者を気にかけていられる余裕はほぼなかった。
それでも婚約当初は、両親にそうするよう言われたこともあって、折に触れてアリスと手紙を交わしてはいたが、徐々にテオフィルからの頻度は減っていく。最初は月に一度程度だったのが、やがて季節ごとになり、年始と誕生日の年に二回に変わり、最終的には誕生日にもプレゼントはなくカードのみを贈るだけとなった。後から聞けば、プレゼントは両親が代わりに選んで贈ってくれていたらしい。
一方、アリスからの便りは特に変わりない。月一ペースはほぼ変わらず、誕生日は勿論のこと学園入学祝いのプレゼントも律儀に贈ってきてくれた。当初に比べると手紙の内容はややそっけない、仕事の定期報告かと思うような文面もあったけれども、律儀にわざわざ書き送ってきてくれるだけでテオフィルは嬉しかった。同時に同じことができない自分が申し訳ないと思いもしたが、でも忙しいのだから仕方がない。成長に伴い、勉強は慣れもあって余裕は出てきたものの、今度は近隣の領地に住む令息や令嬢との交流に時間が取られるようになったのだ。将来家督を継いだ時に備え、彼らと仲を深めておくに越したことはないから。ただ集まり楽しく馬鹿騒ぎをするだけのこともあるが、それも立派な交流の一環である。
一応その交遊関係についてはきちんとアリスへも手紙で報告していて、彼女も快く了解してくれている。聞き分けがよくて我が儘を言わない、可愛い婚約者だ。テオフィルはそう思い満足していた。
学園入学後のテオフィルは、勉強もさることながら、交遊関係を更に広げることに精を出した。気が合う友人たちも増え、毎日が楽しい。
充実した日々に、婚約者からの手紙を読む時間も惜しくなるほどで、テオフィルは罪悪感を覚えつつもアリスにこう手紙を書いた。「君には申し訳ないが、学園の講義や実習に忙しくてゆっくりする時間が取れない。一方的に君に負担をかけるのも悪いから、手紙の頻度を減らしてくれて構わないよ」と。
ほどなく「分かりました」と短い返事が来て、その通りにアリスからの連絡は季節ごとになった。
ある意味で肩の荷が下りたテオフィルは、安心して同級生や先輩、下級生たちと仲良くなっていく。
時折、婚約者以外の異性と仲を深めようとする友人たちがいたが、テオフィルはその一員にはならなかった。明らかにややこしい事態になるのが目に見えているのに、何故そんなことをしようと思うのか理解できないから。とは言えしつこく止めて揉めるのも面倒だし、彼らには軽く忠告だけはしておいたが。
やがてその友人たちが予想通り、婚約破棄だの解消だのという厄介な状況に直面するのを、だから言ったのにという思いで横から眺めていたテオフィルに、幼馴染で同い年のクレフ男爵令嬢タニアが話しかけてくる。
「あの人たち、放っといていいの?『フォローも何にもしてくれないとか、テオフィルの薄情者ーっ!』てわめいてるけど」
「俺はあいつらを止めたんだよ。下手に燃料になるのも嫌だから軽くだけどさ。あいつらは何故か俺にも女の子を紹介しようとしていたけど、不必要以外の何物でもなかったし。俺にはアリスがいるんだから」
当たり前のことを言っただけなのに、タニアは驚いたように目をぱちくりさせた。
「へえ、意外ね? テオがそんなに婚約者を溺愛してるなんて。普段見てる限りだと全然そういう感じじゃないのに、実は手紙とかだと人様に見せられないくらい甘ったるいやり取りしてるとか? うわあ、想像できないけど興味あるわ! ね、もし良かったら、ちょっとだけ具体的な内容を聞かせてくれない? 物凄く面白そう!」
一体何をどう想像したのやら、タニアは大きな目をキラキラ輝かせて迫ってくるが、テオフィルは冷静に冷や水をかける。
「面白いも何も、アリスとはせいぜい季節の挨拶のやりとりくらいしかしていないぞ」
「…………は? 嘘でしょ?」
「そんな嘘ついてどうする」
「いや、それはそうだけど……婚約者同士のやりとりとしてはあんまりすぎない? その分、普段から頻繁にデートしたり互いの家を訪問してるってことならまだ分かるけど、テオにそんな様子ないし……」
「学園の課題や皆との交流で忙しいからな。特に交流を深めることについては、学生である今しかできないしやれないことだ。家を継いでからのことを考えれば、同年代の皆と友情を育むのは重要だろう?」
そのこと自体は間違ってはいないとタニアも思う。
けれども。
「だからって、そのために婚約者との交流を必要以上に少なくするのはどうなのよ。年齢差があって難しいんだとしても、おかしくない?」
「婚約者だからこそだよ。アリスが卒業したら結婚することは決まっているんだから、親しい関係を育むのはそれからだっていいじゃないか。王太子殿下も妃殿下とは結婚式で初めてお会いしたとのことだけど、今では国中の評判になるくらい仲睦まじいご夫妻だし」
「顔を合わせることそのものは初めてでも、手紙やら何やらのやりとりはしっかりなさってたんじゃないの? 王太子妃殿下は隣国の姫君で、お会いすることがままならないのは当然なんだから。あなたとアリス様のケースとは全然違うでしょ」
「大丈夫。アリスはちゃんと納得してくれている」
本当だろうか。つれない婚約者に呆れているか、愛想を尽かしかけているだけでは?
第三者のタニアでもそのくらいの危機感は抱くというのに、幼馴染のこの謎の自信は何だろう。相手は年下の令嬢だと言うのに、あまりにも甘えすぎとしか思えない。もしくは無意識にアリスを舐めているのか。
「……悪いことは言わないから、もう少し婚約者に関心を持つべきだと思うわ。お互いの誕生日を一緒に過ごすとか……」
「無理だよ。アリスの誕生日は……いつだったかは忘れたが社交シーズン真っ只中だったはずだし、俺の誕生日は夏休み終了直前で、どっちも忙しい時期なんだから」
「問題はそこじゃないでしょうが! しかも婚約者の誕生日忘れたってどうなの!?」
「そう言われても……」
「それはこっちの台詞よ! ああもう!」
幼馴染のあまりの駄目さ加減に、タニアは頭を抱えたくなった。
彼女のそんな反応は、テオフィルには不可解で面倒なものでしかないのだが。
「タニア。俺の婚約を気にするよりも、自分の婚約者を見つけることに注力した方がいいんじゃないか? もうすぐ俺たちは三年生になるんだし」
「巨大なお世話よ! 私の婚約はもう決まってるから! あなたには詳しいことは教えないけど!」
「そうなのか、おめでとう。言いたくないなら無理には聞かない」
意味が分かっていないらしいテオフィルの反応に、タニアの唇から深い溜め息が漏れる。
彼女の婚約者は同級生のカルフィン子爵家嫡男ロベールで、テオフィルの交遊関係とは距離を置いた存在だが、教えない理由はそこではない。
当代カルフィン子爵はロベールの母だけれど、その夫はフェルダ家と近い血縁にあるのだ。詳しいことを言えば、先代フェルダ子爵ソリュードの末弟がロベールの父ドミニクであり、アリスの父エーリックとロベールは従兄弟同士にあたる。
なのでタニアとしては、今後トラブルが発生した場合、爵位は上だが単なる幼馴染でしかないテオフィルよりも、将来親戚付き合いが生じるであろうアリス側に味方するつもりである。そういうしがらみを抜きにしても、婚約者に対するテオフィルの態度はあまりにも問題がありすぎるし……爵位を言うならばそもそも、フェルダ家は南部辺境伯ウォルサル家に近しい分家だ。となれば最悪、本家がお出ましになってテオフィルとタイバー家を締め上げにかかりかねない。物理的にも。
(と言うか、まずフェルダ子爵家が辺境伯家に連なるだけあって、武にも長けた家だったわよね……)
うっかりアリスを泣かせようものなら、父親と祖父、ついでにアリスの兄クライスが指をバキバキ鳴らしつつ飛んで来るのではなかろうか。怖い。
特にクライスはテオフィルとタニアのすぐ下の後輩でもあるので、あちらがテオフィルに会いに来ようと思えばいつでも可能なのだ。テオフィル側が彼の存在を意識しているかは非常に怪しいけれど。
想像して震え上がったタニアはそれ以降、テオフィルとの接点を徐々に減らしていくことを心に決めた。
一年後、二人が卒業する頃には、タニアがテオフィルと言葉を交わすことも珍しいほどになっていたのだが……テオフィルの認識におけるタニアは「気の置けない幼馴染」のままだった。
同様に婚約者への認識もさほど更新されることはなく、自分と入れ替わりで学園に入学したアリスへの態度はそれまでと全く変わらぬまま。かつての自分と同様に彼女も学園生活に忙しいだろうからと、手紙の頻度を増やすこともなければ直接会いに行くこともない。アリスからの手紙には「来週末にはお茶会を開きますので、テオフィル様もいらしていただけると嬉しいです」というような誘いがあったりもしたが、それにもいつも断りを入れていたし、別の機会を設けて埋め合わせをしようという発想も彼にはなかった。卒業後のテオフィルは嫡男として、王都における伯爵家の事業を担当していたから、王都の学園寮に入ったアリスとは、その気にさえなればいつでも会えると言うのに。
夜会等にも本来は婚約者をエスコートすべきだが、学生の忙しさを甘く見るのは……という彼なりの気遣いにより、卒業後半年ほどはほぼ一人で出席していた。その後は元同級生の女性や取引先の未亡人等からエスコートを頼まれるようになり、予定が合えば全て応じる。
そんなことが続けば、不名誉な噂の一つや二つ立ったところで何らおかしくないのだが、朗報ならばまだしも陰口の類いを嫌うテオフィルは、皆の口調や雰囲気でその気配を察した瞬間に場を去ることにしていた。聴く価値などないのは分かりきっているからと、詳しい内容を気にすることもなく。
結果、どうなったかと言うと━━
「━━━━は!?」
タイバー家のタウンハウスに、テオフィルの声が響き渡る。
彼の手の中にあるのは領地にいる父伯爵からの手紙で、その筆跡は明らかに怒りを隠しきれない様子が窺えた。
要約すると、フェルダ子爵から婚約破棄の要請があったのだという。「テオフィル個人との関係を継続する意味や必要性を、アリスとフェルダ家はこれ以上見出だせない」という理由で。
『お前のアリス嬢への扱いを子爵から聞かされて、あまりのことに目まいがした。こちらでも裏を取れば、予想以上の有り様で……お前の母はショックで倒れたよ。いくらアリス嬢が気に入らなかったのだとしても、一度もエスコートしない上にこれ見よがしに他の女性を連れ歩くなど、あまりにも酷い話だ』
━━違う! 気に入らないなんて誤解だ!
内心で叫ぶものの、それだけで現実が変わるはずもなく。
タイバー伯爵とフェルダ子爵、双方の合意により婚約は既に破棄されたこと。慰謝料はテオフィル個人への請求だが伯爵が立て替えたので、その分はテオフィルの個人資産から伯爵家へ支払ってもらうこと。婚約者をまともに扱えない男などを後継者にはしておけないため廃嫡し、来月からは鉱山で働いてもらうので準備しておくようにとのこと━━無情に綴られた手紙と立て替え金の請求書が、力の抜けたテオフィルの手からひらひらと床に落ちる。
「……こんな……嘘だ。どうして━━アリスはちゃんと、受け入れて了承してくれていたはず━━そうだ!」
自らのつぶやきに閃いた。
アリスに会わなければ。今までのことはお互いに納得していたのだと、彼女の口から両家の父に説明してもらえればきっと……!
婚約破棄の理由に「アリスとフェルダ家」とあるのを都合よく忘れ、テオフィルは王立学園へ向かうべく急いで身支度を整えるのだった。
親族の名前が多くて分かりにくいかもしれません。すみません。
兄弟と言ってもソリュードとドミニクは13歳離れているので、早めにできた兄の孫たちと弟が30前後の時に生まれた子供たちは同年代になりました。
ソリュード夫妻のエピソードは「傲慢の末路」に出てきますので、興味があればお時間のある時にでもお読みいただければ。ドミニクの出番はありませんが。




