第1話 優等生と詐欺師:アルフレッドの日常
新学期初日のホームルームが終わり、教室を出る際、俺は思わずため息をついた。
「さて、これから本格的に"アルフレッド・ヴァンデセイヴ"を演じる時間だな」
前世では、こんな退屈な日課に付き合わされることはなかった。だが今は、王立上級学院の模範生として振る舞わなければならない。それも、父の命令だ。
廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
「アルフレッド、待ってよ!」
振り返ると、クラスメイトのフィン・ヴェラコールが駆け寄ってきた。彼の純粋な笑顔を見ると、胸に何かが込み上げてくる。罪悪感だろうか?それとも……
「どうした、フィン?次の授業、別の教室だろ?」
「うん、でもね、新しい魔法実技の授業のこと、ちょっと相談があって」
フィンの真剣な表情に、思わず本心からの笑みがこぼれた。
「お前らしいな。じゃあ、昼休みに図書館で会おうか」
「ありがとう、アルフレッド!助かるよ。さすが学年一位だね」
「そう褒めるなよ。照れるじゃないか」
冗談めかして返しつつ、内心では「学年一位か...まだまだだな」と思った。俺の本当の目標は、遥か高みにあるのだから。
「じゃあ、昼休みに!」
フィンは元気よく手を振って、別の教室へと駆けていった。
彼の後ろ姿を見送りながら、俺は複雑な思いに駆られた。純粋な友情と俺の裏の顔。この二つを両立させることは可能なのだろうか。それとも、いずれは選択を迫られる時が来るのだろうか。
次の授業に向かう途中、図書館の前を通りかかると、ひとりの少女が本を抱えて立っているのが目に入った。
「おや、ライラさん。今日も熱心ですね」
ライラ・ヴェリタスは驚いたように顔を上げた。
「あ、アルフレッドさん。こんにちは」
こちらから声をかけておいて言うのもなんだが、彼女の澄んだ瞳に見つめられると一瞬たじろいでしまう。この純粋さは一体何だろう。前世でも現世でも、こんな瞳を見たことがない。
「新しい本ですか?」と尋ねると、ライラは少し赤面しながら本を見せてくれた。
「はい、魔法史の新しい研究書です。アルフレッドさんも興味があれば……」
「ぜひ一緒に読ませてください」
思わず口にしていた。
彼女の笑顔に、胸の奥で何かが軋むのを感じる。こんな純粋な人を騙すのは……いや、考えるのはよそう。今はライラはターゲットではない。
「あの、アルフレッドさん」
ライラが恥ずかしそうに言った。
「実は、魔法史の課題で少し困っていて……もしよろしければ、アドバイスをいただけないでしょうか?」
「もちろんです。喜んで」
即座に返事をする自分に、少し驚いた。本当に純粋な気持ちで彼女を助けたいと思っている。これは演技と言えるのだろうか。
「ありがとうございます!」
ライラの顔が輝いた。
「では、放課後……」
「ああ、すみません。今日の放課後は予定が……」
俺は申し訳なさそうに言った。ノワールとの密会を思い出したのだ。
「そうですか……」
ライラは少し落胆した様子を見せたが、すぐに明るい表情に戻った。
「では、また今度お願いします」
彼女と別れ、教室に向かいながら、俺は自分の中の矛盾した感情に困惑していた。
授業が始まり、俺は完璧な優等生を演じ続けた。質問には的確に答え、実技では模範的な魔法を披露する。しかし、その裏で俺の頭は常に次の計画を練っていた。
「ヴァンデセイヴ君、この問題の解き方を説明してくれないか?」
魔法理論の教授に指名され、俺はスマートに立ち上がった。
「はい、喜んで」俺は黒板に向かい、複雑な魔法の公式を丁寧に説明し始めた。「まず、この部分で魔力の流れを制御し……」
クラスメイトたちが真剣に聞き入る様子を横目で確認しながら、俺は内心で冷ややかに笑っていた。こんな基本的なことも分からないのか。まあ、俺たちとは格が違うんだからな、と。
説明を終えると、教授は満足げに頷いた。
「さすがだね、ヴァンデセイヴ君。完璧な説明だ」
「ありがとうございます」
俺は謙虚に頭を下げた。この程度の演技など、朝飯前だ。
昼休み、約束通りフィンと図書館で会った。彼の魔法実技の悩みを聞きながら、俺は的確なアドバイスを与えた。
「すごいよ、アルフレッド!こんな風に考えれば良かったんだね。さすが天才だ!」
フィンの素直な称賛に、少し複雑な気分になる。この程度で天才扱いか。お前には、俺の本当の姿は見えていないんだろうな。
図書館を出た後、俺は学院の裏門から抜け出し、街の中心部へと向かった。目的地は、いつもの喫茶店「月光亭」。そこで密かにノワール・シルヴァーハートと会う約束をしていたのだ。彼女は俺の右腕として、裏の仕事を手伝ってくれている。
喫茶店に入ると、甘い珈琲の香りが鼻をくすぐった。店内を見渡すと、奥の席にノワールの姿が見えた。彼女の長い黒髪が窓からの柔らかな光を受けて輝いている。大きな瞳には知性の輝きが宿り、スリムな体型に合わせたカジュアルな服装は彼女の美しさを一層引き立てていた。
「お待たせ、ノワール」
俺は静かに席に着いた。
彼女は優雅に微笑んだ。
「いいえ、ボス。ちょうど良いタイミングです」
その姿は、まるで普通の美少女学生のようだ。周りの客たちも、彼女の美しさに時折目を奪われている。しかし、俺は知っている。彼女の頭脳の鋭さと、その背後に隠された冷徹な計算を。
「珈琲でいいか?」
俺はメニューを手に取った。
ノワールは小さく頷いた。
「はい、ありがとうございます」
注文を済ませ、周りに気を配りながら、俺は小声で尋ねた。
「新学期の準備は順調かい?」
ノワールも声を落として答える。
「はい、計画通りです。標的の情報も集まりました」
「さすがだな」
俺は満足げに頷く。
「今回の標的は……」
そこで突然、店の入り口のベルが鳴り、見慣れた声が聞こえてきた。
「へー、この店の珈琲美味しいんだ。珈琲好きのアルフレッドも来ることあるのかな」
俺とノワールは瞬時に顔を見合わせた。その声の主は、間違いなくフィンだった。
「まずいな」
俺は小声で呟いた。
「学校で接点のないノワールと一緒にいるところを見られたら、面倒なことになるかもしれん」
ノワールは冷静に状況を分析している。
「ボス、どうしますか?」
その瞬間、俺の脳裏に閃きが走った。フィンの存在を利用できるかもしれない。だが、それは同時に彼を危険に晒すことにもなる。
友情か野望か。
選択の時が、思わぬ形で訪れたのだ。
俺は深呼吸をし、決断を下した。
「よし、こうしよう……」