八月二十九日
八月二十九日
「高いところへ行こう」エルマーが言って、リミナルは承知した。一番近い丘を目指して旅をした。
丘のふもとについた。
エルマーが今日中に歩いて登りきると言い張った。リミナルは承知した。二頭の馬を手近な木に繋いだ。
丘を登りきったのは夜明けだった。
「ああ、」エルマーが言った。「そうか」
隣のリミナルがエルマーを不思議そうに見る。エルマーは微笑んでいた。じわじわと染み込むように首筋にMade In Fantasyが現れた。リミナルはちょっと驚いたように小さく声を上げ、エルマーの名を口にした。
「ぼくだったんだ」エルマーの声は穏やかだ。「ぼくはいつだってぼくだったんだ」
彼がそういうと、二人の頬を風がなぜた。エルマーは海の匂いを感じたはずだ。
やさしいさらい風がやってきた。リミナルは避けようとしなかった。直感的に理解していた。旋風がエルマーに絡んだ。二人は一瞬見つめあった。エルマーが何かを言った。リミナルには聞こえない。そして次の瞬間にはもう、エルマーは消えていた。跡に残るは、くすぶっている旋風と、空の色をした靴下一足だけ。
まず、おれはリミナルだ。他人の日記を勝手に読むことが最低だってことは、知ってる。
結論からいえば、奴は死んだ、のだと思う。おれはやつがやつであると本気で思ったことは一度もなかった。黒髪を見たときは病気なのかと呑気なことを考えていた。おれみたいな知識もくそもないようなやつにはそれが精一杯だった@だから今驚いてる。この日記を読む限り、どうやらあいつは本当にエルマー・アディ・リヴらしいから。そして悲しんでいる。おれに出遭いをくれたエリーがいなくなってしまって淋しい。こういった形でエリーのことを知る、望んだ形じゃなかった。ああ、そうとも。
ホーンの丘で彼を一目見た時、違和感を覚えた。こいつはおれに手紙を押し付けて無言で去っていった奴じゃない。でもやっぱり彼は彼で、おれは不思議でならなかった。確かに同一人物だけど違う。そんな感じだったのを覚えてる。
エリーは毎日変わった。いつ見ても何かしら変わっていた。目に入れる度に変わっていた。ちょっとずつ何かが違った。もちろんおれはエリーがおかしくなり始めたのにも気付いていた。十月二十九日の時点ですこしおかしかった。おれはエリーが好きだったし、今でも好きだし、だから胸がキヤキヤした。これは彼の日記で、おれのことを書くのはお門違いだ、だからこれ以上は語らない。
ああでもないこうでもないと考えるのは苦手だけれども、おれは考えてみようと思う。
多分、エリーはエリー自身の持ち主だった。彼は彼の主人だった。持ち主に所有されていないファンタジーは欠陥品だ。だからエリーは言葉が苦手だった。
結局、おれがMade In Fantasyを見たのは最期の一度きりだった。それで、おれが思うに、Made In Fantasyが消える前はファンタジーで、消えた後、日記では十月七日、出遭いを待つ人間だったのではないかと思う。だから言葉が滑らかになった。
さらい風がエリーをどこへさらっていたのかは知らない。
ここで少しだけ謎を消化しようと思う。まず、二月十六日より一週間ほど前からおれはまともに寝ていなかった。エルマーの洞察力はさすがだ。奴はうなされていた。悪夢を見たのだろうと思う。寝言も酷かった。だからエンデルヴェリエ・ラシックの本を贈った。それからすこしはましになったがやはり寝言は続いた。
エリーが風とともに消え、おれはどうすればいいかわからずただただ立ち尽くしていた。夜が明けて太陽が昇りきる頃我に返り、さらい風がエリーの代わりに残していった靴下を拾い丘を下った。二頭の馬がいなないて迎えてくれた。おれはエリーの馬の馬具とエリーの残していった荷物をおろし、手綱をほどいて馬を野生に返した。そして少し仮眠を取り、エリーの袋をどうしようかと思い、奴が日記をつけていたことを思い出した。この日記によれば、人生は大きな物語である。そして物語は終わらせなくてはならない。尻切れトンボではいけない。だからおれは続きを書いた。そして今に至る。
おれは今王都にいる。ファンタジーを失くした例の男に会った。男はあのワードの服を貰ってから眠れるようになったそうだ。あの人はどうしたのかと聞かれて答えに困った。正直に言ったけど。どこかここではない別の世界に行っちまったと。彼のファンタジーは見つかりそうなのかと聞いた。いや、やはり見つかりそうにないと男は言った。どうして王都にいるのかというと、今度は向こうが困る番だった。実は王都にジェスターというファンタジーに詳しい学者がいて、どうすればいいかを訊きにやってきたのだが、ジェスはどうやらそれどころではないらしい、だからまた放浪の旅に出、ファンタジーを探しに出かける。彼はそう言った。
これはおれの勝手な想像だが、ジェスターには解っていたのでは、知っていたのではないだろうか。おれは日記を読んで漠然とそう感じた。ファンタジーに詳しい学者がエリーの保護者。納得できる。しかしそれならどうしてジェスターはエリーに教えてやらなかったのだろう……結局、おれは何も知らない。
おれ達は別れた。ファンタジーを見つけられたらいいなと思う。
さらい風が残していったあの靴下は、履いてる。誰の靴下なのか、どうして靴下なのか、どこから来たのか、おれは知らない。空の靴下は俺の足をどこへ運ぶのだろう。エリーがくれた万華鏡はおれに何を見せるのだろう。
人生は大きな物語である。だからこの日記を、エリーの住んでいた図書館の本棚に納めて彼の物語を終わらせることにしよう。
完
エリーの日記、Made In Fantasy完結です。
初めてまともに形にして、はじめてきちんと完結させた短編でしたので思いいれはあります。出来が悪いのもあまり面白くないのも知っていますが、それでも書いていて楽しかったし、今でもこの物語が好きです。
お付き合いありがとうございました。
大西