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クリスマス③

「ゆーやさんのにおいー」


「着いたから俺の理性を破壊しにくるのそろそろやめようね」


 紅葉もみじと分かれて熱を出した珠唯すいさんをアパートまでおぶって連れて来た。


 別にそれはいいのだけど、おぶっている間ずっと呂律の回っていないふわふわした声音が耳元に響いてくるものだから耐えるのが辛かった。


 何回抱きしめようと思ったものか。


「鍵開けるから下りるか落ちないように気をつけるかどっちがいい?」


「ゆーやさんはすいをすてるの……?」


「この子ずるいな。落ちるなよ?」


 珠唯さんをおぶり直して鍵を取り出す。


 落ちるなよとか言っておいて、珠唯さんが俺にしがみついたせいで耳元に吐息が当たるのがちょっと……


「開いたから力抜いていいよ」


「や!」


「や、じゃないの。ていうか靴脱ぐから下ろすよ」


「や!」


 どうしよう。


 駄々をこねる珠唯さんが可愛い。


 早く横にした方のがいいのはわかるのに、このまま駄々をこねる姿を見ていたい。


 だけどそうも言ってられないので玄関に肩掛けバッグと共に腰を下ろす。


「俺の荷物が重い。靴脱がすよ?」


「……やさしくしてね?」


「お前実は意識ちゃんとあるだろ」


 今のは普段の珠唯さんのからかい方に似てる。


 背中に感じる体温が高いのはわかるから何とも言えないけど、もしも俺をからかう為に幼児退行してるならもっとやれ。


「にぁ?」


「うん、どっちでもいいや。とりあえず熱がある体で行動はするから。だから離しなさい」


「や!」


「手洗いうがいしたいんだよ。駄目?」


「……おててはなさない?」


「……わかった、それで頼む」


 手を離さないで手を洗うなんて難易度が高いのはわかる。


 だけど珠唯さんがせっかく譲歩してくれたのにそれ以上を求めてはいけない。


 珠唯さんは渋々といった感じで首に回した手を離す。


「行こ」


「ん」


 俺は珠唯さんの手を引いて洗面所に向かい、握ってない方の手を珠唯さんの手と一緒に洗う。


「これって……」


「んー?」


「なんでもない。反対もいい?」


「んっ」


 珠唯さんが洗った手を差し出してきた。


 おそらく今度はこちらの手を握れと言いたいのだろう。


 俺はその手を握って反対の手を洗う。


 さっきも思ったけど、ものすごいバカップルみたいなことをしてる気がする。


 考えたら負けなのだろうけど。


「うがいもしちゃおっか」


「ゆーやさんがコップつかっていいよ。すいはゆーやさんからもらう」


「はい、あーん」


「あーん」


 珠唯さんにミズノ入ったコップを差し出すとちゃんとうがいをしてくれた。


 さすがに恋人になったから同じコップを使うのは大丈夫だけど、珠唯さんがどういうつもりで言ったかはわからないけど、口移しはまだ恥ずかしい。


 とりあえず俺も同じコップでうがいをして洗面所を出る。


 見ないようにしてるからわからないけど、多分トラップもなかったと思う。


 この状況でトラップに引っかかったら何を言われるかわからないから良かった。


「じゃあ布団敷くから寝なさいね?」


「や!」


「そこは抗わないでよ。俺はさ、今の珠唯さんも大好きだけど、悪化して倒れたりしないか心配なんだよ。だから俺の為に……なんか嫌だよね、ごめん」


「ちがう! ねんねする。だからゆーやさんも!」


「それはちょっと想定外なんだが?」


 珠唯さんが俺の腕を引っ張ってくる。


 これは一緒に寝ろということなのか。


 いや、一緒に寝るのは全然いいんだけど、先に看病したいから待って欲しいけど、待ってくれるだろうか。


「えっと、珠唯さんはお腹空いてない?」


「ん? んー、すいてる?」


「じゃあご飯作るから待ってて」


「や!」


「言うと思ったさ。ちゃんと待てたらいいものあげるよ」


「なーに?」


「それは待てた時のお楽しみ。どうする?」


 小さい子に言うことを聞かせる時はご褒美を使うのがいいと何かで見た気がする。


 珠唯さんの幼児退行がどういうものなのかはわからないけど、心まで幼くなっているのなら上手くいくかもしれない。


「……まつ」


「ほんと? 静かにはしなくていいけど、一人で待てる?」


「ゆーやさんはすいがいないほうがいいんだもんね……」


「は?」


 珠唯さんが肩をビクつかせる。


 いけない。


 珠唯さんが変なことを言うから思わず声が低くなってしまった。


「ごめんね。俺は珠唯さんが嫌だから一人にしたいんじゃないんだよ? 俺だってできることなら常に一緒がいいけど、今の珠唯さんを台所に立たせるのは危ないから。だから……嫌いにならないでください」


 珠唯さんの手を握って珠唯さんを見つめる。


 男性不信になってしまった珠唯さんを怖がらせるなんて嫌われても仕方ない。


 だけど俺は珠唯さんに嫌われたら多分生きていけない。


 俺にとって珠唯さんはそれだけの存在になってしまったようだ。


「いいこいいこ」


「え?」


 珠唯さんが俺の頭を撫でてくる。


「すいもね、ごめんなさい。ゆーやさんとはなれたくないからわがままばっかりいった」


「……俺だって離れたくないし」


「ゆーやさん?」


 なんか変なスイッチが入った気がした。


 今まで耐えてたのがなぜか今爆発するような。


「俺が頑張って耐えてるのになんなの? さっきから可愛いことばっかりしてさ。知らないよ? ほんとに……知らないよ?」


 唐突に語彙力が死んだ。


 多分危機感を持てと言いたいんだろうけど、それで距離を置かれたりしたら俺は悲しむ自信がある。


 我ながらめんどくさい。


「ゆーやさんならなにしてもいいよ?」


「言質取ったからな? 熱が下がったら好き勝手やるから」


 そうは言うが、実際にいつもの珠唯さんに何かできるかと言われたらできないんだろう。


 いや、俺ならでき……るわけないか。


「とりあえずお粥作ってくる」


「はーい。でもおかゆっておこめいるんじゃないの?」


「……ないの?」


「ないよ?」


 一瞬思考が止まった。


 確かに最近はお米は高くなって買う気が失せているが、米は生活必需品だと勝手に思っていたからちょっと驚いた。


 だけど高校生の一人暮らしならわざわざ買ったりしないのかもしれない。


「ちょっと冷蔵庫見てもいい?」


「いいよー」


 とりあえず布団を敷いて、そこに珠唯さんを座らせてから冷蔵庫に向かった。


 絶句してしまった。


 ここの冷蔵庫には食材が入っていない。


 入っているのはすぐに食べれるものだけ。


 お弁当やお惣菜、冷凍庫を開けたら冷凍食品がたくさん入っていた。


「生活能力がないのに一人暮らし始めた男子高校生かよ……」


「んー?」


「なんでもないよ。君が軽い理由がわかって心配になっただけ」


 こんなものばかり食べていたらいつか体を壊す。


 今は若いからなんとかなっているのだろうけど、それも時間の問題だ。


「さてどうする。うちから米を持ってくるのが手っ取り早いだろうけど、絶対に行かせてくれないよな。だからってこいつらを使ったら本末転倒だし、何より今の珠唯さんが食べれるものを作れるのか微妙だし」


 一応調べてみたけど、使えそうなものはやはりなかった。


 せめて冷凍のうどんか食パンでもあれば良かったけど、それもないから本当に手詰まりだ。


 俺にもっと料理スキルがあればなんとかなったかもしれないのに……


「というか調味料もないじゃんか。こうなるとやっぱり一回家に帰るのがいいよな。ということで帰って──」


「や!」


 布団から抜け出した珠唯さんが俺の背後に立っていたので帰っていいのか聞いてみたら食い気味に否定された。


 まあそこまでは想定の範囲内だ。


「病気の時に一人になるのが嫌なのはわからないけどわかるよ。だけど栄養取らないと治るものも治らないよ?」


「すいげんきだもん!」


「今俺は何人いる?」


「ゆーやさんがさんにん? ゆめ?」


 珠唯さんが自分の頬をつねるが、夢ではない。


 頭も座っていなくてふらふらしてるし、そもそも幼児退行してる時点で相当やばいのがわかる。


「とりあえず寝ない?」


「ゆーやさんとならねるー」


「言うと思った。俺はお粥作る任務があるから一緒には寝れないの」


「じゃあねなーい」


「それも想定内だ。だから珠唯さんと一緒に寝てくれる子を進呈しよう」


 俺はそう言って珠唯さんの手を引いて部屋に戻り、俺の荷物からラッピングされた袋を取り出す。


「これ、クリスマスプレゼント」


「ほんと?」


「うん。気に入るかはわかんないけど、可愛い珠唯さんが持ってたら似合いそうなものを選んでみました」


 単純な発想で、可愛い子が持っていて似合うものを想像したらこれしかなかった。


 理想はこれで口元を隠して欲しい。


「あけていーい?」


「もちろん」


「──カピバラさんだー」


 珠唯さんが丁寧に包装を開け、カピバラのぬいぐるみを嬉しそうに抱きかかえた。


 やっぱり可愛い子がぬいぐるみを抱く姿は可愛いしかない。


 ちなみにカピバラを選んだ理由は珠唯さんの連絡先のホーム画面がカピバラだったからだ。


「カピバラ好きなの?」


「すきー。ゆーやさんみたいでかわいいから」


「ちょっと何言ってるのかわからないけど、喜んでくれたなら良かった」


 ぬいぐるみが俺の代わりになれば俺が一度家に帰る時間が稼げるかもしれない。


「ゆーやさん。ぎゅーして」


 珠唯さんがカピバラのぬいぐるみを俺に差し出しながら言う。


「なして?」


「ゆーやさんがぎゅーしてくれたらさみしくないから」


「いい子すぎて好き。すぐ帰ってくるから」


 珠唯さんからぬいぐるみを受け取って強く抱きしめる。


 それを珠唯さんに返すと、珠唯さんがぬいぐるみで口元を隠しながらカピバラの足を振ってきた。


 まさか理想を超えてくるなんて思ってなく、倒れ込みそうになったけど、少しでも早く戻る為に耐えた。


 そして俺は鍵をちゃんと掛けてから駆け出した。


 珠唯さんのアパートからうちまではだいたい十分ぐらいだけど、多分生まれて初めて本気で走ったおかげで五分で着いた。


 普段から運動をしてなかったことを後悔しながら必要なものを集めて家を出た。


 体力が無いせいで行きよりは時間がかかったけど、それでも往復で二十分かからなかった。


 息を切らしながら鍵を開けて部屋に入ると、カピバラのぬいぐるみと眠る天使がいた。


 可愛すぎて五分ぐらい固まってしまったけど、なんとか動き出してお粥作りを始めたのでした。

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