プロローグ 前世の記憶と新たな野望
俺の名前はアルフレッド・ヴァンデセイヴ。今年で17歳。表向きは、この王国で名の知れたヴァンデセイヴ伯爵家の一人息子だ。
だが、実際のところ、俺の正体は――詐欺師である。
そう、前世でも腕利きの詐欺師だった俺は、この世界に転生してきたというわけだ。しかも、貴族の息子として。なんとも皮肉な運命だと思わないか。
「若様、そろそろお目覚めの時間です」
カーテンが開けられ、眩しい光が俺の目に飛び込んでくる。ルシアン・ウンブラ。俺の執事にして、詐欺の腕を磨く上での師匠的存在だ。
「ん~、あと5分……」
俺は毛布を頭からかぶり、朝日から逃れようとする。
「若様、本日は重要な日です。お忘れではありませんね?」
ルシアンの声に、俺は渋々起き上がる。
「……ああ、分かってるって。今日から新学期だろ?」
「さすがは若様。寝ぼけていても記憶力は抜群ですね」
ルシアンの皮肉な褒め言葉に、俺は小さく笑う。
「褒めても何も出ないぞ、ルシアン」
「まあ、若様の笑顔が拝見できただけでも、この老執事には十分すぎる褒美です」
俺たちは軽口を叩き合いながら、朝の支度を進める。こうしてるとまるで、普通の貴族の息子と執事みたいだ。でも、俺たちの関係は決して普通じゃない。
「ところでルシアン、例の計画の進捗は?」
俺は服を着替えながら尋ねる。
「順調です、若様。ただ、いくつか懸念事項がございまして……」
「なに?まさか警察に目をつけられたとか?」
「いいえ、そういうわけではありません。ただ、若様のお父上が……」
ルシアンの言葉に、俺は一瞬動きを止める。そうか、またあの人か。
「父上が何だって?」
「最近、若様の行動を注意深く見ているようです。特に、若様が裏で進めている計画に興味があるようで……」
俺は深いため息をつく。父上であるヴィクター・ヴァンデセイヴ伯爵。表向きは慈善活動に熱心な高潔な貴族だが、裏では大規模な詐欺組織のトップだ。そして、その組織を継ぐべき後継者が、この俺ってわけ。
「ふーん、そりゃ興味を持つよな。だって俺、父上の期待をはるかに超えちゃってるんだから」
俺は鏡の前で髪を整えながら、ニヤリと笑う。
「若様、あまり自信過剰になるのは危険です。お父上は恐ろしく狡猾な方です」
「分かってるって。でもさ、俺には前世の記憶があるんだぜ? この世界の常識なんて、とっくに飛び越えてる」
「それでも油断は禁物です。若様の才能は認めますが、まだまだ経験不足です」
ルシアンの諭すような言葉に、俺は軽く肩をすくめる。
「はいはい、分かりました。そう心配しないでくれよ。それより、今日から始まる新学期が楽しみでさ」
「学業に励むのはよいことです。ですが、若様の"楽しみ"というのは、純粋に学問を追求することではないでしょうね?」
ルシアンの鋭い指摘に、俺は悪戯っぽく笑う。
「さあ、どうだろうね」
そう言って、俺は部屋を出る準備を始める。新学期。それは俺にとって、新たな舞台の幕開けを意味している。
「若様、お待たせしました。朝食の準備が整いました」
食堂に入ると、テーブルには豪華な朝食が並んでいる。といっても、俺にとってはもう慣れっこの光景だ。
「いただきます」
俺が食事を始めると、妹のソフィアが小走りで食堂に入ってくる。
「お兄様、おはようございます!」
「おはよう、ソフィア。今日も元気だね」
ソフィアは14歳。純真で、家族の真の姿を知らない。俺にとっては、この世界で唯一、罪悪感を感じさせる存在かもしれない。
「お兄様、今日から新学期ですね。楽しみです!」
「ああ、俺もね」
俺は優しく微笑むが、内心では複雑な思いが渦巻いている。ソフィアには、決して俺たちの裏の顔を知られたくない。
「ねえお兄様、今日の放課後、一緒に街に出かけませんか?新しい本屋ができたって聞いたんです」
「ごめんね、ソフィア。今日は用事があるんだ。また今度ね」
ソフィアは少し寂しそうな顔をするが、すぐに明るい笑顔に戻る。
「分かりました。お兄様のお仕事、頑張ってくださいね」
ソフィアの純真な笑顔に、俺は一瞬、胸が締め付けられる思いがした。
食事を終え、学院に向かう準備を整えていると、ルシアンが近づいてきた。
「若様、お出かけの前に一つ」
「なんだい、ルシアン?」
「本日、放課後にノワール嬢とお会いする約束がございます。お忘れなく」
ああ、そうだった。ノワール・シルヴァーハート。俺の右腕的存在で、街の孤児出身の天才少女だ。俺が才能を見出し、今では欠かせない存在となっている。
「ああ、覚えてるよ。新しい計画の詳細を詰めるんだったな」
「はい。場所は例の喫茶店です。くれぐれも目立たぬようお願いします」
「分かってるって。俺を誰だと思ってるんだ?」
俺はウィンクしながら、ルシアンに向かって指を鳴らす。
「だからこそ心配なのです、若様」
ルシアンの冗談めいた言葉に、俺は軽く笑い飛ばす。
「じゃあ、行ってくるよ」
俺は颯爽と屋敷を後にする。新学期の始まり。表の顔では優等生を演じ、裏では詐欺計画を進める。この二重生活に、俺は何より快感を覚えていた。
通学路を歩きながら、俺は前世の記憶を思い返す。あの頃も、俺は天才的な詐欺師として名を馳せていた。だが、最後は失敗した。そう、だからこそ今度は絶対に失敗しない。いや、むしろ前世の失敗すら、この世界での成功の糧にしてやる。
「今に見てろよ。俺は必ず、この王国の裏社会を支配してみせる」
そう呟きながら、俺は王立上級学院の門をくぐった。華やかな制服に身を包んだ生徒たちが、次々と登校してくる。
「おや、これは伯爵家のアルフレッドくんじゃないか」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはエドガー・シュヴィンデルが立っていた。表向きは俺と同じく優等生を演じる男だが、実は別の詐欺組織を率いるライバルだ。
「やあ、エドガー。元気そうじゃないか」
俺は愛想良く微笑みかける。エドガーも同じように微笑み返すが、その目は俺の様子を探るように輝いていた。
「新学期だというのに、君は相変わらず余裕綽々といった様子だね」
「そうかな? 君こそ、何か楽しいことでもあったのか? 妙に上機嫌に見えるが」
俺たちは表面上は友好的な会話を交わしながらも、お互いの本心を探り合う。この駆け引きが、俺には何よりも楽しかった。
「さて、そろそろホームルームの時間だ。また後でな、アルフレッド」
エドガーが立ち去ると、俺は深い吐息をついた。ライバルの存在。それは俺の計画にとって、最大の障害であり、同時に最高の刺激でもあった。
教室に入ると、クラスメイトたちが次々と挨拶をしてくる。
「おはよう、アルフレッド!」
「新学期も頑張ろうね!」
俺は笑顔で応じながら、内心では冷ややかに彼らを観察していた。単純で騙しやすい。そう、まさに俺の餌食にぴったりだ。
そんな中、一人の少年が俺に近づいてきた。フィン・ヴェラコール。裕福な商人の息子で、やけに純粋で正直な性格の持ち主だ。
「やあ、アルフレッド。夏休みはどうだった?」
「ああ、フィン。楽しかったよ。君は?」
「僕も充実してたんだ。ねえ、この夏に面白い本を見つけたんだ。よかったら今度貸すよ」
フィンの無邪気な笑顔に、俺は一瞬戸惑いを覚える。こいつは俺の演技に騙されず、何故か純粋に友情を求めてくる。正直、扱いに困る存在だ。
「ああ、ぜひ。楽しみにしてるよ」
俺は慣れた笑顔で応じるが、心の中では複雑な思いが渦巻いていた。純粋な友情。それは俺にとって、最も遠い存在であり、同時に最も危険な誘惑でもあった。
ホームルームが始まり、新学期の説明が続く。俺は表面上は真面目に聞いているふりをしながら、内心では次の詐欺計画に思いを巡らせていた。
そう、これが俺の二重生活。表では模範的な貴族の息子を演じ、裏では王国最大の詐欺集団を目指す。前世の経験と、今世での立場。これらすべてを駆使して、俺は必ず頂点に立ってみせる。
新たな学期の幕開け。それは同時に、俺の野望への第一歩でもあった。