感覚が死ねば何も感じない
俺がこの場に居ることは、なんでもないように自然と受け入れられた。
「おかえりなさい、アルム」
「……ただいま、母さん」
親子の挨拶もバッチリ。
しかし、母さん。母さんよ。
今の俺の姿を見て、そのまま何事もないようにするのはどうなんだろう?
見えては……いるよな?
息子が拘束されているのだから、助けてくれてもいいと思うが?
そう願って母さんに目配せし、通じ――。
「アルム。腕を上げた女が料理を振る舞うのです。しっかりとすべてを平らげるのが男というモノですよ」
なかった。
しかも、食べ……いや、待って。
全部食べないといけないの?
え? そうなの? と、こっちの男性側は全員驚いているけど?
「……何か?」
『……いえ、何も』
男性側は誰も逆らえなかった。
そして、食事会が始める。
―――
「まずは私から」
水のリタさんがテーブルに人数分の料理を置いていく。
カーくんには元々なく、ラビンさんの分もない。
俺がその代わりだが――嬉しいのはわかるが、拳を握って両腕を高々と上げるのは、少し過剰ではないだろうか?
目を付けら――。
「どうやら足りなかったようですね。あとで用意します」
たようだ。
母さんからの無慈悲なる宣告によって、高々と上がったラビンさんの両腕が下がっていった。
こっちは無理矢理人質にされたようなモノだし、もっと追及して欲しいと思うのだが、こっちはこっちでそれどころではない。
水のリタさんの料理は――ワイングラスのようなグラスの中に、ぷるんとした楕円形のゼリーが入れられているモノだった。
ただし、ゼリーの色はドス赤黒い。
「……これは?」
思わず聞いてしまった。
でも、正体も知らずに口にするには……勇気が足りない。
「私たちスケルトンには舌がない。つまり味覚がないということ。そこで、私たちは食感でどうにかできないかと考えました。こちら、私が用意したのは、歯応えと喉通りを意識して、多種多様なスライムのゼリーを固めたモノになります」
なるほど。
理解したくない――頭が拒否していることはわかった。
「さあ、召し上がれ」
良し――とはならない。
ただ、それは俺だけで、無のグラノさんたちは恐る恐る手に取り、口の中に放り込み――。
「……か、噛み切れない」
誰もが苦戦して、仕方ないと飲み込む仕草を見せるが、それはそれで何故か無心になっていた。
味を感じることができなかったということだろう。
安心する材料が一切ない。
不安が増すばかりだが、俺は気付く。
「身動きできないから、拘束を外してもらっていいか?」
封じられているので、料理を手に取ることができない。
なので、拘束を外してもらい……その瞬間に逃げよう。
「では、ラビンさま。手が空いているようですので、愛する息子に食べさせてあげてください」
「え? ボクが?」
「何か?」
「……いえ、何もありません」
ラビンさんが母さんの圧に屈した。
……メイドに逆らっちゃいけないよね、とラビンさんの呟きが聞こえる。
しかし、これで確定した。
逃げられないということが。
リノファなら、と思わずにはいられない――ラビンさんに食べさせてもらうという嬉しくない状況でスライムゼリーを食べる。
「……確かに、ぐにぐにする、だけで、噛み切れ、ない」
弾力性があり過ぎ――。
「辛あっ! ひー! ヒー! 辛い辛い辛い辛い! 無理無理! これを全部なんて!」
演技でもなんでもないが……通じなかった。
だが、辛さで味覚が死んだ。
今しかない! とラビンさんに目で合図を送る。
母さんが全部食べろというのなら、食べるしかないのだ。
ラビンさんは察して、俺の口の中にすべてのスライムゼリーが放り込んでくれる。
噛み切れないので飲み込むことしかできなかったが、どうにか食べ切ることができた。
……このあとの胃が心配だが。
ただ――。
「駄目でしたか」
水のリタさんは少し残念そうだ。
まあ、目的はスケルトンでも味を感じられる食事である以上、無のグラノさんたちの反応を見れば明らかである。
俺の状態ももう少し気にして欲しい。
「では、次はウチね。ウチはリタとは逆に硬さを追求したわ」
土のアンススさんが用意したのは――皿の上に、少し焦げ目のついた大きな骨が一本載っているモノだった。
「それと、香ばしさを増すために炙ってもみたわ。それに、旨味も考えてミノタウロスの骨よ」
考えるべきところは他にあるような気がしないでもない。
俺的な意見を言えば、肉を付けて、骨ではなくその肉を主食として欲しかった。
先ほどと同じく無のグラノさんたちは恐る恐る骨を手に取り、かじる。
「(ガキーンッ!)……歯の方が砕けそうなんじゃが」
どうやったのか知らないが、相当を越えた硬さのようだ。
なのに、ラビンさんは俺に食べさせようとする。
いや、これはさすがに無理だから。
母さんからも「なし」判定され、食べなくて済んだ。
ホッと安堵。
「……ワタシの出番」
まだスライムゼリーがお腹に残っているので休憩したいが、そうはいかないようだ。
光のレイさんが用意したのは――大きなグラスに入った緑色の飲料。
言葉を選ぶのなら、濃厚な大自然の香りがする。
「……ワタシが求めたのは喉越し。あと、多種多様な葉物類を纏めて絞った濃厚濃縮仕様だから、栄養も抜群。健康間違いなし」
光のレイさんがこちらに向けて親指を立てる。
しかし、問題が一つ。
「……まったく落ちてこんのじゃが?」
その言葉が示すように、グラスを逆さまにしても、一滴も落ちない。
粘性が高過ぎる。
「……失敗」
てへっ! とでも言うようなポーズを取って謝る光のレイさん。
いや、騙されないから。
ただ、これは食べられる判定を出され、スプーンですくって食べた。
ほんのり苦みを感じる。
多分、味覚が死んでなければ、苦みで吐いていたかもしれない。
しかし、前回に比べれば遥かにマシ……マシ? 前回? ……前回ってなんだ?
記憶にはないから勘違いだろう。
それに、確かなことは乗り切ったという――。
「あ、あの、私も作ってみたのですが……」
まだ終わっていなかった。
リノファが恥ずかしそうに小さく手を上げ、作ったという料理をテーブルに置く。
それは――水の入ったグラス、焼き立てホカホカの柔らかいパン、新鮮な彩りサラダ、香ばしく焼かれた一枚肉――といった標準的な料理。
見た目は非常に美味しそう……だが、誰も手を付けない。
今、こちら側の気持ちは一つ。
――普通なのが逆に怖い。
見た目は間違いなく普通だ。
それこそ、毎日でも食べられるような仕上がりである。
……だからこそ、今は警戒してしまうのだ。
噛み切れないスライムゼリー、炙った骨、濃縮され過ぎた葉物汁――ときて、これである。
怪しむな、という方が難しいだろう。
けれど、食べないという選択肢もない。
リノファを可愛がっている母さんからの圧力があるからだ。
意を決して食べる。
「……美味い」
と思うのだが、実際はまだ味覚が死んでいるので微妙にわからない。
でも、不思議なのだが、どことなく清涼感というか、神聖性というか、心が軽くなり、晴れやかになっていく……ような気がする。
今なら、人質にされたがラビンさんを許せそうだ。
俺の食べる姿で安心したのか、無のグラノさんたちも食べ――。
「……はっ! いかん! グラノたちはそれを食べては! 今、リノファの聖属性を高める訓練として聖水を作らせておるが、その聖水が使われておるぞ! 浄化される!」
突然カーくんが叫んだが、もう遅かった。
無のグラノさんたちはリノファの料理を口にし――。
「ああ~、何やら体が軽くなるような……」
「心が満たされるぜ……」
「あはは~。なんか楽しくなってきたな~……」
「今ならすべてを許せそうです……」
無のグラノさんたちの姿が、しっかり見えるのと半透明なので二重に見えたかと思うと、半透明の方の無のグラノさんたちが浮き上がっていき――。
「いや、それはなんかヤバいよな! ラビンさん! 拘束を!」
「そ、そうだね!」
拘束を解いてもらい、ラビンさん、カーくんと共に、揺すったり叩いたりし、さらに女性陣、母さんとリノファにも手伝ってもらい、どうにか無のグラノさんたちをこの世に留まらせることに成功した。




