新・私のエッセイ~ 第140弾 ~ 『佐川一政』の世界 ~ 世を震撼させた食人族・・・それでもぼくは、敬意を払う
・・・ぼくはいまでも、
『佐川一政』さんが大好きだ。
静かでおだやかな物腰と、
落ち着いた人柄に惚れている。
どこか、哲学者のような・・・
あのハンニバル・レクター博士を連想させるような、
とてつもなく深遠で、高い知性を感じさせる、彼のコトバのひとつひとつにも・・・ね。
あの有名な、1981年の・・・
『パリ人肉事件』の殺人犯である。
ぼくは、皆さん同様、
『殺人』・・・及び、『カニバリズム(= 食人行為)』を、容認などしない。
・・・断固、反対し、
憎むべき犯罪として、激しく非難する。
だが・・・この佐川さんだけは例外である。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
彼に関する記事・情報は、
ネットでも、動画サイトでも、検索すれば山ほどヒットする。
だからここでは、詳しく触れずに「概要」だけ。
・・・1981年。
留学先のパリで、25歳の若き女学生・・・オランダ人留学生の、
ルネ・ハルテヴェルトさんを、カービン銃で射殺。
彼女を屍姦したのちに、
生のまま、ルネさんの顔や太ももの肉に喰らいつき、食いちぎり・・・解体したのちに、肉をフライパンで焼いて食す。
撮影後、遺体を遺棄しようとしたところを通行人に目撃され、のちに逮捕。
取調べ中、
「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから、精神鑑定の結果、心神喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。
その後、アンリ・コラン精神病院に措置入院されたのち、1984年(昭和59年)に日本へ帰国し、精神病院である東京都立松沢病院に入院。
社会復帰後は、作家として活躍し、大金を稼ぐ。
しかし、
2001年(平成13年)頃までにはほとんどの仕事が途絶え、生活に困って闇金に手を出すようになる。
持病の糖尿病もわずらい、脳梗塞で倒れたあとは、自力歩行困難な身体障害者に。
2022年11月24日、肺炎のため、東京都内の病院で死去。73歳没。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・佐川さんは、非常に聡明な人だった。
発する言葉のひとつひとつに、
含蓄と深い重み、哲学が感じられる。
本来ならば、殺人犯として終身刑に処せられるところを、運よく生き延び、
作家として大活躍された。
TV出演も多くこなしておられたし、
なんと・・・!
自身がプロデュースする、
『ルネ・ハルテヴェルトTシャツ』なる、
佐川さんにかじられ、顔のあちこちが食いちぎられた無残なルネさんの顔写真のイラストをプリントした、
オリジナルTシャツまで販売されておった。
(・・・ちょっと佐川さん。アレだけは、さすがにやりすぎなんじゃねーの?? マジでシャレになってねーっす。)
買った方、いますか・・・?
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佐川さんを、魔物あつかいする人は、もちろん多かった。
いまでも、名前も存在も、毛嫌いする方もたくさんおられることだろう。
あの、脚本家・評論家の、
石堂淑郎氏は、佐川さんのことを、
「人権のない化け物」よばわりして、佐川さんと大いに批判しあっていた。
まぁ・・・石堂氏の批判も、ある意味・・・
むべなるかな。
そんな石堂氏も、最後には、
「佐川くん。キミは、どこへでも行けるし、何でもできる。どうかこれからも、どんどん街を歩いてくれたまえ。ぼくもみんなも、それを望んでいるのだから・・・。」
と、大いに皮肉まじりではあったものの、かなり意味深な、
「佐川さんへのエール」ともとれる発言を残しておられる。
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ではせっかくの機会ですから、いつもの形式で、
そんな佐川さんの動画をいくつか紹介して、この・・・意味深なエッセイを閉じたいと思います。
もちろん、
佐川さんに撃たれ、食べられてしまったルネさんのご冥福と、彼女のご家族の今後のご多幸・・・それに、
冥府へ旅立たれた佐川一政さんの、向こうでのご活躍をお祈りして、
合掌。
m(_ _)m
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『佐川一政からのご挨拶』
→ UP主様は、「Sagawa Issei」様。
『佐川一政 人を食った男 1/2 - Interview with a Cannibal Part 1』
→ UP主様は、「VICE Japan」様。
『佐川一政 人を食った男 2/2 - Interview with a Cannibal Part 2』
→ UP主様は、「VICE Japan」様。
『爆笑問題と佐川一政』
→ UP主様は、「kl lk」様。
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追伸:
ぼくは、フランス語が堪能な佐川さんを、心から尊敬申し上げております。
・・・純粋な、
『世界一の語学屋』
『世界一のポリグロット』
として、ね♪
m(_ _)m