まずは夢かどうかから疑うよね?
「夜分に失礼いたします」
そう言って、緑髪の女性が俺に向けて頭を下げるので、俺も合わせて頭を下げる。
改めてその姿を見ようと思うが、月明かりでは足りないというか、窓から差し込む光だけではよく見えない。
目を細めると、向こうが気付く。
「これは失礼しました。頼み事をするのですから、暗闇で隠すのではなく、きちんと姿は現すべきでしたね」
そう言って、緑髪の女性が手を軽く振ると、周囲にふわふわとした発光球体がいくつか漂ってその姿を照らす。
新緑のような緑色の長髪に、慈愛に満ちた――あるいは母性のような優しさを感じさせる顔立ちで、薄手のローブのような衣服を見に纏っているからか、抜群の体付きがより強調されているように見える。
特に胸部が……破壊力がある。
いや、あれは何かを破壊するモノではない。
夢、希望、愛……そういう、人の心を温かく包み込むような何かが――いや、これは失礼だな。
思わず、という風に見てしまう場合はあるが、ジッと見続けるのは本当に失礼だ。
「これは、どうも」
そう答えるが、正直状況がよくわからない。
寝起きから冴えてきた頭で考えてみると、ここはルウさんとロアさんの家の客室で、俺はそこで寝泊まりしているが……この女性はどうやってここまで入ってきたのだろうか?
ルウさんかロアさんの知人であるなら、まず二人の内のどちらかが共に来ていると思うのだが、二人の姿はない。
となると不法侵入……か?
あれ? 然るべき場所に届けるべき?
いや、それよりも前に、俺の身の危険が迫っている?
思わず身構え、向こうもそれに気付く。
「どうやら、要らぬ警戒を与えてしまっているようですね。確かに、このような時間帯に来るものではありませんが、私もこうして動けるようにするには準備があったのです」
「は、はあ」
「それに、時間も限られています」
「……なるほど」
まだ寝起きだからだろうか。よくわからん。
というか、根本的な話として――。
「とりあえず、どちらさま?」
「あっ、これは失礼しました。そうですね。まずは名乗って相互理解を深めることが第一歩でしたね。あなたたちの協力を得ようとするのならそれは大事なことです。……では、初めまして。『世界樹』です」
………………。
………………。
「なるほど。そうか。夢か」
「違います」
緑髪の女性は笑みを浮かべたまま否定してきた。
違うようだ。
「現実だ、アルム」
アブさんも肯定してくる。
「いや、でも、世界樹って……あっちに……それに、世界樹は巨樹だ。人じゃない」
ここから見えはしないが、世界樹がある方を指し示しながらそう言う。
「確かにその通りだ。だが、現実として、その者からは異様な気配を感じるのだ。世界樹かどうかは某にもわからないが、少なくともそれは人ではない」
「そうなのか……て、アブさん! 姿も見せているし、声も!」
「ああ、問題ない。異様な気配だと言っただろう。いきなり現れたかと思えば敵意は一切なく、最初から某を認識していて、アルムを起こして欲しいとお願いしてきたのだ」
「ええ。その通りです。その者のことは森に入った時から確認していましたよ。ですが、確かに先ほどの紹介では正確性を欠いていました。正しくは、世界樹の精神体――もっとわかりやすく受け入れてもらうのなら、世界樹の精霊、という方がいいかもしれませんね」
「なるほど」
よくわからないが、わかった。
頷きを返す。
「えっと、自分で言っておいてなんですが、信じるのが早過ぎませんか?」
「まあ、アブさんもその一人だが、なんというかそういう類の知り合いが多いからな。それで、さっき協力を得ようとするならと言っていたが……どうして俺とアブさんなんだ? ここには他にも頼りになりそうな人が居ると思うが?」
「これまでは暗く閉ざされた絶望の中に居ましたが、今はそこに希望の光が降り注いでいます。それが、あなた方なのです。あなた方でなければ駄目なのです」
アブさんと揃って首を傾げる。
「もしかすると、某がここまで入れたのは、協力を願うためか?」
アブさんがそう尋ねると、世界樹の精霊はその通りだと頷く。
「はい。協力をお願いしたいのは、あなた方二人に私の本体――世界樹を助けて欲しいのです。今はまだ耐えられていますが、このまま何もしなければ、時間の問題で世界樹は朽ちてしまうのです」
朽ちる――思っていたよりも大きな問題に、俺とアブさんは顔を見合わせて、世界樹の精霊に続きを促して聞く。
世界樹の精霊の話によると、いつからで、誰が、というのはわからない。
けれど、いつの間にか、誰かによって、「呪樹」が世界樹に根を張っていたそうだ。
呪樹がなんなのかを簡潔に聞くと、樹木の生命力と魔力を吸い取って成長する樹、といったモノらしい。
仕掛けられた直後であれば世界樹の方で対処できたのだが、隠蔽に相当な力が加えられていたらしく、かなりの間気付くことができずに対処が遅れてしまった。
それこそ、世界樹だけでは対処できないくらいに呪樹が成長してしまったのだ。
そこまで話を聞いて思うことは――。
「それなら、エルフに助力してもらい、排除すればいいのでは?」
「問題が二つあります。一つは、エルフはこのことを知りません。私が教えていないのです。我が子のようなモノですから疑いたくないのですが、状況が状況だけにエルフの中の誰かが直接的関与、あるいは間接的関与の可能性があります。ですので、迂闊に私のことを話すことはできないのです」
……確かに。
世界樹の聖域は厳重に守られている。
それをすり抜けてとなると……関わっているのが居るだろうな。
下手をすると、より酷いことになる。
「もう一つは?」
「呪樹がある場所です。生い茂る葉の中にある巨樹の頂点。そこは凡そ生命体が通常では活動できないような位置ですので手が出せないのです。私の加護があっても、そこに辿り着くこともできません」
「いや、それは……誰も手が出せないのでは?」
「そうでもありません」
世界樹の精霊の視線がアブさんに向く。
合わせて、俺もアブさんを見ると、アブさんは自分を指し示す。
「某か?」
「ええ、あなたならあの環境にも耐えられます。それと、それだけ強い死の魔力であれば、呪樹を滅すこともできるでしょう。あなたにお願いしたいことは、呪樹の死滅」
世界樹の精霊が俺を見る。
「そして、あなたにお願いしたいのは、呪樹から解放されたあと、その影響で私は一時的に弱まります。おそらく、私が回復するまでの間、森の結界も消えてしまうでしょう。回復を早めるために、あなたのその尋常ではない魔力を注いで欲しいのです」
俺とアブさんはもう一度顔を見合わせた。




