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下北沢という町で



◆下北沢という町で



 サブカルチャーひしめく若者の町。古着屋が並ぶ路地、スパイスの香り漂うカレーの激戦区。自撮り棒を振り回す外国人たち、角を曲がればギター弾き。東京は下北沢、その北側に位置する一番街商店街、のはじっこ。

 はぁ~と息を吹きかけ、ボクは通りに面した窓ガラスを拭いていた。7月末の強い日差しがまぶしい。さて次はどこを磨こうかなと考えながら、ボクはあくびを噛み殺した。

 お店はあまりに暇で、それゆえどこもかしこもぴっかぴかに掃除されている。どこかの国の言葉で「店が繁盛してるか見分けるには床を見ろ、ゴミだらけだったら良い店だ」なんてあるらしいけど、あれは掃除不精の言い訳なんかじゃなかった。

 忙しいと、掃除にまで手が回らない。

 暇だと、掃除するしかなくなる。

 このお店は、近くで大繁盛しているスープカレー屋の姉妹店。味の方はたしかなのに、こうして連日閑古鳥が鳴いている。多忙な向こうの店から戦力外通告を受けたスタッフの左遷場となっているのが現状だ。

 ついに店中を拭き終えてしまう。カウンターキッチン内をちらりと見やる。バイトリーダーの派手な身なりの龍田さんも物憂げに包丁を眺めていた。

 店前の電柱で鳴いている蝉の声が、古い思い出みたいにかすんで聞こえる。

 壁に掛かった鳩時計が3時を告げた。

「あ、閑古鳥時計が……。もうこんな時間なんだね。お疲れ様、上がっていいよ」

「はい。おつかれさまでした」

 鳩時計ですよ、龍田さん。

 普段は朝から晩までのフルタイムで働くけど、今日は半日でおしまい。

 ボクは店を出て、駅の方へ歩いていった。

 剣と魔法の世界から追放され、煩雑な東京に飛ばされて早8年。この世界ではアルバイトをしてもいい年齢になる前から、ボクは学校にも行かずに働いて暮らしてきた。当然、友達もいない。

 髪の毛や帽子で伸びかけの筍みたいな双角を隠し、尻尾はオーバーオールの洋服の中に。

 誰もボクがヨソの世界から来た魔王だってことを知らない。「我こそが魔王なり!」とこの町で叫んだって関係ない。この町にいたら、魔王だなんてただの慰めでしかない。意味がない。

 それに、言ったとこで誰も信じない。変人扱いこそされないだろうけど、信じてなんかもらえないはずだ。

 だって、下北沢には戦士やエルフだとかがたくさんいるから。

 ちょっと前までの、マスク義務化や巣篭もりと言われ抑圧されていた時代の反動だ。どういうわけかここは、平日の普段からコテコテのコスプレイヤーたちが集う稀有な町となってしまった。

 カフェのテラス席ではバンパイアとシスターがお茶をすすっているし、ゴスロリメイドがケバブを注文していたり、ナントカってアニメのヒロインが、プードルを散歩させていたり。

 特にここ数日はコスプレイヤーたちが多い。よく知らないけど、昔のゲーム関係のイベントが駅前広場でやっている影響を受けてだ。ここまでファンタジー感が増してくると、ボクまで本当の姿をさらけ出しても良いのでは? というふうに思えてくる。

 駅の周りだけなら、せめてね。

 わきおこった衝動を抑えられず帽子をとった。オーバーオールの以前うっかり突き破った穴から尻尾をにょろり……と出す。それだけで、たったそれだけで――――、

 なんっという解放感!

 駅前広場にさしかかった。迷路みたいな人混みをゲームみたいに楽しみながら縫って歩く。

 誰もボクを知らない。

 いくら友達がいないからって、この世界でも「追放」はされたくない。

 だから王冠を売ってまでこの世界の誰かの戸籍を買い、ひっそり、秘密に生きてきた。よく無料漫画アプリである、異世界転移っていうやつだ。隠居魔王なのだ。

 それなのに、

「キルコ・デ・ラ・ジィータク・シュタイン!」

 誰かがボクの名前を呼んだ。

 ボクの、本当の名前を。

 迷路の人混みが、魔王城の前に広がっていた死樹海迷宮みたいにゾゾゾと動いた。ボクと、ボクの名を叫んだ人まで一本の道が出来上がる。

 あろうことか、魔族がそこにいた。

 赤紫のロングヘアをかき分けて伸びる漆黒の双角。そこに挟まる煌びやかな王冠。

 アレは、ボクが売ったはずの王冠!

 ニセモノに違いない。この人だってコスプレなんだ。でもなんであんなにソックリなんだろう?

 ボクは思わず一歩あとずさった。彼女は真紅のドレスのスリットから白く艶やかな脚を出し、一歩前へ。と同時に存在を無視することの許さない大きな胸が揺れる。キスされたら真っ赤な跡が残るであろう唇が、ニコッと笑った。

 心の警鐘に従い、ボクは逃げ出したけど、すぐに捕獲されてしまった。

「ねぇアナタのそれ、無印の時のキルコよね?!」

 ある日突然、流刑地で、真の名前を呼ばれて、すぐに反応できる人がいるだろうか。

「いや――――」それに、無印って?

「すごい! あまりにイメージがピッタリだから感動しちゃった! 濃い青紫の髪に小さな角、童顔にくりくりした漆黒の瞳。かわいい尻尾。ホントはお坊ちゃんっぽい服だったけど、胸元の印象が似たこのオーバーオールと、なぜか学校の上履きを合わせたところに独特の解釈を感じるわ!」

 すさまじいスピードでまくしたてられる。彼女は続ける。

「ロリキルコが高校生ぐらいに成長したらきっとこんな感じだろうなってイメージがあったから、それとピッタリ過ぎて、ヤバ、ホントに感動して涙でてきた……。ねぇ、写真撮っちゃダメ?」

 周りの人たちが自然と動いておのおのカメラをかまえた。こういう流れを断れるボクじゃない。

 謎の年上美人と肩を並べる。

「我こそが魔王なり!」

 彼女の掛け声で一斉にまたたくフラッシュ。

 ボクは周りの人混みの中に、お父さん達を倒した勇者たちがいることに気がついた。

 背筋が凍りつく。

「あ、あなたは誰ですか…………?」

 コスプレに違いないんだ。

「アタシはね、キルコ。同じだよ、キミとね」

 王冠を頭に載せられた。その際、さりげなく名刺も渡された。

「キミのファンなの。ずっと前から大好き」

 とても好きになれない自分を好きだと言わされる悔しさと、戸惑い。隣のキルコの柔らかさと、熱。カメラの連続するフラッシュ。勇者のまなざし。

 とても耐えられなかった。

 気づくとボクは下北沢の多国籍で多種族の人混みを、全速力で駆けていた。



 8年前のあの日、ボク以外の魔族はみんな殺されてしまった。ボクらの眷属である魔物もおおかた退治され、残りは地獄谷にでも追いやられたに違いない。勇者たちが営む光の世界のどこに、裏切り者のゴートマは居をかまえたろうか。知ったことじゃない。

 問題は、このボクの正体を知る人が現れたことだ。

 駅から南に伸びる目抜き通りを過ぎた頃、ボクはようやく走るのをやめた。三茶駅まで続く茶沢通りを歩きながら、乱れた呼吸を整える。ボクは受け取った名刺を確かめた。

 絹繭メル。

 もちろん知らない名前だ。

 コンビニで左に曲がり、お寺を過ぎる。1分も経たぬうちに、大樹が立つ神社に差しかかる。嫌なことなどがあるとここへ立ち寄るのが帰り道の慣習だった。

 石の鳥居をくぐり、子供たちが大樹の木陰で遊ぶ公園広場を過ぎる。石段を上がり、ひと気のない境内へ。大樹から蝉時雨が降り注いでいた。

 とにかく取り乱さないようにしなきゃ。ゆっくり考えるんだ。帰ったら大好きな掃除でもしながら、じっくりと。

 べりっ……とマジックテープの財布を開けて、五円玉を賽銭箱へ。

 大丈夫、だいじょうぶ、きっとなんとかなる。

 うん…………帰ろう。

 ボクが振り返るのと、その人が石段を登り切るのは同時だった。

 勇者だ。

 吹き上げてくる風に藍のマントとブロンドの髪が揺れる。彼女はビキニ型の鎧を身につけていた。この神社は下北沢の駅から多少離れている。コスプレイヤーはあまり来ないような場所だ。

 蝉の声に負けないほどの、大きな胸騒ぎ。

「お、お写真でも撮りましょうか……?」

 そうボクは口にした。彼女は冷たい眼を向けてくるだけで何も言わない。ボクは次の言葉をつむごうとして、そして口をつぐんだ。風に揺らめくマントの下に、抜き身の剣があったからだ。

「王冠をもらう」

 勇者はそう言うと、剣をかかげてボクに突進してきた。

 演技じゃない。剣呑な空気に、ボクの角がむずりとした。

「セイッ!」

 勇者の一撃を後ろに飛び退いて、ギリギリかわした。賽銭箱に背中からぶつかり、王冠がボクの膝に落ちる。そうか、あの人の王冠、持ってきちゃったんだ。後で返さなきゃ…………いや、ひとまず生き延びなきゃ。ボクはなだめるように手のひらを勇者へと広げた。

「やめてください! どうして今さらボクなんかを」

 勇者は答える代わりにもう一度ボクに向かってきた。

 お父さんたちなら、魔法でいとも容易く相手を火だるまにしているだろう。

 楽しかった思い出が次々と脳内をめぐった。

 こういうのを走馬灯と呼ぶのかな。

 ボクには意味のない王位しかない。それと、このよく動く尻尾。

「ぐぅあ!」

 くぐもった声が聞こえた。

 咄嗟に伸ばした尻尾、そのハート形の矢じりが勇者の胸を突き刺したのが、感触で分かった。

 おそるおそる目蓋を開く。うつ伏せに倒れている勇者。マントには穴が空いている。

 なんてことだ。

 身を守るためとはいえだ。

 ボクは…………人を殺してしまった。


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