第2話 父からの命令と秘められた野心
喫茶店での一件から数日が過ぎていた。あの時、フィンに見つかりそうになった俺とノワールは、咄嗟の機転で窮地を脱した。フィンが店内に入ってきた直後、俺たちは慌てて席を立ち、従業員用の裏口から抜け出したのだ。危うく友情と野望の狭間で選択を迫られるところだったが、運良く切り抜けられた。
あの冷や汗もどこへやら、今日はまた新たな緊張が俺を包み込んでいた。
「アルフレッド、今夜、私の書斎に来なさい」
父からの伝言を執事から聞かされた瞬間、俺の背筋が凍り付いた。父、ヴィクター・ヴァンデセイヴ伯爵との対話は、いつも緊張を強いられる。特に、あの冷たい書斎での会話となれば尚更だ。こちらのやっていることをバレないように立ち回りつつ、できる限り期待値を低くする。そうして作り上げた嫡男としての立場。当たり前のことではあるが、当主と後継者であれば、圧倒的に当主のほうが立場は上だ。出し抜く確証が取れるまでは、聞き分けの良い息子を演じなくてはならない。
「はい、かしこまりました」
執事に答えながら、俺は内心で深いため息をついていた。今夜は、ノワールと新たな計画の詳細を詰める予定だったのに。喫茶店での一件以来、なかなかゆっくり話せていなかったのだ。
夕食後、俺は重い足取りで父の書斎へと向かった。ノックをすると、中から低く落ち着いた声が返ってきた。
「入りなさい、アルフレッド」
扉を開けると、そこには威厳に満ちた父の姿があった。彼は書斎の大きな椅子に座り、まるで玉座に君臨する王のようだ。
「お呼びでしょうか、父上」俺は丁寧に頭を下げた。
父はゆっくりと俺を見上げ、口を開いた。「ああ、座りなさい」
椅子に腰掛けると、父は真剣な表情で俺を見つめた。
「アルフレッド、お前の才能には目を見張るものがある。学院での成績も、裏の仕事も、すべて完璧だ」
「お褒めいただき光栄です」
俺は謙虚に答えた。
「しかし」
父の声が急に厳しくなった。
「お前には、まだ足りないものがある」
俺は思わず身を強張らせた。
「足りないもの、でしょうか?」
父は立ち上がり、窓際へと歩み寄った。
「そうだ。お前には、大きな野心が足りない」
「野心、ですか?」
俺は驚いた表情を作り出した。しかし内心では、俺の本当の野心などお前に想像できるはずがない、と思っていた。
「そうだ」
父は振り返り、俺をじっと見つめた。
「今回、お前に大きな仕事を任せようと思う」
俺は身を乗り出した。当主から仕事を任されることに腰が引けているようでは、良い後継者とは言えないからな。
「どのような仕事でしょうか?」
「王立銀行から、ある重要な書類を盗み出すのだ」
父の言葉に、俺は思わず目を見開いた。
「王立銀行ですか?それは少々……」
「難しいと言いたいのか?」
父が冷ややかに笑った。
「お前なら出来るはずだ」
俺は一瞬、目を閉じて深呼吸をした。確かに、これは大きな挑戦だ。しかし、同時に大きなチャンスでもある。
「承知しました、父上。必ずや成功させてみせます」
父は満足げに頷いた。
「よろしい。詳細は後ほど送る。失敗は許されんぞ」
「はい」
俺は深々と頭を下げた。
書斎を出ると、俺は思わずニヤリと笑みを浮かべた。
「ふん、随分と面白い仕事を任せてくれるじゃないか、親父」
その夜、俺は自室でノワールと密かに連絡を取り合った。
「ノワール、予定変更だ。新たな任務が入った」
「はい、ボス。どのような……」
「王立銀行からの書類窃盗さ」
一瞬の沈黙の後、ノワールの声が響いた。
「……それは、かなりリスキーですね」
「ああ、だからこそ面白い」
俺は笑みを浮かべた。
「しかも、これは絶好のチャンスでもある」
「チャンス、ですか?」
「ああ」
俺は声を落として続けた。
「親父の指示は書類の窃盗だけだ。だが、俺たちはそれ以上のものを手に入れる」
「まさか、ボス。あなたは……」
「そうさ」
俺は目を輝かせた。
「王立銀行の内部情報すべてを頂いてくるんだ。それこそが、俺たちの本当の目的だ」
ノワールの声に、わくわくするような興奮が混じった。
「素晴らしい計画です。でも、それには相当な準備が……」
「分かってる」
俺は頷いた。
「だからこそ、今すぐ準備にかかるんだ。明日、学院帰りに例の喫茶店で会おう。詳細はそこで話す」
「はい、ボス。楽しみにしています」
通信を切ると、俺は窓の外の夜空を見上げた。星々が、まるで俺の野望を祝福するかのように輝いている。
「さあ、本当の芝居の幕が上がる。世界の頂点まで、この手で這い上がってやるさ」
そう呟きながら、俺は明日への期待に胸を膨らませた。しかし、その時はまだ知る由もなかった。この計画が、思わぬ方向に転がり始めることになるとは。