初デート①
「疲れた」
「疲れましたね」
バイトが終わり、俺と珠唯さんはいつも通り休憩室でのんびりしている。
別にしたくてそうしてるわけではなく、一度座ると立てなくなるだけだ。
ちなみに俺達のバイト先は有名なハンバーガーショップだ。
「なんで一回座っちゃうと立てなくなるんでしょうね」
「なんか座ると一気に疲れが来るんだよね。そうなると無理やり立たない限り椅子から離れられなくなる」
「コタツみたいですね」
「俺は布団派かな」
コタツも一度入ると出られなくなるとは言うけど、俺はあまりコタツが好きではないのでよくわからない。
それなら朝の布団の方がそれっぽい。
「でもですよ? 今日はあの日なので立たないとなんです!」
「じゃあまずは君が立ってみようか」
「……立たせてください」
珠唯さんが両手を俺の方に伸ばしてくる。
そして「なんちゃって」と、満面の笑みを浮かべる。
ほんとにこの子は……
「俺も立つからあなたも──」
「おう、珠唯。まだ居るのか」
全てを後悔させる声が聞こえてくる。
こんなことならさっさと立てば良かったと今更に後悔することになった。
「あ、えと、はい。悠夜さんとお話してました」
「ふーん。まあいいや。そんなことより、もう少しで俺休憩だから家まで送ってってやろうか?」
危なかった。
もう少しで気持ち悪くなりすぎて吐きそうだった。
このへんた……、珠唯さんに話しかけてる男は板東と言う。
残念なことに俺と同い年だ。
そして今のやり取りでわかるように、女が好きで、暇さえあれば自分が気に入った女子に話しかけている。
だからついたあだ名が『セクハラ魔人』。
「えっと、今日は大切な用事があって早く帰らないとなんです」
「早く帰りたいならそんなのと話してないで早く帰らないと」
板東が俺のことを顎で指して言う。
ほんとに呆れる。
板東は俺が大学に行かずにフリーターをやってることを馬鹿にしている。
要は自分の方が上だと思っているから、こうして調子に乗っているのだ。
子供過ぎてほんとに可哀想に見える。
「そんなのって……」
珠唯さんが俯きながら呟く。
多分俺が「そんなの」と言われたことに怒ってくれている。
ほんとに優しいいい子だ。
「落ち着いて。そろそろ来るから」
俺が珠唯さんにだけ聞こえる声でそう言うと、厨房に続く扉が開いた。
「仕事サボって何してんだ。戻れ」
「いや、別にサボってたわけじゃないですから」
「サボってないなら何してた」
「俺は珠唯を心配して」
「仕事をサボってか?」
「それは……」
板東が何も言えなくなって口を閉じる。
そして俺を睨んでから厨房に戻って行った。
(八つ当たりとか、ほんとにガキだな)
「お前、今板東のこと子供とか思ったろ」
「そんなこと思うわけないじゃないですか」
「じゃあなんて?」
「クソガキだって」
「直接言ってやればいいものを」
「俺は職場の空気を大切にしてるんです」
「めんどくさいだけだろ」
まあその通りだけど。
板東に反論しても屁理屈しか返してこないからこっちが疲れるだけだ。
ああいうのは無視するのが一番いい。
「まあ店長に丸投げが一番楽ではあるんですけど」
「もっと感謝しろよ?」
「感謝感謝」
「感謝してないのはわかった」
板東を追い払ってくれたこの人は店長。
名前は知らない、わけでもないけど、店長だから店長と呼んでいる。
男っぽいけど一応女性である。
「何か失礼なこと考えたか?」
「いえ別に。それよりも助けてくれた以前に、監督不行届ですよ?」
「私だって板東を常に監視できるわけじゃないんだよ。それなのに珠唯なんていう極上の餌を残すから」
「それは本当に俺が悪かったです。あいつが居るなら早く帰るべきでした」
あいつの行動には店長も困っている。
実際あいつのせいで結構なバイトが辞めていった。
なのにあいつがクビにならないのは、まあ色々と理由がある。
「と、とにかく、行きましょ」
「そうだな。またいつあいつが来るかわかんないし」
「そ、そういう意味で言ったんじゃないですからね?」
「優しい子だこと」
別にあんな奴のことを気にする必要はないのに。
この子の優しさはちょっと不安になるレベルだ。
「そういう意味でもないんですよ?」
「と言うと?」
「悠夜さんといっぱい一緒に居たいなって」
珠唯さんがはにかむように笑いながら言う。
これだから最近の子は。
そして店長は何かを察したように音もなく消えるな。
「悠夜さん?」
「気にしないで大丈夫。それよりさっさと行こう」
「はい!」
そうして俺と珠唯さんは重い腰をそれぞれで上げて立ち上がる。
なんだか珠唯さんが手を伸ばしてこようとしてた気がするけど、きっと気のせいだ。
珠唯さんが少しふくれっ面になっているように見えるのも気のせいだ。
「じゃあ今日もコンビニまででいい?」
「悠夜さん、そんな悪いこと言うなら店長含めて色んな人に『悠夜さんに告白して振られました……』って、泣くの我慢してる雰囲気で話しますよ?」
「ほんの出来心でした。今日と言わずにいつでもどんなことでも相手するのでやめてください」
俺は土下座する勢いで珠唯さんに頭を下げる。
そんなことをバイト先で言われたらやばいのは確定だ。
特にあいつに伝わったら珠唯さんが危険に晒される。
「なんでも……いやいや、それはさすがに早いですよ。でも、悠夜さんとなら……」
なんか珠唯さんが自分の世界に入ってしまった。
許してくれたと思っていいのだろうか。
「あの、そろそろ帰って──」
「あ、でも、これって回数制限ないやつだよね? それならずっとお願いしたかったアレも頼めるんじゃない? いや、こういう時だからこそだよね。でも、いきなり言ったら迷惑になるし……」
珠唯さんはたまにこうして自分の世界に入り込むことがある。
すぐに帰ってくることもあれば、今のように帰りが遅いときもある。
まあ見てる俺からしたら、珠唯さんの百面相が見られて楽しいから止めないのだけど。
「でも今日は止めないとほんとに怒られるか」
いつもは自分から帰ってくるまで眺め続けて、帰ってきた珠唯さんに「なんで止めてくれなかったんですか!」と、顔を真っ赤にして怒られるまでがセットで楽しんでいる。
だけど今日は珠唯さんがずっと楽しみにしてくれてた日だし、さっきも俺との時間をたくさん取りたいと言ってくれていたので、このまま眺めていたらほんとに怒られる。
しかも外だし。
「って言っても、どうやったら戻ってくるのか」
正直に言うならずっと眺めていたいけど、戻さないと怒られる。
だけど俺はこの状態の珠唯さんがどうやったら戻ってくるのかわからない。
とりあえず目の前で手を振ってみたけど反応はない。
「ねぇ、時間無くなるよ」
声をかけても反応はない。
正確には少し肩がピクついた気がするけど、多分気のせいだ。
「無視されるのって結構辛いな……」
いつもの珠唯さんなら、俺の話を無視することは絶対にない。
どんな話でもオーバーリアクションで反応してくれる。
それがこうして無視されて寂しさに気づく。
「あ、あの、ごめんなさい!」
「え?」
珠唯さんがいきなり戻ってきて頭を下げる。
何事かと思って固まってしまった。
「えっと、悠夜さんが私の目の前で手を振ってくれた時に気づいてたんですけど、私の為に色々してくれてるのが嬉しくて、その……」
珠唯さんが俯きながら弱々しく言う。
珠唯さんは罪悪感とか、俺に怒られるかもとかで俯いているのだろうけど、今の俺にそんなことを考えるキャパシティはない。
「つむじ可愛い」
「悠夜さん!」
「あ、思わず」
珠唯さんはつむじを押さえながら頬を膨らませて怒っているが、仕方ないことだ。
結果的に珠唯さんを元に戻せたことによる安心感と、可愛いつむじを見せられたのだから、思わず思ったことが口から出ても許して欲しい。
「っていうか、つむじが可愛いってなんですか!」
「さあ? なんか可愛いって思ったから」
「素直に喜んでいいのかわかんないですよ!」
「じゃあ怒ったあなたも可愛い?」
俺がそう言うと、珠唯さんが「ボッ」っと音が聞こえそうなぐらいに顔が赤くなった。
すぐに顔を手で隠されたけど、耳も赤いから隠しきれていない。
「大丈夫?」
「じゃないです。すぐに回復させるので、待ってもらってもいいですか?」
「いいよ。つむじ見て待ってるから」
俺がそう言ってうずくまった珠唯さんのつむじを見ようとしたら、すぐに隠されてしまった。
これなら言わなければ良かった。
仕方ないので俺も珠唯さんと同じ目線になって、意味もなく珠唯さんを眺めて珠唯さんの回復を待っていた。