7.夜夢の始まり
指揮棒の如く杖を高く上げる。
私を中心に黒が周囲を侵食する。
偽装魔法により煌びやかなホールは一転、月明り指す夜の湖畔へと化した。
記号の様な軌道を描き杖を振る。
その瞬間、水銀の水溜まりより一輪の巨大なアネモネの蕾が浮上した。
蕾は花開き、その中心には銀色のバレリーヌ。
銀のオンコリは溶け、また水銀の水溜まりへ戻ってゆく。
その水溜まりさえも湖に沈む様に消えてゆく。
───少女が一人、月明り浴びて湖上に立ち尽くす。
水銀の肌を月光が照らす。
少女の名はリゼット。
傷心と共に乙女は踊りだす。
月映す湖にて、貴方へ贈る独舞を。
貴方への想いだけを胸に、他に何も考えず。
どうして私の元を去ったのですか、どうしてあの女の手を取ったのですか、必ず私と添い遂げると、あの時誓ったのに。
どうして、どうして、どうして────。
嗚呼──私の愛しきフリードリヒ。
貴方は私を愛していた筈。
囁いた愛に嘘と疑う余地は無く、私を眼差す瞳には確かに愛慕が宿っていた。
それなのに...。
辛い...憎い...悲しい...苦しい...寂しい...切ない...
辛いのに己を慰める術を知らず、
憎いのに未だ残る彼への情が邪魔をして、
悲しいのに泣く声は上げられず、
寂しいのに縋ることもできず、
苦しいのに復讐を行えるほど強い心を持てず、
切ないのに...貴方の事しか考えられない。
自己憐憫ができる程自分を愛せないけど、悪い事なんてしてないことは事実だから自己嫌悪に陥ることもできない。
だからと言って許すこともできないけど...。
だから一人、逃げるしかできなかった。
居場所なんて無い。
あるとすればこの湖だけ。
もう私には何もない。
せめてあるとするならば...この踊りと彼との思い出のみ。
貴方との思い出が詰まったこの湖で私は踊る。
貴方が褒めてくださったこの舞を...。
そう踊っている内に湖から妖精「ヴィヴィアン」が一人、また一人と現れる。
恋破れ、水に沈んだ乙女の魂が成るとされる妖精。
───そういえば何故...私は...湖の上に...立てているの...??
見降ろすと、湖の深くに───沈んでいく───私が────...
嗚呼───私は───....
それでも踊りは止められない。もう自分の意志では止まらない。
囲まれる、囲まれる、ヴィヴィアン達に囲まれる。
彼女達から歓迎されているのかも。
そして湖から現れるヴィヴィアンの女王。
何か話しているけれど妖精の言葉なんてわかる筈もない。
女王の杖が掲げられ、ヴィヴィアン達は廻り出す。
くるくる、くるくる、湖の上で。
そして私は宙へ浮く。
月が少し近く思えた。
嫌、嫌、嫌、妖精になんてなりたくない。
妖精になったら...私は...フリードリヒに...。
......。
...私は何を言っているのだろう。
フリードリヒは私を裏切ったじゃない。
あの時の彼の瞳を見たじゃない。
妖精の下僕と罵り、剣を喉元に突き立てた彼の瞳を。
もう、彼は私の元へ戻ってこないでしょう?
だったらもう想うだけ馬鹿みたいでしょう?
そう、ほんとうに、馬鹿みたい。
貴方は私を妖精の手先と言いました。
ならば思う通り、妖精となりましょう。
国を滅ぼす傾国の女とも言いました。
ならば、そうにもなってしまおうかしら。
私の愛した父も母も兄弟も友も国も貴方も全て、全て、全て、壊してしまおうかしら。
ヴィヴィアンに合わせて宙のリゼットも踊り出す。
涙を流して歌いながら、笑いながら、叫びながら。
足元から姿を変えていく少女は今や青白いドレスを身に纏いしヴィヴィアンへ。
さぁ、大詰めと参りましょう。
そして始まるヴィヴィアンの群舞。
並行する一つ一つの思考を踊り子に接続しては別の思考に再接続し、そしてまた別の思考に再接続を繰り返す。
AとC、E、G、Iはこちらへ、B、D、F、H、Jはあちらへ。
そして一か所へ全員集まりましょう。
リゼットの舞は狂気を交えながら。
滑るように湖上を踊り回る。
そして高く飛び...
月を背にアラベスクを。
着水は天から舞い降りた白鳥の様に。
醜悪で悍ましい妖精を白鳥と例えるのは見当違いやもしれませんが、狂気の中に孕む美しさも乙でしょう?
群舞の中でも特に気を引き締めねばならないのは女王の舞。
『ヴィヴィアンの夜』の女王の舞はリゼットの舞に負けず劣らず目を引く部分。
他の部分でアレンジはあれど、ここだけは初演から何一つ変わっていない、最早伝統と言っても違わぬもの。
その伝統に恥じぬ様特段入念に確認し調節したのです。
ヴィヴィアンの群舞を行う以上、シャーグロッテの魔法嬢として失敗は許されません。
切り換えが忙しい群舞とリゼットと女王各々の舞、そして舞台演出、それらを並行思考にて接続し、反映するのは並々ならぬ集中力と体力を要します。
ですが...
あぁ───、なんて、なんて楽しい───。
さぁ踊りなさい、水銀のバレリーヌたちよ。
我がザンギエフの威光をここに示すのです。
そして皆様へ齎しなさい、
刮目を、感動を、熱狂を───!!
これにて───終演です!
音楽が残響残し終わりを迎える。
未だ身体の熱は冷め止まない。
バレリーヌ達が観客に向かって一礼する。
そしてバシャ、と湖の水へ戻っていった。
ガラス管を掲げる。
偽装魔術により隠れていた水銀が湖より浮き上がり、管へ戻ってゆく。
夜の湖には私と観客のみが残った。
残響もとうに消え、天井から私の爪先へ夜の帳が上がる。
そうして湖畔は王宮のホールへ元通り。
──ゆっくりと瞳を開ける。
目の前に広がるのは拍手喝采の観客たち。
...演目は無事成功したようだ。
「これにて閉幕でございます。短い間ながらお楽しみ頂けたのならばこれ幸いというもの。此度は御鑑賞頂き、誠にありがとうございました。この後もどうぞ我が国の宮廷舞踏会をお楽しみ下さいませ。」
黄色い歓声の中ホールを去る。
...
......ん゛~
ん゛ん゛~!
ぎん゛も゛ぢぃ~~~!!!!!
この...カタルシスっつーかなんちゅーか、溜まってた快感が一気に体内で爆発する感覚...!!
計画が全て滞りなく、正真正銘「完璧に」完遂したんだという事実が電流みたいに全身に駆け巡る爽快感足るや...!
唇を抑えた手の下で口角が自然と吊り上がる。
やばいな...これ病みつきになるわ。
ホールの出口の方に目をやるとネロや取り巻きちゃん達があたしを待っている。
「お嬢!お疲れ~」
「エレーナ様の魔法、すごく素敵でした!」
「お嬢様、お疲れ様でした。公演はご覧の通り大成功です。」
「ありがとう。」
ネロから受け取ったワインを一口。
白ワインの甘みや深みが五臓六腑に染み渡る。
あ゛ぁ~~...仕事の後のワイン、最っっ高~~!!
「...お嬢様。」
おん?なんだなんだ、やけに静かじゃないの。
いつもだったら蜂の巣必至のマシンガントークかましてくる癖に。
「私...わたくし...!!感っっ動致しましたっ!!」
おっ、おぉ...?
「あ~あ~、こりゃあ面倒なのが始まるぞ~?」
「この胸の高鳴り...全身の毛が逆撫でられる感覚...!!あぁ...あぁ...!!こんな気持ち...何時ぞやぶりなのでしょう...!!まるであの時の様ですわ...!!それもその筈!!お嬢様の勇姿を見たのならばこの様な気持ちにならない訳ありません!!ホールを黒き湖畔へと塗り変えるお嬢様、水銀のバレリーヌを自在に操るお嬢様、指揮者の如く舞台全体を支配するお嬢様、月明りに照らされ逆光浴びるお嬢様...どれを取ってもとっても麗しく、凛々しく、神々しい!!あぁ思い出したら下着が濡れてきました...。その上普段よりも一段と美しいお姿でいられるのです、瞳を奪われない方がおかしいですわ!未来の偉大なる魔法使い、ラベンダー色の魔女、我らが魔法嬢!!!貴女こそがムグッ!!!」
「はーいそこまで~。真っ赤なワンちゃんはそろそろ黙ろうね~」
流石に辛抱切らしたのか、ノエルがアメリアの口に食べかけのリンゴを捻じ込む。
「カハッ!!何故ですノエル?!貴女だってそう思うでしょう?!」
「そりゃ当ったり前よ。あんたもうちもクロエもなんならネロだってそう思ってるさ。でもさ?今のお嬢見てみ?かなーりお疲れじゃん。」
確かに長時間の並行思考と反映操作で脳は疲れ切ってる。
やることはまだあるけど一旦休みた...待てよ?これはチャンスでは?
「そうですね、少し...疲れてしまいました。」
「エレーナ様、大丈夫...?」
「問題ないわ。ですが少し観覧室にて休憩を取っても?」
「お供します。」
「ありがとう、だけどネロは軽食を取って来て貰えるかしら?私は一番奥の部屋にいますので。」
「お嬢様!私達も...!!」
「貴女達は舞踏会を楽しんで頂戴な。特にクロエは...ね?」
そう言い残して二階へ昇る。
そして右側の奥の部屋...魔法を仕掛けてる部屋へ入る。
目の前には大勢の幻影。
バタン、と扉を閉じる。
「──魔法解除」
偽装魔法の魔法具を取り外しヒールで踏み潰す。
侯爵令嬢故身の安全の確保という建前で扉を閉めた部屋。
偽装魔法が解ければたちまちがらんどう化す。
「さーて、やりますか。」
これで所沢結の本来の目的も終える。
数週間とはいえ長く、苦しい戦いだった...。
でもこんな面倒事も今日でおしまい。
これからは魔法の研究なり何なり悠々自適に暮らしちゃうもんね。
さぁ───これで終わりにしよう。
部屋のど真ん中で杖を掲げる。
しかし振りは本来とは反対向きに、声は小さく唱える。
「恋に落ちよ、 愛無き者。汝の 心に焔 を灯せ。」
「溺れる甘い夢は汝を狂わす蜜の味。」
「夢よ、二人の恋路を拓きなさい。」
「──しかしその光は遠く、手を伸ばせど未だ届かず。」
「我は辿る、光への道を。」
「どうかそれまでは静かに、密やかに──。」
透明なベールが部屋からホール全体へ広がる。
この魔法は改造してるから他の人には掛からない。
でも魔法への抵抗力が弱まってる殿下とヒロインちゃんには掛かっちゃう。
遅効性の毒の様なものだ。
薬が回って来た今、知らずの内に魅了魔法は身体を蝕み...
パンッ、と効果を発揮する。
うーん、我ながら完璧...。
んじゃこのジャマーの方も取り外して、廊下の壁の方へ行って...
「──魔法解除」
ガチャン、と魔法具がバラバラになる。
かつて魔法具だった鉄屑を花瓶の後ろに追いやる。
今この瞬間からあの部屋は安置ではなくなった。
まぁ、もう何か悪い事でもする訳じゃないし関係無いんだけどね。
素知らぬ顔で部屋に入り、椅子に腰掛ける。
後は...結果を待つのみよ。
コンコン、とノック音が響く。
「失礼します。」
ネロが帰って来た。しかも絶妙なタイミングで。
「軽食ありがとう。そこの机に置いて頂戴。」
「改めて、魔法の披露お疲れ様でした。我が国が誇る『魔法嬢』の名に恥じぬ御活躍でした。」
「私も少し本気を出したのです。悪い出来となる訳無いでしょう?」
「...ですね。」
テーブルの上には数々の軽食。
ザンギエフ王国だけでなく、ガルムやチェーリカなど各国の料理が並んでいる。
その中で一つ、あたしの目を引く。
サーモンやアボカド、刻まれた玉葱やキュウリが混ざった料理。
ポキ...だっけ、きっとノエルが置いたのだろう。
舌が肥えてる彼女が勧めるのだから美味しくない訳ないよなぁ...。
ポキなるものをスプーンで掬い、口へ運ぶ。
香味料の香りが鼻を通り抜ける。これがまぁ食欲を増進させるんだよなぁ...。
そして噛んだ瞬間に舌を通じて脳に伝わるサーモンの甘みとアボカドのまろやかさ、玉葱の細やかな辛味。
「...ふふ」
「美味しいですか?」
「えぇ、笑ってしまうほどに。」
そう、本当に、笑っちまうほどに美味しすぎる。
多分完全犯罪の成功が確定したという事実も込みでのこの味なのかもしれない。
それに加え魔法の披露も成功も成功、大成功を収めたのだ。美味しくない筈が無いか。
これが...勝利の味っていうやつかぁぁ...。
よく犯罪系の洋画とかにも最後主人公がワインだかを一口飲んでるけど...こういうことなんだね...。
もうそりゃ...絶品ですよ、えぇ。
ここまで頑張って来たかいがあったなぁ...!
「ネロもそこにいないで座りなさいな。」
「では遠慮なく...。」
さてさて、ホールはどうなってるかな?
あのお二人はまだ薬が回らないのかな?
早くエレーナちゃん及び結ちゃんを自由にしてほしいな?
「...お嬢様。」
「はい。」
「フラムルンド殿下のご様子が...なんだかおかしい様な...。」
「...それはそれは」
おっ?!
おっおっおっおっ?!?!
き、来たか?!
殿下に注目する。
確かに瞳は蕩け、目線はしっかり相手の方を捉えているようだ。
「...大変ですね。」
殿下が相手の方へ歩み寄る。
行く先はリュンネの方向。ははは、勝確ですわ。
そして口を開け...
「...グラシアン!!!!」
──ん????????
今......何つった?????
あろうことか目の前のリュンネを退かし、歩み寄った殿下とグラシアン王子が互いをきつく抱擁する。
「─────。」
「は.......。」
会場が騒めく。
そのど真ん中、深紅と群青の髪が混じりあう。
「グラシアン...。僕は、僕は....。本当は...君の事が....」
「んなの、言われなくともわかってるさ。...オレも...」
敵国の第一王子である二人が、抱き合っている。
それも先程の険悪さなど、まるで無かったとでも言う様に。
りゅ、リュンネ!!リュンネは?!
大衆の最前列で目を見開いている。
その瞳の表情は、殿下や王子とは全く違う。
リュンネは...魔法に掛かってない──。
そう確信した瞬間、咄嗟にしゃがみこんでしまった。
──失敗だ。
半年ぶりですね。今年中に出す?お正月にいけたら御の字?...申し訳無いとは思ってます。まぁね!お紅からのアッパーカットは食らってないので!無問題ですよ。
ところで文字数が前話は一万字もいってしまいおっかなびっくりな若柚子、反省して六千字に収めました。(本当はまた一万字越えそうだったのはここだけの秘密...)
そして何という事でしょう、舞踏会編まだ終わりません。
....終われません。あと一、二話で終われますように南無南無。