名興文庫コラム「『ライトノベル』とは何か?」の問題点
先日、「良質な物語を多くの方々にお届けする出版社」を標榜する名興文庫さんのホームページ上に突如「『ライトノベル』とは何か?」というタイトルのコラムが掲載された。
クソでか主語なこのタイトルからして荒れること必至な悪い予感しかしないが、本文を読んで唖然とする。
実際のところ何が問題なのか、詳述したい。
元コラムについては下記参照。(はじめにお断りしますが、読むだけ時間のムダですが私に怒らないでください)
https://naocoshi.com/column002-1/
【「はじめに」~「児童文学に進出する『ライトノベル』」】
もし、元コラムを途中で投げ出さず、特に怒りもめまいも覚えることもなく、淡々と最後まで読み切った読者がいるのなら、きっとこう思ったのではないだろうか。
「で、結局何が言いたいの?」
その感覚は正しい。
もし、感銘を受けたという人がいるなら、あなたは大変誠実で努力家で、そして危うい。
とある作家先生がこのコラムへの引用RTでおっしゃっていた言葉をご本人様に無断で申し訳ないが、私からも送りたい。
「とりあえずこのコラムに参考になったとかすばらしいコラムだって言ってるやつはもう一回読んで目を覚ませ」
さすが、文筆を生業とされている方である。
端的にして過不足ない、素晴らしい一文だ。
もし「『ライトノベル』とは何か?という提題でコラムを書きました、評価をお願いします」とこの文章を渡されたとしたら……。
私でなくても大学教授であろうと、新米塾講師であろうと、アルバイトの大学生であろうと、くだす評価は一つしかありえない。
0点である。
なぜか。
答えは簡単。どこにも結論もなければ見解も存在せず、解釈すらないからだ。
人様の書いた文章をよく読みもせず批評するのは失礼なので、私はこのコラムを何度も読んだ。できるかぎり偏見の目で見ることのないよう、私的感情は抑え、頭痛を堪え十回は通読した。
しかし、何遍読んでもどこにも答えはない。
そんなバカな。
「ライトノベルとは何か?」と問いかけているのに、その答えが一つもないなんて……。
いったいこの人は何がしたかったんだ?
もう一度、「はじめに」の文章を精読する。
***
なので、このコラムでは「『ライトノベル』とは何か?」の問いに対して、『ライトノベル』の歴史を振り返ることで名興文庫の考えを提示したいと思います。(傍点引用者)
***
……………。
ほんとに振り返っただけかーい!!
なんとこの著者は、ライトノベルの遍歴を並べ立てただけで「ライトノベルとは何か」について語りつくした気になっているのである。
そして、その歴史とやらも極めて粗雑な提示である。
黎明期から現代までの代表的(とこの著者が思っている)作品名と年表をただただ羅列しているに過ぎない。
想像していただきたい。
あなたは大学受験を控えた高校生だ。
高い授業料を払い、塾講師の日本史講座を受けにきた。
「それでは今日は鎌倉幕府の歴史について学びたいと思います」
講師はおもむろに、ホワイトボードに一枚の紙を貼りつける。
年表
•1183年(寿永2年) 寿永二年十月宣旨
•1185年(文治元年) 11月、文治の勅許に基づき守護・地頭を設置
•1189年(文治5年) 奥州合戦
•1192年(建久3年) 源頼朝、征夷大将軍任命
•1199年(建久10年) 1月、頼朝の死、源頼家が家督を継ぐ
•1200年(正治2年) 十三人の合議制開始。梶原景時の変
•1201年(建仁元年) 建仁の乱
•1203年(建仁3年) 比企能員の変、頼家が幽閉され源実朝が将軍に就任
•1204年(元久元年) 三日平氏の乱、頼家暗殺される
•1205年(元久2年) 畠山重忠の乱、牧氏事件
•1213年(建暦3年) 泉親衡の乱、和田合戦
•1219年(建保7年) 実朝、公暁に暗殺される
•1221年(承久3年) 承久の乱、六波羅探題の設置。
•1224年(元仁元年) 伊賀氏の変、連署の設置
•1225年(嘉禄元年) 評定衆の設置
•1226年(嘉禄2年) 九条頼経が将軍に就任 (摂家将軍の開始)
•1232年(貞永元年) 御成敗式目の制定
•1246年(寛元4年) 宮騒動
•1247年(宝治元年) 宝治合戦
•1249年(建長元年) 引付衆の設置
•1252年(建長4年) 将軍頼嗣を京へ送還、宗尊親王が将軍に就任(宮将軍の開始)
•1272年(文永9年) 二月騒動
•1274年(文永11年) 文永の役
•1281年(弘安4年) 弘安の役
•1285年(弘安8年) 霜月騒動
•1293年(正応6年) 鎌倉大地震及び地震の混乱に乗じた平禅門の乱
•1297年(永仁5年) 永仁の徳政令
•1305年(嘉元3年) 嘉元の乱
•1317年(文保元年) 文保の和談
•1324年(正中元年) 正中の変
•1326年(正中3年→嘉暦元年) 嘉暦の騒動
•1331年(元弘元年、元徳3年) 元弘の乱
•1333年(元弘3年、正慶2年) 鎌倉幕府滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 08:20 UTC 版)
「はい、鎌倉幕府の歴史がよく分かりましたね。こちらからは以上ですので、みなさんの鎌倉幕府に関する熱い思いを聞かせてください!」
(授業終わり)
受講生全員で講師に石を投げつけたところで罪には当たるまい。
当該コラムがやっているのは、これとまったく同じことだ。
いちおう元コラムの名誉(?)のため付記するが、年表を並べただけというのはさすがに誇張表現だ。
その下にごにょごにょと無意味なお気持ちを数文述べている。
どういうわけか、枝葉末節気味に小野不由美先生や奈須きのこ先生や西尾維新先生の名を挙げ、これらの作品はライトノベルと呼べるか否かと自問している。
無論、分かるわけがない。だって、ライトノベルとは何かについて、なんの定義も解釈もしていないんだから。自分は分からないから、こっちで勝手に考えろということらしい。
無責任な話だ。
挙句、ライトノベル作品が児童文学レーベルからも刊行されていることに苦言を呈している。
教育上よろしくないラノベが児童にもたらされることが気に喰わないらしい。
知らんがな。
解釈も結論も存在しないお気持ち表明に読む価値は一切ない。
強いて価値を見出すとするなら、ライトノベルの流れを年表的に整理したい時にだけ、備忘録代わりにでも用いればいいだろう。
【現在のライトノベルの問題点(1)~(3)】
このコラムが芸術的なのは、現時点で結論無しの0点評論であるにも関わらず、ここからさらにマイナス点を稼ぎ続け、どこまでも突きぬけていくことだ。
そして、前項までで何故結論も見解もない「ライトノベルの歴史」なる年表羅列を延々繰り広げたのかも、ここからの項を読めばおのずと分かる。
コラム著者にとって「ライトノベルとは何か?」という提題など、どうでもいいのだ。
ただ、ライトノベルの問題点(と思いこんでいる内容)を列挙したいがために、このコラムを書きあげたのだろう。明らかに、前項までと文章の熱量が違う。
しかしながら、ここからも著者の論述能力の稚拙さはいかんなく発揮される。
わざわざ小見出し①~③と分類したのに、①では、②では、③では、何を問題としているのか冒頭にも末尾にも述べられておらず、ひどく文意が汲み取りづらい。
それでも、私はがんばって精読した。
めんどくさいことこの上ないが、小見出し「現在のライトノベルの問題点」の問題点を①~③まで順を追って挙げていこう。
もしかしたら、私が批判的に論じたいがために故意に一部分を切り抜きあげつらっているだけとお疑いの方もいるかもしれないが、その方は冒頭にあげたリンクから本文をお読み頂きたい。一から十まで全部ツッコミを入れるのが果てしなく不毛なだけだ。
・現在のライトノベルの問題点(1)
この項で著者は、単行本として刊行されるライトノベルの値段が上がり、ライト文芸なるジャンルが登場したことから、現在のライトノベル読者層の年齢が高くなったのだと乱暴な推測を繰り広げたうえで、社会人になってまでオトナがライトノベル的な作品ばかり読むことを危惧している。余計なお世話である。
そして、これが何故、憂うべき事態であるのか、その根拠が下に引用した箇所である。
***
登場人物たちの感情はセリフとして表現されることが多く、読書中に相手の感情を推測する必要はあまりありません。
感情をすべてセリフとして表現される作品は、読みやすくてわかりやすいです。しかし、「書いてあることがすべて」という世界でもあります。
***
…………は?
どうやらこの著者は、セリフから相手の感情が全て読み取れるうえ、誤謬・誤読は一切しないらしい。これはスゴイ!
自分の伝えたいことは全てセリフにして、過不足も誤解もなく100%相手に伝えられる。
そんなテレパシーのような超人的な能力の持ち主なら、いますぐラノベ作家なんか辞めて新興宗教の教祖にでもなった方がいい。
前項まででたくさんのタイトルを挙げているが、この書き手はその著作を読んだうえで論じているのだろうか。
断言しよう。読んでない。
もし、挙げた作品を読んでいれば”ライトノベルは読みやすい文章らしい”→”ということは人の気持ちも全部セリフで書かれているんだろう“などという、粗雑な推論は即間違いだったと気づくはずだ。
作品も読まず「ライトノベルとは何か?」というコラムを書こうというなら不誠実極まりないが、多忙の身の上でどうしてもこのコラムをあげなければならなかった複雑な事情があるのかもしれない。それならそれで仕方ない。
二度とすんな、とだけ言おう。
だが、万が一、読んだうえで言っているのであれば恐ろしい。
よほど壊滅的な読解能力と文章表現力の持ち主がこのコラムを書いたということになる。
秋山瑞人先生の『イリヤの空、UFOの夏』、支倉凍砂先生の『狼と香辛料』を読んで、「うわー、セリフばっかだなぁ。加奈もホロも感情をぜーんぶ口にするから推測できなくてつまんないや」などという感想に至るのか?
自分で年代の代表作として挙げておきながら、それらはライトノベルの中でも例外です、などとは言わせないぞ?
あなたがバカにしてやまない”軽くて読みやすいライトノベル”が全く読めていませんよ。
なぜ、新興の出版社編集部などというイバラの道を自ら選んだ?
・現在のライトノベルの問題点(2)
コラム著者はこの項で、売れる作品と売れない作品の二極化、web小説上位の作品からの出版が業界の先細りを招くことを憂いている。(と見せかけて内心喜んでいるように感じるのは私の邪推だろうか?)
このコラム全体を通して唯一価値があるのは、この一箇所だけだ。
ウェブ小説からの商業出版が徐々に先細りを見せはじめている、というのは私も危惧している。
ただし、その理由については全くの的外れだ。あまりに腹立たしい言葉が並べ立ててあるので、引用する気も起きない。
そもそも、ライトノベルとウェブ小説を混同している時点で間違っている。
そして、ウェブ小説の将来が不安なのは、個人の産物である小説を取り扱ってきた旧来の出版社の在り方と、あまり相性が良くないためだ。
ただ、出版社側も何もしていないわけではない。
コラム上では大手出版社は拝金主義の金の亡者で、盲目的にウェブで人気の作品ばかりの刊行を乱発していると嘆いているが、(まったく間違っているとは言わないが、本当にあちこちにケンカを売るのが好きな書き手である)現実には、少しずつだが、大手出版社の取り組みも多様化してきているように私は感じる。
作品の一部をオーディオドラマ化したり、ウェブ上で試し読みができるようにしたり、と試行錯誤しているのが見受けられる。
少しずつ先細りしているかに見えるこの状況を打破できれば、再びウェブ小説が隆盛を誇るのではないか、と私は期待している。詳しくは別エッセイで書き記したので、もしご一読頂けたらとても嬉しい。
・現在のライトノベルの問題点(3)
逆に、このコラムの中でも最もくだらない、最も低劣な項である。
ライトノベルは海外には普及しにくいという。
なぜなら、豊か過ぎる日本語で表現された会話は外国語にすると全く反映されないからだそうだ。
その論拠がこちら。
***
試しに、キャラクターの個性がわかるセリフの連続と、Google翻訳で変換したものを記載します。
「これからコンビニ行くけど、買ってきてほしいものある?」
「はいはいはーい! 私はアイスクリーム! お願いね?」
「では、あたいはプリンをいただきたいです……」
「わしゃあ、水がほしいのぅ」
「あ、じゃあ牛乳も買ってきてくれる?」
「外出か? ついでに犬の散歩に行ってこい」
“I’m going to the convenience store, is there anything you want me to buy for you?”
“Yes yes yes! i want ice cream! Please, thanks?”
“Well, I’d like some pudding…”
“I want some water”
“Oh, then can you buy some milk, too?”
“Going out? Come on, let’s go for a dog walk”
このように、翻訳するとキャラ語は削ぎ落とされ、会話文だけでは誰が何を話しているのか一切わからなくなります。
***
ぐ……ぐーぐるほんやく……。
これはひどい。あまりにもひどい。
ここでバカにされたのはライトノベルではない。
翻訳家と英語という言語である。
どこまで多方面にケンカを売れば気が済むのだろうか。
あるいは、昨今のAI技術の急速な進化から、グーグル翻訳様に絶大な信頼を寄せているのだろうか。
あと、ついでに付言させてもらうなら、例示された著者オリジナルだろう会話文は、英語に翻訳するまでもなく、誰が何を喋っているのかまったく分からない。
一場面に六人ものキャラクターを登場させ、地の文での受けもなく、一度にしゃべらせる。
こんな稚拙な表現をプロの作家はしない。もしするとすれば、誰がしゃべったか読者が判別する必要のない、そのセリフがAさんのものであろうとBさんのものであろうとどちらでもかまわない場合のみだ。
閑話休題。
こんなことわざわざ言わなくても読者諸兄は当然ご存じかと思うが、翻訳家の仕事は機械的に他言語を自国語に直す作業ではない。
翻訳家の仕事を逐一、門外漢の私が詳述するのはおこがましいのでこれ以上は止めておくが、愚弄するのにもほどがある。
また、日本語は多彩な表現をできる言語だが、外国語(この場合は英語)がそうではない、というのは語学学習初心者が陥りがちな、典型的な誤解である。
私の知る中から一つ例を挙げると、世界的に有名なプロレス団体WWE (ワールド・レスリング・エンターテイメント)には世界各国からスーパースター達が集まり、ややステレオティピカルでオーバーなキャラクターを演じ、それに応じた英語でリングの上では喋る。
メキシコ出身の故エディ・ゲレロ選手(彼の魂に安らぎあれ!)はスペイン語交じりの軽妙でブロークンな英語の使い手だったし、英国出身で紳士キャラクターだったウィリアム・リーガル選手は伝統的なイギリス英語を粛々と話すし、ブッカー・T選手は強烈な南部訛りの黒人英語、デビュー当時のジョン・シナ選手は生意気な若者言葉の使い手だった。
それらを字幕でどう表現するか苦闘していたのは、日本語の方である。
さすがにGoogle翻訳をかけて訳しにくいですよね? で押し通すのはマズいと思ったのか、この項ではさらにこう続く。
***
実際の翻訳作業ではここまで極端な状態で訳さないと思います。ですがそのぶん訳者の負担は大きくなるでしょう。負担が大きくなれば翻訳代金も高くならざるを得ません。そこまでして海外での出版を積極的に行いたくなるような作品が『ライトノベル』にあるのでしょうか?
***
いちおう補足するが最後の一文は反語である。
~『ライトノベル』にあるのでしょうか? (いや、ない)
ライトノベルをプロの翻訳家に翻訳頂くのは、代金が高くなるしムダだそうだ。
海外での出版をする価値がライトノベルに無いという根拠が商業的理由によるものなのか、ご高尚な文学的価値から言っているのかは文意が不明瞭だが、おそらくは後者だろう。
翻訳料が高くとも、その文化圏での販売から得られる利益がそれを上回るのであれば、依頼する商業的価値はあるに決まっているのだが、この著者は自分でも何を喋りたいのか分からないままにお金の問題など持ち出すから、余計に自ら混乱を招くのだ。
試しに私は、英語版『ソードアート・オンライン』の翻訳家をネットで調べてみた。
Stephen Paulさんという方だった。ツイッターをされていたので、そのプロフィール欄を軽く覗いて見る。
Translator: One Piece, Akane-banashi, Show-ha Shoten, Yotsuba&, Battle Angel Alita, Vin-land Saga, Umineko, DRRR, SAO, Tensura, Saint Young Men,
コミックが多数だが、『デュラララ!!』『転生したらスライムだった件』などの翻訳も手掛けられているようだ。英語をネイティブとする文化圏の広さを考慮すれば、日本発祥のコンテンツの普及に多大な貢献をしてくださっている方と言っていいだろう。
ニューヨーク在住だそうなので、コラム著者にはいますぐお住いの場所からニューヨークの方角を調べ、そちらへ全力で土下座していただきたい。
あなたにお支払いした翻訳料、全部ムダだったってよ。
それにしても謎なのは、このコラム著者の読書遍歴だ。
ライトノベルを読んでいないことはほぼ間違いないし、大衆娯楽小説や一般文芸を読んでいればライトノベルよりよほど描写が簡素化され、会話文主体の本などいくらでもあることに気づけるはずだ。論述の組み立てが極めて稚拙なことから学術書の類も読んでいるとは思えないし、海外図書の翻訳本を読んでいるなら、翻訳家など高いしムダだ、などとは口が裂けても言えないだろう。
読んでいるとすれば、やたらありがたがって論述の根拠として持ち出す、各ジャンルのハウツー本の類かもしれない。
このコラムの文面からは、主婦の友社あたりが出す「5分で分かる節約術のススメ!」とかなんとかのタイトルを喜々として読んでいる姿が浮かび上がって感じられる。
本当に、何故自らイバラの道を選んだ?
【名興文庫が求める作品】
ここまでで、引用部分も含めて7000字近くなってしまった。
お読み頂いた方の時間をムダにしてしまったことを、お詫びしたい。
元記事の著者は一生懸命書いたコラムを、無名の非書籍化作家志望ごときに散々にこき下ろされて、さぞお怒りのことだろうと思う。
だが、私の怒りの方が大きい、と言わせて頂きたい。
ライトノベルをバカにされたと感じたから?
そんなもの、小学生の時分から嫌というほど経験済みだ。
私が腹を立てているのは、何も中身のない文章を書きつづったくせに、さも「ライトノベルとは何か?」語りつくしたかのような態度でいる、この結びの項の文章である。
間違いなく、コラム著者は自分が何も定義していなければ解釈もしていないことに気づいていない。それが証拠に、このコラムの掲載後、名興文庫は「『ライトノベル』の定義について」の寄稿文を募集するというアナウンスを流した。
まるで、「我々はこのように定義しましたがあなたはどうお考えですか?」と言わんばかりだ。
何度も繰りかえすが、このコラムは何も定義していない。方々に雑なケンカを売って回っただけだ。
それでも、コラム発表後さほど大きな炎上騒動とはならなかったのは、失礼ながら未だ名興文庫さんの知名度があまり高くなかったことと、あからさまな誹謗中傷の言葉を避けているため、コラムを斜め読みしただけでは「何か違和感あるな?」程度にしか読者にも感じられなかったからだろう。
だが、私個人の好みで言えば、この手の文章が一番嫌いだ。
不明瞭な駄文の中に悪意を隠し、さも公正中立に論じたかのような態度を取り、何一つ結論を出さないままに、一仕事終えたかのような顔をしている。
提題に対し結論の無い論考は美しくない。
初めて小論文に挑む高校生ならそれでも許されようが、大の大人が、いやしくも出版社を名乗る集団が発表していいものではない。
何も結論が無いことに著者本人が気づいていないのは、輪をかけて醜悪だ。
「今日はライトノベルとは何か考えてみたいと思います。――歴史を辿ってみましたが、色々ありすぎてよく分かりませんでした。みなさんはどうお考えですか」
というのなら、まるっきりアフィカス記事そのもので、そんなコラムに存在意義があるのかどうか疑わしいが、まだ可愛げがある。
著者自身の無知・無理解をコンテンツの程度の低さに帰し、分かっていないものをさも分かっているかのように振る舞う。
そこにマジメに考えるようなものじゃないでしょう、という著者の傲慢さが透けて見える。
引き比べれば、投稿サイト「小説家になろう」に作品を投稿しながら「なろう系は全部クソだ」「こんなもの書いてるヤツはキ〇ガイばかりだ」と主張する某氏の文章の方が、直截的で文意も明確であり、著者個人の覚悟のほども伝わってきて、主張に賛同できるか否かは置くとしても、はるかに好ましく有意義なエッセイに思える。(現在は残念ながら削除されてしまったようだが……)
まだまだツッコミどころは多数あるが、(なんで一々金のことばかりから推論するのか、やたらハウツー本を根拠にしているがそんなもの本当に作家先生方は読んだことあるのだろうか)、いい加減私も疲れたので、最後に一つだけ言いたい。
「クソでか主語のクソコラムを匿名で掲載してんじゃねえぇ!!」
新興の出版社にとってブランドイメージはとても大事なものだと推察するが、このまま著者が名乗り出なければ、このコラムが名興文庫さんの総意とみなされることになる。それでいいのだろうか? (もう遅い気もするが)
もっとも、コラムの文章とホームページを照らし合わせれば、およそ誰が書いたのかは察しがつく。が、それを当ててみたところで自己満足にしかならないので、推理を述べるのは止めておく。
とりあえず、この執筆者をクビにしろとまでは言わないが、指導を徹底するか、今後外部に向けて文章を書くポジションには一切つかせない方が無難かと思う。
その上で、「ライトノベル作家を貶める意図はまったくありませんでしたが……」などの、誤読したこちらが悪いと言わんばかりの言い訳を一切付け加えることなく(火に油を注ぐだけである)、児童文学関係者、ライトノベル関係者、ウェブ小説執筆者、大手出版関係者、翻訳関係者、そして名興文庫関係者各位に向けて、稚拙なコラムを掲載したことを誠心誠意謝罪してもらった方が、レーベルの今後のために良いのではないか、と老婆心ながら進言させて頂く。
以上!