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8.差し出がましい

志澄の腕時計は7時45分を示していた。


アリステラの煮え切らない様子が頭の中で尾を引かせながら路面バスに揺られ、電車を乗り継ぎ、郊外の実家へと帰る。


少なからずとも高校3年間はこの道を嫌が応にも通らなくてはいけないかと思うと辟易する。


「……ふう……」


いかに秀才などと評されても一介の高校生。勉強した後にまた勉強が待っているかと思うと嘆息くらいは許されるだろう。


街灯がよわよわしく光り、帰り道のアスファルトを鈍く照らす。黒く染まった道端の雑草が春風でざわつき、夜に奏でる。


そのざわめきが心地もよかったがこれから来るお小言やらプログラムが脳裏に想起される。


楽しい、楽しくないなどと秤にかけられるようなことではないと志澄自身が一番よく知っていたが嫌気がさすのも無理のないことである。


そんな思いとは裏腹に先ほどのランドクラフトのシュミレーターでの経験。その高揚感はしばらく経った今でも指先に宿っていた。


(俺も学園の宿舎に入るか……)


しかし彼には、そんな淡い期待は叶いそうにもない。


親族、特段現当主の父親からは半ば強制に近い教育をここ数年間、もっと言えば幼少期の頃から始まっていたのかもしれない。


『北條の才児』


そう言われて幾年か経ったが自分自身ではそんなことは特段気には掛けてはいなかった。


『ただひとえに、私が欲しいのは君のその頭脳だよ。志澄』


アリステラから放たれた羨望をはらんだ、一言は帰路にある彼の心の中で幾度とリフレインされた。


実際、高校を卒業してどのように進学するかなどということは志澄にはほとんど選択権はない。


なぜなら『軍閥北條家』が決めることとであることが彼が一番知っていたからだ。


志澄の親族はほとんどが軍の関係者もしくは軍属であり、彼もまたその用意されたレールに従うほかないというのが彼の生きる道でしかなかった。


外交に政治、そしてそれらに付随する人間関係的な政略は戦災復興とは切っても切り離せない。


端的に言えば、彼には生まれてから自由はほとんどなかった。


日本再興を幼少期から刷り込まれた名家の少年は宿命という悲願に囚われていた。


電車に揺られ、実家の最寄り駅に到着すると見慣れた黒いセダンが駅のローターリーに止まっていた。


セダンはすぐさま動き出し、彼のすぐそばに車を近づける。


ものの数秒で扉が開き、ゆっくりと誰かが出てきた。


「遅かったですね。志澄坊ちゃま」


そう言葉をかけたのは、やや声が低くいながらも、怜悧な口調は幼いころから聞きなじんだ彼の使用人の一人。


朱音(あかね)。やめてくれその言い方。もう高校生だ」


朱音。志澄にそういわれた彼女の口調は冷たさを含み、呆れた様子で双眸をくれた。


「坊ちゃまは坊ちゃまです。門限はすでに過ぎているのですよ。理由をおっしゃってください」


朱音と呼ばれた女性は志澄よりもやや小柄でありながらも背筋を伸ばし、典麗で凛とした姿はフランス人形ような印象を伺わせる。


彼女は古くから北條家につかえる使用人であり、志澄専属のメイド。身の回りの世話をしながら、彼の教育の一端を担う。


肩まで届かないきっちりと整えられていた黒髪は彼女の性格を表す。


志澄よりもいくつか年上でありながらもすでに使用人は何たるべきかをわきまえている様子だ。


いうなれば非の打ちどころのない女性だった。志澄にとっては姉のような存在でありながらもどこか逆らえられない、女丈夫の彼女にやや苦し紛れの言葉を告げる。


「校内活動だ。それでいいだろう?」


志澄はやや語気を強め、決められた到着時刻よりも遅くなったことを端的に伝えた。


「入学したときに約束したはずです。勉学とともに北條家の務めのためにこちらの教育も疎かにしないと」


数舜もなく、言葉を返す。


「わかっているよ」


「わかっているのであれば、架電の一つでもいただけなければ。……大事があってからでは遅いのですよ」


(厄介だ……)


「それではお車へ。今日の課程も勤しんでいただきます」


「ああ……」


朱音が、開かれた車の後方座席の扉へ手を差し伸べて『早く乗りなさい』とその眼差しで催促する。


志澄が乗車し、腰の位置を探っているとすぐさま車が急発進する。その車の動きで喉元が抑えられているかのようだ。


「……そんな急いで、事故でも……」


「お家で先生がお待ちです。すでに学習時間が近づいていますので……」


彼の家では各種の教育プログラムを講義するエキスパートが時間を決めて、待機していことを刺々しく伝える。


(昔はもう少し余裕があった気がするが……)


志澄は口に出さないながらも朱音に対する最近の言動、振る舞いの変化を心の中で吐露した。


建物から漏れ出す明かりが自然と視界の外へ流れていく。


「……先に夕食を食べていいかな……さすがに胃の方も空腹を訴えているよ……今日はどれだったな?」


「……坊ちゃま……今度からはちゃんと、定刻通り帰宅してください。それと本日は近代から現代における支援AI活用時の基本的戦術の概論とお聞きしています。また高校での予習、復習もお忘れなきよう……」


「夕食のメニューを聞いたつもりだったんだが……」


街灯がわずかに差し込む車内に沈黙がこだまする。ハンドルを握る使用人を対向車のヘッドライトが照らし、その険しさを際立たせた。


『聞くべきではなかった』という思いが疲労と後悔に変わる。


「……ああ、わかったよ。勉強をすればいいのだろう……」


静寂を貫いたメイドに半ばいじけたように志澄は言葉を放る。


「坊ちゃま」


「ん?」


「……差し出がましい質問かもしれませんが……」


朱音のやや上ずった声に志澄は無意識に反応する。


「校内活動とは一体、どのようなことをされているのですか?」


「……個人的好奇心の本質の探究かな」


志澄はやや意地悪く答えた。


「……そうですかっ!」


先ほどまでとは打って変わってドスきいた声で返事をすると、アクセルが思い切り開かれた。


運転席にいる朱音の表情は伺い知れなかったが『さすがに意地が悪かったかもしれない』と自省した。


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