咲くのは百合の花、土壌は婚約破棄
「あ、婚約破棄? いいよ」
「え? ん? え、ちょっ……!」
嫉妬! 浮気! 冤罪! 婚約破棄!
細かいなんやかんやは全部割愛。早い話が、私はもう王子の婚約者ではなくなったのだ!
「それじゃ、お幸せに! 王子殿下! マーガレットさん!」
「ま、待てジャクリーン! ちゃんとマーガレットに謝罪を……!」
「それは嫌!」
身軽だ。何より心が。
疲れ知らずの幼子のように、私はダンスパーティを飛び出した。こんなに軽いのなら、どこまでも走っていける。私は、どこにでも行ける。
…………いや、流石に言い過ぎだ。五分と経たず、私は息を切らして座り込んでしまった。
「はぁー、はぁー! おぇっ、ぅ……! はぁ! はぁ!」
場所は、城の中庭。このために誂えられたかのような純白のベンチに腰掛け、空に浮かぶ満ち月を仰いだ。
疲れ切った幼子のように、私はもう一歩も動けない。
「あ、あの……」
「へぇ? はぁ、はぁ……」
「大丈夫ですか?」
どうにかこうにか息を整えていると、おっかなびっくりといった様子で声がかかった。
月夜によく映える、儚げで美しい少女だ。
背は私より少し低いが、平均から考えればそれほど低身長ではない。むしろその小柄さは、彼女の雰囲気と合わさって充分な魅力として機能している。
私は、思わず見惚れてしまった。
「あの……えっと……」
「ああ、ごめんごめん。大丈夫だよぉ〜」
ジロジロ見る私を不審に思ったのか、少女が訝しげな目を向けてくる。そんな表情も中々に愛らしい。後数年もしないうちに、社交界に咲く夜の花として多くの目を虜にするだろう。
ただ、その事実を知るのはまだ私だけだ。
国母となるべくして育てられた私が持つ審美眼だけが、彼女の真価を理解できる。
「こんなところで何を……?」
「別に何かしにきたわけじゃあないの。下らないダンスパーティが嫌になっただけ。でも、抜け出して正解だったわね。こんなに可愛らしいお嬢さんと知り合えたし」
「は!? え!? あ、あの……か、からかわないで下さい……っ」
「あら、ごめんなさい。でも本心よ」
「もう……っ!」
少女は、白い頬にほのかな赤みが刺している。
彼女がわずかに動くたび、長い銀髪に反射する月光が星明りのように煌めいて、彼女の周りを舞う。その美しさをしばらく見つめていたかったが、背後で兵士たちの騒がしい声が聞こえ始めた。
きっと、私を探しているのだ。
「じゃあ、私はそろそろ行くわ。もうすぐ私を探しに誰か来るかもしれないけど、できれば適当な事言っといてね」
「え? あ、あの!」
何かを言おうとしたようだが、急いでいたので最後までは聞き取れなかった。
なぁんか見覚えがある美少女だったが、一体どこで見たのだろう? 私はそれなりに物覚えのいい方だと思っていたが、どうやら思い上がりだったらしい。
それはそうと、今は早く帰宅しなくては。家に帰ってする事がいっぱいあるんだから!
◆
「お父様! 婚約破棄されました!」
「え?」
帰宅第一声。それはお父様への報告である。
「ん? 王子殿下にって事だよね?」
「はい! 私は王子としか婚約してませんから!」
「だよねぇ〜」
お父様は腕を組み、うんうんと唸って首を傾げる。婚約破棄などという間抜けを行う人間が、まさか本当にいるなどとは思ってもみなかったからだ。
「うぅ〜ん、取り敢えず王室にはすぐ苦情を言うね。ジャクリーンはこれからどうしよっか?」
「私はお家の手伝いがしたいわ」
「そうかい? ならハロルドが家を継いだら、その補佐をお願いしようかな」
「まかせて!」
敏腕貴族のフォーサイス侯爵といえば、国内に知らない者はいない名家である。しかし、家族だけの空間では、その面影を感じる事はできないだろう。ただ優しげで、子煩悩で、ほんの少しだけ優柔不断そうな見た目の理想の父親だ。
だが、私はお父様を深く信頼している。お父様がこうして対応してくれる以上、悪いようにはならないだろう……多分、きっと、おそらく、願わくば。
「疲れたろう、ジャクリーン。もうお部屋で休みなさい。それともお腹が空いたかな?」
「いいえ、お父様。今日は眠るわ。おやすみなさい」
「はい、おやすみ」
さて、これで当面の生活は問題がない。侯爵家が、弟のハロルドが家を継ぐまでの生活を保証してくれるだろう。
しかし、それだけで満足だろうか? そのまま家に居座って、寿命を迎えるまで平和に暮らせるだろうか?
私は無理だと思う。あるいは、お父様やハロルドなら私を追い出したりしないかもしれないが、ハロルドがいずれ迎えるだろう妻はどうだろうか? いずれ産まれるだろう子供はどうだろうか? 親族は? 使用人は?
それらが全て反対し私を邪険に扱った時、無視して居座れるほど私は図太くない。
なので、一人で暮らせる用意が必要だ。少なくとも、ハロルドが家を継ぐまでに。
「ロミア・ヒューグマン。ロミア・ヒューグマンはいるかしら?」
「え!? お、お嬢様!?」
「うっそ!? なんでお嬢様がこんなところに!?」
部屋に戻る前に使用人室を訪ね、遅めのお夕飯を食べているメイドたちを見回す。お望みの人物は、部屋の隅でひっそりと質素な食事をとっていた。
「いたわね、ロミア。ちょっと来なさい」
「あ、あの……っ、なにか……な、なにか御用でしょうかっ」
ロミア・ヒューグマンは、小柄で気弱そうな少女だ。しかし、今は普段よりもずっと怯えて声が小さい。
それも、仕方のない事だろう。なにせ、使用人は主人と話す事がない。そればかりか、主人の目に入る事すら憚られる立場にあるのだ。直接的な管理は執事やハウスキーパーのような上級使用人によって行われ、雇用も解雇も主人の預かり知らない内に済まされる。
ならば、異常事態だ。新米使用人、ロミア・ヒューグマンにとって、あってはならない事が起きている。
「ついてきなさい。貴女は今から配置換えよ」
「え?? あ、あの……」
ロミアは、私の後を不安そうに着いてくる。
私は使用人用の通路を通らずに部屋に戻るので、どうにも落ち着かないといった様子だ。
「入っていいよ」
「え? は、はい」
私の軽い口調に、少し驚いたようだ。先ほどまでは他の使用人の目があったが、もう気にしなくていいと思うと気が抜けてしまったらしい。
「ごめんなさい、急な事だからビックリしたでしょう」
「い、いや、そんな!? 頭を上げてください!」
大慌てのロミアを見ていると、なんだかいじめてるみたいな気分になる。小柄で、実年齢よりも若く見られがちな少女だ。その上気弱で、不安そうにさせているとなんとも罪悪感に苛まれてしまう。
「あ、あの……配置換えとは……?」
「ええ、貴女には、今から私付きの侍女になってもらいたいの」
「……ん?」
ロミアは首を傾げる。
「私ね、婚約破棄されたの。お父様は家にいていいって言ってくれるけれど、ずっとってわけにはいかないじゃない? だから、そのうち独り立ちしようって思うんだけど、その時に手伝ってくれる人が一人いると助かるなって思ったの」
「そ、それで私を……? 一体なぜ……?」
「貴女が一番信用できるからよ」
「え!?」
「真面目で、賢く、熱心な貴女の仕事態度をいつも見ていたわ。少し気が弱いところが難点だけれど、私がついていれば安心よ」
私だけの力で新たな生活基盤を作るのは、おそらく無理がある。私にはやがて家を継ぐ弟の補佐の仕事があるし、貴族令嬢の立場から考えて他家から侮られるような行動も取れない。どうしても、手足となって働いてくれる協力者が必要なのだ。
その点、ロミアは理想的だ。能力は申し分ないし、信用もできる。どうやら私がここまで彼女を評価しているのは意外らしいが、偽りない本心である。
「な、なぜ私の事などを見てらっしゃるのですか……? たかだか一使用人など、あなた様にとっては木っ葉に等しい存在だというのに……」
「悲しい事を言わないで。私はうちで働く人たちの名前はほとんど覚えているわ。その中で、貴女が一番優秀だと思っただけよ」
「わ、私が……」
ロミアは顔を伏せる。
嫌だったかしら? だとしたら悪い事を言ってしまったわ。
「もちろん、貴女の意思は尊重するわ。気が乗らなければ、明日からも元の仕事をしてくれても……」
「やります!」
「え? そ、そう。ありがとう」
急に大きな声を出すから驚いてしまった。
ただ、その言葉自体はありがたい。
よ〜し、これから忙しくなるぞ。頑張らないと。
◆
婚約破棄から一ヶ月。私は、かなり忙しい日々を過ごしていた。
会う人会う人に婚約破棄について聞かれるし、相手も貴族だから邪険にはできないしでもううんざり。なんで婚約破棄されたかなんて知るか! 言い出したのは私じゃねぇ!
だが、それでも一番気が滅入る仕事は今日だ。なんと今日は、どうしても城に赴かなくてはならない用事がある。
お父様の遣いでね。宰相閣下に会わなくてはならないの。
まあ、それ自体は大した問題じゃない。閣下は不躾な質問なんてしませんし、仕事熱心なナイスミドルなので要件も迅速に終わった。問題は、この後王子と鉢合わせないかという心配だ。
なんか聞いたところによると、王子は私にどうしても謝らせたいらしい。嫌だから絶対にしないけど、顔を合わせればしつこく食い下がる事は容易に想像できた。なんなら向こうから会いにくるんじゃないかと思うと、頭がクラクラするくらい痛くなってしまう。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「……ええ、ロミア。心配してくれるのね、ありがとう」
「い、いえ! 当然の事です!」
ロミアはよく働いてくれている。まだ拙いところも目立つが、彼女がいなくては私の独り立ち計画は形にもなっていないだろう。
頼りにしている。今日もこうして、一緒に歩いてくれているのだから。
「あっ!?」
「おっと、危ない」
廊下の曲がり角。疲れていたせいか、不注意で誰かにぶつかってしまった。
倒れてしまいそうになる相手に手を伸ばし、腰の辺りを抱いて受け止める。相手が被っていたツバの広い尖り帽子は、背中の方にポトリと落ちてしまった。
ボサボサ髪の、気の強そうな少女だ。特徴的な吊り目を目一杯に見開き、私の腕の中で驚いている。
「ご、ごめん! ぼーっとしてて!」
「いいのよ。こちらこそごめんなさいね、魔術師さん」
魔術師さんは慌てて私から離れ、帽子を拾って軽く手で叩く。
それを被ると、角度や尖り部分の曲がり方などを調整する。かなりオシャレさんなようだ。
「お若いのに宮廷魔術師なんて、有望なのね」
「いやぁ、どうだろうか。正直、煙たがられているんだよね」
「そうなの? でも、貴女のローブは魔法道具よね? すごく良質な物に見えるけれど」
「分かるのかい!?」
魔術師さんは身を乗り出して顔を近づけてきた。
危ない。私でなければ驚きのあまり声をあげているところだ。
「ええ。ぶつかった時、ほとんど衝撃を感じなかったもの。魔法で防いでいるのよね?」
「そうなんだよ! 実験はまだなんだけど理論上は馬の後ろ蹴りにも耐えられる設計なんだ! 大陸広しといえどここまで繊細な衝撃吸収を行う布地は見つからないだろうね! 他にも熱冷気から体を守ったり内側の湿度を一定に保ったりして過ごしやすいし汚れがつきにくい加工も施してあるんだ! しかし何より大変だったのは魔力の効率化で正直現時点ですでに実用化レベルと言えるだろう! これほどの魔法を同時展開しながら使用者の魔力の自然回復を下回る効率化にはそれはもう大変な苦労が……」
大変な熱意だ。大変な早口だ。言っている事は何ともすごいっぽいが、勢いが凄すぎてちょっと引いてしまう。
もちろん、そんな様子はつゆほども見せないが。
「お嬢様、そろそろお時間が」
「あら、そうなのね。それでは、魔術師さん、名残惜しいけれど今日のところはこれで」
「そ、そうなのかい……。あ、あの、じゃあまた時間がある時にでもおいでよ! 他にもいっぱい面白い魔法道具があるんだ!」
「ええ、そうさせてもらうわ。お名前を聞かせてもらってもよろしいかしら?」
「おお、これは失礼。ルルミア・エクトバーンだ。君の名前を聞かせてもらっても?」
「ジャクリーン・フォーサイスよ。よろしく」
ルルミアはかなり変わり者だが、この時間は非常に意義のあるものだった。ただ、私個人の事情によってあまり長居はしたくない。
それを察したロミアは、わざわざ気の利いた言葉をかけてくれたのだ。
「気を使わせてしまったかしら?」
「いえ、当然の事です。私はお嬢様のメイドですので」
「ええ。それも、すこぶる頼りになる、ね」
「恐縮です」
軽く頭を下げるだけの事ですら、一ヶ月前よりも様になってきた。もう、怯えるだけの彼女はいない。私の見立てに、間違いはなかったのだ。
さて、あとは王子に見つからない内にさっさと帰るだけだ。
いつもいつも訳わかんない事で腹を立てるわがまま王子の相手なんてもう二度とごめんだからね。城にいる時間なんて、ほんの少しでも短い方がいい。
家に帰ってからも、たくさんの仕事に追われるんだからね。
◆
城に呼び出された。最悪。
冗談抜きで今一番嫌。爪剥がした方がマシ。絶対王子の要望だもん。私を糾弾したくて仕方がないと、この半年間聞き続けてきた。なんとか逃げて避けて顔を合わせないように努めていたけれど、とうとう捕まってしまった形だ。まさか、国王の口から出た言葉を無視するわけにもいかない。
「私、もしかしたら前世で悪い事でもしたのかしら?」
「異教の考えですよ、お嬢様」
「なるほど、異教徒ならこの扱いも納得〜」
客室で時を潰すのは、存外気分のいい時間ではなかった。刻一刻と迫る約束の時間は、まるで噂に聞く異国の十三階段の気分である。
うっぜ〜。呼び出したクセに待たせてさ。これ見よがしに邪険に扱って、ここぞとばかりに嫌がらせをしているんだ。
「私、一応侯爵令嬢なんだけどな」
「そればかりか、この国で一番優秀な貴族家のご令嬢です」
「あら、嬉しい事を言ってくれるのね」
もしもロミアがいなければ、私は正気でいられなかったかもしれない。頭を抱え、上質な絨毯の上を転げていたかもしれない。
それだけのストレスだ。それほどに、私は王子が大嫌いだ。いや、当たり前の事なんだけどさ。冤罪ふっかけて逆ギレで謝罪しろなんて言う奴好きな訳ないからね。
ロミアに愚痴を聞いてもらえるのはありがたい。捌け口、と言えば聞こえが悪いかもしれないが、まさしく彼女はそのような役割を担ってくれている。
なにか、別の形でお礼をしなくてはならないだろう。
そんな時、ガチャリと扉が開いた。ノックもなしに。
「?」
「あ、あれ? あ! 間違えました!」
勢いよく閉じられる扉。そして数秒後に再び開かれる扉。
「えっと……あの……元のお部屋が分からなくて……」
「まあ、そうなのね。ではお掛けになって、マーガレットさん。うちのロミアが王子を呼んでくるわ」
「はい、お嬢様のロミアが行ってまいります!」
……ロミア、随分と張り切ってるわね。
マーガレット・フレッチャー。王子の新しい婚約者であり、どうやら私がいじめていたらしい相手である。
フレッチャー男爵家の令嬢だが、どうやら訳ありのようだ。聞いたところによると正妻の子ではなく、ごく最近まで市井で暮らしていたのだとか。貴族社会に染まらない純真無垢な少女であると、王子はひどくご執心だった。
「マーガレットさん、紅茶でもいかが? じっとしていると落ち着きが悪いでしょう」
「え? あ、えと……いただきます……」
マーガレットはほとんどずっと床を見つめ、体を強張らせて私と目を合わせようとしない。まるで小動物のような怯え方は、なるほど保護欲を掻き立てると言えなくもない。
「そんなに震えなくても平気よ。ただの美味しい紅茶だもの」
「は、はい……」
「心配なら私のカップと交換しましょうか?」
「いや! そんな! こ、これで結構です!」
震えなくていいって言ってるのにめちゃめちゃ震えてる……
困ったな。半端なく気まずいのに全然会話にならないぞ。さっきまでは頭がおかしくなりそうなくらいのストレスだと思ってたけれど、今の方がずっとキツいや。それも、今はロミアがいない。王子なんか迎えに行かせなきゃよかった。
「えぇっと……そうだ! マーガレットさんはお料理作りがご趣味なのよね? 私も覚えたいのだけど、何か初心者向けのお料理はあるかしら?」
「え……?」
「? 何かおかしな事を言ったかしら?」
きょとん。人間って、こんなにきょとんってできるんだ。
ただでさえ大きな目が、本当に真ん丸になっている。
「だって……料理なんて下々のやる事だって……」
「まあ! 誰ですか、そんな事を言うのは!? お食事に敬意を払えない者がこの国にいるなんて驚きね!」
「えっと……王子様が……」
「王子が!?」
「ジャクリーン様がそう言っていたと……」
「はぁ???」
私? 私が、何を言ったって?
「王子がそう言ったの?」
「は、はい。確かにそう言われました」
「んん~???」
当たり前だが、私はそんな事を言っていない。思った事もない。
いや、家の料理人とか使用人とかに支えられている立場から考えると、下々なんていう傲慢な発言するわけなくない?
状況が分からない。しかし、ゆっくりと話す時間はなかった。
「マーガレット!」
「お、王子様!?」
扉が勢いよく開き、王子が飛び込んでくる。
ノックはない。
「何かされなかったか!?」
「いえ、私は別に……」
「なんだこれは!? このお茶はジャクリーンが用意した物か? そんな物を口にしてはいけない!」
「これは普通の紅茶で……」
「何が入っているか分かったものではないぞ! 捨ててしまいなさい!」
「ジャクリーン様はとても親切に……」
「貴様ジャクリーン! マーガレットに何かあったらただではおかないぞ!!」
王子は早口でまくしたて、ジャクリーンの話を聞きもしない。というよりも、わざわざ話させないように話しているように思える。
こんなところにはいられないと、王子はマーガレットを連れて行ってしまう。取り付く島もないとはこの事だ。
「なんですかあの態度は!」
「ロミア、落ち着きなさい」
王子を連れてきたロミアは、扉を閉めてから叫ぶ。彼女は意外に直情的なところがあるので、本人を怒鳴りつけなかっただけでも相当な我慢だろう。
「まるでお嬢様がすでに何かをしたかのようではありませんか! 人を呼びつけておいてなんという態度でしょう!?」
「私もそう思うわ。なんだコイツ意味わかんないってね。でも、落ち着きなさい。お願いだから国王陛下の前で同じ事をしないでよ?」
「それは……っ。はい、気を付けます……」
「ありがとう」
今回の召喚は、私を糾弾するためのものだ。私に謝罪させ、自らの正当性を主張したいのだ。
いや、絶対に謝んないけどね!
時間は迫り、間も無く国王の時間も取れるだろうという頃。私は念の為に髪とドレスを整えて、ロミアに確認してもらう。
さぁて、ここが正念場。というより、国王が王子の言葉をどこまで鵜呑みにしているか。マーガレットさんの持ち物を壊したり、突き飛ばしたり、陰口を叩いたり、噂を流したりといった事実は何一つないが、王子は全て真実であると主張している。
それが妄言であるかどうかは事実に基づく綿密な調査ではなく、国王の気持ち一つで決まるのだ。権力者とはそういうもので、国に忠義を誓う家臣としてそれには従わなければならない。
もしも謝罪が必要となれば、国を出よう。いまだ独立に充分な準備は整っていないが、ロミアと二人ならば乗り越えられる困難だろうと思う。それほどに、私はロミアを信用している。
「行きましょう、ロミア」
「はい、お嬢様」
扉が、驚くほど重く感じた。
それでも、私は余裕ぶった態度を崩してはいけない。
◆
「ジャクリーン・フォーサイト侯爵令嬢。貴公の行為は目に余る。沙汰は追って知らせるが、この場においては即刻の謝罪を命じる」
ダメでした! 息子に甘々のダメ親父が王子の言葉を全部鵜呑みにして私にゴミみたいな目を向けている。ふざけやがって。
多くの大臣や使用人を前にして宣言された以上、もはや撤回はできない。最悪と言っていい事態だ。
マーガレットの姿は見えない。口を挟ませないようにしているのかもしれないが、糾弾する場に本人がいない自体が不自然だとは思わないのだろうか。
「はっはー! 夜会の時に素直に謝っていれば恥をかかずに済んだのにな! お前は王に命じられるまで自らの非を認められなかった厚顔無恥の令嬢として知られる事になるのだ!」
「いや、謝りませんけど」
「はぁ!?」
はぁ? じゃないが。
「私は謝らないので、その分罰に上乗せしてください。王子の言葉は全部嘘だから謝るなんて真っ平だけど、そんなの信じてくれないだろうから仕方なしに」
「何が仕方なしだ! 貴様の暴虐に相応しい報いだろうが!」
「こんなわがまま王子と顔を合わせなくてよくなるなら僻地への追放とかがいいです。願ったり叶ったりだし」
「なんという傲慢! 父上! コイツはこんな奴なのです! どうか厳しい沙汰を!」
「うむ。賢しい罪逃がれと自らを顧みぬ態度。およそ情状酌量の余地はない。我が言に背いた事も考え、極刑すら視野に入ると心得よ」
マジかよ。だったら今日中に国を出るしかないな。
何やら勝ち誇った王子と国王の親子を尻目に、国外逃亡の算段をする。できれば避けたい事態だったが、一応当てがないわけではない。こうなれば覚悟くらい決まろうというものだ。
特に動じた様子を見せない私に腹を立てたのか、その後は思いつく限りの暴言を吐かれた。嫉妬深い鬼女とか、高慢ちきな痴れ者とか。
ロミアを抑えるのが大変だ。面と向かって『こんな馬鹿の言う事を間に受けないの』なんて言えるはずもないので、身振り手振りや視線で落ち着くようになんとか伝える。それでも、射殺さんばかりの目は収められる事がなかった。
「もうよい! 貴様などさっさと退がれ!」
「そうだ! 二度と私と父上の前に姿を現すな!」
いやお前らが呼びつけたからここにおるんやないか〜い。
まあ、言うだけ言ったし、これで伝わらないなら何言っても分かんないだろうから仕方がないか。あとは素直に従うフリをして、さっさとトンズラしなきゃ。
「お待ちください!」
さっさとトンズラしたいんだが?
見れば、開け放たれた扉の前に、部屋で待っているはずのマーガレットの姿があった。
「おお、どうしたんだい? マーガレット。この判決ではまだ不服というのかい?」
「あ、あの! じ、ジャクリーン様は悪い事をしていないと思います!」
「何を言い出すんだ!」
おおっと? 流れ変わったかな?
「君は散々嫌がらせをされてきたじゃあないか! 壊された髪飾りも、盗まれた筆も、もう忘れてしまったのかい? それとも、そんな事実はなかったと?」
「それは……確かにありましたけど……」
「そうだろうとも! それに、階段から突き飛ばされた事もあるじゃあないか!」
先ほども話された内容だが、改めてざわめきが起こる。立会人として用意された貴族たちが、聞こえよがしに私を糾弾した。
「なんと恐ろしい」
「貴族にあるまじき悪辣さですな」
「陛下は正しい判断を下された」
しかし、どうやらマーガレットはめげない。勢い任せに捲し立てる王子にキリリとした目を向けると、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ジャクリーン様がやった証拠なんてないんです!! 全部です!!」
マーガレットにこんな大声が出せるなんて知らなかった。どちらかと言えば気が弱く、意思の主張が苦手なタイプだ。
彼女への評価は改めなければならないだろう。いざという時、その想いを曲げずにいられる強さを持つのだから。
「全部王子殿下が言った事です! 『それはジャクリーンの仕業だ』『ジャクリーンに違いない』って! でも、私はジャクリーン様がそんな事をしたところなんて見ていません!」
王子の顔こわっ。
とてもじゃないが新しい婚約者に向けるとは思えない人相でマーガレットを睨みつけている。
意外なところから現れた援護だが、折角なので乗せてもらおうと思う。
「そのお話、詳しくお聞きしたいわ」
「いや、無駄話は許さん! ジャクリーン、貴様はさっさと出ていけ!」
「断る!」
「ことわる!?」
いいところなんだから邪魔しないでよ、馬鹿王子。
「私は、盲目にもその言葉を鵜呑みにしたのです! 普段から優しくしてくださる殿下から、普段からジャクリーン様の人となりを聞いていたからです。およそ、貴族令嬢に相応しくない傲慢な女であると。しかし、私自身は、ジャクリーン様と今日初めて言葉を交わしました! とても、殿下の言うような人物には思えません!」
「それこそがこの女の巧みなところなのだ! 外面ばかりをよく取り繕って、その黒い腑を隠してしまう!」
「ジャクリーン様のそれが外面なのか本音なのか、私には判断がつきません! しかし、あなたの言葉も同じですよ! あなたが真実を話しているのかどうか、私には分からないのですから!」
「貴様! 王族の言葉を愚弄するか!」
「——ええ、そうね。貴方の言葉は嘘っぱちよ」
再び、思いもよらない声がする。私も、貴族一同も、マーガレットさんも誰だか分からなかったようだが、王子と国王は目を見開いて驚いているようだ。
玉座横の扉を開いて現れたのは、私が婚約破棄をされた日に庭で会った少女だ。月明かりを思わせる長い銀髪が、今日も美しく光を湛えている。
……玉座横の扉って王族しか使わない出入り口なんだけど。いや、え? まさか、ね?
「姉上!?」
「パーバティ!」
姉上らしいわ。
……姉上???
パーバティ姫。その名前は国王の一番目の子のものだ。
この国に住む者で、その名前を知らない人間などいない。しかし、その姿はといえば、王子の婚約者であった私ですら遠目に一度見ただけだ。
幼くして亡くした母によく似た美貌を持つ彼女は、その上で母の体まで受け継いでいた。まさしく生き写しとでも言うべき虚弱体質は、社交界の場から彼女の姿を遠ざけていた。
月に一度あるかないかの好調子の日に、ほんの一時だけ夜の散歩をする。姫にとって外の世界とは、たったそれだけの狭い空間であった。
その姫が、まさか昼間から玉座の間にいる。
「は、早くお部屋に戻りなさい!!」
「そそそうだぞ姉上!? こんなところにいてはいけない!!」
初めてこの親子と意見が一致した。
多分これが最後でしょうね。
「黙りなさい愚弟! あなたには愛想が尽きました! そしてお父様! 息子可愛さに言葉を鵜呑みにして国が治められますか!」
「あ、姉上……」
「パーバティ……」
「全て狂言である事は調べがついています! あなたが王子の立場から口止めをした者の口は、王族の立場からであれば簡単に開く事ができるのです」
それを合図として、数人の使用人と貴族が連れられてくる。私にも見覚えがある、王子の取り巻きだ。
「おら! 歩けこら!」
「いた、い、痛い! 一応貴族だぞ!? 手荒くすんなよ! 悪人でも丁重にするだろ普通!?」
「黙れ恥知らず!」
……貴族を足蹴にしている人物には、見覚えがあった。
口汚く罵ってはいるものの、どうやらそういった態度には慣れていないようだ。それもそのはず。何せ彼女の本領は研究によって発揮され、荒事など無縁な生活を送ってきたはずだからだ。城仕えの魔術師の象徴である杖を振りかざし、大きな尖帽子をこだわった角度に調整する。
ルルミア・エクトバーン。
前に一度だけ顔を合わせた事のある魔術師だ。
「……っ! 姉上は錯乱している! 持病の発作である、直ちに寝室にお連れしろ!」
状況悪しとみるや、王子が衛兵にそう叫ぶ。
明らかに苦し紛れ。しかし、困惑しながらも何人か集まってきた。
流石に王子だ。その立場は、下々の疑問を握り潰すだけの力である。
ただ、今回は大した意味がなかった。
「下がりなさい! 私はすでに病を克服しました! 発作などではありません!」
王子の威光が義理人情を超えて罷り通るのは、相手が下々の時だけだ。相手もまた王族である限り、彼のわがままは子女の癇癪となんら変わらない。
「私の患いは、光への過剰な反応が原因でした。なので、そちらのルルミアさんにお願いして、光から身を守る魔法道具を用意してもらったのです」
「ルルミアです。どうぞよろしく」
「誰だよ!?」
「宮廷魔術師のルルミア・エクトバーンさんです。魔法道具技師として素晴らしい腕をお持ちで、このドレスを用意してくださいました」
「ドレス??? そのドレスが魔法道具だと??」
魔法道具といえば、巨大な宝石のついた杖や煌びやかな装飾品を思い浮かべるが、姫殿下のドレスは華美ではあるものの一般的な貴族のそれと何ら遜色がない。かなり魔法に精通している人間でも、一目で魔法道具であると見抜くのは困難だろう。
私も分からなかった。
そして驚くべき事は、それでいて魔法道具としての性能を損ねていないところだ。
信じがたい。そんな声が聞こえてくる。真実であるならば、ルルミアの技量は間違いなく王国最高のものだ。
「あなたがジャクリーンさんに不名誉を着せたと聞き、すぐに調べを始めました。まず間違いなく絶対に何があろうと確実に明確に相違なく必ずやジャクリーンさんが不誠実を働いたはずはないのですから」
「自信がありすぎる……」
「そのために私自身も動かなくてはなりませんでした。しかし、知っての通り、私は身を病んでおります。すぐさま行動を起こす関係上、お医者様にかかるのは最善ではないように思えました。なので、差し当たり症状を押さえつけるための光明を魔法道具に見たのです」
「そ、それで、その娘を頼ったと?」
「そうです。聞けば、彼女もまた私と同じ思いだったようで、そのまま協力をお願いしました。思ったよりも時間がかかってしまったので、結果的に正解でしたね」
「ぐぬぬ……」
誰も突っ込まないけど、なんでこの人私の事こんなに信じてるわけ? ちょっと月の夜に会って容姿を褒めただけじゃん? ちょっと廊下でぶつかってお話ししただけじゃん?
まるで十年来の友人であるかのような信頼により、私は危機を脱しようとしている。
とてもではないが、怪しすぎる。しかし——
「お父様、いかがでしょう? まだ弟のために無実の令嬢を裁きますか?」
「むぅ……。此度の件は不問とする。皆退がってよい!」
——まあ、なんか助かったしいいか
◆
「ジャクリーンさん、うちの愚弟がどうもご迷惑をおかけしました」
「そうですよ姫殿下! お嬢様に何かあったら……!」
「その辺になさい、ロミア。不敬ですよ」
「し、失礼しました」
……なんか呼ばれた。
帰ったら仕事があるんだけどなぁ。
「なぁんで、私を助けてくれたんですか?」
「今回の事は私の預かり知らないところでなされましたが、知らぬ存ぜぬではいられません。できる限りの力を尽くすのは当然ではありませんか」
「私も! 私も手伝ったよ!」
「ええ、ありがとうルルミアさん。それに当然、姫殿下も」
「えへへ」
「と、当然の事です!」
姫とルルミアは、頬を赤らめて視線を逸らす。なにこれ?
あと、なんかロミアがキレてるっぽい。顔が怖い。
「あの……私はどうしたらいいでしょう……?」
「ああ、そうだったわ。マーガレットさん、あなたにも感謝しているわ」
「え? あ、はい」
なんか混沌とする部屋の中。照れてる二人、切れてる一人、困惑している一人。それと何が何だか分からない一人。ちなみに困惑しているのが私。
「マーガレットさん。貴女にはジャクリーンさんを貶めるつもりがなかったのよね?」
「は、はい姫様」
「となれば完全に愚弟の暴走ね。貴女にも迷惑をかけたわ。それを謝りたいと思って引き止めたのよ」
「い、いえそんな……」
「ところで、ジャクリーンさんとはどういったご関係かしら? 随分と信頼してらっしゃるようだけれど、何か親密な関係でいらっしゃる?」
「そそ、そんな! 私がジャクリーン様とだなんて!」
困惑する私。なんか盛り上がる周り。
正直、ちょっとだけ疲れてしまう。
「あの、えっと、これ以上何もないのなら私はこれで……」
「何かご用事ですか?」
「はぁ、まぁ」
「姫様、ジャクリーン君の名誉は守られたものの、婚約者を失った事に変わりはないんだ。きっと忙しいんだろう。引き止めては悪いよ」
「まあ! これは申し訳ありません!」
「いや、別に……」
「私に手伝える事はありませんか? いいえ、是非ともお手伝いさせてください!」
「じゃあ私も! 私も手伝うよ! 何をするにも、魔法道具が入り用だろう?」
「あ、あの! 私にもお手伝いさせてください! 何かお詫びをしたいのです!」
「お嬢様! ロミアはいつまでもお嬢様にご一緒します!」
「あぁ、うん。よろしく……?」
なんとも不思議な話だが、なんか大量に協力者が現れた。私は婚約破棄されただけなのに。
まあ、助かるからいいけど。
◆
私は、家を継がない。貴族ではない。爵位などない。
家に迷惑をかけずに生きるには、自立以外に道はなかった。
現在、商家として生計を立てている。女手だけの仕事である事を思えば、それなりの成功と言えるだろう。
ただ、少し騒がしいのだけは気になってしまう。